15.第三章 雄一さん エピソード5
「実は、僕、真理さんのことは、小学六年生のときから知っていました。一度、公園で会いましたから」
「公園で?」
どうも、雄一さんの話していることが理解できない。
「そうです。中学校の近くの公園です。僕の実家は、その公園の近くなのです」
「はぁ……」
「それから、僕が中学三年生のときに、真理さんをまた公園で見かけました。いや、毎日見ていたと言った方がいいかな。真理さん、子猫を可愛がっていましたよね」
『仔猫』と聞いて、今度は記憶がつながった。
「あっ、仔猫? あっ、はい。公園に仔猫が捨てられていて可哀そうだったので、私、家に連れて帰ったのですが、家で飼ってはいけないと言われちゃって……それで、どうしたらいいのかわからずに、元いた場所にその子を戻して、毎日ミルクをあげていました。でも、いなくなりました。雨の日に見に行ったら……」
雄一さんは、私の話をずっと穏やかな表情を浮かべながら聞いてくれていたが、仔猫がいなくなったことを話すと、急に顔を強張らせた。
「実は、僕です。あの日、仔猫を連れて行ったのは。雨に濡れて震えていたので、それでやむなく……でも、僕が連れて行ったことを真理さんに気づいてもらえるように、僕は、部活で着ていたユニフォームを残しました。黄色のユニフォームを」
それを聞いた瞬間、私の脳裏に当時の光景が蘇った。確かにあの段ボール箱の中に、それらしきものはあった。空になった容器と、食べかけのソーセージと一緒に……。見るからに汚れた服だった。いらなくなった服を、誰かが仔猫にかけてやったのだと思った。
でも、あれは、雄一さんのユニフォームだったのだ。あの黄色のユニフォーム、どうしたのだったかな。だいぶ汚れてしまっていたので、確か、洗濯して戻そうと思って、とっさに持ち帰って、そのまま私の部屋に置いたままになっていた。一度は洗濯機の中に放り込もうと思ったけど、母に見つかったらまた何を言われるかわからなかったから、母に気づかれないようにこっそり洗濯をしようと思ったのだ。
だけど、どうして雄一さんは、あのユニフォームを残したのだろう。あれを見れば、それが雄一さんの物であることがわかるように話しているけど……。
「ユニフォーム?」
「そうです。僕の黄色いユニフォームです。覚えていませんか、僕が二年生のとき、グラウンドで練習をしていたら、相手チームの人とぶつかって、転んでしまいました。その弾みで、ユニフォームが破れてしまって、僕が困り果てていたときに、真理さんが駆けつけてきてくれて、僕の破れたユニフォームを、元通りに縫い合わせてくれました」
「あっ」
雷に打たれるほどの衝撃が、身体を駆け巡った。
思い出した。そうだった、そんなことがあった。でも、あのときの人が、私の目の前にいるなんて、信じられない。
中学校時代、私には密かに思いを寄せる人がいた。その人はサッカー部に所属していて、いつもグラウンドを颯爽と駆けていた。学年が同じなら話しかけるチャンスがあったかも知れないが、どうやらその人は私の一つ上の人で、廊下ですれ違っても話しかける話題が見つからなかった。まさに、叶わぬ恋の相手。
私は、毎日、手芸部の活動場所である家庭科室の窓際に座り、縫い物をしながらその人のことを見ていた。その人のことを見るだけで、幸せだった。
だけど、あるとき、思いがけないことが起きた。サッカーの練習試合に出ていたその人が、相手チームの人と激しくぶつかって転んでしまったのだ。私は、ケガをしたのではないかと、気を揉んだ。だけど、その人は何事もなかったかのように立ち上がると、倒した相手と握手を交わしていた。さり気なく振る舞う姿が清々しかった。その人の心の優しさに触れたような気がした。
試合の後、グラウンドに立ち尽くすその人のユニフォームが破れているのが見えた。私は、とっさに裁縫箱を手に取ると、その人のもとに駆け寄った。
どんなことを話したのかは、頭に血が上っていて、はっきりとは覚えていない。ただ、私が言ったことに、その人は「うん」と頷くと、部室に戻って急いで制服に着替えて戻ってきてくれた。私に汗まみれになったユニフォームを手渡すと、白い歯を見せてニッコリと笑った。
ユニフォームの破れはひどかったけれど、私は丹精を込めて縫った。その様子を、その人は優しく見守ってくれた。無我夢中だった。その人に喜んでもらいたい一心で、私は針を動かした。
「真理さんが心を込めて縫ってくれたユニフォーム、僕は本当に嬉しかった。だから、僕は、試合にはいつもそれを着て、夢中で駆け抜けた。他の、どんなに優れたユニフォームよりも、僕に勇気と勝ち抜く力をくれた」
雄一さんはそう言うと、私の顔を見つめた。私の心臓は一気に高鳴り、身体が熱くなった。
「ずっと、真理さんに伝えたかったことがあります。それは……」
「はい……」
ごくっと、唾を飲み込む私。
「ずっと真理さんのことが好きでした」
「あっ、はい……私も、すっ、好きでした」
言ってしまった。自分でもわからないほどに、大胆に。
それから、私は、全身の力を抜くと、雄一さんの腕の中に飛び込んだ。その腕は力強くもあり、優しくもあった。
ふと、雄一さんが、私の耳元で囁いた。
「大丈夫、大丈夫だよ。何にも心配いらないよ。君は、君のままでいいんだよ」
いつか聞いたことのある言葉だった。
私の身体はふわっと浮き上がり、何か大きなものに抱きかかえられているような、そんな懐かしい感覚に、私は酔いしれていた。
机の上のキャンドルが揺れる向こうでは、まるがうっとりとした表情で、私たちのことを見守ってくれていた。




