第9話 「武器は作らない」と怯える神造炉に、最初の仕事として鍋を頼みました
崩れた鍛冶場の地下から掘り出した黒い箱。
その箱から現れた少女は、俺たちの前で石炭を三個食べた。
比喩ではない。
小さな両手で石炭を持ち、乾いた菓子でも齧るように、がりがりと音を立てて飲み込んだのだ。
「……腹は壊さないのか?」
俺が尋ねると、少女は四個目の石炭を抱えたまま首を傾げた。
「壊れない。石炭は食べ物」
「少なくとも人間にとっては食べ物じゃねえ」
バルドが呆れた顔をする。
少女は、自分の身体とバルドを見比べた。
「私は人間じゃない。だから合ってる」
「そう言われりゃそうだが……おい、それ以上食うな。村にある石炭は、その袋で最後なんだぞ」
「どうして?」
「どうしてって、冬を越すために使うからだ。全部食われたら鍛冶場も動かせねえ」
「お腹が空いてる」
「俺だって酒が飲みたいが、村にねえから我慢してる」
「酒と石炭は違う」
「俺にとっては似たようなもんだ」
「バルドさん。四百年以上箱へ閉じ込められていた相手と、酒を我慢している自分を一緒にしないでください」
「四百年?」
ハンネが少女へ目を向けた。
「あんた、そんなに長く入っていたのかい?」
「分からない。三百までは数えた。でも途中から眠ってた。だから、四百くらい」
少女は黒髪の間から覗く赤い瞳を瞬かせた。
見た目だけなら、ニコより少し年上に見える。服と呼べるものは黒い布一枚で、裸足の足首には千切れた封印鎖が残っていた。
名前はヘスティア。
本人によれば、人間が魔力炉を作る技術を得るよりも前に造られた《神造炉》らしい。
炎を生み、金属を溶かし、普通の鍛冶炉では扱えない神鉄さえ加工できる。
その説明を聞いたバルドは、最初こそ目を輝かせた。
「神鉄まで溶かせるのか。なら聖剣や神槍だって――」
「作らない!」
ヘスティアが叫んだ瞬間、鍛冶場の地下から黒い炎が噴き出した。
床に残っていた木片が一瞬で灰になる。
セラが俺を庇い、アギスはハンネとバルドの前へ盾を構えた。
「ヘスティア、落ち着け!」
「武器は作らない。剣も、槍も、矢も、大砲も作らない! 作れと言うなら、また箱に入ればいい。今度は出してって言わないから!」
ヘスティアは自分を守るように両腕で身体を抱えた。
黒い炎が少女の周囲を渦巻く。攻撃しようとしているのではない。怯えた感情に反応して、力が漏れ出しているのだ。
バルドはアギスの盾の陰から顔を出した。
「悪かった。俺は別に、無理やり作らせようとしたんじゃねえ」
「みんな最初はそう言う」
「みんな?」
「白い服の人も、最初は頼むって言った。国を守るためだって。悪い魔物だけを倒すって。でも次は隣の国の兵士、その次は逃げた人、最後は武器を持ってない村まで焼けって言った」
「ヘスティアが焼いたのか?」
俺が尋ねると、彼女は強く首を振った。
「作らなかった。だから役立たずって言われた」
足首に残っている封印鎖が赤く光る。
「炉は命令されたものを作るだけでいいって。炉に気持ちはいらないって。火を止めたら、壊れるまで石炭を抜かれた。それでも作らなかったから、箱へ入れられた」
セラの表情が曇った。
「その封印は、教会によるものです」
「分かるのか?」
「私の声と記憶を封じていた術式に似ています。神器の意思を機能不全と判断し、所有者へ従わせるために作られた封印です」
「セラフィナも箱に入ってた?」
ヘスティアが炎の向こうから尋ねる。
「箱ではありません。神殿の台座へ固定され、所有者以外へ声を届けられないようにされていました」
「痛かった?」
「痛みより、悔しさの方が強かったですね。警告しているのに聞いてもらえず、それでも黙って従っていると思われていましたから」
「セラフィナは武器をやめなかったの?」
「私は剣であることを嫌ってはいません。ですが、誰に振るわれるかは自分で選びたいと思っています」
「私は炉をやめたい」
「やめてもよいのではないでしょうか」
セラが答えると、ヘスティアは驚いた顔をした。
「いいの?」
「少なくとも私たちは、あなたへ武器を作ることを強制しません」
「でも、何も作らなかったら石炭をもらえない」
ヘスティアは四個目の石炭を抱き締めた。
「箱から出してもらったから、働かないと駄目なんでしょう? 役に立たないと、また捨てられる」
「誰がそんなことを言った」
「言わなくても分かる。人間は、役に立つ道具しか直さない」
その言葉が胸へ刺さった。
俺自身、勇者パーティーにいた頃はそう思っていた。
戦えなくても、修理ができれば置いてもらえる。みんなが眠っている間も働き、文句を言わず武器を直し続ければ、仲間として認めてもらえる。
役に立たなくなれば捨てられる。
それが当然だと思い込んでいた。
「箱から出したのは、働かせるためじゃない」
「じゃあ、どうして?」
「助けてって聞こえたからだ」
「それだけ?」
「それだけだ」
「嘘」
「そう思うなら、しばらく見ていればいい。信用できるようになるまで何も作らなくてもいい」
「でも、石炭は?」
「食べた分は俺が何とかする」
「どうやって何とかするんだい」
ハンネがすぐに口を挟んだ。
「村に金がないのは、あんたも知ってるだろう。石炭一袋を買うには、干し豆をどれだけ売らなきゃならないと思ってるんだい」
「では、俺の修理代から引いてください」
「その修理代だって、まだ払ってないよ」
「そうでした」
「格好をつけるなら、自分の財布の中身を確認してからにしな」
ヘスティアが不安そうに俺とハンネを見比べた。
「やっぱり、働かないと駄目?」
「この村は余裕がないからね。いつまでも何もしない人間を養うのは難しい」
「ハンネさん」
「最後まで聞きな」
ハンネは杖をつき、黒い炎の前へ立った。
「ただし、今日からすぐ働けとは言わない。まず寝て、腹を満たして、自分に何ができて何が嫌なのかを考える。村の人間だって、怪我をした日は休む。子供は大人と同じ仕事をしない。あんたが四百歳だろうが、見た目も中身も子供なら、今日は子供として扱うよ」
「私は子供じゃない」
「なら、石炭を勝手に四つも食べる前に値段を訊きな」
ヘスティアは言葉に詰まった。
「……子供でいい」
「判断が早いね」
ハンネが呆れたように笑う。
黒い炎が少しずつ小さくなり、やがて消えた。
「武器以外なら、何を作ってもいいの?」
ヘスティアが尋ねる。
「作りたければな」
「作らなくても、すぐ箱には戻さない?」
「戻さない」
「本当に?」
「約束する」
俺が答えると、セラも頷いた。
「私が立会人となります」
「私も見張ってやる」
アギスが大盾を肩へ担ぐ。
「ラウルが約束を破ったら、村の外へ投げる」
「俺を?」
「他に誰がいる」
「そこは普通、殴って止めるくらいじゃないのか」
「安心しろ。受け身を取れるように投げる」
「安心できない」
ヘスティアは三人の顔を順番に見て、ようやく抱えていた石炭を口へ入れた。
「四個目は食べるんだな」
「これはもう持ったから私の」
「ニコと似たようなことを言い始めたぞ」
◇
ヘスティアが武器以外の物を作れるのか。
その答えを知る機会は、思ったより早く訪れた。
地下から戻った俺たちを待っていたのは、底の抜けた大鍋だった。
村の共同炊事に使っていた鍋で、ハンネが粥を煮ようとしたところ、中央の亀裂が広がって中身がすべて炉へ落ちたらしい。
「火の中に粥が落ちたときは、鍋まで料理を拒否したのかと思ったぞ」
バルドが言う。
「鍋が味を理解できるなら、あんたより賢いね」
ハンネは平然と返した。
大鍋は何度も継ぎを当てられ、元の金属がほとんど見えなくなっていた。取っ手も左右で形が違い、片方には針金が巻かれている。
「これは直すより、新しく作った方が早いな」
バルドが鍋底を叩く。
「駄目だよ」
ハンネが即座に反対した。
「どうしてですか?」
「その鍋は爺さんが村へ来たときに買ったものだ。取っ手はあの人が直した。底の最初の継ぎは私が当てた。新しい鍋にしたら、そういうものが全部なくなるだろう」
「でも、このままでは使えません」
「だから直しておくれ」
「直したら、またすぐ別のところが割れますよ」
「それも直せばいい」
「簡単に言いますね」
「修理屋へ言わなきゃ、誰に言うんだい」
ヘスティアが鍋の中を覗き込んだ。
「これ、武器?」
「鍋だ」
「人を殴ったら痛い」
「大抵の物は、人を殴れば痛いんだよ」
「じゃあ、武器と何が違うの?」
バルドが答えようとして、口を閉じた。
「使う人間の気持ちが違う、で済ませたくはねえな」
「どうして?」
「作った側にも責任はある。俺も昔、兵士へ剣を売ったことがある。家族を守るために必要だと言われた。だが、その剣で本当に誰を斬ったのかは知らねえ。使った奴だけが悪いと言えば、俺は楽になれるが、それじゃ職人として無責任だ」
「だったら、何も作らない方がいい?」
「何も作らなければ、畑を耕す鋤も、家を建てる釘もなくなる。この鍋がなけりゃ、村の連中が一度に飯を食えねえ」
「でも、鍋でも殴れる」
「ああ。だから簡単な答えはねえんだよ」
「人間は面倒」
「それについては、さっきラウルも認めてたな」
ヘスティアは大鍋へ手を触れた。
「この鍋は、何をしたいの?」
「鍋に訊いてるのか?」
「私には物の声は聞こえない。でも、ラウルなら聞こえるでしょう?」
俺も鍋底へ手を当てた。
流れ込んできたのは、長い年月の記憶だった。
まだフェルムに人が多かった頃、この鍋では祭りのたびに肉と野菜を煮込んでいた。飢饉の年には、水ばかりの薄い粥を少しでも多く見せるため、何度も底をさらわれた。
子供が生まれた日も、誰かが亡くなった日も、この鍋は村人たちの真ん中に置かれていた。
「まだ使われたいって言ってる」
「本当に?」
「ああ。ただ、継ぎを増やすだけでは持たない。底全体を補強する必要がある」
「私、できるかもしれない」
ヘスティアが赤い瞳を瞬かせる。
「武器じゃない?」
「少なくとも、俺たちは鍋として使う」
「途中で嫌になったら、やめてもいい?」
「もちろんだ」
「じゃあ、やってみる」
ヘスティアの最初の仕事は、神器でも兵器でもなく、古びた大鍋の修理に決まった。
崩れた鍛冶場の炉は使えないため、石を組んだ仮設炉を用意した。ヘスティアはその中央へ座り、両手を合わせる。
掌の間に、小さな赤い炎が生まれた。
「熱さは足りるか?」
バルドが尋ねる。
「もっと熱くできる。でも、鍋が溶ける」
「分かるのか?」
「中へ入れた金属の声は聞こえない。でも、温度は分かる。これは薄いから、ゆっくり」
「上等だ。俺より火加減がうまい」
「褒めた?」
「ああ」
「何か作ったから?」
「火の扱いがうまいからだ。作るかどうかとは別だ」
「よく分からない」
「そのうち分かればいい」
ヘスティアが鍋底を温め、バルドが補強板の形を指示する。俺は鍋の原型を読みながら、金属が無理なく馴染む位置へ板を合わせた。
セラは槌を渡し、アギスは鍋が動かないよう外側を押さえている。
「神盾に鍋を押さえさせる人間は、旧王でもいなかったぞ」
アギスが文句を言った。
「嫌なら代わります」
「誰が嫌だと言った。珍しい仕事だと思っただけだ」
「盾も面倒」
ヘスティアが言う。
「おい、起こしてやった恩を忘れたか?」
「起こしたのはラウル」
「私が見つけなけりゃ、まだ地下だぞ」
「じゃあ少しだけ感謝する」
「少しかよ」
槌の音が、止まっていた鍛冶場へ久しぶりに響いた。
一度ではうまくいかなかった。
補強板の端が浮き、最初の鋲は斜めに入った。ヘスティアが火を強くし過ぎて、古い取っ手の片方が外れもした。
そのたびにバルドが悪態をつき、俺が直し、セラが道具を探し、アギスが「いつになったら終わる」と愚痴を言った。
「失敗した」
ヘスティアが俯いた。
「失敗したから、箱に戻る?」
「鍋一つで箱へ戻していたら、バルドさんなんて何十回埋められてると思う?」
「おい」
「バルドは失敗するの?」
「当たり前だ。失敗しない職人がいたら、そいつは何も作ってねえ」
「怒ってた」
「失敗したお前にじゃない。思った通りにいかねえ金属に腹を立ててた」
「金属は悪くない」
「分かってる。分かってても腹が立つ。人間だからな」
「やっぱり面倒」
「そう言いながら続けるお前も、もう十分面倒だぞ」
ヘスティアは少し考え、もう一度仮設炉へ火を入れた。
二度目の補強板は、鍋底へ綺麗に収まった。
最後の鋲を打ち終えると、俺が《原型復元》で古い鍋と新しい金属を馴染ませる。
継ぎだらけの見た目は変わらない。それでも、底を水で満たしても一滴も漏れなかった。
「できた」
ヘスティアが目を見開く。
「私が作った?」
「修理したんだ」
「武器じゃない」
「ああ」
「誰も殺さない?」
「ハンネさんの料理を食べた人間がどうなるかは保証できないな」
バルドが言った直後、ハンネの杖が彼の脛を叩いた。
「痛え!」
「鍋でも杖でも、殴れば武器になるらしいね」
「実演しなくていいだろうが!」
ヘスティアは声を出して笑った。
黒い箱から出てから、初めて見る笑顔だった。
◇
その日の夕食は、直した大鍋で作った豆と根菜の煮込みだった。
鍋は完璧に直っていた。
肝心の料理は、塩が多過ぎて水を飲まずにはいられなかった。
「私、失敗した?」
ヘスティアが不安そうに訊く。
「鍋は成功してる」
「でも、食べた人が変な顔をしてる」
「それは料理した人の問題だ」
「聞こえてるよ、ラウル」
向こう側からハンネの声が飛んできた。
「本人に聞こえないように言ったつもりだったんですが」
「村長は耳がいいんだよ」
「次は、料理も直せる鍋を作ろう」
「それは無理だ」
「神造炉でも?」
「たぶん神様でも難しい」
ヘスティアは真剣な顔で鍋を見つめた。
「人間の料理、難しい」
「作る前から諦めるんじゃないよ」
ハンネが煮込みをもう一杯よそおう。
その瞬間、鍛冶場の地下で何かが割れる音がした。
ヘスティアの足首に残っていた封印鎖が砕け、白い光の柱が夜空へ立ち上る。
セラが立ち上がった。
「今の光は……」
「何だ?」
「教会の神器管理術式です。ヘスティアが箱から出て、炉として再び力を使ったことで、封印の解除が記録されたのでしょう」
「教会に見つかったってことか?」
「位置まで伝わった可能性があります」
アギスが防壁の方角へ顔を向ける。
「南の街道だ。誰かがこっちへ向かってる」
「どれくらいだ?」
「まだ遠い。だが、騎馬だな。一人や二人じゃない」
ヘスティアは、せっかく直した鍋の陰へ隠れた。
「白い服の人が来る?」
「まだ分からない」
「また箱へ戻される?」
俺は首を横へ振った。
「戻させない」
「でも、村の人に迷惑がかかる」
「その話は、教会が来てからする。今から一人で箱へ入る必要はない」
セラが俺の隣に立ち、アギスは大盾を担いだ。
バルドも、新しい義手で鍛冶鎚を持ち上げる。
「久しぶりの客だ。歓迎の準備をしねえとな」
「戦う準備じゃないでしょうね」
「まず話す。殴られたら殴り返す。そのくらいだ」
「バルドさんは残っている腕を大事にしてください」
「お前にだけは言われたくねえ」
遠く南の街道から、複数の馬蹄の音が聞こえ始めた。
◇
同じ頃。
フェルムから離れた宿場町で、ユリウスの右手に刻まれた勇者紋が赤く輝いた。
「何だ、これは……」
ユリウスが手を押さえる。
机の上では、教会から預けられていた神器探索盤に三つの光が浮かんでいた。
一つは、失われた聖剣セラフィナ。
一つは、旧王国の神盾アギス。
そして、もう一つは、長く封印されていた神造炉ヘスティア。
魔術師ヴァレッタが、探索盤を覗き込む。
「三つとも同じ場所です。北東の辺境……フェルム村」
「ラウルか」
ユリウスの声に、怒りが滲んだ。
「聖剣だけじゃない。あいつは、他の神器まで盗んだのか」
「見つけただけかもしれないだろ」
戦士ガルドが反論する。
「ラウルは追放されたとき、壊れた聖剣以外は何も持っていかなかった。俺たちは全員見ていたはずだ」
「あいつを庇うのか?」
「見た事実を言ってるだけだ」
「聖剣を壊した罪で追放された男が、その直後に三つの神器を手に入れた。偶然で済ませられると思うか?」
ガルドは何か言い返そうとしたが、聖女マリエルが小さく首を振った。
「ここで言い争っても仕方ありません。直接確かめるべきです」
「最初からそのつもりだ」
ユリウスは椅子から立ち上がった。
「フェルムへ行く。ラウルから、俺の聖剣を取り戻す」
マリエルは俯き、誰にも聞こえない声で呟いた。
「セラフィナ様は、本当にあなたの聖剣だったのでしょうか……」




