第7話 村の防壁を直したら、捨てられていた《神盾》が美少女になりました
フェルムの北側にある防壁は、壁と呼ぶには少々頼りなかった。
大きさの違う石を積み、隙間へ土や木片を詰めただけのものだ。長年の風雨で石は緩み、中央付近は人が寄りかかっただけでも崩れそうなほど傾いている。
「今夜、強い風が吹いたら持ちませんね」
壁へ触れた俺が言うと、隣にいたハンネは露骨に嫌そうな顔をした。
「見れば分かるよ。だから、見ないふりをしてきたんだ」
「見ないふりをしても直りませんよ」
「直らない代わりに、金もかからない。村を預かっているとね、直せないものは見なかったことにする技術ばかり上達するんだよ。井戸も屋根も荷車も、全部一度に壊れるくせに、直すための金だけは一度に湧いてこないからね」
「放っておいたら、崩れた石が誰かに当たります」
「だから、近づかないよう子供たちには言ってある」
「子供が言いつけを守ると思いますか?」
「思わないよ。だから毎日怒鳴ってるんじゃないか」
そこまで分かっていて放置するのもどうかと思ったが、ハンネなりに悩んだ末の結論なのだろう。
村には新しい石を買う金も、それを運ぶ荷車もない。森から木を切り出すにも人手が足りず、動ける大人たちは畑と家畜の世話で手いっぱいだ。
「崩れた部分の石を積み直すだけなら、それほど材料はいりません。ただ、内側に何か大きな金属が入っています」
「金属?」
「ええ。石とは違う声がする」
ハンネは俺の顔をじっと見た。
「今さらだけど、その『声がする』って言い方、他所では控えた方がいいよ」
「やっぱり変ですか?」
「壊れた物と話す男を、腕のいい職人だと思う人間は少ない。大抵は酔っ払いか、頭を打った人間だと思う」
「実際に聞こえるんだから仕方ないでしょう」
「そこを力強く言われると、余計に心配になるね」
防壁の内側から聞こえるのは、言葉にならない鈍い呻きだった。
石が崩れる痛みとは違う。もっと古く、長い間押し潰されながら、それでも何かを支え続けている物の声だ。
俺は壁の中央付近へ手を当て、《原型復元》で構造を読み取った。
積み石の奥に、巨大な盾が埋まっている。
盾は壁の補強材として使われたのではない。元々は盾そのものが防壁の中心にあり、後からその周囲へ石が積まれたのだ。
「ラウル様、離れてください」
背後でセラの声がした。
振り返ると、銀髪の彼女が厳しい表情で壁を見つめている。
「知ってるのか?」
「確証はありません。しかし、あの魔力には覚えがあります。かつて旧王国で、王を守護した神器――《神盾アギス》かもしれません」
「神器?」
ハンネの顔がさらに険しくなった。
「聖剣一人でも教会に目をつけられるっていうのに、今度は盾まで出てくるのかい。この村の地下には、面倒事を呼ぶ鉱脈でもあるのかね」
「好きで埋まってるわけじゃないと思います」
「面倒事ってのは、大抵そう言ってやって来るんだよ。本人に悪気がなくても、追いかけてくる連中まで善人とは限らない」
ハンネの警戒は正しい。
セラがここにいると知られるだけでも、教会やユリウスがフェルムへ来る可能性がある。さらに別の神器まで見つかれば、村を危険に巻き込むことになる。
それでも、壁の中から聞こえる声を無視することはできなかった。
「このままだと、盾だけじゃなく壁も崩れます」
「盾を取り出したら、もっと早く崩れるんじゃないのかい?」
「支えを入れながら外します。修理するかどうかは、その後で本人に訊きます」
「盾に本人も何もあるのかい?」
ハンネがセラを見た。
「目の前に前例がいたね」
「はい。神器にも意思があります」
セラは答えたものの、どこか複雑そうだった。
「アギスは、私よりも遥かに長く旧王家へ仕えていた神器です。ただ、王都陥落の際に行方不明となり、破壊されたものと考えられていました」
「知り合いなのか?」
「直接言葉を交わしたことはありません。私は神殿の台座から出ることを許されていませんでしたから。ただ、旧王の傍らには、赤髪の守護者が常に立っていたと聞いています」
「赤髪?」
「人の姿を取るならば、恐らく」
そのとき、壁の中から声がした。
『……うるさい』
俺たちは一斉に黙った。
『人の家の前で、取り出すだの、放っておくだの……勝手に決めるな』
低い女の声だ。
「聞こえていたのですか?」
セラが壁へ問いかける。
『何百年も石へ押し潰されて、耳まで壊れたと思ったか。全部聞こえている』
「なら、先に返事をしてください」
『口を開くのも面倒だった』
随分と無愛想な神器らしい。
俺は壁へ向き直った。
「アギス、で合ってるか?」
『そう呼ばれていた。今はただの壊れた盾だ』
「取り出してもいいか?」
『断ったらどうする』
「壁が危ないから、周りの石だけは積み直す。お前には触れない」
『私を見つけておいて、捨てていくのか』
「触るなと言われたら仕方ないだろ」
『変な人間だな。神器を見つけた人間は、普通なら所有者になろうとする』
「俺は修理係だ。壊れた物を勝手に自分の物にはしない」
『聖剣は連れているようだが』
「セラは自分でついてきた」
「その言い方では、私が勝手についてきたように聞こえます」
セラが不満そうに口を挟んだ。
「違うのか?」
「違いませんが、もう少し喜んでいただいてもよいかと」
「大事に思ってるよ」
「……そういうことを、何の前触れもなく口にするのは卑怯です」
セラは頬を赤くして顔を背けた。
壁の中から、呆れたような声が漏れる。
『聖剣と痴話喧嘩をする修理係か。旧王国も、随分おかしな時代になったものだ』
「痴話喧嘩ではありません」
『そういうことにしておいてやる。私を取り出せ。話はそれからだ』
◇
防壁の解体には、バルドも加わった。
先日作った作業用義手を左肩へ装着し、鉄の鉤で石を一つずつ引き出していく。
「急に重いものを持たないでください。まだ肩当てが馴染んでないんですから」
「だったら、もっと早く直せる義手を作れ」
「作った直後に注文を増やさないでください」
「使ってみなきゃ分からねえこともある。もう少し鉤を短くしてくれ。石へ引っかけると、力が外へ逃げる」
「分かりました。終わったら調整します」
「あと肩当てを厚く」
「注文は一度に言ってください」
「今思いついたんだよ」
バルドは文句を言いながらも、以前より楽しそうだった。
仕事を失っていた男が、また道具の使い心地へ不満を言えるようになった。不満そのものが、少しずつ職人へ戻っている証拠なのだと思う。
ただし、それを本人に言えば怒りそうなので黙っておいた。
壁が崩れないよう木材で支えを組み、外側から石を外していく。
半刻ほど作業を続けると、積み石の奥から赤黒い金属が現れた。
盾は人の背丈を超えるほど大きかった。表面には翼を広げた鳥の紋章が刻まれているが、中央から大きく割れ、縁も三分の一ほど欠けている。
「ひどいな」
バルドが盾を覗き込む。
「こいつ、本当に何百年も壁を支えてたのか?」
『悪いか』
「悪かねえよ。むしろ、よく持った。俺なら途中で投げ出してる」
『お前は人間だろう。何百年も生きない』
「細かいことを気にするな。褒めてやったんだ」
『褒め方が下手な男だな』
「壁の中で寝てた奴に言われたくねえ」
「二人とも、喧嘩は後にしてください」
盾の周囲に残っていた最後の石を外す。
その瞬間、防壁全体が大きく揺れた。
「まずい、支えがずれた!」
バルドが叫ぶ。
木材の一本が地面へめり込み、積み石がこちらへ傾く。
「ハンネさん、離れて!」
「年寄りを突き飛ばすんじゃないよ!」
ハンネを抱えるようにして壁から遠ざける。
セラが剣の姿へ戻り、崩れてくる石を斬ろうとした。しかし、ここで石を細かくすれば、破片が村側へ飛び散る。
『下がれ』
盾から声が響いた。
『私を起こしたのなら、最後まで信じろ』
割れた盾の表面が、赤い光を放つ。
盾そのものが浮き上がり、倒れかけた防壁を正面から受け止めた。だが、中央の亀裂がさらに広がっていく。
『くそ……身体が言うことを聞かない』
「無理をするな!」
『後ろに人がいる。盾が退いてどうする!』
その言葉と同時に、俺の中へ映像が流れ込んできた。
炎に包まれた城門。
泣き叫びながら逃げる民衆。
巨大な盾を構え、一人で敵軍を食い止める赤髪の女。
『アギス。ここを守れ』
誰かの声がした。
『民が逃げ切るまで、決して退くな』
命令を出した男は、それきり戻ってこなかった。
それでもアギスは、背後にいる人々がいなくなるまで、盾であり続けた。
フェルムの防壁へ埋まった後も同じだ。
自分を捨てた人間たちを恨みながら、それでも壁の後ろで暮らす者を守っていた。
「セラ、右側の石を斬ってくれ。大きな塊のままでいい!」
『承知しました!』
「バルドさんは支柱を押さえて!」
「その義手で無茶をするなとは言うなよ!」
「今だけは言いません!」
「終わったら言う顔だな!」
俺は浮かび上がった盾へ手を当てた。
「アギス、修理する。いいか!」
『契約はしないぞ!』
「いらない!」
『お前の命令も聞かない!』
「壁を支えてくれれば十分だ!」
『それを命令と言うんじゃないのか!』
「嫌なら支えなくていい!」
『今さら退けるか! 早くしろ!』
面倒な神器だ。
だが、俺たちも似たようなものだった。
盾の縁に残っていた欠片と、防壁から外した赤黒い金属片を亀裂へ当てる。
「《原型復元》!」
赤い光が、盾全体へ走った。
砕けていた縁が繋がり、中央の亀裂が少しずつ塞がっていく。完全には直らない。足りない部分が多過ぎる。
それでも、防壁を支えられる形までは戻せる。
盾の表面から激しい光が溢れ、俺は目を閉じた。
次に目を開けると、盾の前に一人の女が立っていた。
燃えるような赤い長髪。俺より頭一つ高い長身に、赤黒い鎧を纏っている。左腕には、先ほどまで壁へ埋まっていた巨大盾が装着されていた。
女は右手を伸ばし、俺の胸倉を掴む。
「お前が私を直した修理係か」
「一応」
「一応とは何だ」
「完全には直せなかった。今は元の三割くらいだと思う」
「三割で壁一枚を支えさせたのか?」
「お前が勝手に支えたんだろ」
「言うじゃないか」
アギスは俺を睨んだ後、突然口元を緩めた。
「嫌いじゃない」
「ラウル様から手を離してください」
人の姿へ戻ったセラが、俺とアギスの間へ割って入った。
「彼はあなたの所有者ではありません。馴れ馴れしく触れないでいただけますか」
「所有者じゃないなら、どうしてお前が怒る?」
「私はラウル様の聖剣です」
「それなら、修理係へ触るなとは言えても、お前の男へ触るなとは言えないな」
「お、男などとは申しておりません!」
「顔を赤くして否定すると、余計に怪しいぞ」
「アギス。セラをからかうな」
「もう庇うのか。聖剣が懐くわけだ」
アギスは笑いながら、ようやく俺の胸倉から手を離した。
そのやり取りを見ていたハンネが、杖で地面を叩く。
「再会だか痴話喧嘩だか知らないけど、防壁をどうにかしてからにしておくれ。今にも残りが崩れそうなんだよ」
「婆さん、私を見て驚かないのか?」
「銀髪の聖剣を見た後だからね。二人目になると、驚きも少し安くなる」
「私を二人目扱いするな。旧王に仕えた神盾だぞ」
「肩書で壁は直らないよ。ここへ残るなら働く。出ていくなら、崩した石だけ元へ戻してからにしな」
「神器へ向かって、随分な言い方だな」
「この村では、働かない者を養う余裕がないんだよ」
アギスは目を丸くした後、腹を抱えて笑い始めた。
「いいな、この村。王都より話が早い」
「残るのか?」
俺が尋ねると、アギスは笑いを収めた。
「王には捨てられた。今さら戻る場所もない。だが、お前の盾になる気もないぞ」
「頼んでない」
「少しくらい残念そうな顔をしろ」
「村の防壁を手伝ってくれるなら助かる」
「本当に色気のない男だな」
アギスは巨大盾を地面へ突き立てた。
「しばらく、この壁を守る。王の命令でも、お前との契約でもない。私が勝手に決めたことだ」
「分かった。必要な材料が揃ったら、残りも修理する」
「私が頼めば、だろ?」
「ああ。勝手にはやらない」
「それならいい」
防壁の応急修理を終えた頃には、日が沈み始めていた。
村へ戻ろうとしたところで、アギスが足を止める。
「待て」
赤い瞳が、村の奥にある崩れかけた鍛冶場へ向けられていた。
「どうした?」
「あの下に、何かいる」
アギスは地面へ手を当て、眉をひそめる。
「熱い。だが、火じゃない。ずっと閉じ込められて、腹を空かせてやがる」
「人間か?」
「違う。私やセラと同じだ」
崩れた鍛冶場の地下から、微かな音が響いた。
何かが、箱の内側を叩いている。
『……石炭』
幼い声だった。
『石炭、食べたい』
バルドが嫌そうに鍛冶場を見た。
「おい、今度は何が埋まってやがる」
アギスは楽しそうに笑った。
「さあな。ただ、この村の面倒事は、まだ二人目じゃ終わらないらしいぞ」




