表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/20

第21話 二日かかる救助先へ半日で着くため、地下に眠る《救難走車》を修理します

「豪雨の開始予測まで、残り三十六時間です」


 アリアが告げた数字は、ひどく整っていた。


 だからこそ、その場にいた誰もが、すぐには言葉を返せなかった。


 救難信号の発信地点までは徒歩で二日。雨が降り始めるより先に到着できないだけでなく、あの女が水門の代わりを務めているという話が本当なら、崩壊は豪雨を待ってくれるとは限らない。


 沈黙を破ったのはガルドだった。


「馬を使えば、どれくらい縮む?」


「街道だけを走行できるなら二十九時間です。ただし途中から道がなくなります。また、現在の地盤状況で馬を走らせ続けた場合、四頭中三頭が到着前に走行不能となる確率は七十一パーセントです」


「一頭は残るのか」


「残った一頭も、帰路には使用できません」


「それは残ったって言わねえんだよ」


 ガルドは顔をしかめ、乱暴に頭をかいた。


 アギスが壁面に投影された地図を睨みつける。青い光で描かれた川は、北東の山間から蛇行しながら流れ、途中でいくつもの集落に枝分かれしていた。その一番上流に、赤い救難表示が明滅している。


「だったら、こいつを歩かせりゃいいだろ。フェルムは移動城塞なんだろうが。村ごと向こうへ行けば、十何人かで水門に駆けつけるより、できることは多い」


「却下します」


「早えな」


「現時点で稼働可能な脚部は十二本中二本です。強制歩行を実行した場合、三歩目で第九脚が脱落し、五歩目までに居住区画の一部が圧壊します。なお、村の畑も相当範囲が踏み潰されます」


「……じゃあ、却下だな」


 アギスはあっさり引き下がったが、その声には苛立ちが残っていた。自分が動けないことより、守るべきものが多すぎて、どれを選んでも何かを置き去りにすることが気に入らないらしい。


 俺も同じ気分だった。


「アリア。ほかに移動手段は?」


「地下第三格納庫に、城塞外救難用の走車が一台保存されています。機体名は《救難走車カリオン三号》。本来の巡航速度を回復できれば、現地まで十一時間四十分です」


「あるなら最初に言えよ」


 ガルドの言葉に、アリアは少しだけ首を傾けた。


「走行不能だからです」


「お前は、たまに期待させてから床を抜いてくるよな」


「そのような機能はありません」


「たとえ話だ。たぶん、一生わかり合えねえ気がしてきた」


「悲観するには判断が早すぎます。私はまだ、あなたの思考様式を学習し始めて二日目です」


「そうかよ。俺はもう二年分くらい疲れてるけどな」


「仲良くなるのはあとにしな」


 ハンネ村長が杖の石突きで床を叩いた。


「ラウル、先走るんじゃないよ。行く手段があるかどうかと、誰かを助けに行くかどうかは別の話だ。そもそも、その走車とやらを直すのに、何が要る?」


 視線を向けられたアリアは、指先で地図を縮小し、代わりに細長い車体の見取り図を表示した。左右に三つずつ大きな輪を備えた、舟のような機体だった。先端は斜面や瓦礫を押し分けるため低く傾斜し、後部には担架を固定する器具が並んでいる。武器を取りつける場所は、見た限りひとつもない。


「主要損傷は右前方導力輪の破断、操舵軸の亀裂、魔力蓄積槽の閉塞です。修復用素材として、神銀二・四キロ、良質な弾性鋼一・八キロ、導魔石一個が必要です」


「神銀なら、あれがある」


 俺が言うより先に、セラが部屋の隅へ目を向けた。


 布に包まれて置かれているのは、ガルドが持ち込んだ偽の聖剣、その残骸だった。通信板を直すため鍔の一部を使ったものの、折れた刀身の大半は残っている。


 部屋の空気が、わずかに重くなった。


 あれは教会の嘘の証拠だ。粗悪な素材を聖剣だと偞り、勇者に持たせた証拠であり、ガルドが危険を冒して持ち帰ったものでもある。


「待ってくれ」


 声を上げたのはデニスだった。


 彼は周囲の顔色を窺ってから、それでも口を閉じずに続けた。


「その女を見捨てろと言いたいわけじゃない。水門が壊れれば、うちの畑まで水が来るんだろ。だったら助けに行くのは、村を守ることにもなる。そこまではわかる。ただ……教会がいつ戻ってくるかわからないのに、使える素材をよその誰かに全部使っていいのか? 走車が途中で壊れたら、ラウルまで戻ってこられなくなるんじゃないか?」


「成功確率は、修復後の試験を行うまで算出できません」


「ほら。わからないんだろ」


「デニス」


 ミラが咎めるように彼の名を呼んだが、デニスは譲らなかった。


「俺には子供が二人いる。怖いものは怖いって言うぞ。知らない誰かを助けるためなら、子供を危ない目に遭わせても立派だなんて、俺は思えない。俺が臆病だと言われるなら、それでも構わん」


「臆病だなんて言わないよ」


 俺が答えると、デニスは少し意外そうな顔をした。


「むしろ、言ってくれて助かる。みんなが同じことを考えているふりをして話を進めると、あとになって必ず揉めるからな。それに俺だって、知らない相手のためだけに行くわけじゃない。水門が壊れれば、この村も危ない。それは立派な理由じゃなくて、ただの損得だ」


「……あんた、そういうことを平気で言うよな」


「平気じゃない。格好が悪いから、できれば黙っていたい」


 俺が苦笑すると、デニスも困ったように鼻をこすった。


 そこでハンネ村長が、杖の柄をデニスの脇腹へ押しつけた。


「怖がるのは勝手だけどね、怖いからって自分の意見だけ重くなるわけじゃないよ」


「わかってる。だから条件を決めてくれ。アギスは村に残す。結界を維持する素材には手をつけない。それと、戻る期限を決める。俺が言いたいのはそれだけだ」


「最初からそう言えば、話が短く済んだんだけどねえ」


「人間が最初から言いたいことをきれいに言えるなら、村長なんて仕事はいらないだろ」


 ハンネ村長は眉を上げ、それから意地の悪い笑みを浮かべた。


「口だけは達者になったじゃないか」


「毎日あんたに怒鳴られてるからな」


 張りつめていた空気が、少しだけ緩んだ。


 ハンネ村長は全員を見回し、最後に俺へ向き直る。


「救助に行く。ただし、あの女を村を守るための部品扱いするんじゃないよ。本人が来るなと言うなら、もう一度話をして、どこまでなら近づいていいのか確認する。それから走車を直す。順番を間違えるんじゃない」


「わかってる」


「わかっている顔には見えないから、わざわざ言ってるんだよ」


 俺は通信板の前に座り、共鳴用の神銀板へ手を添えた。


 水音に似た雑音がしばらく続き、やがて、かすかな息遣いが聞こえた。


『……まだ、聞いていたの』


「聞いてる。さっきは一方的に話を切って悪かった」


『切ったのは私。あなた、謝るところが少しずれてるわよ』


 声は弱っていたが、思ったよりも棘があった。むしろ、その棘が残っていることにほっとした。


「そうかもしれない。俺たちは、そっちへ行く手段を見つけた。壊れた救難走車を直せば、十二時間ほどで着ける」


『来ないでと言ったはずだけど』


「同時に、助けてほしいとも言った」


『面倒なところだけ、ちゃんと聞いているのね』


「修理屋は、壊れたものの言い分を聞かないと仕事にならないからな。ただし、勝手には触らない。どこまで近づいていいか、何をしていいか、今ここで決めたい」


 返事が途絶えた。


 通信が切れたのかと思った頃、女の乾いた笑いが聞こえた。


『教会から来た修理師も、最初は同じようなことを言ったわ。「あなたを楽にして差し上げます」「すべて神にお任せください」って。それから私の胸を開いて、天候核だけを持っていこうとした』


「俺は神官じゃない」


『証拠は?』


「教会から追放されて、聖剣を壊した罪を着せられて、今は村ごと異端扱いされている」


『……それは少し信用できるかも』


「信用の基準が悲しすぎないか?」


『善人らしい経歴を並べる人よりはましよ。善人は、こちらが嫌がっても、自分の親切を最後までやり遂げたがるもの』


 それは否定しきれなかった。


「じゃあ、善意だけじゃないことも言っておく。水門が崩れたら俺たちの村も浸水する。だから、俺たちは自分たちを守るためにも行く。それでも、あんたを水門の部品として持ち帰るつもりはない」


『変な人ね。そこは黙っていたほうが、立派に聞こえたでしょうに』


「立派に見られるために行くわけじゃない」


 また沈黙が落ちた。


 今度の沈黙は、先ほどより少し柔らかかった。


『人数は?』


「俺と、護衛が二人。案内用の端末も持っていく」


『勇者は嫌よ』


 俺が振り返ると、ガルドが顔をしかめて通信板の前へ進み出た。


「一応、元勇者パーティーだ」


『帰って』


「まだそっちへ着いてもいないのに、ひどくないか?」


『勇者を名乗る人は嫌いなの』


「俺も、最近はその肩書きが嫌いになってきた。だから修理屋の荷物持ちとして行く。それならどうだ」


『大剣は置いてきて』


「山道に魔物が出るかもしれねえんだが」


『それを持ってきて、私の弦を切らない保証は?』


 ガルドは口を開き、何か言い返しかけた。しかし、すぐに諦めたように息を吐く。


「わかった。置いていく。斧と鎚は持つが、どっちも作業道具だ」


『そちらの二人目は?』


「セラフィナと申します」


 セラが俺の隣から通信板へ答えた。


「ラウルの護衛であり、同行者です。彼があなたの許可なく触れようとした場合は、私が止めます」


『ずいぶん落ち着いた声ね。どんな人?』


「聖剣です」


『……今、剣が喋った?』


「はい。ですが、今回は斬るために同行するのではありません」


『武器は持ってくるなと言ったでしょう』


「私は置いていかれるつもりはありません」


『面倒な剣ね』


「よく言われます」


 セラは微笑んでいたが、目は笑っていなかった。どうやら「面倒」と評されたことは、本人なりに不服らしい。


『……北側の尾根までなら来てもいい。そこから先は、私が許可するまで降りないで。持ってくるものは、鉄の楔を十本、鎖を三巻き、防水布、それから太い縄。私を外すより先に、壊れた水門を仮止めするの』


「わかった」


『返事が早すぎる。できるか確認してから言いなさい』


「そうだな。今から確認する」


『本当に、変な人』


 呆れた声とともに通信が途絶えた。


 俺が振り返ると、ハンネ村長が腕を組んでいた。


「相手も相当面倒そうだね」


「四百年以上、一人で水をせき止めていれば、多少は性格も曲がるでしょう」


 セラが淡々と言う。


「お前、自分が言われたからって根に持ってないか?」


「まさか。私は聖剣ですので、その程度の言葉を気にするほど狭量ではありません」


「なるほど。根に持ってるんだな」


「ガルド。あなたは村に残っても構わないのですよ」


「悪かった。謝るから、俺だけ置いていこうとするな」


 地下第三格納庫へ続く扉は、四百年分の錆で完全に固着していた。


 アギスが力任せに開こうとすると、扉ではなく周囲の石壁が先に軋み始めたので、慌てて止める。結局、蝶番へ油を流し込み、バルドが隙間へ楔を打ち、俺が歪んだ錠機構を復元することになった。


「急いでるときに限って、扉ってのは開かねえんだよな」


 片腕の義手で鎚を振るいながら、バルドがぼやく。


「物にも意地があるのかな」


「あるわけねえだろ。ただ手入れをさぼった結果だ。何でも気持ちの話にするんじゃねえ」


「耳が痛いですね」


 アリアが真顔で応じる。


「お前に言ったんじゃねえよ。そもそも手入れをさぼったのは、お前じゃなくて、ここを捨てた連中だろうが」


「管理者として、施設の保全不足は私の責任です」


「四百年、一人でどうにかできるなら、俺たちなんぞ要らねえよ。できねえことまで背負い込むのは責任感じゃなくて、ただの癖だ」


 アリアは返事をせず、瞬きをした。


 理解できなかったのか、理解したくなかったのかはわからない。ただ、彼女が何か言葉を探しているうちに、重い扉が低い音を立てて開いた。


 格納庫の中には、三台分の整備台が並んでいた。


 一号車は車体の半分が潰れ、二号車は導力輪をすべて失っている。もっとも奥に置かれた三号車だけが、辛うじて原形を保っていた。


 青黒い車体には無数の擦り傷が走り、右前輪は砕けて床へ沈み込んでいる。後部扉には、爪で引っかいたような傷がいくつも残っていた。


 車体に触れた瞬間、俺の中へ古い記憶が流れ込んできた。


 炎に包まれた街。泣き叫ぶ人々。十二人乗りの車内へ、十八人、十九人と押し込まれていく。


『もう無理です、重量を超えます!』


『あと一人だ! 子供がいる、詰めろ!』


『車軸がもちません!』


『車軸は直せる。あの子の命は直せない!』


 最後に飛び乗った整備士が、泣いている子供を膝へ抱えた。救難走車は規定重量を大きく超えたまま走り続け、避難民を城塞へ届けたところで、右前輪を砕いて止まった。


 壊れたのは、粗悪だったからではない。


 決められた役目以上のことを、させられたからだ。


「ラウル?」


 セラに肩を触れられ、俺は現実へ戻った。


「大丈夫。こいつは、最後までちゃんと走った。直せるよ」


「所要時間は?」


 アリアの問いに、俺は内部の損傷を探りながら答えた。


「バルドとヘスティアに手伝ってもらって、十四時間。急いでも十二時間は欲しい」


「許容できません。六時間で完了してください」


「無茶を言うな」


「六時間後に出発すれば、現地到着まで十八時間弱です。仮止め作業の時間も確保できます」


「だからって、雑に直した走車で山道を飛ばしたら、助けに行く前に俺たちが救難信号を出すことになる」


「では八時間です」


「値切るみたいに時間を減らすな」


「ラウル、七時間でやるぞ」


 バルドが車体の下から声を上げた。


「できるのか?」


「できるように仕事を分けるんだよ。お前は導力輪と操舵軸を直せ。蓄積槽の詰まりは俺が見る。ヘスティアは素材の成形。ガルドは運べ。難しいことを考えず、言われたものを言われた場所に持ってこい」


「俺だけ仕事の説明が雑じゃねえか?」


「じゃあ、材料の運搬および作業員の指示に応じた補助業務だ。言い方が長くなっただけで、やることは同じだぞ」


「……運べばいいんだな」


 ヘスティアが偽聖剣の残骸の前にしゃがみ込んだ。


 折れた刀身を指で軽く叩き、ガルドを見上げる。


「これ、溶かすよ。でも、いいの?」


「ああ」


「本当に? これ、嘘の剣だけど、あんたが持ってきた証拠なんでしょ」


 ガルドはすぐには答えなかった。


 偽聖剣を持っていた日々に、いい記憶などほとんどないはずだ。それでも彼は、布越しに折れた刀身を撫でた。


「証拠だから残したいって気持ちもある。こんな物でも、俺たちが本物だと信じて振り回してた剣だからな。なくなると、あのとき必死だった自分まで、全部嘘になるような気がする」


「嘘だったのは剣の名前であって、振るっていた者の時間ではありません」


 セラが静かに言った。


「あなたが間違えたことも、迷ったことも、誰かを守ったことも、この剣を溶かした程度では消えません」


「そういう真っ当なことを言われると、反発したくなるんだよな」


「では訂正します。いつまでも折れた剣へ執着するのは、あまり格好よくありません」


「お前、絶対に最初の言葉だけで済ませられたよな?」


「反発したいとおっしゃったので、手伝っただけです」


 ガルドは苦い顔で笑い、折れた刀身から手を離した。


「使ってくれ。ただし、教会の紋章が刻まれた根元だけは残したい。俺がまた迷ったときに、見せられるものが何もないと困る」


「それでいい」


 バルドが刀身を確かめ、切断位置へ印をつけた。


「証拠も残す。使えるところは使う。何でも丸ごと残すか、丸ごと捨てるかで考えるから、話が面倒になるんだ」


「人間は、そう簡単に切り分けられないよ」


「だから道具くらいは、きれいに切り分けるんだろうが」


 ヘスティアが炉を開いた。


 偽聖剣の刀身が赤く熱され、その形を失っていく。かつて誰かの名誉を飾るために作られた神銀が、今度は人を助けに行く車輪の輪となる。


 作業開始から一時間後、デニスが長い鉄材を担いで格納庫へ降りてきた。


「弾性鋼って、これで使えるか?」


 バルドが受け取り、端を叩いて音を聞く。


「悪くねえ。どこにあった?」


「うちの納屋だ。予備の犂の芯にするつもりで、三年前に買って隠してた」


「隠してた?」


 後ろから来たハンネ村長の声に、デニスの肩が跳ねた。


「共同倉庫に出せって言われると思ったから……その、黙ってた」


「村中が鉄不足で困ってたときに?」


「だから今、持ってきただろ。俺だって、ちょっとは後ろめたかったんだよ」


「ちょっとかい」


「かなりだ。かなり後ろめたかった。それで勘弁してくれ」


 ハンネ村長は大きくため息をついた。


「まったく、どいつもこいつも。あとで共同倉庫の帳簿に書いておきな。村から買い取ったことにして、その分は返す」


「いや、いらない。俺が出す」


「駄目だよ。善意で出したことにすると、次に出せなかった人間が責められる。村で使うなら村が払う。それが決まりだ」


「じゃあ、少し高く買ってくれ。三年寝かせた熟成鋼だ」


「罰として半値だね」


「横暴だ!」


 言い争う二人を横目に、バルドは俺へ鉄材を差し出した。


「使えるものは、格好よく出てくるとは限らねえ。ありがたく使え」


「ああ」


 偽聖剣の神銀で導力輪の外環を復元し、デニスの鋼を操舵軸の芯にする。ヘスティアが火の中で素材の性質を馴染ませ、俺が車体に残った原型の記憶へ沿って形を戻していく。


 作業が半分を過ぎた頃、アリアが三度目の残り時間を告げた。


「豪雨開始予測まで三十二時間二十分。現在の進捗率は五十一パーセントです。予定より十二パーセント遅延しています」


「わかってる」


「操舵軸の調整工程を短縮すれば、二十七分を確保できます」


「そこを省いたら曲がれなくなる」


「許容誤差内へ収めることは可能です」


「山道での許容誤差ってのは、崖から落ちない程度じゃなくて、ちゃんと帰ってこられる程度を言うんだよ」


「しかし、このままでは到着が——」


「アリア」


 自分でも思ったより強い声が出た。


「数字で急かされ続けると、手が震える。間に合わないのが怖いのは、俺たちも同じだ」


 格納庫が静かになった。


 言ったあとで、少し後悔した。アリアは責めたいのではなく、彼女なりに最善を探しているだけだ。


「悪い。怒鳴るつもりはなかった」


「怒鳴られてはいません。音量は通常会話の百三十二パーセントです」


「そういう返しをされると、謝りにくいんだよ」


「では、今の発言は取り消します」


 アリアは胸元の案内書を抱え、しばらく視線を落としていた。


「私は……間に合わないことが、怖いのだと思います」


 たどたどしい告白だった。


「救難信号を受信しても、これまでの私は、何もできませんでした。道を表示しても、案内する相手がいない。救助手順を提示しても、実行する手がない。今回も間に合わなければ、私はまた、助けを求める声を記録するだけになります。それが怖い。ですが、恐怖を数値へ変換して伝えれば、正しい指示になると判断していました」


 バルドが車体の下から顔を出した。


「怖いなら、怖いと言やいい。それで作業が速くなるわけじゃねえが、少なくとも人の手を余計に震わせずに済む」


「非効率ではありませんか?」


「人間相手なら、そのほうが効率がいいときもある」


「複雑です」


「知ってるよ」


 俺が笑うと、アリアはほんの少し唇を尖らせた。


「……では、訂正します。残り時間が少なく、私は怖いです。急いでください。ただし、安全性は損なわないでください」


「注文が多いな」


「ラウルも、怖いですか?」


「ああ。だから、ちゃんと直す」


 七時間と十六分後。


 格納庫の大扉が開き、修復された救難走車が地上へ出た。


 最初の試験走行では、思いきり右へ曲がって共同倉庫の壁に突っ込みかけた。


 原因は、新しく戻した右側の操舵軸と、四百年使い古された左側の軸の遊びが合っていなかったことだ。新品だけを正しく直しても、古い部品と並べれば喧嘩をする。結局、左側も分解し、予定よりさらに四十分を使って調整した。


「人間関係みたいだな」


 ガルドが余計なことを言うと、バルドが油まみれの布を投げつけた。


「走るようになったからって、くだらねえ感想を言ってる暇はねえ。鎖を積め」


「俺は本当に運ぶだけだな」


「お前が余計なことをしないおかげで、予定より早く済んでる」


「褒められてる気がしねえ」


 出発するのは、俺、セラ、ガルドの三人。アリアは案内機能を移した小型端末で同行する。本体の人格核はフェルムに残るため、端末の彼女が壊れても記憶の大半は失われない。ただし、出発後の記憶は帰還して同期するまで本体に残らないらしい。


 アギスは村に残ることになった。


「気に入らねえな」


 走車の側面へ手を置きながら、彼女は何度目かわからない文句を口にした。


「私なら水門だろうが岩山だろうが、まとめて受け止めてやれるのによ」


「アギスがいなくなったところへ教会が戻ってきたら、もっと困る」


「わかってる。わかってるから、余計に腹が立つんだよ」


 彼女は俺の胸を拳で軽く突いた。


「いいか。助けられそうなら助けろ。でも、駄目だと思ったら帰ってこい」


「水門を見捨てれば、この村も——」


「そういう話をしてんじゃねえ。お前はすぐ、帰れない理由を並べるだろ。村が危ない、誰かが困ってる、あと少しで直せる。そうやって自分まで壊れたら、誰が直すんだ」


「……自分で直せたら楽なんだけどな」


「生き物は直せねえんだろ。だったら、壊れる前に戻ってこい。格好悪くても、何もできなくても、ちゃんと戻れ。それを約束しろ」


 逃げ道を残した約束をするのは、情けない気がした。


 けれど、たぶんアギスは、その情けなさを引き受けろと言っている。


「わかった。戻ってくる」


「声が小せえ」


「必ず戻る」


「よし」


 アギスは満足そうに頷いたあと、急に顔をしかめた。


「それと、セラばっかり頼るなよ。あいつ、頼られると限界まで黙って頑張るからな」


「聞こえていますよ、アギス」


 走車の窓からセラが顔を出す。


「聞こえるように言ったんだよ。ラウルが無茶しそうになったら、柄で殴ってでも止めろ」


「承知しました。可能であれば、鞘に収めた状態で行います」


「できれば殴らない方向で話を進めてくれないか?」


 二人は揃って俺から目を逸らした。どうやら聞く気はないらしい。


 ヘスティアからは、走車の動力炉へ入れる小さな火種を渡された。


「これは、わたしの火。三日くらい消えない。でも、無理に走らせたらお腹が空いて怒るから、途中で石炭を食べさせて」


「火がお腹を空かせるのか?」


「空かせるよ。火も人も、働かせるなら食べさせないと駄目」


「覚えておく」


「それから、その子に会ったら伝えて。壊れたまま役目を続けても、誰も褒めてくれないよって」


「それ、ヘスティアが言うのか?」


「わたしが言うから、たぶん腹が立つと思う」


「喧嘩を売りに行くわけじゃないんだぞ」


「でも、本当のことは、ちょっと腹が立つ言い方のほうが残るよ」


 否定できなかった。


 最後に、ハンネ村長が食料袋を押しつけてきた。中から、黒っぽい焼き菓子が顔を覗かせている。


「食べな。腹が減ってちゃ、ろくな考えが浮かばないよ」


 ガルドが一枚取り出し、慎重に匂いを嗅いだ。


「これ、食っても大丈夫なやつか?」


「置いていかれたいのかい?」


「ありがたくいただきます」


 救難走車の扉が閉じる。


 動力炉へ火が入り、六つの導力輪が淡い青色に輝いた。四百年ぶりに目を覚ました車体が低く震え、まるで長い眠りから起き上がる獣のように、ゆっくりと前へ進み始める。


 そのとき、助手席へ固定した案内端末からアリアの声がした。


「気象情報を更新。上流域における雨雲の形成速度が予測値を上回っています」


「どれくらい早まった?」


「豪雨開始まで、残り二十四時間です」


「半日も縮んだのかよ」


 ガルドが呻く。


 さらに、通信板から激しい雑音が流れた。何かが引き裂かれるような高い音に続き、あの女の苦しげな息が聞こえる。


『……一本、切れた』


「何がだ?」


『私の弦。残りは三本』


 轟く水音の向こうで、女が咳き込んだ。


『来るなら、急いで。あと……名前を聞かれたのに、答えていなかったでしょう』


「ああ」


『ネフェルよ。天候調律神器《風雨琴》ネフェル。ずっと呼ばれていなかったから、もう要らないと思っていたけれど……助けに来る人がいるなら、呼ぶときに困るものね』


「ネフェル。聞こえるか。必ず——」


『必ず、なんて言わないで』


 弱々しい声が、俺の言葉を遮った。


『その言葉を使う人は、できなかったときに帰ってこなくなるから。間に合わなかったら、逃げて。水より速く』


 通信が切れる。


 前方には、雨を抱えた黒い雲が、山の向こうから這い出していた。


「アリア。カリオンの速度を上げられるか?」


「安全巡航速度の百二十パーセントまで可能です。ただし、乗員の負担が増加します」


 俺が振り返ると、セラは黙って頷いた。ガルドはハンネ村長の焼き菓子を口へ放り込み、盛大に顔をしかめながら親指を立てる。


「行こう。まだ三本、残ってる」


「了解しました。目的地、北東上流域旧水門。救難走車カリオン三号、緊急走行を開始します」


 六つの輪が強い光を放つ。


 俺たちを乗せた救難走車は、迫り来る雨雲へ向かって、一気に加速した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ