第20話 「助けて。でも来ないで」と救難信号が届いたので、まず本人の希望を聞くことにしました
『川が……持たない。ここへ来たら、あなたたちまで流される……』
救難信号から再生された女性の声が途切れたあとも、地図上の赤い光は明滅を続けていた。
「修理主任ラウル。救助部隊の編成を要請します」
アリアが光の案内書を開く。
「推奨人員は、修理担当者一名、戦闘担当者二名、探索担当者一名、治療担当者一名。現在の人員から判断し、ラウル、ガルド、セラフィナ、アギス、マリエルを選出します」
「マリエルは村にいませんよ」
「所在情報を更新します。では、治療担当者なしで出発してください」
「待ってください。まだ助けを求めている相手が何者かも、何が起きているかも分かっていません」
「救難信号を受信しています。救助対象が存在することは明確です」
「でも、本人は来るなと言っています」
「危険を理由に救助を拒否する要救助者は、珍しくありません。その意思を尊重して救助を中止した場合、死亡率が上昇します」
アリアの言っていることにも、一理ある。
助けを求める信号を出しながら、救助者を危険に巻き込みたくないために来るなと言っている可能性が高い。それを文字どおり受け取り、放置してよいのか。
しかし、相手の状況を知らないまま突入すれば、救助どころか事態を悪化させるかもしれない。
「だから、まず本人と話します」
「通信設備は損傷しています」
「直します」
「修理完了までの時間を、どの程度と見積もりますか?」
「設備を見てみないと分かりません」
「不明という回答では、計画を立案できません」
「壊れ方も見ずに時間を決めれば、昨日の教会と同じです」
アリアが言葉を止めた。
偽聖剣は、式典に間に合わせるという予定を優先したため、必要な時間を与えられないまま完成させられた。結果として、一度振るわれただけで折れた。
「……発言を訂正します」
アリアが案内書へ書き込む。
「通信設備の状態を確認後、修理時間を再計算します。ただし、確認作業にも時間を要することを記録してください」
「記録しなくても分かっています」
「人間は、分かっていると言いながら忘れます」
「もうそこまで学習したんですか?」
「昨夜の修理担当者ラウルを観察した結果です」
「ラウル。たった一日で扱いを覚えられてるぞ」
ガルドが笑う。
「誰のせいで、俺が無理をする前提になっていると思うんです?」
「お前自身だろう」
「即答しないでください」
地下の制御室へ集まっていた者たちから、小さな笑いが起こる。
しかし、地図上の赤い信号を見ると、すぐに空気が重くなった。
「助けに行くのは、ラウルで決まりなのか?」
デニスが尋ねた。
「本人が行きたいと言うのは分かってる。だが、村の城塞を直せるのはラウルだけだ。教会が戻ってきたとき、留守だったらどうする」
「アタシが守る」
アギスが腕を組む。
「共助杭も本来の機能へ戻った。教会騎士が昨日と同じ方法で入ってくることはできん」
「もっと多くの兵を連れてきたら?」
「絶対に守れるとは言わない。だが、ラウル一人を村へ縛りつければ、遠くで助けを求めている相手は見捨てることになる」
「だからって、村の安全より知らない相手を優先するのか?」
「どちらか一つだけを選べという話ではないだろう」
アギスの声が少し強くなる。
デニスも負けずに言い返した。
「一人しかいない修理師を二つに分けられないなら、結局どちらかを選ぶことになる。格好のいい言葉で誤魔化すなよ」
「格好をつけてるつもりはない」
「二人とも、まだ出発するとも決めてないよ」
ハンネが間へ入る。
「まず話を聞く。そのために通信設備を直す。今決めるのはそこまでだ」
「直したあとで、時間がないからすぐ出ると言い始めるんじゃないか?」
デニスが俺を見る。
「可能性はあります」
「そこは安心させろよ」
「まだ分からないのに、大丈夫とは言えません」
「以前より正直になった分、面倒になったな」
「誰かに似てきたんでしょうね」
ハンネへ目を向ける。
「私を見ながら言うんじゃないよ」
◇
救難通信室は、中枢区画から廊下を三つ進んだ先にあった。
扉には《声を遠くへ運び、声なき者の居場所を知る》と刻まれている。
ところが、扉を開けた途端、黒い水が足元へ流れ出してきた。
「水没してるじゃないか」
ガルドが一歩下がる。
部屋の中には、足首ほどの高さまで水が溜まっている。天井から漏れたものではない。壁に埋め込まれた貯水管が破裂し、何百年もかけて少しずつ流れ込んだらしい。
「この程度なら排水できます」
俺が部屋へ入ろうとすると、セラに外套を掴まれた。
「先に水へ魔力が流れていないか確認してください」
「浅いですよ」
「深さの話ではありません。古い魔道設備の水には、術式が溶け込んでいる場合があります」
「そんなに心配しなくても」
「ラウルは先ほど、自分の身体が一つしかないことを忘れているような話をしていました。心配もいたします」
セラは床へ聖なる光を流した。
水の中から、青い火花が散る。壊れた通信設備から漏れた魔力が溜まっていたらしい。
「踏み込んだら、どうなってました?」
ガルドが尋ねる。
「足が痺れる程度です」
「本当か?」
「最悪の場合は心臓が止まります」
「それを足が痺れる程度と言うのか!」
「最悪の場合です」
「ラウル。今の会話を聞いて、なぜセラフィナが止めたか考えろ」
ガルドに叱られるとは思わなかった。
バルドが義手へ絶縁布を巻き、破裂した貯水管の栓を閉める。残った水は、ガルドが桶で汲み出すことになった。
「また水運びか」
「昨日、自分でやると言っただろ」
「村で食べる分とは聞いたが、地下設備の水まで含まれているとは思わなかった」
「水は水だ」
「バルドは仕事の範囲を広く解釈しすぎだ」
「嫌なら、あとでハンネと交渉しろ」
「交渉で勝てる気がしない」
「少しは賢くなったな」
水がなくなると、通信設備の全体が見えた。
円形の台座に、二本の銀色の支柱。その間に、音を魔力へ変える共鳴板が設置されている。しかし、共鳴板は中央から割れ、音を遠くへ送るための銀線も焼き切れていた。
「交換用の共鳴板はありますか?」
俺が尋ねると、アリアが案内書を確認する。
「予備備品庫に三枚保管されていました」
「過去形ですね」
「備品庫が崩落し、全て破損しています」
「使える部分だけでも回収できますか?」
「回収には、瓦礫の撤去が必要です。推定作業時間、九時間」
「間に合いませんね」
「ガルドを追加投入すれば、六時間まで短縮可能です」
「俺は今、水を汲み出したばかりだぞ」
「体力残量、八十二パーセントと推定」
「勝手に人の体力を測るな!」
「では、自己申告してください」
「三十パーセントだ」
「虚偽申告を確認しました」
「面倒だな、この女!」
「発言を記録しました」
「記録するな!」
アリアとガルドが言い争っている間に、ヘスティアが割れた共鳴板を指でなぞった。
「似た形の物、工房にあるよ」
「何が?」
「偽物の剣の鍔。丸くて、音が響く。あれを薄く延ばせば、共鳴板の代わりになると思う」
確かに、偽聖剣の鍔には大量の神銀が使われている。魔力を増幅するための装飾も刻まれているため、音声を遠くへ送る共鳴板として利用できるはずだ。
「剣の次は、通信機になるのか」
バルドが言った。
「壊れたまま捨てられるよりはいい」
ヘスティアは少し考えてから続ける。
「人を斬るために作られた物が、遠くの人と話す道具になる。わたしは、そっちのほうが好き」
「俺もです」
アリアは案内書へ視線を落とした。
「備品ではない材料の使用は、城塞の規定にありません」
「駄目ですか?」
「規定にないため、判断できません」
「では、アリア自身はどう思います?」
「わたし、ですか」
「案内人格ではなく、今ここにいるアリアは、偽聖剣の鍔を通信設備へ使いたいと思いますか?」
アリアは答えるまでに時間をかけた。
「救難信号の発信者と会話できるのであれば、使用したいと思います」
「それで十分です」
「しかし、わたしの希望を判断基準にする規定はありません」
「今から覚えてください。規定にない場合は、関係する人間と神器で話し合う」
「非効率です」
「昨日も聞きました」
「今日は、昨日より少しだけ理解しています」
そう答えたアリアは、自分でも驚いたように瞬きをした。
◇
偽聖剣の鍔を工房から運び、ヘスティアの火で温める。
今度は剣の姿へ戻すのではない。
円形に薄く延ばし、中央へ細かな穴を開ける。人の声を拾い、魔力の振動へ変えるためだ。
「あと少し薄く」
ヘスティアが指示する。
「これ以上叩くと割れないか?」
バルドが尋ねる。
「外側は大丈夫。内側の右に、熱が残ってる」
「どこだ?」
「もう少し右」
「これか?」
「行きすぎ。バルドの右は大きい」
「右に大きいも小さいもあるか」
「あるよ。職人なら覚えて」
「四百歳の炉に毎日駄目出しされて、自信がなくなってきた」
「バルドにも分からないことがあるのですね」
セラが少し意外そうに言う。
「分からないことばかりだ。分かっているふりをすると、指まで一緒に叩くことになる」
「以前、指を叩いたのですか?」
「何度もある」
「職人も案外、不器用なのですね」
「器用な奴は、失敗しない奴じゃない。失敗したときに、次は指をどこへ置けばいいか覚える奴だ」
アリアがその会話を聞き、案内書へ書き込んだ。
「記録しました。職人とは、指を叩くことで成長する者」
「そういう意味ではない!」
「訂正しますか?」
「今すぐ消せ」
「記録の削除は、修理担当者ラウルの方針に反します」
「都合のいいときだけ、記憶を残す話を持ち出すな!」
共鳴板が完成したころには、バルドとアリアの言い争いも、少しだけ自然になっていた。
通信設備へ共鳴板を取り付け、焼き切れた銀線を繋ぎ直す。
俺が《原型復元》を使うと、二本の支柱の間へ青い光が広がった。
「通信設備、限定復旧を確認しました」
アリアが共鳴板の前へ立つ。
「第五救難信号へ、双方向接続を試みます」
「相手の負担にはなりませんか?」
「送信側が通信を拒否した場合、接続は成立しません」
「なら、最初は短く呼びかけましょう」
アリアが頷き、俺へ共鳴板の前へ立つよう促した。
「何と言えばいいんだ?」
「修理主任として、所属と救助意思を伝えてください」
「所属……」
「勇者パーティーの修理係ではありませんね」
セラが言う。
「フェルム村の修理屋です」
「それで十分でしょう」
俺は共鳴板へ向かって話しかけた。
「こちらはフェルム村のラウル。あなたの救難信号を受け取りました。勝手に向かう前に、何が起きているのか聞きたい。声が届いているなら、返事をしてください」
青い光が波紋となって広がる。
しばらく待っても、返事はなかった。
「失敗ですか?」
「通信経路は維持されています。相手が応答していないだけです」
もう一度呼びかける。
「助けに来てほしくないなら、それも聞きます。ただし、危険だから俺たちを巻き込みたくないという意味なら、危険の内容だけでも教えてください」
雑音が聞こえた。
風が鳴るような音。その奥に、水が岩へぶつかる激しい音が混じっている。
『……どうして』
女性の声が届いた。
『来ないでって、言ったでしょう』
「聞きました。だから、まだ向かっていません」
『普通は、それで終わりよ』
「救難信号が出たままです」
『あれは自動で送られているの。止める場所に、もう手が届かないだけ』
「あなた自身は、助けを求めていないんですか?」
長い沈黙があった。
『そういう聞き方は、ずるいわ』
「すみません。もっと上手な聞き方があれば教えてください」
『謝ればいいと思ってる?』
「思っていません。ただ、言い方が悪かったことは謝ります」
『面倒な人ね』
「よく言われます」
背後でハンネが笑いを堪えている気配がした。
「では、聞き方を変えます。あなたは今、どうなりたいですか?」
『……休みたい』
かすかな答えだった。
『もう、水を押さえ続けるのは疲れた。弦も切れた。腕も動かない。歌うたびに身体が割れていく』
「だったら、修理させてください」
『できない』
「なぜです?」
『わたしの身体を動かしたら、押さえている水が全部流れるから』
水音が一段と大きくなる。
『古い堰が壊れている。今は、わたしが水門の代わりになってるの。わたしを外せば、下流の村が三つ沈む』
「外さずに修理できるかもしれません」
『前にも、そう言った人がいた』
「前にも?」
『百年以上前。教会の修理師が来た。わたしを直すと言って、天候を操る核だけ持っていこうとした。抵抗したら、残った弦まで切られた』
セラの表情が険しくなる。
「また教会ですか」
俺は共鳴板へ向き直った。
「俺は教会の修理師ではありません」
『そんなこと、会う前にどうやって信じればいいの?』
「信じなくて構いません。俺たちも、あなたの話を全て分かったわけではない。だから、できるだけ情報を交換してから決めたい」
『決めるって、何を?』
「俺たちが行くか。あなたが俺たちを近づけるか。修理が可能か。全部です」
『間に合わないわ』
「あと、どのくらい持ちます?」
『分からない。次の大雨が来たら終わる。空の流れを読む弦が切れたから、いつ降るかも分からない』
アリアが地図へ新たな情報を書き込んでいく。
「信号発信源周辺の水量を再計算します。過去の地形情報と現在の魔力反応に、大きな差異があります」
「どういう意味です?」
「百年以上の間に、河道が変化しています。救助対象の認識している三村以外にも、浸水する区域が存在します」
地図上に青い線が伸びる。
北東から南西へ。
その先には、フェルム村があった。
「予測浸水区域を更新します」
アリアの声が硬くなる。
「大規模な決壊が発生した場合、被害を受ける集落は四つ。フェルム村も含まれます」
「ここまで水が来るのか?」
デニスが地図へ駆け寄った。
「俺たちの畑は? 村は城塞の上だとしても、外の畑は全部沈むのか?」
「現在の城塞防壁で居住区を守ることは可能です。しかし、外部農耕地の九割以上が水没します」
「九割……」
デニスの顔から血の気が引いた。
村に残れば安全という話ではなくなった。
助けに行かなければ、遠くの誰かが壊れるだけではない。フェルム村の畑も、下流の村々も水に呑まれる。
共鳴板の向こうから、女性の疲れ切った声が届く。
『聞いたでしょう。だから来ないで。近づいた人まで巻き込みたくない』
「でも、あなたが壊れれば、どのみち洪水が起きます」
『分かってるわよ!』
初めて、彼女が声を荒らげた。
『分かってる。わたしが助けてって言えば、誰かが危険な場所まで来る。来ないでって言えば、わたしが壊れて村が沈む。どっちを選んでも、誰かが困るのよ』
荒い呼吸と、激しい水音。
『助けてほしい。でも、助けに来てほしくない。そんな都合のいいこと、言えるわけがないでしょう……』
「言ってもいいんです」
俺は答えた。
「都合が悪くても、矛盾していても、両方言ってください。片方だけを本心にしなくていい」
彼女は返事をしなかった。
やがて、小さな弦の音が一つだけ鳴る。
『……少し、考えさせて』
「分かりました。また呼びかけます」
『勝手に来ないで』
「そこは約束します。話が終わる前には行きません」
『話が終わったら?』
「そのとき、もう一度相談します」
『やっぱり面倒な人ね』
通信が途切れた。
共鳴板の光は消えたが、地図上の赤い信号は残っている。
「アリア。雨が降るまでの時間は計算できますか?」
「現在の情報では困難です。ただし、上空の魔力が急速に集まり始めています」
地図の上へ、黒い雲を示す影が広がった。
「最短予測では、三十六時間以内に豪雨が発生します」
二日かかる場所へ、残された時間は一日半。
普通に向かったのでは、間に合わなかった。




