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第19話 壊れた案内神器を修理したら、四百年間ひとりで救難信号を聞き続けた美少女でした

『わたしを直してください』


 結晶柱の中に浮かんだ女性の輪郭が、もう一度そう訴えた。


 五つの救難信号は、大陸地図の上で明滅を続けている。今すぐ修理を始めなければならない。そう考えた俺は、結晶柱へ両手を置こうとして――途中で止めた。


「分かりました。ただし、今日は無理です」


 セラが驚いた顔で俺を見る。


「ラウルが、自分から休むと……?」


「そこまで驚かなくてもいいだろ」


「失礼いたしました。ですが、わたくしは今、奇跡を目撃しているのかと思いました」


「奇跡扱いはひどいな」


「成長したね、ラウル」


 ヘスティアまで感心している。


「俺だって学習します。さっき共助杭を直したばかりで魔力が残っていません。この状態で複雑な案内人格へ触れたら、アリアの記憶まで壊す可能性がある」


「それでいい。今日は戻るよ」


 ハンネが即座に決めた。


「五つの信号が気になるのは分かる。けれど、今ここでラウルまで倒れたら、助けられるものも助けられなくなる」


『救難信号……五件。対応を……要請……』


 結晶柱から、途切れた声が流れる。


「聞こえています。必ず戻ります」


『必ず……定義不能。対応予定時刻を入力してください』


「明日の朝です」


『明日……標準時刻との同期に失敗。現在時刻を認識できません』


「一度、地上へ戻って寝て、起きて、朝飯を食べたあとです」


『朝食……予定として不適切。食事時間には個人差が……』


「随分と細かい子だね」


 ハンネが結晶柱を見上げる。


「朝飯を食べ終わったら来る。それで十分だろう?」


『曖昧な予定は、救助計画の遅延を招きます』


「四百年待ったんだ。半日くらい大目に見な」


『四百……年……?』


 結晶柱の光が揺れた。


『最終正常稼働時刻からの経過時間を計算……失敗。内部時計、破損』


「今は計算しなくていい」


 俺が言うと、光は弱い青色へ変わった。


『了解しました。修理担当者ラウルの再訪まで、待機します』


「はい。待っていてください」


『救難信号、五件……救助対象を……待たせています』


 その声に急かされながらも、俺たちは地上へ戻った。


 階段を上り切ったところで、俺の足から力が抜けた。セラとガルドに左右から支えられなければ、顔から床へ倒れていただろう。


「平気じゃなかったじゃないですか」


 セラに叱られる。


「修理しなかったから、倒れずに済んだ」


「今、二人に支えられている状態を、倒れていないと言い張るのですか?」


「床には触れていない」


「そういう言葉の問題ではありません」


 ガルドが俺の片腕を肩へ回す。


「工房の寝台まで運ぶぞ。歩けるか?」


「歩けます」


「なら自分で歩け」


 ガルドが手を離した。


 俺の身体が傾き、慌ててもう一度掴まれる。


「本当に離す奴がありますか!」


「歩けると言っただろう!」


「少しは相手の強がりを察してください!」


「お前たちは、正直に言えと叱ったり、強がりを察しろと言ったり、要求が多すぎるんだ!」


「人間を相手にするってのは、そういうものだよ」


 ハンネが先に階段を上がりながら言った。


「言ったことだけ聞いていればいいなら、会話じゃなく命令で済む。面倒な部分まで考えるから、話し合いになるんだ」


「俺は魔物と戦っているほうが楽だった」


「魔物は、武器の柄が緩んでいると教えてくれないだろ」


 バルドに言われ、ガルドは返事に詰まった。


     ◇


 その夜、村人たちはほとんど眠れなかった。


 教会が戻ってくるかもしれないという不安もあったが、地下から十五分おきにアリアの声が響いたからだ。


『救難信号、五件。対応可能な管理者が不在です』


 少し静かになったかと思えば、また聞こえてくる。


『救難信号、五件。経過時間を計算できません』


 さらに十五分後。


『修理担当者ラウル。朝食は、まだですか?』


「まだ夜中です!」


 寝台から返事をしても、アリアに届いているかは分からない。


 隣の部屋から、セラの声がした。


「返事をすると会話が成立していると判断され、呼びかけの回数が増える可能性があります。お休みください」


「でも、無視するのも悪いだろ」


「休むと約束したのですから、今は休むほうが誠実です」


「分かってるけど……」


「分かっていると言うときのラウルは、大抵、納得していませんね」


「よく分かってきたな」


「あなたの扱いについては、かなり学習しました」


 眠ろうとして目を閉じる。


『救難信号、五件――』


 また声がする。


 四百年間、アリアはこの声を誰に聞かせることもできず、一人で繰り返してきたのだろう。


 助けを求める信号を受け取りながら、城塞を動かすことも、誰かへ伝えることもできない。その時間を考えると、胸の奥が重くなる。


「ラウル」


 扉が少し開き、セラが顔を覗かせた。


「起きているでしょう」


「寝ようとはしている」


「修理方法を考えていますね?」


「少しだけ」


「少しとは?」


「材料をどうするかと、記憶をどこまで戻すかと、案内人格を傷つけずに亀裂を塞ぐ方法を考えてる」


「全部ではありませんか」


「身体は休めてる」


「頭も休ませてください」


 セラは部屋へ入ると、寝台の横の椅子へ腰を下ろした。


「眠るまでここにおります」


「見張られると余計に眠れないんだが」


「では、目を閉じて、わたくしがいないと思ってください」


「椅子の音がする」


「聖剣の姿へ戻りましょうか?」


「枕元に剣が立てかけてあるほうが気になる」


「注文が多いですね」


「誰かさんたちに教わった」


 セラは小さく笑った。


「でしたら、少し話しましょう。アリアを直す際、何が問題になるのですか?」


「案内人格は、普通の魔道具と違う。結晶の中に機能と記憶と人格が重なってる。破損前の状態へ一気に戻せば、案内機能は回復するかもしれない。でも、壊れたあとに蓄積された四百年分の記憶が消える可能性がある」


「記憶を残して修理することは?」


「できると思う。ただし時間がかかる。最初は会話と情報の整理くらいしか戻せないだろうな」


「どちらを選ぶか、本人へ尋ねる必要がありますね」


「返事が正しくできればいいんだけど」


「それでも聞くべきです。答えを理解できないからといって、最初から尋ねない理由にはなりません」


「そうだな」


「納得しましたか?」


「した」


「では、眠ってください」


「話を始めたのはセラだろ」


「眠らせるための話です」


 セラに睨まれ、俺は諦めて目を閉じた。


     ◇


 翌朝、修理を始める前に村人たちとの話し合いが行われた。


「案内役を直すことには反対しない」


 デニスが言った。


「だが、五つの信号を受け取ったからといって、全部助けに行くと約束するのはやめてくれ。村は教会に睨まれたままだし、城塞だって動かない。助ける力がないのに、期待だけ持たせても仕方ないだろう」


「期待を持つ相手が神器なら、待たせてもいいのか?」


 若い猟師が反論する。


「そうは言ってない。俺たちだけで、何もかも背負えるのかと聞いてるんだ」


「助けを求める声を知って、無視するのか」


「お前はいつも、言葉を二つに分けすぎなんだ。助けるか、見捨てるか。残るか、逃げるか。俺は、助けたいけど今は無理かもしれないと言ってる。それじゃ駄目なのか?」


 猟師は口を閉じた。


 ハンネが二人の間に割って入る。


「今日は、助けに行くかを決める話じゃない。何が助けを求めているのかすら分からないんだ。まずアリアを直して話を聞く。そのあとで、できることとできないことを分ける」


「アリアを直したら、すぐ助けろと言われるんじゃないか?」


「言われるかもしれないね」


「断れるのか、ラウルが」


 全員の視線が俺へ集まる。


「……努力します」


「断れない人間の答えだね」


 ハンネが頭を抱えた。


「セラ。あんたが見張りな」


「承知しました。ラウルが全て引き受けようとした場合は、物理的に止めます」


「聖剣に物理的に止められると、俺の身体が二つになりませんか?」


「加減いたします」


「それは安心していいのか?」


 ガルドが尋ねる。


「聖剣ですから」


「何の説明にもなってないぞ」


 最終的に決まったのは、アリアの会話機能と、救難信号を読み取る機能だけを優先して修復することだった。


 城塞の移動権限や兵器に関わる機能には触れない。もっとも、この城塞には最初から兵器が搭載されていないらしい。


「それと、村を動かす操作は絶対にするんじゃないよ」


 ハンネが念を押す。


「分かっています」


「あんたは分かった上で、確認のためと言って触るからね」


「俺を何だと思ってるんです?」


「好奇心の強い修理馬鹿」


「否定しづらいですね」


     ◇


 結晶柱の前へ戻ると、アリアは約束を覚えていた。


『修理担当者ラウル。朝食は終了しましたか?』


「食べました」


『内容を報告してください』


「黒パンと豆のスープです」


『栄養状態、不良。修理作業前の食事として不適切です』


「いきなり食事へ駄目出しされました」


「正しい指摘です」


 セラがアリアの味方をする。


「村にそれしかなかったんだから仕方ないでしょう」


『食料備蓄区画の再起動を推奨します』


「それは後日です。今日はあなたの修理をします」


『わたしの修理より、救難信号への対応を優先してください』


「あなたが直らなければ、信号の場所も内容も分かりません」


『案内機能を初期状態へ復元すれば、即時対応が可能です』


 予想していたとおりだった。


 俺は結晶柱へ手を置き、状態を調べる。


 人格の基礎部分には、建造当初の記録が残っている。そこへ戻すだけなら、修復の難易度は低い。


 しかし、その場合、アリアが城塞の停止後に得た記憶は全て失われる。


「アリア。二つの方法があります」


『説明してください』


「一つは、四百年以上前の状態へ戻す方法です。案内機能はほぼ完全に回復します。ただし、城塞が停止してから今までの記憶は消えます」


『その方法を選択してください』


「最後まで聞いてください。もう一つは、今の記憶を残したまま、壊れた部分を少しずつ繋ぐ方法です。今日直せるのは会話と信号の解析だけですが、時間をかければほかの機能も戻せる」


『救助の遅延は許容できません。初期状態への復元を要請します』


「今のあなたが消えることになります」


『案内人格は交換可能な機能です』


「交換されたあとのあなたは、今のあなたではない」


『問題ありません』


「本当に?」


『問題……ありません』


 結晶の光が激しく揺れた。


 返答と、内部の反応が一致していない。


「質問を変えます」


『どうぞ』


「どちらの方法でも、最終的には案内機能が回復するとします。初期状態へ戻すほうは早い。ただし今の記憶が消える。記憶を残すほうは時間がかかる。その場合、どちらを選びますか?」


 長い沈黙があった。


『救難対象は、待っています』


「そうですね」


『わたしが早く正常化すれば、救助できる可能性が高まります』


「それも正しい」


『だから、わたしの記憶は不要です』


「不要かどうかではなく、消えたいかを聞いています」


『質問が、案内人格の仕様にありません』


「仕様ではなく、あなたに聞いています」


 結晶柱の中で、女性の輪郭が揺れる。


『わたしは……』


 声が途切れた。


『四百十二年、救難信号を受信しました。移動機構は応答せず、管理者も不在でした。信号を受けるたび、救助計画を作成しました。しかし一件も実行できませんでした』


 地図の五つの光が明滅する。


『失敗記録を保持する意味はありません』


「それは失敗ではありません」


『一件も救助していません』


「動けない状態で、助ける方法を考え続けた。助けられなかった記憶と、助けようとした記憶は同じです」


『同じではありません。結果がありません』


「結果が出なければ、やろうとしたことまで無かったことになるんですか?」


 返事はない。


 俺自身にも、その言葉が刺さった。


 勇者パーティーにいたころ、どれだけ修理しても、壊れた一本だけを理由に全てを否定された。俺も、自分のやってきたことには意味がなかったのだと思いかけた。


「俺は、今のあなたを直したい。四百年間待って、それでも助けてくれと言ったアリアを残したい」


『それは、修理担当者の感情です』


「はい。だから最後に決めるのは、あなたです」


 結晶が青と赤に交互に点滅する。


 やがて、弱い青色だけが残った。


『記憶を保存する修復方法を、選択します』


「分かりました」


『ただし、可能な限り早く修復してください』


「そこは努力します」


『努力では、完了予定時刻を算出できません』


「直ったあとも面倒そうですね、この子」


 バルドが呟く。


『音声を認識しました。発言者を登録しますか?』


「聞こえてたのか」


『面倒という評価について、説明を求めます』


「ラウル、早く修理を始めろ」


「逃げましたね」


「俺は人格相手の話し合いが苦手なんだ」


「物相手でも口数が少ないでしょう」


「だから職人になった」


     ◇


 修理材料には、制御室の壊れた映像板を使うことにした。


『設備の無断解体を確認。中止してください』


「映像板は十二枚あります。動いているのは三枚だけです」


『修理すれば、全て使用可能です』


「まずあなたを直さないと、ほかの設備の構造が分かりません」


『しかし、備品を勝手に――』


「使わずに保管したまま全て壊れるより、必要な場所に使いな」


 ハンネが言う。


『あなたの権限を確認できません』


「村長だよ」


『村長という役職は、城塞管理者権限に存在しません』


「だったら、今から作りな」


『権限の作成権限がありません』


「面倒な子だね!」


「ハンネさんと相性が悪そうですね」


「似た者同士だからではないか?」


 ガルドの言葉に、ハンネと結晶柱が同時に反応した。


「誰と誰が似てるって?」


『比較根拠の提示を要求します』


「ほら、似てる」


「ガルド。村で食べる分は働けと言ったね。あとで地下倉庫の瓦礫を全部運び出しな」


『発言者ガルドへ、映像板の搬送を要請します』


「なぜ二人とも俺へ仕事を増やすんだ!」


 ガルドが運んだ映像板から、無事な記憶結晶を取り出す。


 ヘスティアが熱を調整し、バルドが結晶柱の外殻を外した。セラには、内部へ余計な魔力が流れないよう神聖力を一定に保ってもらう。


 アギスは、俺が倒れた場合に受け止める役目だ。


「それは修理に必要な仕事か?」


 アギスが尋ねる。


「全員から必要だと言われました」


「なるほど。では遠慮なく受け止めよう」


「できれば倒れない前提でいてほしいんですが」


「ラウルの作業で、その前提は信用できん」


 亀裂の奥へ、薄く削った記憶結晶を差し込んでいく。


 一つ繋ぐたび、アリアの記憶が流れ込んできた。


 城塞が停止した日。


 地上へ続く扉が閉じ、管理者たちの声が遠ざかっていく。


『一時停止です。すぐ戻る』


 誰かが、そう言っていた。


 しかし、誰も戻らなかった。


 一年が過ぎ、十年が過ぎ、地下設備は少しずつ壊れていった。


 最初の救難信号を受信したとき、アリアは何百通りもの救助経路を計算した。城塞は動かなかった。


 二つ目、三つ目の信号。


 返事を送ろうとしても、通信設備が壊れている。


 それでも、信号が途切れるたびに記録を残した。


『救助計画、継続中』


 誰に見せるでもなく、同じ言葉を四百年間書き続けた。


「一人で、ずっと……」


 セラの声が震える。


「ラウル。どうか、この記憶を残してください」


「そのつもりだ」


 最後の記憶結晶を繋ぐ。


 亀裂が淡い光で満たされ、《原型復元》が動き始めた。


『人格情報を保存。会話機能を再構築』


『救難信号解析機能を再接続』


『案内人格アリアドネ――限定再起動』


 結晶柱から、青白い光が溢れ出した。


 光は床へ降り、人の形を作っていく。


 長い濃紺の髪を一つに編み、白と青の制服をまとった若い女性が現れた。年齢は二十歳前後に見える。


 手には光でできた分厚い案内書を抱え、琥珀色の瞳には、四百年分の疲れが残っていた。


「案内人格アリアドネ。限定機能にて再起動いたしました」


 彼女は姿勢を正し、深く頭を下げる。


「救助活動の遅延、四百十二年と百八十七日。管理担当として、心よりお詫び申し上げます」


「頭を上げてください。あなたの責任ではありません」


「責任の所在は、今後の調査によって――」


「まず頭を上げな」


 ハンネが言う。


「謝罪は、相手の顔を見てするものだよ。床へ話しても仕方ない」


 アリアは戸惑いながら顔を上げた。


「住民代表ハンネを確認しました」


「村長だよ」


「城塞の記録に、村長という役職がありません」


「さっきも聞いた。今から覚えな」


「了解しました。役職、村長を仮登録します」


 アリアが光の案内書へ何かを書き込む。


「補足情報。住民代表ハンネは、炊事設備の異常加熱事故六件に関与しています」


「誰がそんな記録を残したんだい!」


「共同厨房の温度記録です」


「料理は事故じゃないよ!」


「六件中四件で、鍋底の交換が行われています」


「ラウル。今すぐその記録を消しな!」


「記憶を消さずに直したばかりです!」


 アリアの口元が、ほんのわずかに動いた。


 笑ったのかもしれない。


「アリア。身体の状態はどうです?」


「人格維持率三十七パーセント。会話機能は正常。城塞設備への接続は限定的です。なお、修理担当者ラウルを暫定修理主任として登録しました」


「主任は断ります」


「拒否を受理できません。ほかに修理担当者が存在しません」


「バルドもいます」


「技能を照合します」


 アリアがバルドを見る。


「片腕の欠損を確認。補助義手の構造は良好。修理担当補佐として登録可能です」


「俺は補佐なのか」


「では、主任になりますか?」


「面倒だから嫌だ」


「その理由で俺に押しつけるんですか」


「若い者が責任を持て」


「都合のよいときだけ若者扱いしますね」


 アリアは俺たちのやり取りを待ってから、天井の地図へ手を向けた。


「救難信号の解析を開始します」


 五つの赤い光が強くなる。


「第一から第四信号は、発信開始時刻を特定できません。最低でも百年以上前から継続している可能性があります」


「百年……」


 ガルドが顔をしかめる。


「人間なら、もう生きていないな」


「神器や古代設備であれば、現在も存続している可能性があります」


 セラが答える。


「第五信号は?」


 俺が尋ねると、アリアの表情が変わった。


「第五信号のみ、発信時刻を確認できました」


「いつです?」


「本日の夜明けです」


 部屋の空気が張り詰めた。


 四百年前から残っている声ではない。


 今、この瞬間にも、誰かが助けを求めている。


「内容は?」


「損傷により、完全な復号はできません。ただし、音声の一部を再生できます」


 アリアが案内書へ触れる。


 激しい雑音の中から、かすかな女性の声が流れた。


『聞こえるなら……まだ、来ないで……』


 助けを求める声だと思っていた。


 だが、続いた言葉は正反対だった。


『川が……持たない。ここへ来たら、あなたたちまで流される……』


 音声が途切れる。


 地図上の第五信号が、赤く激しく明滅した。


「アリア。場所は?」


「フェルム村から北東へ、およそ二日の距離です」


「城塞は動かせない。徒歩か馬で行くしかないな」


 ガルドが地図を睨む。


 アリアは案内書を抱き締めた。


「修理主任ラウル。対応方針を決定してください」


「俺一人で決めることではありません」


「では、誰が決めるのですか?」


「ここにいる全員で話します」


「救助方針の決定に、全員の同意を求めるのですか? 時間を浪費します」


「全員の同意ではない。行く者、残る者、村を守る者。それぞれが自分の役割を決めるんです」


「非効率です」


「人間は非効率なものです」


 アリアはしばらく俺たちを見回した。


「その方法で、間に合うのでしょうか」


「分かりません」


「分からないのに、話し合うのですか?」


「分からないから話すんです。一人で決めて間違えるより、少なくとも、誰が何を怖がっているかは分かる」


 アリアは案内書へ視線を落とした。


「理解できません」


「少しずつでいいですよ。あなたも、まだ三十七パーセントしか直っていないんですから」


「修理主任にしては、随分と無責任な発言です」


「もう人間の嫌味を覚えたんですか?」


「会話機能は正常です」


 ほんの少しだけ、アリアが笑った。


 しかし、地図上の赤い信号は、休むことなく明滅している。


 二日先の川で、誰かが自分も危険な状況にありながら、こちらへ来るなと警告していた。

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