第18話 辺境の貧乏村を修理したら、村そのものが《移動城塞》だったと判明しました
フェルム村が巨大な神器だったと判明した瞬間、最初に聞こえてきたのは歓声ではなかった。
「漬物の瓶を押さえな! それを割ったら、冬に食べる物が一つ減るよ!」
ハンネの怒鳴り声だった。
地面が揺れ、家々の屋根から埃が落ちる。集会所では棚から食器が飛び出し、村人たちが慌てて押さえていた。
「ラウル! あんた、今度は何を直したんだい!」
「封界杭です!」
「どうして杭を直したら村が揺れるんだ!」
「俺に聞かないでください! こっちだって初めて村を修理したんです!」
「修理する前に、村が動くかどうかくらい確認しな!」
「壊れた鍋を直すとき、鍋に脚が生えて歩き出すかなんて確認しないでしょう!」
「言い訳してないで、その棚を押さえな!」
俺は倒れかけた棚へ駆け寄った。
隣からガルドも手を伸ばし、巨大な身体で棚を支える。力を入れすぎたのか、今度は反対側へ倒れそうになった。
「ガルド、押しすぎです!」
「倒れると思ったんだ!」
「押さえるのと、壁へ埋め込むのは違います!」
「細かい注文が多いな、この村は!」
「棚を壊さずに支える程度は、細かい注文じゃありません!」
幸い、揺れは一分ほどで収まった。
家屋の何軒かで屋根瓦が落ち、共同倉庫では麦の袋が崩れたが、大きな怪我をした者はいない。
むしろ、不自然なくらい被害が少なかった。
あれほど地面が揺れたにもかかわらず、家の土台には亀裂一つ入っていない。古い家屋まで、最初から揺れを想定して建てられていたように耐えている。
「村そのものが揺れたんじゃない」
バルドが地面へ義手を当てた。
「村を載せた何かが、下で動いたんだ。地面と家が一緒に動いたから、建物が崩れなかった」
「安心していい話なのか、それ」
ガルドが尋ねる。
「崩れなかった点だけならな。家の下に何があるのか分からん点は、まったく安心できん」
工房へ戻ると、床下に現れた階段はそのままだった。
青白い灯りが地下深くまで続いている。
『避難城塞フェルム、中枢機構を解錠しました』
再び女性の声が響く。
しかし先ほどよりも音が乱れ、最後の部分が何度も繰り返された。
『解錠しました。解錠しま……解……錠……』
「壊れかけていますね」
「その言い方をすると、あんたが直しに行く流れになるからやめな」
ハンネに釘を刺された。
「どのみち、確認は必要です。このまま放っておいて、夜中にもう一度動かれたら困ります」
「今のあんたは、立っているだけでもふらついてるじゃないか」
「平気です」
「バルド。職人が平気と言うときは、どういう意味だったかね?」
「大抵、平気じゃない」
「二人とも、覚えた言葉をすぐ使うのはやめてください」
結局、俺一人で地下へ入ることは許されなかった。
セラ、アギス、ヘスティア、バルド、ガルドが同行し、村長であるハンネもついてくると言い張った。
「ハンネさんは、集会所で休んでいてください」
「自分の村の下に、知らない城が埋まってたんだよ。村長が見に行かないでどうする」
「階段が長そうです。途中で動けなくなっても、俺には背負えませんよ」
「ガルドがいるだろう」
「なぜ俺なんだ?」
「一番大きくて頑丈そうだからだよ」
「俺は荷物運びではない」
「水桶を運ぶと約束したばかりじゃないか。人間一人も水桶のうちだと思いな」
「思えるか!」
文句を言いながらも、ガルドは階段の前で背中を向けた。
「ほら、乗れ。途中で転ばれて、全員の足を止められるよりましだ」
「年寄り扱いするんじゃないよ。自分で歩ける」
「だったら、なぜ俺を指名したんだ」
「いざというときに背負わせるためだ。最初から乗るとは言ってない」
「面倒だな、この婆さん!」
「聞こえてるよ!」
しばらく言い争った末、ハンネは自分で階段を下りることになった。
ただし、二十段ほど進んだところで息が上がり、最後にはガルドの背中へ乗った。
「重いですか?」
俺が尋ねると、ガルドは首を横に振る。
「軽い。武具一式のほうが重いくらいだ」
「女性へ重くないと言うときは、もう少し気を使いな。まるで中身がないみたいじゃないか」
「重いと言っても怒るんだろ?」
「当然だよ」
「俺は何と答えればよかったんだ!」
「考えるのも気遣いのうちだね」
「ラウル。この村では、正解のない質問が多すぎないか?」
「慣れてください」
「お前も答えを諦めてるじゃないか」
階段の壁は、黒い石と銀色の金属で造られていた。
何百年も閉じられていたはずなのに、空気は淀んでいない。壁の隙間から新鮮な空気が流れ込み、青白い照明も俺たちが進む先から順に点灯していく。
途中にあった扉は錆びついて開かなかった。
「ラウル、出番だ」
「俺はまだ休んでいたほうがいいんじゃなかったんですか?」
バルドを見ると、彼は扉の蝶番へ油を差していた。
「休んでいる場合じゃないと自分で言っただろう。仕事は任せるが、倒れたら置いていく」
「置いていくんですか」
「俺は片腕だ。背負うのはガルドの役目だ」
「俺の仕事が増えてないか?」
ガルドの抗議を無視し、扉を調べる。
錆びていたのは表面だけで、内部の歯車は生きている。歪んだ蝶番を戻し、切れた魔力線を繋ぐと、扉は低い音を立てて開いた。
その先には、巨大な空間が広がっていた。
◇
「……村が、もう一つ入るな」
ガルドが呆然と呟いた。
地下空間の中央には、幾つもの巨大な歯車が並んでいる。一本の歯車だけでも、集会所と同じくらいの大きさがあった。
天井からは銀色の柱が何十本も伸び、地上の家々や壁を下から支えている。村全体が、この地下構造の上へ載っていたのだ。
遠くには、巨大な車輪のようなものも見える。
ただし、馬車の車輪とは形が違う。幾つもの関節を持ち、畳まれた脚のようにも見えた。
「これが、移動機構か?」
バルドが柵から身を乗り出す。
「地面の下で脚を伸ばし、村ごと持ち上げて歩く仕組みだと思います。車輪だけでは、森や山道を越えられませんから」
「村が歩くのか」
「たぶん」
「たぶんで済ませるには、随分と大きな話だな」
正面の壁には、色の褪せた巨大な絵が残っていた。
炎に包まれた町から、人々が一つの城へ逃げ込んでいる。城は十二本の光に守られ、大地を進んでいた。
城の上には畑があり、井戸があり、家々が並んでいる。
兵士だけを運ぶ要塞ではない。
子供を抱いた母親、杖をついた老人、家畜を連れた農夫。戦う力を持たない人々を、災害や戦乱から逃がすための城だった。
壁の文字をセラが読み上げる。
「《剣を持たぬ者が、生き延びることを恥じぬために》……」
「どういう意味です?」
ヘスティアが尋ねる。
「戦えない者が逃げることを、卑怯だと呼ばせないための城ということでしょう。誰もが剣を持って戦えるわけではありませんから」
「教会は、いつも戦わない人を弱いって言ってた」
「逃げて生き延びるのも、立派な選択です」
ヘスティアは壁画を見つめた。
その中には、巨大な炉の前で鍋をかき回す、小さな人影が描かれている。
「これ……わたし?」
人影は今のヘスティアと同じ黒髪で、大勢の子供たちに囲まれていた。
炉の隣では農具や鍋が作られ、別の場所では壊れた荷車が修理されている。剣や槍は一本も描かれていない。
「思い出した」
ヘスティアが壁画へ手を触れた。
「わたし、最初は武器を作るための炉じゃなかった。ここを動かす火を作って、みんなのご飯を温めて、壊れた道具を直してた」
声が震える。
「子供たちが石炭を運んでくれた。でも、すぐ落とすから、床がいつも真っ黒で……わたし、怒ってた。怒りながら、拾った石炭で焼き芋を作ってあげた」
「そのころから石炭を食べていたのか?」
バルドが尋ねる。
「食べてない。焼き芋を食べてた」
「今は石炭も食べるだろ」
「箱の中に長くいたから、好きになった」
「食の好みとして、少し悲しくないか?」
「石炭、おいしいよ」
「それは人間には分からんな」
ヘスティアは笑ったものの、目から涙が落ちた。
「わたし、武器を作れって言われて嫌だった理由、ずっと忘れてた。怖かったから嫌なんだと思ってた。でも違った。最初に、武器を作らないって約束してたんだ」
「誰と?」
「ここにいた人たちと。名前は思い出せない。でも、わたしの火は、生きるために使うって約束した」
バルドは慰める言葉を探すように口を開き、結局、何も言えずにヘスティアの頭へ義手を置いた。
「硬い」
ヘスティアが言う。
「義手だからな」
「撫でるなら、右手のほうがいい」
「注文が多いな」
「ハンネに教わった」
「悪いところばかり覚えるな」
そう言いながら、バルドは右手で撫で直した。
アギスも壁画の別の場所へ近づいている。
城の前面で、巨大な盾を構える赤髪の女性が描かれていた。
「アタシもいたらしいな」
「覚えていないのですか?」
セラが尋ねる。
「少しだけだ。城の前に立って、飛んでくる魔術を防いだ。誰かから城を守れと命じられたんじゃない。逃げてきた連中が、後ろで泣いたり喧嘩したりしてるのを見て、放っておけなくなった」
「昔から面倒見がよかったのですね」
「人間は放っておくと、すぐ余計な喧嘩をするからな。魔物より面倒だ」
「今と変わらないね」
ガルドの背中から、ハンネが言った。
「婆さん。そろそろ下りてくれないか」
「せっかく楽な場所を見つけたんだ。もう少し背負いな」
「俺は城の説明を聞きに来たのであって、椅子になるためじゃない」
「椅子より動く分、便利だよ」
「褒められている気がしない」
さらに奥へ進むと、円形の部屋へ出た。
中央には透明な結晶柱があり、その周囲を古い操作盤が囲んでいる。天井には大陸全体を描いた地図が浮かび、無数の光点が明滅していた。
俺たちが入ると、再び女性の声が響く。
『避難城塞フェルム、中枢区画へようこそ』
「誰です?」
俺が尋ねる。
『当城塞は、広域災害および戦乱から民間人を避難させる目的で建造された、非武装型神造構造体です』
「質問には答えていませんね」
『最大収容人数、一万二千名。居住区画、農耕区画、治療区画、貯水区画を備えています』
「一万二千……」
ハンネがガルドの背中から下りた。
「この村には八十三人しか住んでないよ」
『現在の居住者数、八十三名。収容率、一パーセント未満』
「改めて数字にされると、寂れた村だと言われてる気分になるね」
「実際に寂れていますから」
「ラウル、余計なことを言う元気は戻ったようだね」
「おかげさまで」
バルドが操作盤の表示を確認する。
「移動城塞と言ったな。今すぐ動けるのか?」
『移動機構の損傷率、八十七パーセント。十二基の地走脚のうち、正常稼働可能数は二基。中枢動力炉は四百十二年間、接続されていません』
全員の視線が、ヘスティアへ向いた。
「わたし?」
『神造中枢炉ヘスティアの帰還を確認。動力接続を要請します』
「嫌」
ヘスティアは即答した。
『命令を受理できません』
「お願いじゃなくて、要請でしょう? だったら嫌って言ってもいいよね」
『……回答形式を確認。拒否を受理しました』
ヘスティアは満足そうに頷いた。
「この子は、教会より話が分かる」
「壊れかけの設備に負けるとは、教会も情けないな」
アギスが笑った。
「動力が戻っても、脚が二本では歩けませんね」
セラが表示を読み取る。
「二本で歩いたら、村ごと横倒しになりそうだ」
ガルドが顔を引きつらせる。
『簡易動作試験を実施しますか?』
「するな!」
ハンネ、バルド、ガルドの声が綺麗に重なった。
『三名から拒否を確認。試験を中止します』
「よかった。教会より話が分かりますね」
「セラまで同じことを言うのか」
俺は大陸地図へ目を向けた。
「もし修理できれば、この村は移動できる。教会が攻めてきても、村ごと逃げられるかもしれません」
「簡単に言わないでくれ」
農夫のデニスが、部屋の入口に立っていた。
途中から、何人かの村人たちも階段を下りてきたらしい。
「村を動かすって、畑はどうなる。城塞の上にある畑だけじゃ、冬を越せない。外の麦畑も、放牧地も置いていくことになるんだろう?」
「そうなります」
「墓地も外だ。俺の親父も、女房の両親も眠ってる。それを置いて、村だけ逃げるのか?」
「まだ動かすと決めたわけではありません」
「でも、教会はまた来る。移動できるなら逃げようって言う奴も出るだろ」
デニスの後ろから、若い猟師が声を上げた。
「逃げられるなら逃げればいい。墓を守って生きてる人間が死んだら、何の意味もないだろ」
「お前には、置いていく相手がいないからそう言えるんだ!」
「またそれか。家族がいない人間は、何も大事にしてないと思ってるのか!」
「二人とも、地下まで来て昨日の喧嘩を続けるんじゃないよ」
ハンネが間へ入った。
「移動できると分かっただけで、今すぐ動かすとは誰も言ってない。畑も墓も大事だ。生きている子供も大事だ。どちらか一つを大声で叫べば、もう片方が消えるわけじゃない」
「なら、どう決めるんだ」
「それを話し合う。面倒でも、何度でもね」
ガルドが口を挟む。
「だが、修理は急いだほうがいい。クレメンスは一度退いただけだ。次は、もっと多くの兵を連れてくるかもしれん」
「来たばかりのあんたが、村の引っ越しを急かすんじゃないよ」
「俺は軍事的な判断を――」
「軍事だけで村は動かない。畑を捨てれば来年の飯がなくなる。墓を置いていけば、心が残る。あんたの言うことが間違いとは言わないが、それだけで決められると思うな」
「……分かった」
「物分かりがよすぎるね。腹が立ったなら言っていいんだよ」
「面倒な婆さんだとは思っている」
「よろしい。少しは人間らしくなったじゃないか」
何を言っても叱られる。
それでもガルドは、昨日までより少しだけ気楽そうに見えた。
俺は中央の結晶柱へ近づいた。
女性の声は、この中から聞こえている。しかし、結晶全体に細かな亀裂が入り、内部の光も不安定だった。
「案内をしているあなたの名前を教えてください」
『当城塞の……運用……避難……案内人格……』
声が途切れる。
『名称、アリアドネ。登録呼称、アリア』
「アリア。城塞の詳しい状態を知りたい。修理が必要な場所を表示できますか?」
『修理担当者の登録を確認できません』
「ラウルです。スキル《原型復元》を持っています」
『技能照合……失敗。記録破損』
「では、直接状態を確認しても?」
『質問形式を認識できません』
「触っていいかと聞いています」
返事はない。
代わりに、結晶柱の中で光が激しく明滅した。
「壊れた相手へ触れる許可を取るのは難しいですね」
セラが俺の隣へ立つ。
「返事ができないからといって、勝手に触れてよいのでしょうか」
「放っておけば、完全に機能を失うかもしれない。けれど、本人が嫌がっている可能性もある」
「面倒ですね」
「人間みたいだろ」
「はい。ですが、ラウルは面倒なものを直すのが得意です」
「物だけにしてほしいんだけどな」
「もう手遅れでしょう」
セラの視線の先では、ハンネとデニスたちが移動するかどうかで言い争い、ガルドとバルドは巨大な歯車の使い方について揉め、ヘスティアは壁画に描かれた焼き芋の作り方を思い出そうとしている。
確かに、手遅れかもしれない。
俺は結晶柱へ手を近づけた。
「アリア。嫌なら光を赤くしてください。修理を試してもよければ、青く」
結晶が何度か明滅する。
やがて、弱い青色へ変わった。
「許可をもらったと考えます」
手のひらを結晶へ当てる。
その瞬間、膨大な情報が頭へ流れ込んできた。
壊れた地走脚。塞がった水路。崩落した居住区。停止した治療設備。何百年も誰にも届かなかった記録。
そして、大陸の各地から発信され続けている、小さな信号。
「これは……」
天井の地図に、五つの赤い光が灯った。
『救難信号を受信』
アリアの声が、先ほどよりもはっきり響く。
『未救助件数、五件』
「人が助けを求めているのですか?」
『判別不能。案内人格の損傷により、詳細情報を復号できません』
五つの光は、遠く離れた場所から何度も明滅している。
何百年も捨てられ、声を届かせる相手を待ち続けていた。
『修理担当者ラウルへ要請』
結晶柱の中に、長い髪を持つ女性の輪郭が一瞬だけ浮かんだ。
『わたしを直してください』
その声は、初めて機械ではなく、一人の女性のものとして聞こえた。
『まだ、助けを待っている子たちがいます』




