第17話 村を閉じ込める《封界杭》を本来の姿に修理したら、教会の結界が村を守り始めました
十二本の封界杭を、日没までに修理する。
口にすると簡単そうだが、杭は全て村の外側にあり、俺たちは結界の内側へ閉じ込められている。近づくことすらできない物を、どうやって修復すればいいのか。
「一つだけ、方法があります」
俺は村人たちを集会所へ避難させ、バルドたちと工房へ戻った。
セラは聖剣、アギスは盾の姿になっている。ヘスティアだけは辛うじて人の姿を保っていたものの、顔色が悪く、バルドの作った椅子へ座り込んでいた。
「全部の杭は、魔力の線で繋がっています。十二本で一つの道具だと考えれば、一本ずつ触れる必要はありません。中心になる場所から術式へ入り込み、まとめて原型へ戻せるはずです」
「中心になる場所って、どこだ?」
バルドが尋ねる。
「まだ分かりません」
「分からないのか」
「そんなにすぐ何でも分かったら、修理屋は苦労しません」
「できるはずだと言った直後に、中心が分からんと言われたら不安にもなる」
「俺も不安ですよ」
「お前は、こういうときだけ妙に正直だな」
バルドは呆れた顔をしたが、手は止めずに工具を並べている。
工房の外では、村人たちが井戸水を運び、倒れた者を集会所へ寝かせていた。結界が発動してから、身体の弱い者ほど早く症状が出ている。
ミラの息子、ニコも気分が悪くなり、母親の膝を枕に横になっていた。
日没まで猶予を与えるとクレメンスは言った。
だが、日没まで全員が無事だとは限らない。
「ラウル」
ヘスティアが弱々しく手を上げた。
「偽物の剣、使えるかもしれない」
炉の中では、昨夜から温度を下げながら休ませていた偽聖剣の刀身が、淡い銀色の光を放っている。
「同じ神銀だから、杭の声が聞こえたんでしょう?」
「そうだと思う」
「なら、この銀を細い糸にして地面へ流せば、十二本の杭まで届くかもしれない。わたしの炉なら、神銀を溶かしすぎず、柔らかくできる」
「でも、今の君に炉を使わせたら」
「平気」
「顔が平気じゃないぞ」
バルドが眉を寄せる。
「子供が大人の前で平気と言うときは、大抵、平気じゃない。職人が納期の前で平気と言うときも同じだ」
「わたしは子供じゃないし、納期もない」
「日没までという納期があるだろう」
「じゃあ、職人のほう」
「そこを認めても、平気じゃないことは変わらん」
ヘスティアはしばらく黙ったあと、自分の膝を見つめた。
「怖いよ。また力を全部取られて、箱に戻るのは嫌。でも、何もしないで待つほうがもっと怖い。わたしにできる仕事があるなら、やりたい」
バルドはすぐには答えなかった。
止めたいのだろう。見た目が幼いヘスティアを危険な作業へ参加させたくない。しかし、彼女は神造炉であり、自分の仕事を自分で選びたいと訴えている。
「無理だと思ったら、途中でやめろ」
バルドはやがて、そう言った。
「一度始めたから最後まで、なんて考えるな。作業を止めるのは逃げじゃない。続けたら壊れると判断して止めるのも、職人の仕事だ」
「うん」
「本当に分かったのか?」
「分かった。バルドもしつこいと思ったら、話を途中でやめる」
「そっちは最後まで聞け」
ヘスティアが少しだけ笑う。
俺は偽聖剣の刀身を炉から取り出し、欠け落ちていた小さな破片を集めた。
剣そのものを溶かす必要はない。刃から剥がれた十二個の破片を、杭へ繋がる継ぎ針に変える。
「この剣は、嫌がらないでしょうか」
セラの声が、腰に差した聖剣から届く。
「自分を壊した教会の杭を直すために使われることを」
「分からない」
俺は破片の一つへ触れた。
生きた神器のように明確な言葉が返ってくるわけではない。ただ、急いで熱せられ、無理に魔力を流され、折れた瞬間の痛みだけが残っている。
「でも、もう誰かに握られて壊れるまで振られるのは嫌がっていると思う」
「では、剣ではないものになるのですね」
「正確には、剣だったときに剥がれた部分が、杭を直す材料になる。残った刀身をどうするかは、あとで考えよう」
「鍋にする」
ヘスティアが言った。
「神銀の鍋への執着が強いな」
「ハンネに使わせなければ、長く使えるよ」
「どういう意味だい!」
工房の外から怒鳴り声が飛んできた。
「結界で弱っているのに、耳だけは元気ですね」
「聞こえてるよ、ラウル!」
不思議なことに、少し安心した。
◇
ヘスティアが神造炉の姿へ戻る。
黒い髪の少女の姿が赤い光に包まれ、工房の奥に、小型の炉が現れた。教会に封じられていたときの巨大な姿ではない。
今の彼女が、自分の意思で扱える範囲の大きさだった。
『石炭を入れて。少しずつ』
バルドが義手で炉の蓋を支え、俺が石炭を入れる。
『多い』
「これくらい必要だろう」
『多い。バルドは力も石炭も、すぐたくさん使おうとする』
「火力が足りないよりいい」
『強すぎる火は、金属を駄目にする。昨日の教会と同じ』
バルドの動きが止まった。
「……それを言われると、何も返せんな」
『半分出して』
「入れた石炭を取り出すのか?」
『半分』
「熱いんだが」
『義手があるでしょう?』
「この義手は火掻き棒じゃないぞ」
「必要な仕事に使えれば道具はそれでいい、と言ってませんでしたか?」
俺が尋ねると、バルドは恨めしそうにこちらを見た。
「覚えなくていいことばかり覚えてるな」
文句を言いながらも、義手を使って石炭を調整する。
炉の温度が安定したところで、十二個の神銀片を入れた。金属を溶かし切るのではなく、飴のように柔らかくなるまで熱を通す。
俺は一つずつ取り出し、金床の上で細く延ばした。
バルドが支え、俺が叩き、ヘスティアが温度を伝える。
『少し右。そこは強すぎる。次は左側を小さく』
「見えてるのか?」
『火の中に入った金属なら、どこが痛いか分かる』
「便利だな」
『便利だからって、何でも作らせないでね』
「分かってる。今日は修理のための針だ」
一本目の銀針が完成すると、村の北側にある杭が小さく震えた。
二本目で、東の杭が応える。
十二本全ての銀針を作り終えるころには、俺の腕は上がらなくなり、ヘスティアの炉から出る火も弱くなっていた。
バルドが額の汗を拭う。
「針はできた。次はどうする?」
「地面へ術式を書きます。十二本の針を円形に並べて、杭の位置と重ねる」
「中心は分かったのか?」
「工房です」
「どうしてここだと?」
俺は床板を剥がした。
その下には土ではなく、古い石板が隠れていた。工房を建て直したときには、頑丈な基礎石だと思っていたものだ。
石板の表面を磨くと、十二本の柱と、その中央に炉を描いた紋章が現れる。
「この工房の下に、共助杭を制御していた古い設備が残っています。ヘスティアの炉と杭が同じ時代に作られたなら、ここが中心だった可能性が高い」
「可能性か」
「確実だと言って外れたら、もっと不安になるでしょう」
「今も十分不安だ」
「奇遇ですね。俺もです」
十二本の銀針を、石板に刻まれた柱の位置へ差し込む。
最後の一本を差し込んだ瞬間、銀色の光が線となって広がった。
工房から地面の下を通り、村を囲む封界杭へ向かっていく。
「繋がった」
《原型復元》を発動する。
膨大な情報が、一度に頭へ流れ込んできた。
十二本の杭。何百年もの傷。教会が後から刻んだ反転術式。吸い上げた魔力を貯めるために追加された器。制御のための命令。
理解できる。
何を削られ、何を足され、どうして役割が逆転したのか。
理解はできるのに、修復が始まらない。
「どうした?」
バルドが尋ねる。
「材料は足りてる。構造も理解できた。それなのに、スキルが反応しない」
「何か見落としてるんじゃないのか」
「共助杭は、強い者から弱い者へ魔力を分ける道具です。でも今、俺一人の魔力だけで動かそうとしている。これでは本来の状態にならない」
「なら、俺の魔力も使え」
バルドが石板へ義手を置く。
何も起こらない。
「義手じゃ駄目か?」
「そうではなく、二人でも足りないんだと思います。共助杭は、避難してきた大勢の人間が、互いに助け合う意思を示したときに動く設備だった」
「随分と面倒な道具だな」
『人間みたい』
ヘスティアが炉の姿のまま言った。
「否定できんな」
工房の外から、杖の音が近づいてきた。
「二人とも、今度は何を自分たちだけで済ませようとしてるんだい」
ハンネだった。
顔色は悪く、ミラに肩を借りている。それでも、目にはいつもの力がある。
「自分たちだけというか、修理は職人の仕事なので」
「その職人が、共助って名前の道具を一人で直そうとして失敗しているんだろう?」
「どうして知ってるんです?」
「工房の外まで聞こえてたよ。あんたたちは作業に集中すると声が大きくなるんだ」
ハンネは石板を覗き込んだ。
「村人の力が必要なら、最初からそう言いな」
「結界に耐えているだけでも負担なんです。これ以上魔力を出せば、倒れる人が出ます」
「また勝手に、出せないと決めたのかい?」
「危険があるからです」
「危険があることを話して、それでも出すかどうかは本人が決める。十話くらい前から同じことで叱られてる気がするけど、あんたの頭は修理できないのかね」
「そこまで長く続いていませんよ」
「体感では十話分だよ」
反論している間に、ハンネはミラへ村人を集めるよう頼んだ。
しばらくすると、動ける者が工房の前へ集まった。
俺は共助杭の仕組みと、修復に魔力が必要なことを説明した。
「無理に参加する必要はありません」
最後に、そこだけは強調する。
「魔力を渡せば、しばらく身体が重くなるかもしれない。元から体調の悪い人や、子供は参加しないでください。それと、教会に逆らうのが怖い人も、断って構いません」
「参加しなかったら、村八分になるのか?」
村人の一人が尋ねる。
「しません」
「口ではそう言っても、あとで神器を見捨てたと言われるんじゃないか」
「言わせないよ」
ハンネが答えた。
「助け合いってのは、全員に同じものを出せと迫ることじゃない。出せる者が出せる分だけ出す。その代わり、今日は出せなかった者が、別の日に別の形で返せばいい。何も返せない日だってある。そこまでいちいち勘定していたら、人と一緒には暮らせないよ」
それでも、数人は工房から離れた。
誰も責めなかった。
残った者の中から、デニスが前へ出る。手には、俺が以前修理した犂の刃を持っていた。
「この刃でもいいのか?」
「どうして持ってきたんです?」
「ラウルが直した物なら、魔力の繋がりが残ってるかもしれないと思ったんだ。違うなら置いてくる」
「いえ、使えます。たぶん、素手で石板に触れるより、俺が修理した物を通したほうが共助杭へ意思を伝えやすい」
「そうか」
デニスは犂の刃を石板へ置いた。
「勘違いするなよ。俺は神器のために命を懸けると決めたわけじゃない。子供が息苦しそうにしてるのを、これ以上見たくないだけだ」
「理由は何でもいいと思います」
「そういう言い方をすると、また俺が惨めになる」
「では……あなたの家族を守りたい気持ちを、貸してください」
「最初からそう言え」
デニスが犂へ手を置く。
ミラは、共同鍋を運んできた。
「これはヘスティアと皆さんが直した物です。ニコは参加させられないので、私が代わりに」
「無理はしないでください」
「無理をするかどうかは私が決めます」
「最近、村中から同じことを言われます」
「ラウルさんが、勝手に決めすぎるからですよ」
ほかの村人たちも、それぞれ修理された物を持ち寄った。
鍬、鎌、椅子の金具、鍋の蓋、荷車の車軸。中には、いつ修理したのか思い出せないほど小さな道具もある。
バルドが苦笑した。
「お前、随分と直したな」
「壊れたまま使っている物が多すぎるんですよ、この村は」
「貧乏だからね」
ハンネは、焦げ跡のついたお玉を石板へ置いた。
「それは俺が直した物じゃありません」
「私が自分で持ち手を付け直した」
「だから歪んでるんですね」
「魔力を貸すのをやめようか?」
「立派な修理です」
「変わり身が早いね」
俺たちは石板を囲んだ。
「出すのは、ほんの少しで構いません。自分の中にある熱を、手に持った道具へ渡すように考えてください」
「熱なんて感じたことがないぞ」
「だったら、誰かを助けたい気持ちでもいい」
「それで魔力が出るのか?」
「分かりません。でも、共助杭はもともと、魔術師だけのために作られた道具ではないはずです」
自信があるように聞こえたかもしれないが、半分は賭けだった。
村人たちが目を閉じる。
最初に光ったのは、デニスの犂だった。
次に共同鍋。荷車の車軸。鎌。椅子の金具。
大きさも、色も違う光が、少しずつ石板へ集まってくる。
俺は《原型復元》を発動した。
今度は、十二本の杭が応えた。
『修復条件――共助意思を確認』
神銀の針が溶け、地面の下へ流れ込んでいく。
北の杭へ一筋。
東へ四筋。
南、西へ、それぞれ光が広がった。
教会によって反転させられた術式を、一つずつ本来の向きへ戻していく。
『奪え』
違う。
『与えよ』
『閉じ込めろ』
違う。
『守れ』
『従わせろ』
違う。
『選ばせよ』
教会の命令が剥がれ落ち、杭の奥に眠っていた古い術式が表面へ戻ってくる。
ところが、十一本目を修復したところで、俺の魔力が尽きた。
視界が暗くなり、身体が前へ倒れる。
『ラウル!』
セラの声が響いた。
誰かに背中を支えられた。
「また一人で最後までやろうとしたね」
ハンネの声だった。
「でも、俺が術式を繋がないと」
「繋ぐのはあんたの仕事だ。全部の重さを背負うのは、あんたの仕事じゃない」
石板へ置かれた道具から、さらに光が流れ込んでくる。
参加しないと言って離れていた村人の一人が戻り、古い鎌を差し出した。
「俺は、教会が怖い」
「はい」
「今も、やめたほうがいいと思ってる。でも、ここで見てるだけなのも嫌になった。途中からでも間に合うか?」
「もちろんです」
「あとで怖くなって、やっぱり間違いだったと言うかもしれないぞ」
「それでもいいです。今日の答えを、一生変えるなとは言いません」
「そうか。なら、今日は貸す」
鎌から流れ込んだ小さな光が、最後の一本へ届いた。
十二本目の術式が、本来の向きへ戻る。
『原型復元――完了』
黒い結界が砕けた。
そう見えた。
しかし、破片が地面へ落ちることはなかった。
黒い壁は無数の銀色の光へ変わり、村全体を柔らかく包み込んだ。
◇
「何が起きている!」
門の外で、クレメンスが叫んだ。
十二本の封界杭は、もう魔力を奪っていない。
杭の内部に蓄えられていた魔力が村へ戻り、倒れていた者たちの身体へ少しずつ分け与えられていく。
教会が制御のために設置していた魔石からも、蓄えられた分だけ光が流れ込んできた。
「停止させろ! 制御杖を使え!」
神官が杖を掲げる。
だが、杭は教会の命令に反応しなかった。
『本来機能、《避難聖域》を再起動。内部の避難民を保護します』
アギスが盾から人の姿へ戻る。
赤い髪を払うと、北門の前で大きく伸びをした。
「やっと身体が動くようになった。随分と寝心地の悪い檻だったな」
ヘスティアも神造炉から少女の姿へ戻り、バルドの義手へしがみついた。
「箱じゃない?」
「ああ。もう箱じゃない」
バルドが答える。
「でも、まだ壁がある」
「守るための壁だ」
「外へ出られる?」
「試してみるか?」
ヘスティアが銀色の光へ手を伸ばす。
小さな手は、抵抗なく壁を通り抜けた。
「出られる!」
「待て、全部出るな。教会騎士がいる」
バルドに外套を掴まれ、ヘスティアは慌てて手を引っ込めた。
クレメンスが騎士たちへ命令する。
「異端者が封界杭を乗っ取った! 村へ入り、直ちに神器を回収しなさい!」
教会騎士が北門へ向かって走る。
先頭の騎士が銀色の壁へ触れた瞬間、柔らかい光が激しい衝撃へ変わり、彼の身体を外側へ押し返した。
「なぜ入れない!」
『避難民へ危害を加える意思を確認。侵入を拒否します』
「道具のくせに、人間の心を読むのか!」
アギスが笑う。
「アンタたちが道具扱いしてきた杭のほうが、教会より人を見る目があるようだな」
「黙れ、神器!」
「その神器に村へ入れてもらえない気分はどうだ?」
クレメンスの顔が赤くなる。
そのとき、騎士たちの後ろからガルドが歩いてきた。
両腕には拘束用の鎖が巻かれている。見張っていた騎士を振り切ったのか、鎖の端を引きずっていた。
「ガルド殿。止まりなさい」
「嫌だ」
「その壁を越えれば、あなたも異端者の一味と見なします」
「昨日までは何も考えず、勇者の後ろに立っていた。今度は教会の後ろに立って、村が潰されるのを見ていろってのか?」
「魔王討伐の使命を捨てるつもりですか」
「使命を捨てるわけじゃない。お前たちの嘘に付き合うのをやめるだけだ」
ガルドが銀色の壁へ近づく。
壁は彼を拒まなかった。
光を通り抜け、北門の内側へ入ってくる。
「どうして俺は入れた?」
『避難民へ危害を加える意思なし。保護対象として受け入れます』
「俺まで避難民扱いか」
ハンネが杖をつきながら、ガルドを見上げた。
「不満なら、外へ戻ってもいいんだよ」
「いや……今日は避難民で構わん」
「なら、村で食べる分は働きな。身体だけは大きいんだから、水桶の二つくらい運べるだろう」
「勇者パーティーの大剣使いを、雑用に使うのか?」
「さっき本人が、もう教会の後ろには立たないと言ったじゃないか。肩書を外した途端にできる仕事がないなら、今から覚えな」
ガルドは何か言い返そうとしたが、諦めて頷いた。
「分かった。水桶を運ぶ」
「それと、工房に石炭を撒き散らした分も片付けな」
「まだ残ってたのか」
「大きい欠片だけ拾って、粉はそのままだ」
「バルド、細かいな」
「職人だからな」
門の外では、クレメンスが制御杖を何度も振っていた。
しかし杭は反応しない。
教会騎士たちも、命令されたからといって何度も結界へ弾き飛ばされるほど忠実ではなかった。負傷者が増え始めると、一人、また一人と動かなくなる。
「監察官、本日は退くべきです」
「異端者を前にして撤退しろと言うのですか!」
「封界杭の制御が戻るまで、突入は不可能です。このままでは兵を無駄に傷つけます」
「私は責任者です! 決定するのは――」
「では、監察官が先頭に立ってください」
若い騎士が言った。
周囲が静まる。
クレメンスは銀色の結界を見たあと、視線を逸らした。
「……一時撤退します。これは敗北ではありません。異常の原因を調査するための、戦略的な移動です」
「言い方を変えただけで、撤退は撤退でしょう」
俺の隣に人の姿で立ったセラが、冷静に指摘した。
「聞こえておりますよ、セラフィナ!」
「聞こえるように申しました」
クレメンスは騎士たちへ撤収を命じた。
天幕が畳まれ、荷車が動き出す。封界杭は置き去りにされたままだったが、すでに教会の命令を受け付けなくなっている。
街道の向こうへ騎士たちの姿が消えると、村人たちの間から安堵の息が漏れた。
誰かが歓声を上げようとしたが、ハンネが杖で地面を叩く。
「喜ぶのは、倒れた者の無事を確かめてからだよ。まだ終わっちゃいない」
「そうですね」
俺も立ち上がろうとした。
膝に力が入らず、再び座り込む。
「ラウル?」
「ちょっと魔力を使いすぎただけだ」
「ちょっとではありません」
セラが俺の腕を取る。
「あなたは毎回、無理をしてから小さなことのように言いますね」
「今回は村人全員に手伝ってもらった」
「一人で倒れるところが、百人で倒れずに済んだだけでしょう。無理をしなかったことにはなりません」
「では、少し休みます」
「最初からそう言えばよいのです」
「でも、その前に確認したいことがある」
銀色へ変わった術式の光が、工房へ向かって流れている。
十二本の共助杭から戻ってきた魔力は、村人や神器へ分け与えられたあとも、まだ余っていた。
残った光は工房の地下へ集まり続けている。
「石板の下に、何かあります」
バルドとガルドが床板を外した。
共助杭の紋章が刻まれた石板が、低い音を立てて動き始める。
「ラウル」
バルドが警戒した顔で俺を見る。
「お前、杭以外にも何か直したのか?」
「触ってません」
「お前が触っていないのに壊れた物が動き出すほうが、俺は怖いぞ」
「失礼ですね」
石板が左右へ分かれ、その下から古い階段が現れた。
地下へ向かって、青白い灯りが一つずつ点灯していく。
やがて、どこからともなく女性の声が響いた。
『十二基の共助杭、正常稼働を確認』
ヘスティアが目を見開く。
「この声、知ってる……」
『神造炉ヘスティアの帰還を確認。避難聖域への脅威、消失』
「何が始まるんだい」
ハンネが階段を覗き込む。
地下から、巨大な歯車が動き出す音が聞こえた。
『避難城塞フェルム――中枢機構を解錠します』
次の瞬間、村全体が大きく揺れた。
家屋の下、畑の下、何百年も誰にも知られず眠っていた機構が、ゆっくりと目を覚ましていく。
フェルムは、ただの辺境村ではなかった。
村そのものが、一つの巨大な神器だった。




