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第2話 折れた聖剣を修理したら、美少女になった

 折れた聖剣と会話ができるようになったからといって、食料が増えるわけではなかった。




「先に言っておくが、俺の荷物には水が半袋と、干し肉の切れ端が二枚しかない。聖剣なら、どこかに食べられる木の実があるとか、水の湧く場所が分かるとか、そういう便利な能力はないのか?」




『……せい、けん……』




「ああ。お前のことだ」




『わたしが……聖剣……?』




 布に包んで背負った剣から返ってきたのは、ひどく頼りない声だった。




 ラウルは足を止めかけたが、すぐに歩き直した。日が落ちる前に山を下りなければならない。灼熱竜が死んだことで、縄張りを恐れて近づかなかった魔物が動き始める可能性もある。




「自分が何なのか、覚えていないのか?」




『分からない……暗いところに、ずっといて……ときどき、熱くなって……振り回されて……』




「それはたぶん、剣の状態で鞘に入れられていたからだ。振り回していたのはユリウスだな」




『ユリ……ウス……』




 剣の声が途切れた。




 背中の布包みが、わずかに震えた気がした。




「思い出さなくてもいい。無理に記憶をたどると、壊れた魔力回路に負担がかかる。声を出すのも、できるだけ控えてくれ」




『でも……』




「でも?」




『黙ったら……あなたが、いなくなるかもしれない』




 ラウルは今度こそ足を止めた。




 森の中は薄暗く、遠くから獣の鳴き声が聞こえていた。ここでのんびり話をする余裕はない。それくらい分かっているのに、無視して歩き続けることもできなかった。




「いなくならない」




『さっきの人たちは、わたしが折れたら、いらないと言った』




「聞こえていたのか」




『全部は……分からない。でも、鉄くずだと……』




「ユリウスが言ったことは気にするな。あいつは自分の失敗を認めるくらいなら、椅子の脚に足をぶつけたことまで椅子の責任にする男だ」




『椅子も……捨てられる?』




「いや、あいつの場合は怒って蹴り飛ばして、それで反対側の足まで痛める」




『……変な人』




「昔は、もう少しましだったんだけどな」




 ラウルは再び歩き出した。




 ユリウスが最初から嫌な人間だったなら、ここまで胸に引っかかってはいない。三年前、初めて会った頃のユリウスは、自分で傷んだ剣を持って修理工房を訪れた。




 金がないから、報酬は魔物を倒してから払う。そんな都合のいい頼みを、ラウルの父は鼻で笑って追い返そうとした。




 その横でラウルが剣を直してやった。




 ユリウスは何度も頭を下げた。冒険者として初めて報酬を得た日には、約束した金額より少し多く持ってきた。余分はいらないと言うと、「だったら飯を食いに行こう」とラウルを誘った。




 あの日のユリウスが嘘だったとは思えない。




 有名になり、王侯貴族から勇者と呼ばれ、先代勇者である父親と比べられ続けるうちに、少しずつ間違いを認められなくなったのだろう。




 だからといって、許せるわけではなかった。




『あなた……悲しい?』




「何がだ」




『声が、悲しい』




「剣に人間の声色が分かるのか?」




『分からない。でも、あなたの声は……ここが、痛くなる』




「剣に胸はないだろう」




『胸……』




「悪かった。今のは忘れてくれ。直してもいないのに、自分にどの部位がないのか考えさせるのは酷だ」




『あなたは、変な人』




「さっそく言うようになったな」




 剣の声が、ほんの少しだけ明るくなった。




 それだけでラウルも、幾分か足が軽くなった気がした。




 山を下りきる前に日が沈んだ。




 幸い、雨は降らなかったが、夜風が急に冷たくなった。天幕も毛布もパーティーの荷物として置いてきたため、このまま野宿をすれば体調を崩す。




 古い街道へ出たところで、ラウルは道端に倒れた石柱を見つけた。




 苔を手で払い、刻まれた文字を読む。




「フェルム村、東へ半里か」




『村?』




「人が集まって暮らす場所だ。うまくすれば、馬小屋くらいは借りられる。問題は金がないことだが……薪割りでもすれば一晩くらい泊めてもらえるだろう」




『お金……さっきの人が払わなかったもの』




「よく覚えているな」




『悪い人?』




「そう簡単に分けられたら、人付き合いで苦労はしない。良いところも悪いところもあるのが人間だ。悪いところが少しずつ増えて、ある日こっちが我慢できる量を超える。そうなると離れるしかなくなるが、離れたからといって、良かった頃まで全部嘘になるわけじゃない」




『難しい』




「ああ。俺もよく分からない」




『あなたも人間なのに?』




「人間だから分からないんだ。自分のことすら、案外よく分からないからな」




 石柱に従って東へ進むと、ほどなく家々の影が見えてきた。




 ところが、村は妙に静かだった。




 家は二十軒ほどあるが、どの窓にも明かりがついていない。畑は荒れ、道には背の高い雑草が生えている。村の入口に立つ木製の門は片方が外れ、地面に倒れていた。




「参ったな。廃村か」




『人が、いない?』




「少なくとも、歓迎してくれそうな宿屋の主人はいないな」




 ラウルは村の中を歩き、一軒ずつ様子を確かめた。




 どの家も扉が壊れている。残された家具には分厚く埃が積もっていた。戦争か、魔物の襲撃か、それとも単純に生活できなくなって捨てられたのか。急いで逃げた形跡はないため、住民が村を離れてから十年以上は経っているらしい。




 村の奥に、煙突のある石造りの建物を見つけた。




 扉に錆びた金床の看板がかかっている。




「鍛冶場だ」




『ここなら、直せる?』




「道具が残っていればな。まあ、期待はしない方がいい。廃業した鍛冶屋の道具は、普通なら売れるものから持っていく」




 扉を押すと、蝶番が甲高い音を立てた。




 室内は埃と蜘蛛の巣だらけだったが、石造りの炉は原形を保っている。足踏み式の鞴は革が破れていたものの、修理すれば使えそうだ。作業台の上には錆びた金槌と、何本かのやすりも残されていた。




 壁際に積まれた木箱を開けると、底の方から小さな火打石と油の入った壺が出てきた。




「運がいい。油も腐っていない」




『直せる?』




「その前に、この鍛冶場を直さないといけない」




『……わたしより、鍛冶場が先?』




「その言い方はやめろ。俺がものすごく薄情な人間に聞こえるだろう。炉が使えないとお前を直せないんだ」




『本当に?』




「どうして疑う」




『さっき、いなくならないと言ったのに、途中で何度も降ろした』




「水を飲むために荷物を降ろしただけだ。それに、そのたびにお前も一緒に降ろしただろう」




『先に言ってほしかった』




「剣に外出の予定を説明した経験がないんだ。これから気をつける」




『これから……』




 その言葉を確かめるように、聖剣は二度繰り返した。




『これからも、一緒?』




「直すまではな」




『直ったら?』




 ラウルは答えに詰まった。




 直したあと、聖剣をどうするかまでは考えていなかった。本来なら王国か教会へ返すべきものだ。だが、持ち主から鉄くず扱いされたうえ、本人が戻りたくないと言うなら、無理やり返すのも違う気がする。




「それは、直ってから自分で決めればいい」




『わたしが?』




「お前が剣として使われたいなら、持ち主を捜す。誰にも使われたくないなら、飾っておいてもいい。人に見つかりたくないなら、箱に入れて隠してやる」




『あなたが決めるのではないの?』




「お前のことだろう」




 聖剣は黙った。




 それきり声をかけても返事がなかったので、ラウルはどこか壊れたのかと焦った。




「おい、どうした。痛みが強くなったのか?」




『……違う』




「なら返事をしてくれ。こっちは内部の状態が見えないんだから、黙られると困る」




『わたしが決めていいと、今まで誰も言わなかった』




 ラウルは何も言えなくなった。




 聖剣は、歴代の勇者に受け継がれてきたという。




 人間の言葉を理解し、痛みを感じ、自分の意思を持っている。それなのに、誰一人として彼女に何を望むのか尋ねなかったらしい。




「そうか」




 ようやく、それだけを答えた。




 何か慰めの言葉を言うべきなのだろうが、気の利いた言葉が浮かばない。軽々しく同情するのも違うと思った。




「俺も勝手なことを言った。直す前に、触っていいか聞くべきだったな」




『触らないと、直せないのでしょう?』




「そうだが、嫌なら別の方法を考える」




『触って』




「いいのか?」




『あなたなら、いい』




 その答えを聞いてから、ラウルは布包みを開いた。




 折れた聖剣を作業台へ並べ、油を染み込ませた布で汚れを拭う。表面についた血と煤が落ちるにつれ、白銀の刀身に刻まれた細かな紋様が現れた。




 予想より状態が悪い。




 刀身を一周する大きな亀裂だけではなく、内部の魔力回路が七か所も焼き切れている。古い修理痕もいくつかあったが、どれも表面だけを繋いだ雑な仕事だった。




「これは……ひどいな」




『直らない?』




「直す。ただし、足りない材料がある」




『何がいるの?』




「聖銀だ。普通の銀では魔力回路の代わりにならない。王都へ戻れば手に入るが、今は……」




 ラウルは腰の小袋を探った。




 中に入っているのは銅貨が四枚と、父親からもらった古い銀貨が一枚。銀貨は流通しているものより純度が高く、表面には今では使われていない古王国の紋章が刻まれている。




 父親が死ぬ前に渡してくれた形見だった。




 困ったときに使えと言われたが、どれほど金に困っても手放せなかった。




『それ、大事なもの?』




「見えるのか?」




『あなたが触ったら、悲しい声がした』




「何でも分かるんだな」




『使わなくていい。わたしは、痛くても我慢できる』




「我慢してどうする」




『あなたの大事なものを壊したくない』




「お前を直すために使うんだから、壊すわけじゃない」




『でも……』




「親父は困ったときに使えと言った。今より困った状況なんて、そうそうないだろう。無職で、金もなく、食料もなく、壊れた聖剣と廃村にいる。ここまでそろうと、むしろ笑えてくる」




『笑っていない』




「うるさいな。今から笑うところだったんだ」




 ラウルは銀貨を炉の中へ入れた。




 鍛冶場の鞴を修理し、残っていた薪に火をつける。炉の火が安定するまでに一時間。銀貨を溶かして細い線へ加工するまでに、さらに二時間かかった。




 聖剣の魔力回路を修復する作業は、それ以上に難しかった。




 髪の毛ほどの銀線を亀裂の奥へ通し、焼け落ちた回路を一本ずつ繋いでいく。少しでも位置がずれれば魔力が逆流する。




 ラウルは額に汗を浮かべながら、聖剣へ話しかけ続けた。




「痛かったら言え」




『痛くない』




「嘘をつけ。今、刃が震えたぞ」




『少しだけ』




「少しでも言え。言わないなら作業を止める」




『それは嫌』




「だったら正直に答えろ。ここは?」




『痛い』




「これは?」




『くすぐったい』




「剣にも、くすぐったい場所があるのか……」




『そこを触ると変な感じがする。もう一度して』




「必要のないところには触らない。修理は遊びじゃないんだ」




『けち』




「誰に覚えた、その言葉」




『あなたの記憶にあった』




「人の記憶を勝手に読むな」




 文句を言いながらも、ラウルは手を止めなかった。




 夜が更け、窓の外が白み始めた頃、最後の銀線を繋ぎ終える。残るのは、折れた刀身そのものの接合だった。




 ラウルは柄と剣先をぴたりと合わせ、両手で包み込んだ。




「ここからは俺の固有技能を使う」




『あなたの力?』




「【原型復元】。壊れたものを、本来あるべき姿へ戻す技能だ。役立たずの外れ技能と言われているけどな」




『どうして?』




「材料がなければ直せないし、構造を理解しないと発動しない。それに、新しい物を作ることも、生き物の傷を治すこともできない。万能な魔法を期待する連中には、面倒すぎるらしい」




『わたしには、すごい力』




「ありがとう。持ち上げても何も出ないぞ」




『わたしが直る』




「ああ。それだけは保証する」




 ラウルは目を閉じた。




 聖剣の原型を思い描き、魔力を注ぐ。




「――【原型復元】」




 作業台の上から、白銀の光があふれた。




 折れた刀身の境目が消えていく。聖銀で繋いだ回路が聖剣本来の魔力と馴染み、七つの光となって刀身を駆け抜けた。




 その瞬間、ラウルの中へ膨大な記憶が流れ込んできた。




 名もない火の神に鍛えられた日。




 最初の勇者に両手で掲げられ、人々から希望と呼ばれた日。




 何人もの所有者が代わり、誰も声を聞いてくれなくなった長い年月。




 教会の祭壇で魔力回路へ封印を施され、意思を奪われた痛み。




 そしてユリウスが、己の名声を守るために何度も限界を超える魔力を流し込んだ日々。




『壊れるな』




『聖剣なら耐えろ』




『俺を勇者にしろ』




 彼女は一度も、痛いと言えなかった。




 何百年も人間を守り続けた聖剣が、最後に願ったことは世界の平和でも、魔王の討伐でもない。




 誰かに一度だけ、もう頑張らなくていいと言ってほしかった。




「もういい」




 ラウルは、光の中で呟いた。




「無理をしなくていい。誰かを守れなくても、勇者の期待に応えられなくても、お前のせいじゃない」




『でも、わたしは聖剣だから……』




「聖剣である前に、お前はお前だろう」




『わたしは……』




「セラフィナ」




 忘れていたはずの名前が、ラウルの口から自然にこぼれた。




 聖剣の記憶の最も深いところに、大切に隠されていた名前だった。




「それがお前の名前だ」




『セラフィナ……』




 彼女が自分の名を呼んだ瞬間、光が爆発した。




 ラウルはとっさに目を閉じた。




 風もない室内で炉の火が大きく揺れ、作業台の上から聖剣の重みが消える。代わりに、誰かの手がラウルの服をつかんだ。




「ラウル」




 もう、頭の中へ直接響く声ではなかった。




 すぐ目の前から聞こえる、透き通った女性の声だった。




 ラウルが恐る恐る目を開ける。




 そこには、白銀の長い髪を持つ美しい女性が立っていた。




 年はラウルと同じくらいに見える。白い衣は淡い光で織られており、胸元や袖には、聖剣に刻まれていたものと同じ紋様が浮かんでいる。




 青い瞳から、大粒の涙がこぼれていた。




「お前……セラフィナなのか?」




「はい」




「聖剣が、人間になった?」




「正確には、こちらがわたしの本来の姿です。剣の姿は、人間を守るために神から与えられた戦闘形態です」




「先に言ってくれ。いや、覚えていなかったのか。そうだよな。分かっている。ただ、いきなり人間になるとは思わないだろう。こういう場合、修理のやり方が正しかったと考えていいのか……?」




 混乱して独り言を続けるラウルへ、セラフィナが一歩近づいた。




 そして、勢いよく抱きついてきた。




「うわっ」




 ラウルは危うく作業台へ倒れかけた。




「待て、セラフィナ。何をしている」




「あなたがいることを確かめています」




「見れば分かるだろう」




「剣の姿では、抱きしめられませんでした」




「抱きしめる必要がどこにある」




「わたしにあります」




 セラフィナは腕を緩めなかった。




「ラウル。わたしを直してくださって、ありがとうございます」




「礼はいらない。俺は修理屋だから、壊れたものを直しただけだ」




「それでは足りません」




「何がだ?」




「あなたはわたしの声を聞きました。痛いと言っても怒らず、もう頑張らなくていいと言ってくださいました。わたしに、自分のことは自分で決めてよいとも」




「そうだったな」




「ですから、決めました」




 セラフィナはラウルの胸元へ頬を寄せたまま、はっきりと告げた。




「わたしは、あなたの剣になります」




「いや、待て。直ったばかりなんだから、そんなに急いで決めなくてもいい。人間の姿になれるなら、剣以外の生き方だって――」




「嫌です」




「話くらい最後まで聞いてくれ」




「何百年も待ちました。これ以上待つ必要はありません」




 セラフィナは顔を上げた。




 涙に濡れた青い瞳の奥に、白銀の光が宿っている。




「わたしを壊したのは、あなたではありません。勇者ユリウスです。そして、わたしが初めて自ら主と認めた人は――ラウル、あなただけです」




 その言葉が終わるのと、ほとんど同時だった。




 鍛冶場の外から、子供の悲鳴が聞こえた。




「魔物だ! お母さん、魔物が来た!」




 廃村だと思っていた場所に、人がいる。




 ラウルとセラフィナは同時に扉を振り返った。




 次の瞬間、村の入口から、獣の咆哮が響き渡った。

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