第11話 「聖剣を返せ」と勇者が来たので、聖剣本人に決めてもらいました
「――返す、という言い方はおやめください、ユリウス様」
セラの声を聞いたユリウスは、差し出していた手を止めた。
怒ったのではない。最初に浮かんだのは、戸惑いだった。
「……セラフィナなのか?」
「はい。あなたが二年間、腰に提げていた聖剣セラフィナです」
「喋れるのか。いや、それ以前に、どうして人の姿を……」
ユリウスは呆然とセラを見つめたあと、すぐに俺へ疑いの目を向けた。
「ラウル。お前、セラフィナに何をした?」
「修理した」
「そんなことを聞いているんじゃない。聖剣を人の姿に変え、持ち主へ逆らわせるなど、ただの修復でできるはずがないだろう。どんな術式を埋め込んだ?」
「何も埋め込んでない。むしろ逆だ。教会に封じられていた声と記憶が、修理したことで戻った」
「教会が聖剣の声を封じるはずがない」
「では、わたくしが嘘をついていると?」
セラが静かに尋ねる。
ユリウスは一瞬、答えに詰まった。
「そうは言っていない。ただ……お前はラウルに直されたんだろう? 修復の途中で、考え方に影響を受けた可能性はある」
「わたくしがあなたに従えば正常で、拒めば操られている。ずいぶんと都合のよい判断基準ですね」
「そういう言い方をするな。俺は心配しているんだ」
「でしたら、わたくしが何を望んでいるか、一度くらい尋ねてください」
「だから迎えに来たんだろう!」
ユリウスの声が大きくなった。
門の外で待機している教会騎士たちが、こちらを窺う。アギスは門柱に背を預けたままだが、いつでも動けるよう、赤い瞳だけを細めていた。
ハンネが杖で地面を叩く。
「声を張れば正しいことになるのは、子供の喧嘩までだよ。ここまで来たんだから、最後までその子の話を聞きな」
「これは勇者と聖剣の問題だ。部外者は黙っていてもらおう」
「その部外者の村まで、兵隊を引き連れてきたのはそっちだろう。自分から人の庭へ土足で上がり込んでおいて、家主には口を出すなというのかい?」
「村長。あなたは事情を知らないから――」
「知らないから、今ここで聞いてるんだよ。ところが勇者様は、事情を知っていると言いながら、自分以外の話をちっとも聞こうとしない。不思議なものだね」
ユリウスは露骨に顔をしかめた。
王都なら、勇者にこんな口を利く者はいなかった。貴族でさえ機嫌を窺い、教会関係者は彼の言葉を神託のように扱っていた。
ハンネのような人間は、たぶん、ユリウスが最も苦手とする相手だ。
「セラフィナ」
ユリウスはハンネを相手にすることを諦め、もう一度セラへ手を伸ばした。
「何か誤解があるなら、王都へ戻ってから話そう。最高位の聖職者に診てもらえば、記憶の混乱も治せる。お前は魔王を倒すために作られた聖剣だ。こんな辺境の村で、鍋や犂と一緒に埃を被るような剣じゃない」
「鍋や犂を下に見るな」
俺が口を挟むと、ユリウスはこちらを睨んだ。
「お前には聞いていない」
「俺もお前だけに言ったんじゃない。ここにいる全員にだ。鍋がなければ飯が作れない。犂がなければ畑が耕せない。魔王を倒したあとに残るのは、そういう暮らしだろ」
「綺麗事を言うな。魔王を倒せなければ、その暮らし自体がなくなる」
「だからって、守ろうとしている暮らしを馬鹿にしていい理由にはならない」
「ラウル、お前はいつもそうだ。戦場の外からなら、いくらでも正しいことが言える。剣を休ませろ、鎧を直せ、予定を遅らせろ。俺が一日足を止めれば、その一日で何人死ぬか、お前は考えたことがあるのか?」
その言葉には、作った怒りではないものが混じっていた。
ユリウスなりに背負ってきた重さがある。救援を待つ町、魔物に襲われる旅人、勇者なら間に合って当然だと期待する人々。眠れないまま馬を走らせた夜があったことも、俺は知っている。
「考えたよ。だから俺は、朝までに終わらせろと言われた修理を、何度も夜明け前に済ませた」
「なら、分かるだろう」
「分かることと、納得することは別だ。俺が止めろと言ったのは、次に使ったら折れる状態だったからだ。半日休ませることを惜しんで聖剣を失えば、そのあとの戦いはどうするつもりだった?」
「実際、あの戦いには勝った」
「セラが折れたからだろ」
「必要な犠牲だった」
空気が冷えた。
ユリウス自身も、口に出したあとでまずいと気づいたらしい。だが、一度吐いた言葉は戻らない。
セラは怒鳴らなかった。
「……そうですか」
その静かな声のほうが、怒声よりも重かった。
「やはり、あなたにとってはそうだったのですね」
「待て。違う。今のは言い方を間違えた」
「どのように言い換えれば、意味が変わるのでしょう。魔王討伐に必要だった。多くの命を守るためだった。勇者には立ち止まれなかった。どれも、わたくしが壊れてよい理由として、あなたが以前から口にしていた言葉です」
「俺は、お前なら耐えられると思っていたんだ。聖剣なんだから」
「聖剣なら痛みを感じないと、誰から教わったのですか?」
ユリウスは答えなかった。
「最初に刃が欠けたとき、わたくしは訴えました。二度目に亀裂が入ったときも、ラウルを通して休ませてほしいと伝えました。それでもあなたは、次の町で直せばよいと言った。その町に着いたときには祝宴へ出席し、翌朝には出発を命じましたね」
「あの町には長く滞在できない事情があった」
「祝宴で、ご自分の武勇を三時間語る余裕はあったのに?」
村人たちの間から、なんとも言えないざわめきが起きる。
ユリウスの顔が赤くなった。
「あれは領主との関係を保つためだ」
「宴の席で、岩山を一撃で斬ってみせると約束したのも外交ですか? あの一撃で、わたくしの内部には修復不能に近い亀裂が入りました。ラウルは翌朝、あなたの部屋の前で二時間待ち続けていましたね」
「二時間どころか、三時間半だ」
思わず訂正すると、セラに横目で見られた。
「今は正確さを求めておりません」
「すまない」
「そこで素直に謝れるのに、なぜ昨夜は黙って逃げようとしたのでしょう」
「それはもう反省してるから、今ここで持ち出さなくてもいいだろ」
「反省は一晩で終わるものではありません」
こんな状況なのに、村人の何人かが吹き出した。
俺としては笑い事ではない。
「ふざけるな!」
ユリウスが怒鳴った。
「俺を責めるために、みんなで話を作っているのか? ラウルは修理係だった。勇者パーティーの方針を決める立場じゃない。命令に従い、武具を直す。それが仕事だったはずだ!」
「その修理係に、私たちは甘えていた」
背後から聞こえた声に、ユリウスが振り向く。
大剣を背負ったガルドが、苦い顔で立っていた。
「セラフィナの刃が欠けていたことは、俺も知っていた。ラウルが何度も止めたこともな」
「ガルド。お前まで何を言い出す」
「事実を言ってる。俺は自分の大剣さえ無事なら、それでいいと思ってた。聖剣は特別だから壊れない、壊れてもラウルがどうにかする。そう決めつけていた」
「だったら、なぜ今まで黙っていた!」
「お前と揉めるのが面倒だったからだよ!」
ガルドの声が、ユリウスの怒声を押し返した。
「お前は一度決めたら聞かねえ。少しでも反対すれば、魔王を倒す気がないのか、救える命を見捨てるのかって話になる。俺はそれに付き合うのが面倒だった。パーティーの空気を悪くしてまで、修理係一人を庇う必要はないとも思った。だから黙った。その結果、ラウル一人に責任を押しつけたんだ」
ガルドは一度言葉を切り、俺を見た。
「今さら俺だけまともだったような顔をする気はない。追放に反対しなかった時点で、俺も同罪だ」
「ガルド……」
マリエルが不安そうに彼の名を呼ぶ。
ガルドはそちらを見ずに答えた。
「お前も見ただろ。折れる前のセラフィナを」
「見たわ。けれど私は、武具のことは分からないから、口を出すべきではないと思って……」
「違うだろ」
マリエルは唇を噛んだ。
「……怖かったの。ユリウスに反対して、パーティーを外されたらと思うと。私は神殿に戻れない。勇者一行の聖女でなくなったら、もう行く場所がないから」
話し終えた彼女は、泣きそうな顔で俯いた。
隣にいたヴァレッタが、深く息を吐く。
「私はラウルが追放されたら、自分の取り分が増えると思ったわ。実際には修理代が増えて、野営の仕事まで回ってきただけだったけれど」
「ヴァレッタ、今それを言う必要があるのか?」
「綺麗な理由を並べるよりましでしょう。私たちは全員、ラウルなら黙っていなくなると思っていた。反論しない相手へ責任を押しつけるのが、一番楽だったのよ」
勇者パーティーの四人は、魔王を倒すという同じ目的で集まった。
だが、同じ目的を持っていることと、互いを信頼していることは別だったらしい。ひとつ亀裂が見つかると、その奥から、見ないふりをしていた歪みが次々に覗いてくる。
「何なんだ、お前たちは……」
ユリウスの声から、怒りよりも困惑が強くなっていた。
「今になって、全て俺のせいだと言うのか? 俺は勇者だぞ。決断するのが俺の役目だった。お前たちが何も言わないから、俺が正しい道を選び続けるしかなかったんだ!」
「誰も、全てあなたのせいだとは申しておりません」
セラが答えた。
「ラウルを追放したとき、わたくしは声を出せなかった。ガルド様は面倒を避け、マリエル様は居場所を失うことを恐れ、ヴァレッタ様はご自分の利益を考えた。それぞれに罪があるのでしょう」
「なら、やり直せばいい。今度はお前の修復にも時間を取る。ラウルをパーティーへ戻すことも考えてやる」
「考えてやる?」
自分でも驚くほど低い声が出た。
「戻してほしいなんて、一言も言っていない」
「意地を張るな。辺境で修理屋をして一生を終えるつもりか? 魔王討伐を果たせば、お前の名前だって歴史に残る。罪も取り消してやれる」
「壊してもいない聖剣を壊した罪を、お前の慈悲で取り消してもらう気はない」
「では、どうしろというんだ!」
「まずセラに謝れ」
ユリウスは口を閉じた。
「聖剣を壊したことじゃない。壊れるまで声を聞かなかったことを謝れ。話はそこからだろ」
「俺が、剣に?」
その短い言葉で、もう答えは出ていた。
セラの表情から、わずかに残っていた期待が消える。
アギスが腕を組んだまま鼻を鳴らした。
「坊や、神造神器との契約は服従の誓いじゃない。人と神器が互いを選び、力を預け合う約束だ。そんなことも教わらなかったのか?」
「俺を坊やと呼ぶな。それに契約なら、俺の手に勇者の紋章がある!」
ユリウスが右手の甲を掲げた。
金色の紋章が光を放つ。剣と翼を組み合わせた、教会が勇者の証として国中へ広めている印だ。
光を見た瞬間、セラの身体が揺れた。
「セラ?」
「近寄るな、ラウル!」
ユリウスが紋章をセラへ向ける。
「聖剣セラフィナに命じる。契約に従い、勇者のもとへ戻れ!」
金色の光が鎖の形となり、セラの胸元へ絡みついた。
彼女は苦しそうに息を詰め、膝をつく。
「やめろ!」
「見ろ。契約はまだ生きている。俺が正当な所有者だという証拠だ!」
「それは契約じゃない」
ヘスティアが震えていた。
アギスの後ろに隠れながら、それでもユリウスの紋章から目を逸らさない。
「それ、教会の鍵。わたしの箱についていたのと同じ。言うことを聞かせるための、鍵……」
「子供の戯言だ!」
「この子は神造炉だ。神器の術式についてなら、お前より詳しい」
俺はセラのそばに膝をついた。
触れようとして、手を止める。
昨夜までの俺なら、何も聞かずに修復を始めていたかもしれない。それが正しいと思い込み、本人の答えを待たなかった。
「セラ。触れてもいいか?」
苦しそうに顔を上げたセラが、ほんの少し笑った。
「はい。お願いします」
俺は彼女の手を握った。
スキル《原型復元》を通して、セラの内部へ意識を伸ばす。金色の鎖が、彼女の核へ無理やり食い込んでいた。
だが、これは彼女の一部ではない。
最初からあったものでも、壊れたものを補うための部品でもない。聖剣が拒絶できない状態を作り、その上から契約と呼んでいるだけだ。
「セラは壊れてない」
「何を言っている?」
「壊れているのは契約のほうだ。もともと二人で結ぶはずの約束を、片方の命令だけで繋ぎ止めている。こんなもの、契約とは呼べない」
「お前が決めることじゃない!」
「ああ。俺が決めることでも、お前が決めることでもない」
俺はセラの手を握ったまま、彼女の目を見た。
「セラが決めてくれ」
「ラウル……」
「俺への恩も、この村のことも考えなくていい。ユリウスのもとへ戻りたいなら、俺は止めない。ここに残りたいなら、あの鎖を外す方法を探す。俺のそばにいたくないなら、それでもいい」
「そこで最後の選択肢まで用意するのが、あなたの悪い癖です」
「選択肢は多いほうがいいだろ」
「多すぎれば迷います」
「じゃあ、少し待つ。急がなくていい」
「いえ。もう決まっています」
それでもセラは、すぐには答えなかった。
苦しげに眉を寄せ、ユリウスへ顔を向ける。
「ユリウス様。わたくしは、あなたを憎んでいるだけではありません」
「なら――」
「最後までお聞きください」
セラの声には、痛みと一緒に、ひどく人間らしい迷いが滲んでいた。
「初めてわたくしを振るった夜、あなたは眠らずに刃の血を拭ってくださいました。手入れの方法など何もご存じなくて、油を塗りすぎて、翌朝ラウルに叱られていましたね」
「そんな昔のこと……」
「山村が魔物に襲われたときは、ご自分も負傷していたのに、最後の子供が逃げるまで退かなかった。あの頃のあなたは、勇者になろうとしていた。わたくしも、この人となら多くの命を守れるかもしれないと信じていたのです」
ユリウスの顔に、わずかな希望が浮かぶ。
「だったら、もう一度――」
「だからこそ、あなたが変わっていくのが悲しかった」
希望が止まった。
「あなたはいつからか、助けを求める声より、勇者を称える声を聞くようになった。仲間の忠告より、民衆の期待を選んだ。そして最後には、わたくしの痛みさえ、勇者のためなら当然の犠牲だと考えた」
「俺は変わっていない」
「それなら、わたくしが見誤っていたのでしょう」
セラは俺の手を握り返した。
「わたくしは、あなたの剣には戻りません」
金色の鎖が激しく輝く。
ユリウスは紋章を押さえ、必死に命令を重ねた。
「契約は俺を選んでいる! セラフィナ、命令だ。戻れ!」
「お断りします」
「俺は勇者だぞ!」
「勇者である前に、あなたは一人の人間です。そしてわたくしは、聖剣である前に、意思を持つ一つの存在です」
「聖剣が勇者を拒むなど、許されるはずがない!」
「その『許さない』という言葉を、わたくしはもう聞き飽きました」
セラの身体から、銀色の光が溢れ出した。
俺の手の中で、彼女の指が剣の柄へと変わっていく。人の姿を捨て、折れる前よりも美しい一振りの聖剣となって、俺の手に収まった。
ただし、俺が掴んだのではない。
セラのほうから、俺の手を選んだのだ。
『ラウル。わたくしは、あなたのそばにいたい』
声が直接、胸の奥へ届く。
『所有されたいのではありません。あなたとなら、誰を守るために力を振るうのか、何を斬らずに済ませるのか、一緒に悩めると思うのです』
「俺は勇者じゃないぞ」
『存じております』
「剣の扱いも、ガルドより下手だ」
『それも存じております』
「そこは少しくらい否定してくれてもいいんじゃないか?」
『嘘をつくなと、先ほどハンネ様に叱られていたではありませんか』
こんなときまで妙に律儀だ。
だが、その声は笑っていた。
『わたくしが選ぶのは、勇者の称号ではありません。痛いと言ったときに、手を止めてくれる人です』
銀色の光が、金色の鎖を内側から押し返す。
「やめろ、セラフィナ!」
『さようなら、ユリウス様』
澄んだ音が響いた。
剣と剣がぶつかった音ではない。
薄い氷に亀裂が走ったような、あまりにも小さな音だった。
ユリウスが目を見開き、自分の右手を見る。
勇者の証である金色の紋章。
その中央に、一本の黒い亀裂が入っていた。
「嘘だ……」
ユリウスの声が震える。
亀裂はゆっくりと枝分かれし、勇者の紋章全体へ広がっていく。
「待ってくれ。それがなくなったら……」
彼は誰に尋ねるでもなく呟いた。
「勇者じゃなくなったら、俺は何になるんだ?」
その問いに、答える者はいなかった。




