第4話 声なき光
淡い陽光が中庭の石畳を照らし、風に揺れる若葉がきらきらと光を散らしていた。
乳母のマルタに抱かれながら、その移ろいを眺める。
生後七か月。身体はまだ自由にならないが、意識は昨日から一つの問いへ向き続けていた。
言葉を発さなくても、魔術は成立するのか。
マルタが庭の木陰に敷物を広げ、僕をそっと座らせる。
「いいお天気ですねえ、坊ちゃま」
穏やかな声を聞きながら、意識を身体の内側へ向けた。
呼吸に合わせて巡る、温度のない流れ。魔力。母が光を灯す時、この流れは指先へ集まり、その直後に周囲の揺らぎが反応する。
何度も観察してきた順序を思い返し、体内を巡る魔力の一部を右手へ導いてみる。
強く集めようとすると、流れはすぐに崩れた。
(違う。押し込むんじゃない)
一度解き、やり直す。
もともとの循環を乱さず、そこから細い枝を伸ばすように指先へ導くと、皮膚の奥にかすかな痺れが残った。
次は、その外側。
母の魔術でいつも反応している、空間の揺らぎへ意識を向ける。指先に集めた魔力を、ほんのわずかに触れさせた。
何も起こらない。
ただ、周囲の揺らぎが微かに動いた。
(……反応はした)
同じ手順をもう一度繰り返す。
体内の流れを崩さず、指先へ導き、空間へ触れさせる。その状態で、母の指先に浮かぶ淡い光を思い浮かべた。
――ふっ。
白い点が灯った。
米粒ほどの小さな光。輪郭は頼りなく揺れ、周囲を照らすほどの明るさもない。それでも確かに指先の少し先へ浮かんでいる。
(……できた)
心臓が大きく跳ねる。
呪文は唱えていない。それでも現象は起きた。少なくとも、声に出して決められた言葉を唱えること自体は、魔術を成立させる絶対条件ではないらしい。
だが、一度だけでは偶然を否定できない。
光を消し、少し間を置いてから、同じ手順を繰り返す。
再び、白い光が灯った。
(……再現した)
今度こそ胸に確かな手応えが落ちる。
とはいえ、分かったのはそこまでだった。
なぜ光が生まれたのか。指先から出した魔力がそのまま光になったのか、周囲で反応した揺らぎが何かをしているのか。
母の光と同じ仕組みなのかさえ、まだ判断できない。
ひとつ確かめれば、次の問いが見えてくる。
その瞬間、白い光が大きく揺らぎ、ぷつりと消えた。同時に全身から力が抜け、身体が傾く。
「坊ちゃま?」
マルタが慌てて支えてくれた。
呼吸が浅い。米粒ほどの光を二度灯しただけなのに、胸の奥にははっきりとした重さが残っている。
(……負荷が大きすぎる)
母はもっと大きな光を、長く、何の苦もなく維持している。身体や魔力量の違いはあるだろう。
それでも、それだけで説明できるのか。
僕の方法そのものに、何か無駄があるのかもしれない。
「……まあ」
マルタが息を呑んだ。
消えきらなかった白い光の残滓が、指先の周囲でほどけている。
「今の……坊ちゃまが?」
見られていたらしい。
「奥様に、お知らせしなければ……!」
マルタは僕を抱き上げ、足早に屋敷へ戻っていった。
(想定より早かったな)
隠し続けるつもりはなかった。それに、僕が再現しようとしたのは、もともと母が見せてくれた光だ。
母なら、少なくとも僕を遠ざけることはないと思いたかった。
◇
夕刻。
母は部屋へ入ると、揺り籠の前で足を止めた。いつもの穏やかな微笑みはなく、戸惑うような色が目に浮かんでいる。
「……マルタから聞いたわ」
椅子へ腰を下ろし、僕の髪へそっと触れる。
「あなたが、詠唱もせずに光を灯したって」
指先はあたたかい。けれど、その動きにはわずかな迷いがあった。
母はしばらく僕を見つめ、やがて視線を伏せる。
「……あの人は、あれほど……」
小さな呟きは途中で途切れた。
あの人。
おそらく父のことだろう。
何を思い出したのかまでは分からない。ただ、その声に混じる寂しさだけは感じ取れた。
胸の奥がわずかに冷える。
けれど、止まっていた手は再び動き始めた。
「……いいのよ」
今度の声には、迷いがなかった。
「あなたは、私の大切な子」
その一言とともに、張り詰めていた身体から力が抜けていく。
昼間の実験を思い返す。
呪文がなくても、光は生じた。けれど、仕組みも、あの疲労の理由も分からない。
(……まだ、分からないことばかりだ)
それでも、一つだけ前へ進んだ。
母の指が髪を撫でるたび、思考の輪郭が薄れていく。
眠りへ落ちる直前まで、瞼の裏には小さな白い光が残っていた。




