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転生博士の魔術原論 ~魔術適性ゼロの子爵家に生まれた少年は魔術を再定義する~  作者: 式部 夜未
第六章 雷の固有解を求めて

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幕間 菫の輪郭

 王城からの呼び出しは、あまりにも突然だった。


 父からの使いだと聞いた時、エルヴィーラ・ドルンベルクは思わず背筋を伸ばした。王城へ来い。ただし、詳しいことは問うな。伝えられたのはそれだけで、何が待っているのかは何も知らされなかった。


 父は無駄なことをする人ではない。


 乱暴で、大雑把で、細かな気遣いを言葉にするのは不得手。母からはよく「あなたはもう少し説明というものを覚えなさい」と叱られている。それでも、大切な場面で間違える人ではなかった。


 だから、エルヴィーラは王城へ来た。


 案内されたのは、屋外訓練場を見下ろす上階の一室だった。広い窓は厚い硝子で閉ざされ、訓練場の声までは届かない。


 下では近衛の魔術師たちが忙しく動き、中央には胸当てと兜をつけた木人が三体並べられていた。その周囲には、幾重にも結界が張られている。


 そして、そこに父がいた。


 ジークフリート・ドルンベルク。


 栗金色の髪と菫色の瞳。王城の洗練された空気の中にあっても、戦場の土の匂いをまとっているような人だった。


(お父様が、魔術を使う)


 そう気づいた瞬間、胸が高鳴る。


 娘だからといって、父の本気の雷魔術を何度も見られるわけではない。幼い頃から数えても、ほんの数回。空が割れたような轟きと目を焼く閃光を目にするたび、幼いエルヴィーラは胸を震わせた。


 いつしか父の背中は、憧れと畏れを抱く象徴になっていた。


 それを、今日ここで見せてくれる。


 もしかすると、あの日のことで落ち込んでいる自分を励ますためかもしれない。そう思うと、胸の奥がじんと熱くなった。


 お父様は不器用だ。慰めの言葉を並べるくらいなら、自分の雷を見せて立てと言う人だろう。けれど、それが父らしい。


 訓練場で、ジークフリートが右手を上げた。


 離れているのに、何かが変わったのが分かる。


 声は届かない。詠唱も聞こえない。それでも、父の魔力が大きく動き、それに応じるように周囲の魔力まで一斉に変化したことだけは感じ取れた。


 厚い硝子と結界を隔てていてなお伝わってくるほど、大きな変化だった。


 白青い光が父の腕へ絡みつく。枝分かれし、弾け、消えてはまた生まれる。


 まだ雷は放たれていない。


 それでも、その前兆だけで胸が震えた。


 怖くて、美しくて、どうしようもなく誇らしい。


(これが、ドルンベルクの雷)


 父の腕が振り下ろされた。


 世界が白く染まる。


 一拍遅れて轟音が届いた。厚い硝子越しに大きく弱められているはずなのに、それでも腹の底まで響く。窓がびりびりと震え、卓上の杯が小さく鳴った。


 木人が雷に呑み込まれている。


 一体目の鎧が赤く焼け、二体目の肩から腰へ光が走る。三体目の金具が弾け飛び、背後の土壁に黒い傷を刻んだ。周囲の結界にも白い光が走り、近衛の魔術師たちが慌ただしく維持へ回っている。


 圧倒的だった。


 ただ強いだけではない。


 父が戦場で磨き、その前の世代からドルンベルク家が受け継いできたもの。長い年月の鍛錬と、家の誇り。それらが一つの雷として目の前にある。


「……やっぱり、お父様はすごい」


 思わず声が漏れた。


 自分も、あそこへ行きたい。


 いつか、あの雷へ届きたい。


 幼い頃から抱いてきた思いが、胸の奥でもう一度強く灯る。沈んでいた心へ、父の雷が火を入れてくれたような気がした。


 その時だった。


 訓練場の端に、別の人影が現れた。


 細身の少年。


 見間違えるはずがない。


 ユリウス・ヴァルディエル。


 胸に灯ったばかりの熱が、急に形を歪めた。


 あの日の光景が蘇る。


 雷魔術専用の訓練場で、ユリウスは自分なりの方法から雷を生み出した。エルヴィーラが幼い頃から追い続け、ようやく近づいてきたものへ、彼はまるで別の方向から手を伸ばしてきた。


 悪意がなかったことは分かっている。


 簡単にやってのけたわけでもないことも、今なら少し分かる。


 それでも、あの日は、自分が積み上げてきたものすべてを置いていかれたように感じた。


 今は、見たくない。


 エルヴィーラが窓から顔を背けようとした時だった。


「見ないの?」


 柔らかい声がした。


 振り向くと、部屋の入口に深紅の髪の女性が立っている。


「カティア様……?」


 カティア・ヴァレンティナ。


 ヴァレンティナ侯爵家の令嬢であり、今は王国軍務院に身を置く女性。幼い頃から何度も社交の場で姿を見てきた。


 いつも穏やかで、美しい。


 けれど、ただ華やかな場所に飾られているだけの人ではなかった。大人たちの話を静かに聞き、必要な時だけ短く言葉を挟む。その一言で空気が整うところを、幼いエルヴィーラは何度も見ている。


 強くて、優しくて、誰かのために迷わず動ける。


 ずっと憧れていた人だった。


「久しぶりね、エルヴィちゃん」


 カティアが微笑む。


 その呼び方だけで、幼い頃の記憶が蘇った。まだ背が低かった頃、茶会の庭で迷子になりかけた自分の手を取ってくれたのも、この人だった。


「ど、どうしてカティア様がここに……」


「どうしてだと思う?」


 答えになっていない。


 けれど、柔らかく微笑まれると、それ以上問い返しづらい。


 カティアは窓際へ歩み寄り、エルヴィーラの隣に立った。


「ほら、見て。エルヴィ」


「でも……」


「嫌?」


 責める声ではない。


 ただ、答えを待っている。


 エルヴィーラは唇を噛んだ。


「……嫌です」


 口にした途端、ひどく情けないことを言ったような気がした。それでも、カティアの前では嘘をつけなかった。


「見たくありません。あの人が雷を使うところなんて。だって、また思い知らされるだけです。私がどれだけ遠くても、あの人は別の道からそこへ行ってしまう」


 声が震える。


「私がずっと追いかけてきたものを、あの人は血筋もなく、家の積み重ねもなく、理屈だけで……」


 そこまで言って、言葉を止めた。


 違う。


 ユリウスにも、積み上げてきたものがある。


 彼の家があり、過ごしてきた時間がある。自分の頭で考え、自分の手で何度も試してきた。あの落ち着いた目の奥にどれほどの失敗や研鑽があるのか、エルヴィーラも少しだけ知ってしまった。


 だからこそ苦しい。


 相手の努力を否定できないまま負けることは、ただ悔しいよりもずっとつらかった。


 カティアは、すぐには答えなかった。


 代わりに、そっとエルヴィーラの手へ触れる。


「エルヴィ」


「……はい」


「あなたは強いわ」


 胸が痛んだ。


「強くなんてありません。私は、泣きました」


「泣いても、強い人はいるわ」


 カティアは静かに言う。


「本当に大切なものを傷つけられたと思った時、涙が出るのはおかしなことじゃない。あなたが弱いから泣いたんじゃないわ。それだけ大切にしてきたものがあったからでしょう?」


 何も答えられなかった。


 その声は優しかったが、甘やかしてくれているわけでもない。


「でも、ここで目を背けたら、あなたはずっとあの瞬間に置いていかれる」


 エルヴィーラは俯いていた顔を上げた。


「だから見て。ユリウスが何をするのか。あなたを傷つけた相手が、何を見て、何を考えて、どんな雷を作ったのか」


 しばらく迷ってから、もう一度窓へ向き直った。


 訓練場には新しい木人が用意されていた。


 その中央へ、ユリウスが歩いていく。


 父とは、何もかもが違う。


 ジークフリートは、立っているだけで周囲まで大きく見える。雷を従わせるというより、積み重ねてきた圧倒的な技量によってねじ伏せているようにさえ感じる。


 対してユリウスは、驚くほど静かだった。


 大きく構えることも、力を誇示することもない。訓練場の中央に立ち、ただ標的を見ている。


 何をしているのか、エルヴィーラには分からない。


 彼がどんな条件を整え、何を確かめているのかまでは見えない。


 それでも、やがて右手が上がった。


 指先に、小さな白青い光が生まれる。


 父の雷とは似ても似つかない。


 荒れ狂わない。


 周囲へ無数の枝を伸ばすこともない。


 小さな光が一点に留まり、そこだけが異様なほど鮮明に輝いている。


 宝石の中へ雷を閉じ込めたようだった。


 ユリウスの腕が動く。


 閃光。


 一本の白青い線が、訓練場を貫いた。


 光を見たと思った時には、もう終わっていた。


 遅れて衝撃が届く。


 厚い硝子が大きく震え、エルヴィーラは反射的に窓枠を掴んだ。それでも、目は逸らさなかった。


 中央の木人は胸のあたりから大きく吹き飛び、背後の土壁には黒い傷が刻まれている。左右の木人は立ったままだった。


 父の雷とは違う。


 ジークフリートの雷が嵐のように押し寄せるものなら、ユリウスの雷は一本の光だった。


 細く、速く、まっすぐに狙った場所へ届く。


「……すごい」


 気づけば、そう呟いていた。


 悔しさより先に、言葉が出た。


 見たくなかったはずなのに、見惚れていた。


 自分の知っているドルンベルクの雷とは、まるで違う。


 だからこそ、目が離せなかった。


 カティアが隣で小さく微笑む。


「見られたわね」


「……はい」


「どうだった?」


 すぐには答えられなかった。


 悔しい。


 羨ましい。


 少し怖い。


 それでも、胸の中にあるのはもう、それだけではなかった。


「すごかったです。……悔しいくらいに」


「そう」


 カティアは嬉しそうに頷いた。


「それなら、大丈夫ね」


「大丈夫、ですか?」


「ええ。ちゃんと悔しいと思えるなら、まだ前を向けるわ」


 カティアは訓練場へ目を向けたまま続ける。


「ユリウスには、あなたにないものがある。現象を分けて考えて、条件を調べ、理論から魔術を組み直す力。あれは間違いなく、彼の強みよ」


 痛い言葉だった。


 けれど、不思議と突き放された気はしなかった。


「でも、エルヴィ。あなたにも、ユリウスにはないものがある」


「私に……?」


「ドルンベルクの血を受け継いだあなた自身の適性。幼い頃から積み上げてきた鍛錬。雷を何度も扱って、身体で覚えてきた感覚。そして、お父様の背中を追い続けてきた時間。それは、ユリウスが理論を知っているからといって、そのまま手に入れられるものではないわ」


 エルヴィーラは黙って聞いていた。


「ユリウスの理論を学ぶことは、あなたが大切にしてきたものを捨てることじゃない。むしろ、あなたがそれを学んだら、ドルンベルクの雷は今より先へ行けるかもしれない」


「……先へ?」


「ええ」


 今まで考えたこともなかった。


 父へ追いつくことばかり考えていた。


 ジークフリートと同じ雷を使えるようになること。その完成度を上げ、少しでも父の背中へ近づくこと。


 それが、自分にできる最高の道だと思っていた。


 けれど、もし。


 父から受け継いだ感覚と、ドルンベルク家が積み重ねてきた術式へ、ユリウスの理論を加えたなら。


 ただ父と同じ場所へ辿り着くのではなく、自分なりの雷を作れるのかもしれない。


 考えただけで、胸の奥にわずかな熱が灯った。


「カティア様」


「なあに?」


「私、もう一度……あの人と話してみたいです」


 口にすると、まだ少しだけ胸が痛んだ。


 悔しさが消えたわけではない。何を言えばいいのかも分からない。


 それでも、今度は目を逸らさずに話してみたいと思った。


「ええ」


 カティアは柔らかく頷く。


「でも、急がなくていい。悔しかったことも、傷ついたことも、なかったことにしなくていいの。ただ、今日ちゃんと目を逸らさずに見られたことは、覚えておきなさい」


 エルヴィーラは、もう一度訓練場を見下ろした。


 下では、ジークフリートがユリウスの頭を乱暴に撫で回している。声は聞こえないが、父が大笑いしているのは表情だけで分かった。対するユリウスは、どう反応すればいいのか分からないらしく固まっている。


 思わず笑ってしまう。


「お父様ったら……」


「嬉しそうね」


「はい。たぶん、ものすごく」


 父はユリウスの雷を認めたのだ。


 なら、自分も見なければならない。


 悔しいから目を逸らすのではなく、悔しいからこそ、その理由を知る。


 そして、いつか自分の雷へ取り込む。


 まだ、どうすればいいのかは分からない。


 ユリウスに何を言えばいいのかも、どんな顔で会えばいいのかも決められない。


 それでも、少し前までとは違っていた。


「エルヴィ」


 カティアがそっと呼ぶ。


「あなたの雷も、きっと綺麗になるわ」


 エルヴィーラは深く息を吸い、窓の向こうへ目を向けた。


 父が受け継いできた雷。


 ユリウスが理論から作った雷。


 そのどちらとも違う、自分がいつか辿り着く雷。


 今はまだ形さえ見えない。


 それでも、そこへ至る道が一つだけではないことを、エルヴィーラはもう知っていた。

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