第29話 白穿
お前だけの雷。
ジークフリートの言葉が、訓練場に残った熱の中へ響いていた。
その言葉を胸の内で繰り返しながら、焼け焦げた木人へ目を向ける。金属の胸当ては黒く歪み、土壁には枝分かれした雷の跡が残っていた。
これをそのまま再現することはできない。
ジークフリートの雷は、血統固有の魔力特性と身体感覚、受け継がれてきた詠唱、そして長年の鍛錬が一体になったものだ。一度見ただけで、その成立過程をすべて理解できるはずがない。
けれど、同じものを作る必要もない。
「標的を替えろ」
ジークフリートの声に、近衛たちが動き出した。焼けた木人が撤去され、代わりに三体の新しい標的が運び込まれる。革で補強された木人に金属製の胸当てと兜。中央の一体だけは、胸元へさらに厚い金属板が重ねられていた。
周囲では近衛の魔術師たちが防護術式を張り直している。
一度、目を閉じた。
ジークフリートの雷は強かった。
広い範囲へ枝分かれし、複数の標的を巻き込みながら戦場を制圧する。あれは何代にもわたって磨かれ、さらに彼自身が実戦の中で完成させた雷だ。
なら、僕の雷は。
自分がこれまでやってきたことを思い返す。
現象を見る。
何が起きたのかを分ける。
条件を変え、結果を比べる。
分からないものは分からないまま残し、それでも確かめられる部分から組み上げる。
僕にできるのは、それだ。
目を開く。
「少し、距離を取っていただけますか」
ジークフリートの菫色の瞳が愉快そうに細められた。
「言うじゃねえか」
彼が下がると、レオニス殿下も近衛へ視線を送り、観覧位置がさらに後ろへ移された。
僕は訓練場の中央へ進む。
木人までの距離。風向き。空気の湿り気。床と壁面に設けられた金属部。防護術式の位置。そして、標的の中央に取り付けられた金属板。
一つずつ確認する。
雷は、ただ強い電気を放てば狙った場所へ届くわけではない。
空気は本来、電気を通しにくい。
大きな電位差を作ったとしても、途中で別の経路が通りやすければ放電はそちらへ逸れる。狙った一点へ届かせたいなら、発生させる電位差と、そこへ至る経路の両方を整える必要がある。
右手を上げる。
まず、体内魔力を一定の状態へ整えた。
それを起点に、周囲の魔力が応答し始める。
すべてを支配する必要はない。僕が制御するのは、右手の先から標的までの細い領域だけだ。
まず、指先からわずかに離れた空間へ、放電の始点となる狭い領域を作る。そこから標的の金属板まで、魔力を介して電荷分布へ干渉し、両者の間に差を作った。
まだ放電は起こさない。
先に、道を作る。
標的へ至る細い領域だけ、空気が絶縁を破りやすい状態へ近づける。完全に導体へ変えるわけではない。他の場所より、ほんの少し電気が流れやすければいい。
前にエルヴィーラと試した時は、ここまでで十分だった。
今回は、さらに先へ進む。
目的は広い範囲を焼くことではない。中央の金属板、その一点へできる限り流れを集中させることだ。
「条件設定」
小さく呟く。
詠唱そのものが必要なわけではない。それでも、言葉にすることで、自分が何を操作するのかを切り分けやすくなる。
作用範囲、放電経路、電位差、着弾点。そして、着弾後の逃げ道。
標的へ届いた電流が周囲へ無秩序に散れば、余計な場所まで焼く。だから金属板へ達した後は、その奥を抜け、最終的に床へ流れる経路まで含めて組んだ。
逃げる力をなくすのではない。逃げる場所を決める。
体内魔力を制御の起点として、周囲の魔力の応答を揃えていく。右手の少し先と標的との間で電荷の偏りが大きくなり、髪の先がわずかに持ち上がった。金属板の表面にも細かな白い火花が生まれ、すぐに消える。
このままでは、途中で枝分かれする。
経路をさらに絞った。
僕の雷は、ジークフリートのように広がる必要はない。一つの標的へ、確実に届けばいい。
周囲の魔力の応答を強めるほど、こちらの制御にも負荷が返ってくる。額に汗が滲む。それでも、制御できる範囲を越えてはいけない。
大きくすることが目的ではない。
必要なところへ、必要なだけ。
右手の少し先で白青い火花が弾け、細い光が一点へまとまって何度か短く明滅した。ジークフリートの雷と比べれば、あまりにも小さい。
けれど、それでいい。
「一点へ」
息を吐く。
標的までの経路が、一つに繋がった。
右手を振り下ろす。
「――行け」
白青い閃光が走った。
光が見えたと思った時には、すでに標的へ到達していた。枝分かれすることなく、一本の細い線が右手の先から中央の金属板へ突き刺さる。
直後、轟音が来た。
耳栓越しにも空気を叩く音が伝わり、金属板の中心が白く輝く。狭い場所へ集中した電流によって金属の一部が赤熱し、その奥の木材から破裂音が響いた。
木人の胸元が後方へ弾ける。
金属板には丸い穴が開き、その縁が赤く焼けていた。背後の木材も一直線に裂け、破片が土壁へ飛び散っている。
左右の木人は、立ったままだった。
表面へ細かな火花が走った跡こそあるが、大きな損傷はない。
中央だけ。
狙った一点だけに、結果が集中している。
遅れて焦げた匂いが届いた。
防護術式の表面には淡い波紋が残っていたが、ジークフリートの雷を受けた時ほど大きく揺れてはいない。
右手を下ろす。
指先がわずかに震えていた。
体内魔力の消耗も大きい。周囲の魔力を長く同調させ、その応答を細い領域へ維持し続けたせいか、頭の奥にも鈍い熱が残っている。
けれど、制御は最後まで崩れなかった。
狙った場所へ届いた。
余計な標的を巻き込まず、必要な一点へだけ作用させた。
「……できた」
思わず声が漏れる。
訓練場は静まり返っていた。
エリオン殿下は口を開いたまま、標的を見ている。エルネストも何か言いかけたまま黙っていた。
レオニス殿下だけが、表情を変えずに中央の木人を見つめている。
その中で、ジークフリートが歩き出した。
大柄な身体が、まっすぐこちらへ近づいてくる。
何かまずかっただろうか。
威力は想定より大きかった。王城の訓練場で試すには、もう少し抑えるべきだったかもしれない。
そんな考えが浮かんだ時、大きな手が伸びてきた。
反射的に肩が跳ねる。
その手は、僕の頭へ置かれた。
「……え?」
ぐしゃり、と髪をかき回される。
「はっはっはっ!」
ジークフリートの笑い声が訓練場に響いた。
「いい雷じゃねえか、小僧!」
「ドルンベルク卿、あの、頭が……」
「細ぇし、派手さもねえ。俺のとはまるで違う」
なおも乱暴に頭を撫でられる。
「だが、狙った一点へあれだけ綺麗に通しやがった。周りをほとんど巻き込まずにな」
ジークフリートは、中央の標的を見る。
「俺の雷で同じことをやれって言われりゃ、そりゃできる。だが、今のお前みたいなやり方にはならねえ」
それは、先ほど彼自身が求めた答えだった。
ドルンベルクの雷を真似たわけではない。
同じ自然現象へ、別の道から辿り着いた。
「よくやった」
まっすぐな言葉だった。
「……ありがとうございます」
するとジークフリートが、唐突に話題を変えた。
「ところでお前、うちのエルヴィはどうだ?」
「……はい?」
思考が止まる。
「気が強ぇし、負けず嫌いだし、すぐ意地を張る。だが根性はあるし、顔も悪くねえ」
「いえ、その……エルヴィーラ様は立派な方だと思いますが」
「そうかそうか。見る目があるな」
満足げに頷かれた。
横を見ると、エリオン殿下が明らかに笑いを堪えている。エルネストはなぜか空を見ていた。レオニス殿下だけが、額へ手を当てている。
「まあ、これだけ優秀ならエルヴィにはもったいねえか!」
「いえ、そういう話では」
「分かってる分かってる。父親の軽口だ。真に受けるな」
絶対に分かっていて言っている顔だった。
ひとしきり笑うと、ジークフリートは僕の頭から手を離し、レオニス殿下へ向き直った。
「殿下」
「何だ、ドルンベルク卿」
先ほどまで笑っていた声に、再び武人らしい重さが戻る。
「こいつは、王国でちゃんと守った方がいい。雷の威力だけの話じゃねえ。今のを見ただろう。俺の術を真似したわけでもねえのに、現象を見て、自分のやり方で別の雷を作った」
ジークフリートは、穴の開いた金属板へ顎をしゃくる。
「こんな奴が何を作れるのか分かったら、欲しがる連中はいくらでも出る。妙なところに利用される前に、王国として目を届かせておいた方がいい」
言葉は乱暴だが、意味は分かる。
レオニス殿下は怒るでもなく、静かにジークフリートを見返した。
「相変わらず率直だな、ドルンベルク卿」
「回りくどい話は苦手でしてね」
「知っている」
短く返し、今度はこちらへ視線を向ける。
応接室で向けられていたものより、ずっと深い目だった。
僕が説明した理論。
それが実際に、従来とは異なる方法で魔術を成立させるところまで見られた。
王太子は、その事実をどう見るのだろう。
無意識に背筋が伸びる。
「見事だった」
レオニス殿下が口を開いた。
「ユリウス・ヴァルディエル。君の雷、確かに見届けた」
静かな声だった。
けれど、その一言は、先ほどの雷鳴よりもはっきりと胸へ残った。




