第25話 声なき便り
それから六日が過ぎた。
エルネストの紹介で訪れた工房から、注文していた品が届いた。
太さを揃えて長く延ばした銅線。その表面には薄布を巻き、樹脂を染み込ませてある。さらに、線を壁や床から浮かせるための陶器製の支えも用意してもらった。
仕上がりには多少の粗さがあるものの、学術院内で試すには十分だった。
「いやあ、壮観だね」
エリオン殿下が、研究棟の長い廊下を見渡して言った。
廊下の片側には、陶器の支えが一定の間隔で並んでいる。その上を、薄布と樹脂で包んだ銅線が二本、まっすぐ伸びていた。
行きと戻りの流れを作るための線だ。
二本の銅線は、手元の送信器から廊下の奥に置いた受信器まで、一つの回路を作るようにつないである。こちら側ではそれぞれを二つの金属端子へ、反対側では受信器に巻いた銅線の両端へ接続した。
受信側には鉄芯があり、その周囲を銅線が何重にも巻いている。すぐ前には薄い鉄片を置き、その先に小さな金属板を固定した。
電流が通れば鉄片が引かれて金属板を叩き、止めれば元の位置へ戻る。静かな廊下なら、その音は十分に聞き取れるはずだ。
エルネストは、廊下の途中で陶器の支えを確かめていた。
「ユリウス君、こちらは問題なさそうだ。線は壁に触れていない。支えも安定している」
「ありがとうございます」
「ただ、樹脂の被覆は信用しすぎない方がいいね。湿気が多ければ、流れが逃げるかもしれない」
「はい。今日は晴れていて助かりました」
僕は送信器の前に立つ。
必要なのは、大きな雷ではない。二つの端子の間へ電位差を作り、その間だけ回路へ細く制御した電流を流す。
強すぎれば受信器が大きく跳ね、弱ければ鉄片が動かない。距離が伸びたぶん導線の抵抗も増えているため、前回より少しだけ大きな電位差が必要になるはずだ。
廊下の奥では、エリオン殿下が受信器の横に立っていた。直接触れないよう何度も念を押してあり、護衛の一人も少し離れたところで見守っている。
「では、一度目を行います」
体内魔力を整え、送信器の二つの端子の間へごく短く電位差を作った。
回路に電流が流れる。
廊下の奥で、かち、と音が鳴った。
「鳴った!」
エリオン殿下の声が跳ねる。
思ったよりもはっきり届いた。受信器の鉄片が金属板を叩き、すぐに戻っている。
「一回目、成功だね」
エルネストの声にも興奮が混じっていた。
「ただ、少し強い」
「はい。少し弱めます」
二度目は、流す時間と強さを抑えた。
かち。
短いが、十分に聞こえる。
「今の方がいいね」
「次は少し長く流します」
今度は一拍だけ長く電流を通す。
かち……。
鉄片が引かれている時間が伸び、音の長さも変わった。
「短いのと長いの、聞き分けられるよ!」
「では、符号の試験に移ります」
台の上には、簡単な符号表を置いてある。
まだ文字を一つずつ送るつもりはない。短音や長音、それらの組み合わせに、あらかじめ定型の意味を割り振っただけだ。
「僕が読む係だね」
「殿下だけでは不安なので、護衛の方にも確認していただきます」
「ひどいな」
「念のためです」
エリオン殿下は笑いながら符号表を手に取った。護衛も同じものを確認する。
まず、一度だけ短く流す。
かち。
「了解!」
すぐに答えが返ってきた。
続いて二短音、一長音と順に試す。
『否』。
『緊急』。
どちらも護衛を含め、聞き違えることなく判別できた。
「では、少し複雑なものを」
短く一度。
少し間を置いて、長く一度。
かち。かち……。
「報告求む!」
エリオン殿下の声が、研究棟の廊下に響いた。
エルネストが、記録板を握ったまま大きく息を吐く。
「できてしまったね」
「はい」
「ただの音ではない。意味が届いた」
教授の声は静かだったが、その目は輝いていた。
「鐘楼も見張り台も不要になるわけではない。だが、線で結ばれた場所なら、見えなくても、聞こえなくても、意味を送れる」
廊下の奥から、エリオン殿下が走るように戻ってきた。
「ユリウス、すごいよ! 本当に届いた!」
隠しきれない興奮が声に滲んでいる。
「ありがとうございます。ひとまず、廊下の端までは届きました」
「ひとまず、なんて言い方するんだね。十分すごいと思うけど」
「まだ実験段階です」
僕は銅線へ視線を落とした。
課題は多い。
線の品質や被覆、湿気、断線への対策。距離が伸びれば、中継の仕組みも必要になるかもしれない。
そして、何より大きな問題がある。
現状、この電流を安定して作れるのは僕だけだ。
金属線へ細く一定の流れを通すには、かなり精密な魔術制御が必要になる。
僕一人が使えるだけでは、技術とは呼べない。
「それでも、届いたことは大きいね」
エルネストが記録板へ視線を落とした。
「次は、誰が使っても同じように鳴らせるか。そこが問題になる」
「はい。術式として固定するか、操作手順を整理する必要があります」
エリオン殿下が、少しだけ表情を変えた。
「つまり、ユリウスだけの技じゃ駄目なんだ」
「はい。合図として使うなら、門番でも兵士でも、訓練を受けた者なら扱える形にしなければなりません」
「なるほど。符号だけじゃなくて、使う人も育てないといけないんだね」
「そうなります」
エリオン殿下は、珍しく真剣な顔をしていた。
その少し後ろで、護衛の男が受信器を見つめている。
表情は変わらない。
だが、今の実験が何を意味するのか、理解していないとは思えなかった。
そして、その報告がどこへ届くかも想像できる。
僕は銅線へ視線を落とした。
雷は、言葉を運び始めていた。




