第24話 囁く雷
「なるほどねえ。ユリウスは説明が上手だね」
エリオン殿下は、研究室の椅子に浅く腰かけたまま、感心したように頷いた。
ドルンベルク侯爵邸での一幕から、一日が経っていた。
昨日、雷魔術専用の訓練場で起きたことは、まだ僕の中に重く残っている。エルヴィーラを傷つけるつもりはなかった。それでも、結果として彼女の誇りを大きく揺さぶってしまったことは間違いない。
目の前のエリオン殿下は普段通りだった。
昨日の出来事には触れず、朝から雷魔術について質問を重ねている。僕自身、エルヴィーラの涙についてどう話せばいいのか分からず、その態度に少し救われてもいた。
「偏りを作って、流れやすい道を作る。空気が耐えきれなくなったところで、ぱちんと走る。大体そういうこと?」
「大まかには、その理解で大丈夫です」
僕は頷いた。
正確に言えば、電荷の偏りによって電位差が生じ、空気の絶縁耐力を超えたところで絶縁破壊が起きる。その瞬間、放電経路が形成され、光と熱と音を伴って電流が走る。
ただ、そのまま話しても伝わらない。
エリオン殿下には「偏り」「流れ」「道」という言葉に置き換えて説明した。
「でもさ」
エリオン殿下は、机の上に頬杖をついた。
「ユリウス、その知識はどこから仕入れたの?」
「それは……」
返答が一瞬遅れた。
雷の原理をどこで学んだのかと問われても、この世界で通じる答えは思い当たらない。前世の知識だと説明できるはずもなかった。
「幼い頃から、色々な魔術現象を再現できないか試していました。その中で、雷に近い性質を偶然見つけたことがあります」
かなり苦しい答えだった。
「へえ」
エリオン殿下は、納得したような、していないような顔で僕を見る。
「ユリウスの幼い頃って、聞くたびに普通じゃないね」
「普通の範囲を少し広めに取っていただければ」
「広げても入らないと思うよ」
そこへ、研究室の奥からエルネストの声がした。
「まあ、ユリウス君の幼少期が普通かどうかは、いったん置いておこう」
教授は机の上に置かれた装置を指した。
「それより、その奇妙な輪だ。一体、何に使うつもりなんだい?」
「昨日扱った放電現象の、別の性質を確かめようと思っています」
机の上には、細い鉄棒へ何重にも巻きつけた銅線、その前に置いた薄い鉄片、銅線の両端につないだ二枚の小さな金属端子、樹脂片、陶片、薄布が並んでいた。
昨日のうちに集めたものだ。
エルネストが銅線の巻かれた鉄棒を覗き込む。
「雷の別の性質?」
「はい。昨日は空気中へ大きな電位差を作って、放電として扱いました。けれど、電気の働きは放電だけではありません」
「電気?」
エリオン殿下が聞き返す。
「雷や火花に共通する現象を、僕はそう呼んでいます」
この世界には、まだ電気という概念が体系立てて存在しているわけではない。
今のところは、観測した現象を整理するための名前にすぎない。
「たとえば、金属の中では電気が流れやすい。空気中へ放電させるより、はるかに小さな状態でも流れを作ることができます」
「金属なら雷を呼ぶ、という話とは違うの?」
「金属そのものが雷を引き寄せる、と考えるのは正確ではないと思います。雷がどこへ生じるかには、位置や周囲の状態など、ほかの条件も関わります。ただ、一度電気が流れる経路ができれば、金属は空気よりもずっと流れを通しやすい」
「なるほどね。だから雷雨の時に金属へ触れるな、という話もあるわけか」
「経験則として残っているのでしょうね」
エルネストが興味深そうに頷く。
僕は銅線の端へ触れた。
「この金属線の中を流れる電気の流れを、ひとまず《電流》と呼んでいます」
「電流……」
「強い雷として空気中へ放つ必要はありません。金属の中だけへ、弱く制御した電流を流すこともできます」
エリオン殿下が装置を覗き込んだ。
「それを、そのぐるぐる巻きに流すと?」
「少し離れて見ていてください」
前世の言葉でいえば、単純な電磁石だ。
鉄芯へ巻いた銅線に電流を流せば、その周囲に生じる磁場が重なり、中心の鉄も磁化される。
そこまでを今ここで説明する必要はない。まずは現象を見せればいい。
雷鳴を伴うほどの放電は必要ない。
銅線の両端は、それぞれ二枚の金属端子へつながっている。
僕は体内魔力を起点に、その二つの間へ電荷の偏りを作った。片方へ電荷を寄せ、もう片方との差を保つ。
すると、その偏りを埋めるように銅線の中を電気が流れ始める。
熱を持たせない程度まで出力を絞る。
かち、と音がした。
薄い鉄片が跳ね、銅線を巻いた鉄芯へ吸いついた。
「……くっついた」
エリオン殿下が呟く。
電荷の偏りを解くと電流も止まり、鉄片は自重で離れて元の位置へ戻った。
「もう一度、見せてもらえるかい」
エルネストの声から、いつもの軽さが消えている。
「はい」
再び短く電流を流す。
かち、と鉄片が引かれ、止めれば離れる。
もう一度同じ操作を繰り返すと、エルネストが今度こそ椅子から立ち上がった。
「これは……面白い。実に面白いぞ、ユリウス君」
教授は装置へ近づき、銅線の巻かれた鉄芯をまじまじと見る。
「何もしていない時は、ただの鉄だね?」
「はい。少なくとも、この鉄棒にはもともと鉄片を引きつけるほどの磁力はありません」
「それが、電流を流した時だけ磁石のように振る舞う」
「その通りです」
エルネストの目が細くなる。
「磁石は、磁鉄石の性質として知られている。方位磁針も、磁化した針が一定の方角を指す道具として使われている。だが、雷と同じ性質を持つ流れから、磁石に似た働きが生まれるとは……」
「まだ、確認できた現象は限られています」
「それでも十分だよ。雷、金属、磁石。これまで別々に扱われてきた現象が、同じところで繋がっている可能性がある」
かなり核心に近い。
前世なら、電気と磁気は一つの体系に置かれる。電磁気学。
けれど、この世界でそこまで言うには観測が足りない。
今確かめたのは、電流を流した銅線を鉄芯へ巻くと、その間だけ鉄片を引き寄せる働きが生じる。
それだけだ。
「ユリウス君。これは、どこまで調べている?」
「現時点では、電流を流している間だけ鉄片を引き寄せられるところまでです。電流の強さ、銅線を巻く回数、鉄芯の材質や大きさ、鉄片までの距離。そのあたりは、これから比較する必要があります」
「山ほどあるね」
「はい」
「いいねえ。そういう山は大歓迎だ」
エルネストが楽しそうに笑う。
一方、エリオン殿下は教授ほど学術的な興奮を見せず、僕の顔をじっと見ていた。
「で、ユリウスは、それを何に使うかまで考えてるんでしょ?」
「……殿下は、人の顔を読むのがお好きですね」
「ユリウスが分かりやすいだけだよ」
それは少し心外だった。
「まず、今分かっていることを整理します」
鉄芯へ巻いた銅線を指す。
「電流は金属線を伝わります。そして、銅線を巻いて電流を流せば、その間だけ鉄芯を磁石のように働かせることができる」
「今の鉄片を引いた力だね」
「はい。そして、電流を止めれば、その働きもほとんど失われます」
そこまで言ったところで、エルネストの表情が変わった。
視線が装置から、机の上に残された銅線の束へ移る。
「……待て。ユリウス君。これは、かなり大きな話になるかもしれないね」
さすがに早いが、教授はもう、その先にある使い道の入口を見ている。
「え、待って。今ので何が分かったの? エルネストだけ分かった顔をするの、ずるくない?」
エリオン殿下が声を上げ、こちらへ視線を向けた。
「ユリウス、説明」
「はい」
机の上に残った銅線を持ち上げる。
「長い銅線を用意すれば、離れた場所まで電流を流せます。その先に今と同じ装置を置けば、こちらで電流を流した時だけ、離れた場所の鉄片を動かせる」
エリオン殿下が鉄片を見つめる。
しばらくして、その表情が変わった。
「……それって、合図に使える?」
「可能です」
僕は頷いた。
「合図なら、松明や鐘でもできるね」
エルネストが言った。
「城壁なら松明、町なら鐘、軍なら旗や太鼓を使う。だが、火は雨や霧に弱く、旗は見通しに、鐘や太鼓は音の届く距離に縛られる。銅線を通して電流を送れるなら、その制約を受けずに済む」
「その通りです」
エリオン殿下の目が、見る間に輝いた。
「王城から城門へ。港から倉庫へ。軍務院から兵舎へ。いや、もっと長く伸ばせるなら、国境の砦にも……」
「そこまで行うには、課題が多すぎます」
僕はすぐに釘を刺した。
「銅線を長くすれば、それだけ流れは弱まります。漏れを防ぐ被覆も必要ですし、雨や湿気の影響も受けるでしょう。線が切れれば使えません。誰にでも扱えるようにするには、装置も符号も整えなければなりません」
「符号?」
「はい。鉄片の動きに、あらかじめ意味を決めるんです。短い動き一つで『了解』、二つで『否』、長い動きで『緊急』。組み合わせを増やせば、人名や場所、命令の種類も送れるかもしれません」
エルネストが、深く息を吐いた。
「なるほど。合図そのものは珍しくない。だが、これは合図を送る場所の制約を変えるのか」
「はい」
「見張り台の火でも、鐘楼の音でもない。線で繋いだ先に、任意の合図を出す」
教授は、木枠に巻かれた銅線を見つめた。
「……これは、ただの実験装置では済まないね」




