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転生博士の魔術原論 ~魔術適性ゼロの子爵家に生まれた少年は魔術を再定義する~  作者: 式部 夜未
第四章 孤立系をひらく相互作用

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第23話 菫の残光

「撤回してください」


 エルヴィーラ・ドルンベルクは、菫色の瞳をまっすぐ僕へ向けて言った。


 声は荒くない。高位貴族令嬢としての躾が、怒りの中にも残っているのだろう。けれど、その瞳には明らかな不快感が宿っていた。


「雷を血統によらず再現できるなどと、軽々しく口にするべきではありません」


 市場の向こうでは、まだジークフリート・ドルンベルクの凱旋を迎える歓声が続いている。その熱を背に、彼女は小柄な身体で背筋を伸ばしていた。


「軽んじる意図はありません」


 言葉を選びながら答える。


 エルヴィーラにとって雷は、父の誇りであり、家の歴史でもある。そこへ僕が不用意に踏み込んだことは分かっていた。


 けれど、研究について嘘をつくこともできない。


「ただ、僕が実際に観測し、再現できた現象まで否定することはできません」


「……それは、撤回しないという意味ですか」


「はい」


 エルヴィーラの眉がわずかに寄る。


「あなたは、雷を知らないからそのようなことを言えるのです」


「知らないからこそ、知ろうとしています」


「それが、軽んじていると言っているのです」


 会話は平行線だった。


 僕が雷を自然現象として語るほど、彼女にはドルンベルク家が積み重ねてきたものを分解しているように聞こえるのだろう。


「じゃあ、見せればいいんじゃない?」


 横から、明るい声がした。


 エリオン殿下だった。


「殿下」


「だって、言葉だけじゃ納得できないでしょ。エルヴィーラの家なら、雷魔術用の訓練場くらいあるんじゃない?」


「……ございます」


 エルヴィーラは短く答えた。


「ドルンベルク家は雷を扱う家です。当然、それに相応しい訓練場を備えております」


「なら、ちょうどいいね」


「よくありません」


 思わず口を挟む。


「雷に関わる現象は危険です。軽々しく試すべきではありません」


「その言葉だけは同意します」


 エルヴィーラがすぐに返した。


「だからこそ、ドルンベルクの訓練場で確かめるべきです。安全のための設備がありますから」


 理屈としては正しい。


 普通の広場や研究室で試すより、雷魔術を前提に作られた施設の方がいい。


 エルヴィーラは胸を張った。


「そこまでおっしゃるなら、見せていただきます。あなたが言う、血統によらない雷というものを」


 エリオン殿下が楽しそうに笑った。


「決まりだね」


 決まってしまった。


◇


 ドルンベルク侯爵邸は、王都の中心部から少し離れた高台にあった。


 屋敷そのものは華美ではない。石造りの外壁は厚く、敷地の奥には大きな訓練施設が設けられている。


 貴族の邸宅というより、どこか砦を思わせる造りだった。


 案内された訓練場へ足を踏み入れ、思わず目を細める。


 広い。


 床は分厚い石材で組まれ、ところどころに黒い焼け跡が残っていた。壁面には金属製の導路が這い、四隅に立つ柱も床下へ繋がっているように見える。


 逸れた雷を地面へ逃がすための設備だろう。


 標的は距離ごとに、奥へ行くほど少しずつ横へずれながら斜め一列に並んでいた。奥へ行くほど厚みを増し、最後には鉄芯を持つ頑丈な標的へ変わっていく。


 単に強い雷を撃つための場所ではない。


 危険な力をどう逃がし、どう狙い、どう制御するか。そのために考え抜かれた施設だった。


「……よくできていますね」


「当然です」


 エルヴィーラの表情に、少しだけ誇らしさが戻る。


「雷は、扱い方を誤れば自分も周囲も傷つけます。ドルンベルクでは、幼い頃からそのことを教えられます」


 訓練場の奥には、歴代の記録を刻んだ石板があった。


 エルヴィーラはその一つを見上げる。


「お父様は十五歳の時、五十歩先の鉄標的を一撃で貫かれました」


 声が少し弾んだ。


「今の私の目標です」


 なるほど。


 ここは彼女にとって、ただの訓練場ではない。父が歩んだ軌跡そのものなのだ。


「すごいね。雷専用って感じだ」


 エリオン殿下が壁面の導路を覗き込む。


「殿下、訓練線の内側へは入らないでくださいませ」


「分かってるよ。たぶん」


「たぶんでは困ります」


 珍しく僕とエルヴィーラの意見が一致した。


 殿下が素直に下がったのを確認してから、訓練場の中央へ進む。


「まずは、安全な規模で行います」


「安全な規模、ですか」


「最初に示したいのは破壊力ではありません。雷と呼ばれる現象が、どういう条件で生じるのかです」


 手前の金属標的へ向き直った。


 雷は放電現象だ。


 電荷に大きな偏りが生じると、二つの場所の間に電位差ができる。その差が十分に大きくなり、空気が絶縁体として耐えられなくなれば、一瞬だけ電気の通り道が生まれる。


 光と熱と音を伴って電流が走る。


 僕が再現したいのは、その現象だった。


 体内魔力を整え、標的と指先の周囲へ作用する条件を定める。それを起点に周囲の魔力が応じる状態を作り、金属表面の電荷分布へわずかに干渉した。


 まずは、ごく小さな差でいい。


 ぱちり、と音がする。


 指先から細い白光が跳ね、近くの金属標的の表面で弾けた。


「……それのどこが、雷なのですか」


 エルヴィーラの声には、はっきりと失望が滲んでいた。


「規模が違うだけです。起きている現象は同じです」


「その程度の火花で、ドルンベルクの雷と同じだと?」


「同じ魔術だとは言っていません」


 そこは明確にしておく。


「ドルンベルク家の術式と、僕が使った方法は違います。ただ、結果として生じる放電には共通する部分がある、という意味です」


 エルヴィーラは納得していない顔をしていたが、少なくとも反論はしなかった。


「では、本物の雷をお見せします」


 彼女が一歩前へ出た。


 淡栗色の髪が訓練場を抜ける風に揺れ、小柄な身体へ力が入る。


 三十歩先の金属標的へ右手を向けると、魔力の気配が一気に強まった。


「天を裂く紫光よ。我が血に宿る雷霆よ。ドルンベルクの名のもとに、我が指先へ集い、敵を穿て――《紫電槍》」


 澄んだ詠唱だった。


 何度も繰り返し、呼吸や身体の動きとともに刻み込んできたのだろう。体内魔力の立ち上がりにも迷いがない。


 指先に紫白の光が集まった。


 次の瞬間、雷が走る。


 鋭い音が訓練場を裂き、紫の閃光が三十歩先の標的へ突き刺さった。金属板の表面が弾け、黒い焦げ跡が残る。


 見事だった。


 発動が速く、標的までの経路も安定している。何より、詠唱、身体感覚、魔力の動きが一つの手順としてよく馴染んでいた。


 長い訓練によって磨かれた術式なのだと分かる。


 一方で、現象として観察すれば改善できそうな部分も見えた。


 放電がやや広く、着弾点の周囲へ熱が逃げている。もう少し一点へ電流を集中できれば、同じ規模でも深く作用するはずだ。


 もちろん、今それを口にする必要はない。


「いかがですか」


 エルヴィーラがこちらを向く。


「見事です」


 素直に答えた。


「発動が速いですし、あの距離でも経路が安定しています。かなり訓練を重ねておられるのでしょう」


 菫色の瞳が、ぱっと明るくなる。


 すぐに顎を引いて取り繕ったが、口元までは隠しきれていなかった。


「当然です。ドルンベルクの雷ですから」


 エリオン殿下が楽しそうに手を叩く。


「じゃあ、ユリウスも同じ的を狙ってみようよ」


「殿下」


「撤回するかどうかの話だったでしょ?」


 エルヴィーラも、もう引くつもりはないらしい。


「構いません。ですが、無理はなさらないでください。雷は危険ですから」


 少しだけ余裕を取り戻した声だった。


「同じ条件でなければ、比較になりませんもの」


 僕も三十歩先の金属標的へ向き直り、右手を上げる。


 先ほど手前の標的で起こした小さな放電を、今度はこの距離まで届かせる。


 体内魔力を起点に、指先と標的の間へ電位差を作る。周囲の魔力が応じる範囲を細く絞り、放電が標的へ向かいやすい状態を整えていく。


 《紫電槍》の術式を真似るつもりはない。


 血統固有の魔力特性も、身体感覚も、僕には分からない。確かめられる条件だけを使って、同じ放電現象へ近づけばいい。


 指先で白青い火花が弾けた。


 次の瞬間、雷が走る。


 白い閃光は金属板へ届いたものの、着弾点は中心からわずかに外れ、表面へ斜めの焦げ跡を残した。


 途中で枝分かれした細い光が、床の金属導路へ逃げていく。


 届いた。


 けれど、まだ荒い。


 単純に電位差を大きくすればいいわけではない。途中で別の場所へ放電が逸れるなら、標的までの経路をもっと安定させる必要がある。


 作用させる範囲を少し狭め、もう一度試す。


 二度目の白光は、先ほどより中心に近い場所へ落ちた。金属板が赤く焼け、その周囲へ細かな火花が散る。


「……なるほど」


 条件を変えれば、結果も変わる。


 なら、次は距離だ。


「少し距離を変えます」


 四十歩先。


 距離が伸びると、同じ条件では途中で光が枝分かれした。作用する範囲を修正し、放電が通りやすい領域を改めて探る。


 もう一度。


 白い閃光が走り、今度は標的まで届いた。


 次は五十歩。


 一度目は途中で逸れた。


 風向き。空気の湿り気。周囲の金属設備。


 距離が伸びれば、無視できない条件も増えていく。


 ひとつずつ修正する。


 二度目。


 白青い光が標的へ走り、金属板の中心で弾けた。


 破裂音。


 煙が薄れると、鉄板には小さな穴が開いていた。


 五十歩でも成立した。


 なら、もう少し先まで確かめたい。


 六十歩。


 さらに七十歩。


 距離を伸ばすほど、一度で安定させることは難しくなった。それでも、結果を見ながら条件を修正すれば、放電は少しずつ先へ届いていく。


 六十歩では、二度目の試行で金属板を貫いた。


 七十歩では貫通には至らなかったものの、標的の中央へ白光が届き、深い焦げ跡を残した。


 面白い。


 どこを変えれば結果が変わるのかが、少しずつ見えてくる。


 最後に視線を向けたのは、訓練場の最奥に置かれた黒い鉄柱だった。


 壁面の金属導路や床の設備も近い。放電が逃げられる場所が多い。


 なら、それも条件の一つとして扱えばいい。


 すべての経路を押さえ込もうとせず、標的へ向かう領域だけを周囲よりわずかに通りやすくする。


 体内魔力を整える。


 周囲の魔力が応じる。


 白青い光が訓練場の奥へ走った。


 鉄柱の中心が一瞬だけ白く輝き、遅れて焼けた鉄の匂いが届く。


 そこでようやく、周囲が静まり返っていることに気づいた。


 エリオン殿下は目を輝かせ、身を乗り出している。


「すごい……! すごいよ、ユリウス!」


 一方、エルヴィーラは何も言わなかった。


 菫色の瞳を大きく見開き、最奥の標的と僕を交互に見ている。


 その表情を見て、ようやく思い出した。


 五十歩。


 十五歳だったジークフリート卿が到達した記録。


 彼女が、今の目標だと言っていた距離。


(……やりすぎた)


 僕は勝負をしていたつもりなどなかった。


 条件を変え、どこまで成立するか確かめていただけだ。


 けれど、エルヴィーラから見れば違う。


 自分が追い続けている父の記録を、雷の血統を持たない僕が、その場で試行錯誤しながら越えてしまった。


「……見事、です」


 エルヴィーラが言った。


 声は小さい。


 それでも、彼女はきちんと認めた。


「ですが……私にだって、できます」


 一歩前へ出る。


「エルヴィーラ様」


「できます」


 声は、ほとんど自分自身へ言い聞かせるようだった。


「私はドルンベルクの娘です。お父様の雷を継ぐ者です。できないはずがありません」


 菫色の瞳が潤んでいる。


 右手を掲げると、先ほどよりも強く魔力が立ち上がった。


「待ってください。今の状態で出力を上げるのは――」


「天を裂く紫光よ。我が血に宿る雷霆よ」


 詠唱が始まる。


 先ほどとは違う。


 呼吸が浅い。言葉の間隔にも、わずかな乱れがある。


 僕には《紫電槍》の術式そのものを正確に読むことはできない。


 血統魔術には、術者自身の身体感覚や、家系固有の魔力特性が深く関わっている。外から一度観察しただけで、そのすべてを理解できるほど単純なものではない。


 ただ、今の彼女が無理をしていることだけは分かった。


 訓練場には逸れた雷を床へ逃がす設備がある。見学者のいる場所まで放電が飛ぶ可能性は低い。


 問題は、エルヴィーラ自身だ。


 出力を上げすぎれば、標的へ至る経路が安定する前に、彼女の手元で放電が枝分かれするかもしれない。


 止める時間はない。


 ならば、逸れた時の逃げ道を作る。


 彼女の術式そのものには触れない。


 体内魔力を整え、エルヴィーラの手元から床の金属導路へ至る狭い領域だけを作用範囲に定めた。


 周囲の魔力を応答させ、その間の空気へわずかな電荷の偏りを作る。


 もし雷が標的から逸れたなら、彼女の身体よりこちらを通りやすくする。


「ドルンベルクの名のもとに、我が指先へ集い――」


 魔力が膨れ上がる。


「敵を、穿て……!」


 紫白の閃光が生まれた。


 雷は標的へ伸びる。


 けれど、途中で経路が乱れた。


 根元から紫白の火花が枝分かれし、エルヴィーラの腕へ向かう。


 同時に、僕が作っておいた経路へ作用を強めた。


 火花の向きが変わる。


 彼女の腕へ触れる寸前で逸れ、床へ走った。


 耳を打つ破裂音。


 金属導路が一瞬だけ白く輝き、雷を地面へ逃がす。


 それで終わった。


 標的には浅い焦げ跡が残っている。


 見学者のいる場所へも、火花一つ届いていない。


 そして、エルヴィーラ自身にも傷はなかった。


 彼女は右手を伸ばしたまま、立ち尽くしていた。


「……ご迷惑を、おかけしました」


 驚くほど静かな声だった。


 けれど、最後の一音だけがわずかに上ずる。


 背筋を伸ばしたまま、こちらへ向き直った。


 最後まで侯爵令嬢として振る舞おうとしているのが分かる。


 それでも、菫色の瞳は潤んでいた。


 一度、瞬きをする。


 こぼれそうになったものを押し戻そうとしたのだろう。


 けれど、一筋の雫が頬を伝った。


 エルヴィーラはすぐに目元へ手をやり、深く礼をする。


「失礼いたします」


 誰の返事も待たず、訓練場を出ていった。


 淡栗色の髪が、扉の向こうへ消える。


 追うべきか。


 声をかけるべきか。


 分からなかった。


 少なくとも今の彼女に、僕が何を言っても届く気はしなかった。


 隣では、エリオン殿下も珍しく黙っている。


 やがて、小さく息を吐いた。


「……これは、ボクが悪いね」


 否定する言葉は、思いつかなかった。

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