白霧の丘
約束の日。
朝から白霧の丘一帯は深い霧に包まれていた。
さくらは王城の門の前で足を止める。
「本当に一人で行くつもりか。」
ガレスが静かに尋ねる。
「はい。」
「罠だったらどうする。」
「その時は戦います。」
ガレスはしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。
「……必ず生きて帰れ。」
「はい。」
リーファルも一歩前へ出る。
「何かあれば、すぐに炎の合図を上げてください。」
「分かりました。」
二人に見送られ、さくらは白霧の丘へ向かった。
丘へ着く頃には、辺りは真っ白な霧に包まれていた。
足音だけが静かに響く。
「ネロ!」
さくらが呼びかける。
すると霧の奥から、一人の男がゆっくりと姿を現した。
黒いローブ。
見慣れた姿。
ネロ・ヴァイスだった。
その少し後ろには、無言で立つカインの姿もある。
しかし、黒影の団員は一人もいなかった。
「来たか。」
ネロは穏やかな口調で言う。
「約束通り、一人で来たよ。」
「ありがとう。」
その言葉に、さくらは少し驚く。
敵である自分に礼を言うとは思っていなかった。
「今日は戦わない。」
ネロはゆっくりと両手を広げる。
「武器も使わない。」
そう言って腰の剣を地面へ置いた。
カインもネロにならい、黒い長剣を外して足元に置く。
「これで少しは信用できるか。」
さくらは炎剣を出さず、ネロを見つめた。
「話って何?」
ネロは少しだけ空を見上げた。
「私は、お前に復讐へ加われと言うつもりはない。」
「……。」
「むしろ逆だ。」
さくらは眉をひそめる。
「逆?」
「私は、お前に私を止めてほしい。」
思いもよらない言葉だった。
「え……?」
ネロは静かに続ける。
「私は王国を許せない。」
「……。」
「弟を失った日から、その気持ちは一度も消えなかった。」
その声には怒りよりも、長年抱え続けた悲しみが滲んでいた。
「だけど。」
ネロは拳を握る。
「復讐だけでは何も変わらないことも分かっている。」
さくらは黙って耳を傾ける。
「だから真実を明らかにしようとしている。」
「王国の罪を……。」
「ああ。」
ネロはゆっくり頷いた。
「だが、その先の未来は私には作れない。」
「どういうこと?」
「私は多くの罪を犯した。」
ネロは自嘲するように笑う。
「もう、人々を導く資格はない。」
静寂が流れる。
「だから、お前に託したい。」
「私に……?」
「始原の炎に選ばれたお前なら、この国を変えられるかもしれない。」
さくらは困惑した。
「だったら、どうして今まで戦ってきたの?」
「確かめたかった。」
ネロは真っ直ぐさくらを見つめる。
「本当に、お前が信じられる人間なのか。」
その時――。
パンッ!!
乾いた音が丘に響いた。
一本の矢がネロの肩をかすめる。
「ネロ様!」
カインがすぐに前へ出る。
森の奥から次々と騎士たちが姿を現した。
その先頭にはガレスが立っていた。
「さくらから離れろ!」
「団長……!」
さくらは目を見開く。
ガレスは約束を破ったわけではなかった。
万が一に備え、離れた場所から密かに見守っていたのだ。
しかし、それを好機と見た騎士の一人が、独断で矢を放ってしまったのである。
張りつめていた空気が、一瞬で変わる。
カインは剣を拾い上げ、ネロをかばうように前へ立つ。
「これ以上近づくな。」
ガレスも剣を抜く。
「ネロ・ヴァイス! ここで終わりだ!」
さくらは両者の間へ飛び出した。
「待って!」
だが、誰も止まらない。
再び戦いの火蓋が切られようとしていた。




