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家族に捧げられた私、悪魔の教祖様に気に入られて囲われました  作者: 絹ごし春雨


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9/11

9話

 その噂を聞いたのは、偶然だった。


「……最近、侯爵家が妙でな」


 廊下の向こう。


 使用人たちの、ひそやかな声。


「娘の方も……以前のような評判では」


「顔色も優れぬとか……」


 そこで、言葉が途切れる。


 気配に気づいたのか、静かになる。


(……侯爵家)


 胸が、わずかに揺れる。


 もう関係のないはずの場所。


 なのに。


「セシリア様」


 背後から声がする。


 振り返ると、イシュヴァル。


「どうかなさいましたか」


「……いえ」


 すぐに否定する。


 でも。


 完全には消えない。


 ほんの少しだけ残る、引っかかり。


「外の様子を、ご覧になりますか」


 不意に、そう言われる。


「……え?」


「気になっておられるようでしたので」


 穏やかな提案。


 断る理由が、見つからない。


「……少しだけ」


 頷くと、彼は満足そうに微笑んだ。


 連れて行かれたのは、街の外れ。


 人目につかない場所から、広場を見下ろす。


 そこに――


「……ルミナ?」


 思わず、息を呑む。


 いた。


 間違いなく、妹だった。


 でも。


(……誰?)


 一瞬、そう思ってしまう。


 美しい。


 それは変わらない。


 けれど。


 何かが、崩れている。


 視線が集まっているのに。


 どこか、長く続かない。


 笑っているのに。


 無理に作っているのが分かる。


「見てください……私を」


 ルミナの声が、風に乗る。


 必死な響き。


 かつての余裕は、どこにもない。


「私は、こんなに――」


 言葉が、途中で詰まる。


 周囲の反応が、薄い。


 誰もが見ているのに、誰も“残らない”。


(……どうして)


 セシリアの胸が、ざわつく。


 知っている顔。


 知っている声。


 なのに。


 まるで別の存在みたいに見える。


「愛は、難しいものです」


 隣で、イシュヴァルが静かに言う。


「……え」


「求めるほど、形が変わる」


 穏やかな声。


 説明のようで。


 どこか、距離がある。


「……あれは」


 言葉が、うまく出ない。


「あれは……」


 妹。


 そう言いたいのに。


 なぜか、遠い。


「望まれた結果です」


 あっさりと、返される。


「……結果?」


「ええ」


 微笑みは変わらない。


「願いは、正しく叶えられている」


 その言葉に、胸の奥がひやりとする。


(……正しく?)


 あれが?


 あれが、“正しい”?


 その時。


 ルミナが、こちらを見た。


 目が合う。


 一瞬。


 時間が止まる。


「……お姉様?」


 かすれた声。


 そして。


 次の瞬間。


「どうして、あなたが……!」


 表情が歪む。


 嫉妬と、焦燥と、何かが混ざった顔。


「どうして、そんな顔をしているのよ!」


 叫びに近い声。


「あなたは……何も持っていなかったのに!」


 胸に、刺さる。


 でも。


 それ以上に。


 違和感が強い。


(……私)


 何も持っていなかった。


 それは、事実。


 なのに。


(今は……?)


 視線が、自然と隣へ向く。


 イシュヴァル。


 穏やかなまま。


 何も変わらない。


 でも。


(……どうして)


 ここだけが、違う。


 外は、崩れているのに。


 ここだけ、何も変わらない。


「……イシュヴァル様」


 初めて。


 ほんの少しだけ。


 問いの温度が変わる。


「これは……」


 何なのか。


 聞こうとした、その瞬間。


 指先が、そっと触れる。


 頬に。


「セシリア様」


 名前を呼ばれる。


 いつもと同じ声。


 でも。


 どこか、深い。


「ご不安ですか」


「……はい」


 正直に、頷く。


 初めての感覚だった。


 ここにいて、揺らぐ。


「そうですか」


 彼は、わずかに目を細める。


 そして。


「それでは」


 静かに、続ける。


「離れますか?」


 その一言で。


 すべてが、止まる。


 離れる。


 ここから。


 この場所から。


 この人から。


 考える。


 ほんの、一瞬。


 ルミナの姿。


 父の顔。


 あの家。


 そして。


 今の自分。


(……戻りたくない)


 はっきりと、思う。


 怖い。


 おかしい。


 でも。


 それでも。


「……いいえ」


 答えてしまう。


 その瞬間。


 イシュヴァルの指が、わずかに強くなる。


「よろしい」


 低く、満足した声。


「それでこそ」


 逃げ道は、もうない。


 でも。


 自分で選んだ。


「貴女は、正しい」


 優しく、肯定される。


 そして。


「だから、守られる」


 その言葉に。


 胸の奥が、静かに落ち着いていく。


 違和感は消えない。


 でも。


 それ以上に――


 ここにいたいと思ってしまう。


 遠くで。


 ルミナは、崩れかけた笑みで立ち尽くしていた。


 誰も、見ていない。


 もう。


 “愛される側”ではない。


 そして。


「……収穫ですね」


 イシュヴァルは、静かに呟く。


 手の中の温もりを、確かめるように。


「ようやく」


 その声は、穏やかで。


 どこまでも優しかった。

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