7話
――足りない。
その感覚は、日に日に強くなっていた。
「……どうして」
ルミナは鏡の前で、何度目か分からない問いを零す。
美しい。
それは間違いない。
夜会でも、街でも、誰もが振り返る。
けれど。
(前より、弱い)
最初に得たあの“熱”が、持続しない。
視線は集まる。
でも、すぐに離れる。
囁きはある。
でも、長くは続かない。
まるで。
“もっと求めなければ保てない”みたいに。
「……違う」
首を振る。
そんなはずはない。
私は、選ばれたのだから。
「ルミナ様、本日のご予定は――」
「いいわ」
遮る。
「外出するわ。あそこへ」
使用人が、息を呑む。
「……教団へ、でございますか」
「ええ」
迷いはなかった。
(もう一度、確かめる)
あの人なら。
あの教祖なら。
きっと。
広間は、以前よりもさらに熱を帯びていた。
「救いを……」
「選ばれたい……」
縋る声。
渇いた欲望。
すべてが混ざり合っている。
その中心に。
変わらず、彼はいた。
「ようこそ」
穏やかな微笑。
すべてを受け入れるような声音。
ルミナの胸が、高鳴る。
(この人は、分かってくれる)
自分がどれほど“特別”かを。
「ルミナ様」
名前を呼ばれる。
それだけで、満たされる。
けれど同時に――
(もっと)
足りない。
「本日は、どのようなご用件で」
問われる。
ルミナは、一瞬だけ躊躇して――すぐに飲み込んだ。
「……私」
声が震える。
でも止まらない。
「まだ、足りないのです」
ざわめきが広がる。
「美しいはずなのに」
「愛されているはずなのに」
「でも――」
言葉が溢れる。
「もっと欲しい」
その瞬間。
空気が、わずかに変わった。
けれどルミナは気づかない。
「誰よりも」
「ずっと」
「ずっと愛され続けたいのです」
言い切る。
もう、止められない。
沈黙。
そして。
「……なるほど」
教祖は、静かに頷いた。
否定はしない。
拒絶もしない。
それが、何よりも心地いい。
「愛されることは、尊いことです」
優しく、肯定される。
それだけで救われる。
「ですが」
一拍。
ほんのわずかな間。
「それを“維持する”には、相応の形が必要になります」
「……形?」
「ええ」
微笑みは変わらない。
けれど、どこか深い。
「与えられたものを、どう扱うか」
「それが、そのまま結果となる」
意味は、よく分からない。
でも。
「……構いません」
ルミナは即答する。
「どんな形でも」
その言葉に。
教祖の目が、わずかに細まった。
「承知いたしました」
静かに、手が伸びる。
逃げる理由は、どこにもない。
むしろ――
(欲しい)
もっと。
もっと。
満たされたい。
指先が、再び頬に触れる。
「貴女の願い」
低く、甘い声。
「確かに、受け取りました」
その瞬間。
熱が、さらに深く流れ込む。
「……っ」
体の奥が震える。
最初の時より、強い。
濃い。
満たされる。
(これ……これよ)
求めていたもの。
もっと、もっと。
「どうか」
最後に、囁かれる。
「その愛を、大切に」
意味を考えない。
考えたくない。
ただ、満たされる感覚に身を委ねる。
その頃。
「……次は、私だ」
父もまた、動き出していた。
すでに一度、願いは叶っている。
だが。
(まだ足りん)
地位は得た。
だが、完全ではない。
疑念が残る。
従わない者がいる。
ならば。
(すべてを掌握すればいい)
欲は、さらに膨らむ。
一方で。
「セシリア様」
穏やかな声。
振り返ると、イシュヴァルがいた。
「本日は、少しお疲れのように見えます」
「……そう、でしょうか」
首を傾げる。
自覚はなかった。
「少しだけ」
手を取られる。
自然に。
当たり前のように。
「こちらへ」
導かれるまま、歩く。
静かな部屋。
柔らかな光。
「ここで、少し休まれてください」
椅子に座らされる。
距離が近い。
でも、落ち着く。
「……どうして、こんなに」
ぽつりと零れる。
「優しくしてくださるのですか」
ずっと、疑問だったこと。
イシュヴァルは、わずかに微笑む。
「簡単なことです」
指先が、そっと髪に触れる。
「貴女が、何も求めないからです」
「……え」
「欲がない方は、歪まない」
静かな声。
「ですから、そのままでいていただきたい」
その言葉に。
胸が、静かに満たされる。
ルミナとは違う。
求めなくても、与えられる。
その意味を、まだ完全には理解していないまま。
遠くで。
「……これで、揃いました」
イシュヴァルは静かに呟く。
ルミナの“加速した欲”。
父の“拡張された支配欲”。
すべてが、予定通り。
「さて」
わずかに、笑みが深くなる。
「どこまで美しく崩れるか」
その視線は、冷たくも優しい。
すべてを見届ける者のものだった。




