小さな小さな独り言
あの日から私は茉莉を追いかけるのをやめた。
これ以上傷つきたくなかったし、これ以上惨めになりたくなかった。
離れていく私に茉莉は何も言わずに、そのままお互いがお互いから離れていった。
茉莉は昔からの友達や新しい友達と仲良くやっているようだった。
一方の私はクラスに馴染めずにいた。
クラスの子たちとは少しだけ合わないからだ。
「花奏ちゃん」
教室で絵を描いていると、クラスの女の子が話しかけてきた。
私は咄嗟に絵を隠した。
「何?」
「絵描いてたの?」
「まあ……」
少し話したことがある程度の女子。
いきなりなんだろう。
「見せてよ」
「え、なんで?」
「見たいから」
「やだ」
私がそういうと、その子はいつものグループの輪に戻って行った。
なんだったんだ。
そのあと、絵を描く気になれずに私はスケッチブックをしまってトイレに行った。
トイレから戻ると、私の机をさっきの子たちが囲んでいた。
怪訝な顔で近づくと、その子達は私の机の中に何かをしまった。
一瞬見えたそれはスケッチブックだった。
「何してるの?」
「いや、見たかったから」
「見てほしくなかったんだけど」
「なら、学校に持ってこなきゃいいじゃん」
本当は言い返したかった。
多分、そういう問題でもないんだけど、これ以上ことを大きくしたくないから。
私は言いたかった言葉をぐっと飲み込んだ。
「そう……だね」
私はスケッチブックを鞄にしまった。
それ以上何も言わなかった。
本当は言いたいことがたくさんあった。
勝手に見ないでほしかった。
見せたくないって言ったのに。
どうして私が悪いみたいになってるの?
でも、全部飲み込んだ。
これ以上言ったら、また何か言われるかもしれない。
それなら、私が黙っていればいい。
そう思った。
◇◆◇
それから少し経った頃。
クラスでは合唱コンクールの練習が始まった。
教室や音楽室で、毎日のように練習をする。
私は歌うこと自体は嫌いじゃなかった。
だからいつも通り歌っていた。
けど、ある日の練習中のことだった。
その日はパート練習で、各パート別々で練習をしていた。
私はその日、喉が痛くて負担をかけないように小さい声で歌っていた。
歌っている途中、スケッチブックを見た女子が後ろから私の肩のあたりに顔を出した。
なんだとうと思っていると、歌い終わってからその子は言った。
「花奏ちゃんがちゃんと歌ってなーい!」
「え?」
「さっきから全然歌ってないじゃん」
「いや、歌ってるけど……」
「歌ってないでしょ」
「歌ってたよ」
私はそう言った。
でも、その子は納得してくれなかった。
周りからの視線が痛い。
小声で信じられないという話をしている人もいた。
「絶対歌ってなかったって」
「だから、歌ってたって」
「もういいよ。ちゃんと歌ってよね」
そう言って、その子は自分の場所に戻って行った。
私は何も言えなくなった。
歌っていた。
ちゃんと歌っていた。
なのに、何を言っても聞いてもらえない。
「…………」
胸の奥が、少しだけざわついた。
前にも、似たようなことがあった気がする。
『なら、学校に持ってこなきゃいいじゃん』
あの時もそうだった。
多分私は悪くない。
でも、言い返したところで何も変わらない。
だったら……。
「……もういいや」
小さく呟いて、私は前を向いた。
それから、クラスの子たちと少しずつ距離を取るようになった。
休み時間も、自分から話しかけることは減った。
誰かと一緒にいても、なるべく余計なことは言わない。
何か言われても、
「うん」
「そうだね」
「分かった」
それだけ。
その方が楽だった。
何かを言えば、また否定されるかもしれない。
それは辛いから。
◇◆◇
「おいブス」
クラスにいるやたら突っかかってくる男子に声をかけられた。
とはいえ、私の名前はブスではないので無視をした。
「おい、聞いてんのかブス」
男子は私の肩に手を置いて、強引に自分の方を向かせた。
うざいな……。
「……何か用?」
「あはっ!やっぱブスだ!」
その瞬間、私の中で何かが切れた。
気づいた時には、その男子の腹を殴っていた。
「……っ!」
男子は痛みのあまりその場に座り込んだ。
「お……お前……」
「うるさい」
私はまだ喋る男子の体を二発ほど蹴った。
痛そうにしている彼を、私は冷たい視線で見下ろしていた。
「お、おい!やめろよ!!」
クラスの誰かがそう言った。
その瞬間、ようやく私は我に返った。
教室が静まり返っている。
周りのクラスメイトが呆然と私を見ていた。
私は自分の手と、男子を見下ろす。
何をしてるんだろう、私。
さっきまであんなに我慢していたのに。
何を言われても、流していたのに。
「花奏さん!何をしているの!」
先生の声が聞こえた。
その瞬間、胸が大きく跳ねた。
「…………」
怒られる。
こんなことをしてしまった。
嫌な思いをしていたとしても、結局は手を挙げた方が弱くなる。
「……最悪」
小さく呟いた。
先生が男子のところへ駆け寄る。
「大丈夫?」
「……はい」
男子はそう答えたあと、私を睨んだ。
その目を見て、私は視線を逸らした。
怖かった。
でも、それ以上に。
自分自身が怖かった。
今までなら我慢していた。
嫌でも笑っていた。
何を言われても、「うん」「そうだね」「分かった」で済ませていた。
なのに……。
今回はできなかった。
「花奏さん。ちょっと来なさい」
「……はい」
私は先生の後をついていった。
廊下に出る。
教室の中から、ひそひそと話す声が聞こえた。
私はそれを聞かないふりをした。
何を言われているのか、考えたくなかった。
「……私、どうしちゃったんだろ」
自分でも分からなかった。
一度何かが切れてしまったら、止められなかった。
先生に連れられて、私はそのまま職員室へ向かった。
途中で先生が何度か何かを言っていたけれど、ほとんど頭に入ってこなかった。
ただ、さっきの男子の顔と、クラスのみんなの視線だけが何度も頭に浮かんだ。
怖い。
私が怖い。
◇◆◇
その後、私は先生に注意された。
男子にも謝った。
男子からも、一応謝られた。
でも、何かが元に戻ったわけじゃなかった。
教室に戻ると、何人かが私を見る。
目が合うとすぐに逸らされる。
ひそひそと話している声も聞こえた。
「…………」
私は何も言わず、自分の席に座った。
今まで以上に、誰とも話したくなくなった。
それなら、もう傷つかない。
そう思っていた。
もう、何が正解かわからない。




