第74話~ナシュマ編~
これは湿った石。時折頬を打つ冷たい水。饐えた臭い。
五感は、ある。生きている。
「……あ~、やっちまったなぁ」
目覚めたナシュマは天を仰いだ。ここは恐らく王都か、それに近い地下牢だ。立ち上がった目線の高さの、大きな明かり取りの窓から外が見えるが、感知仕様の結界が張られているゆえ脱出は困難だろう。見えるのに出られない。何とも腹立たしいことだ。
今一度辺りを見渡す。出入りの扉が一つ。叩いて声をかけてみた。
「おーい、誰かいるかぁ?」
呼びかけに応えるように扉が開き、箏が呆れた表情で入ってくる。
「よう、箏」
「こんな状況でそんな挨拶する奴初めて見た……普通恐怖感とかあるものだと思うけど」
「んー、お前に捕まってここに入れられてる時点で、とりあえず命の保証はあるんだろ。人間なんて生かしておいたって魔族に利点はないのにな。ってことは利用価値があるって結論だ。傷の手当されてるのが何よりの証拠ってな」
「ふぅん、長ったらしいご高説をありがとう。咫嘶が君に会いたいそうだよ。魔界の普通の人だって会えないんだから、名誉なことだよー」
「ダレ?」
「なんだ、叉胤から聞いてないの? 君達が魔界と呼ぶ世界の王だよ。って、何その馬鹿面」
「……いや、呼び捨て?」
「オレは、オレの師以外に忠誠を誓わないからねー。彼以外はみんな一緒だよ。今の仕事も手伝えって言われてるからやってるだけ」
「お前の師って何なんだ?」
「君に言うべきことは何もないよ~。そろそろ行こっか」
指を鳴らすと床から黒い煙が立ち、それは魔獣の姿をとった。喉を唸らせ多数の牙を口から覗かせながら威嚇してくる。
「拘束はしないけど、妙な真似したら、かぷっとやらせるよ。死なない程度に、ね」
「へいへい。そこまで馬鹿じゃねぇよ」
ナシュマは従って扉を出た。石造りの牢獄は細い廊下が一筋伸び、両壁には三つの木の扉が並んでいた。恐らくはここも牢獄なのだろう。地下牢らしい湿った陰欝な場所である。
しかし突き当たりにある階段を上って看守室を抜けると、白く輝く柱と天井、宝石がちりばめられたヒトや鳥などの彫像が現れる。美しい、が、どこか不和を感じた。言い表せないが、強いて言うならば悲しみ苦しみか。そしてそれとは別の、懐かしい気配を一瞬だけ感じた。
「叉胤……?」
「何?」
「ん、いやーなんでもね」
長い廊下を進み、階段をいくつか上る。時折見える庭園は花々が咲き乱れて美しい。
「魔界ってもっとおどろおどろしい場所かと思ってたが、そうでもないんだな。少し暗いだけで、人間の世界とあんまり変わらない」
「どんな想像してるのさー。まぁ、少し暗いのは太陽と月の聖獣を人間が持って行っちゃったからね。各聖獣の力の欠片が残ってたのは幸いだよ。全くいい迷惑だよね。昔はこの世界も光と闇が調和されて綺麗だったのにさ」
「それは命数狩りが過ぎた結果だろうが。こっちもいい迷惑だ」
「まぁねー。元老院のアッタマ硬い爺さんどもは、それは生きる上での当然の行為だって変な正論吐いてたけど、行き過ぎは自分の首を絞めるってことに気づかない愚か者だよね。だから永遠にご意見できなくしてあげたんだっけな。懐かしい」
「ん? ちょっと待て、それ何年前の話だと……」
「あ、到着ー」
箏が大きな扉の前で足を止めた。こちらを睨み立つ男二人は、揃いの裾の長い黒の服に、翼のついた獅子があしらわれた銀の襟章をつけている。
「親衛隊の人、ご苦労~様。咫嘶中にいるんでしょ? 連れて来たよー」
「既にお待ちだ。箏殿、四天王といえど王を待たせるなど……」
「はいはーい。小言の暇あるなら開けた方が待たせないと思うけどね」
言葉を詰まらせた男が渋面を作りながらも扉を開ける。
「お前敵多いだろ」
「師以外どうでもいいからねぇ」
皮肉を込めて言ったつもりだが、笑顔であっさりと返され、ナシュマは苦笑するしかなかった。




