第70話~ナシュマ編~
ナシュマは闇に紛れて、妖祁らの動向を調べるために彼の研究室へと忍び込んだ。広い室内には見慣れぬ機材が多く、壁に沿って、戦闘用であろう四本足の魔獣が透明な液体に浸けられていた。
「ん?」
部屋の奥の扉から強い魔力が感じられた。扉の鍵には三重に結ばれた結界。明らかに他者を拒んでいたが、何とか結び目は読み解ける。要を外せば一瞬だけでも結界を無効にできそうだ。
ナシュマは結界の綻びを感づかせぬように、扉を中心に自らの魔力の壁を作った。そして扉の数箇所に魔力を集めた指先を当てる。すると一瞬扉が渦のように歪み、音もなく開いた。
「お邪魔しますっと」
中は案外広く中央には緑色に光る魔法陣。その上に大型のガラス管が設えてある。
「こりゃ……」
ゆらゆらと不規則に気泡がのぼる。液体に浸されていたのは、小さく身を丸めたヒトの姿。水の揺らめきに合わせて翡翠色の髪が踊り、時折開かれる金色の瞳が美しい。少年から大人になりかけの、またあどけなさが残る瞳だった。
あまりの造形美に目を惹かれてナシュマは息を飲む。
「綺麗だ……」
こちらの声が聞こえるのか、尖った耳を動かし青年が嬉しそうに笑った。その笑顔に吸い寄せられるようにナシュマは管に触れる。
「ん? 嫌な予感っ」
手に伝わった僅かな振動。ナシュマの予感通り音もなくガラス管にヒビが入り、瞬時に砕け散ってしまった。支えを失った青年が床へ投げ出される。
「びびったー! おい、大丈夫かっ?」
しかし答えはなく、また気を失っている青年をこのままにしておくわけにもいかずに、ナシュマは与えられた自分の部屋へ青年を連れていった。
青年をベッドに寝かせて、自分は濡れた体を拭いてバルコニーへ出る。
魔界とは不思議な世界だ。空に浮かぶ月は、人間界よりも大きく、明るさも幾分暗い。どの月も同じであり、朝になれば月も増えて辺りが明るくなるのだが、青空は見えず不思議と赤い空が広がった。出会ってからしばらく怯えて外に出ようとしなかった叉胤が、部屋から見る青空には興味を示していたのを思い出す。
「ここが叉胤のいた世界か……」
左手遠くに密集した明かりが小さく見え、その中に一際大きな城が見える。おそらくあそこが魔界の中心、国王が在る城だろう。人間の世界と似て非なる世界。近いようで遠い場所だ。
しばらく外を眺め、ナシュマは部屋に戻ろうと振り向いた。
「おっ」
扉の前には先程の青年が佇んでいる。着衣を纏っていないにも関わらず、裸体に違和感がないのは、全てが整った造形美故か。
「よう、目ぇ覚めたか」
「……だれ?」
鈴が響くような凛とした声だ。ヒトを造り出すこちらの技術には素直に頭が下がる。
「俺はナシュマ。ここの居候だな」
「ナシュマ、様?」
「様はいらんよ。お前は?」
「……?」
「分からねぇか。ま、とりあえず朝まで寝とけ。俺もさすがに眠いわ」
「寝る、とはどのような行為、ですか?」
「んー、そうだなぁ。横になって体を休めることだな。目を閉じて、しばらくすりゃ勝手に眠たくなる」
ナシュマは青年を導いてベッドに寝かせた。自分はソファーで横になったのだが、青年がベッドから出てきてしまい、揚げ句に、大人二人が寝るにはきついほどのソファーに寝ようとしてくる。
「ちょっ、待てっっ。お前はあっちでいいって」
「気持ちが、足りない。一人は……嫌なのです」
「あー寂しいってことか。仕方ねぇなぁ」
頭を掻き、青年を再び寝かせると手を握った。
「これならいいか?」
青年は満足そうに頷いて目を閉じる。まるで子供のようだ。頭を撫でてナシュマも眠りについた。




