楽しい場所
川沿いを歩いていけばきっと楽しい場所に行けそうです。みんなが自分を肯定してくれるすばらしい場所が。承認に満ちて、ドーパミンがドバドバ出て、幸福のうちに死ねる場所。ああ、素敵だなあ。想像するだけで眼の前が明るくなってくるようだ。地平線の向こうから金色の光があふれて世界を満たす。よい匂いが漂ってくる。
と、ここでふと私は思い出す。横断歩道を渡っていた美女のことを。すれ違ったほんの一瞬、美女から放たれた芳香が私の鼻腔を切り裂いた。電撃のように快感が私の脳に達した。ドーパミンがドバドバ出た。まるで金色の匂いだった。あの美女は楽しい世界の欠片だったのか。
横断歩道を渡ったのは曇りの日のことだった。どんよりした空ってのは良くない。気分が落ち込んでしまうからね。こころなしかみんなうつむいて元気がないように見える。私もそうだ。もうだめだ。生きる価値がない。いっそのこと何もかも投げ捨ててどこかへ姿をくらましてしまおう。それこそが川沿いに歩いた先にある楽しい場所なのです。
私は美女のことを好きになってしまった。いい匂いがするせいだ。全部、それのせいです。このところ美女のことを考えない日はなかった。どうやったらもう一度会えるのだろう。わざわざ電車に乗って三十分ほどかかるその駅まで行き、駅前の横断歩道の脇に立って美女が通りがかるのを待った。しかし半日待っても一日待っても、一週間後と二週間後に同じことをしても、美女は来なかった。この街の人ではないのかもしれないと思ったそのとき、美女に少しだけ似ている人が通りがかった。しかし美女その人ではなかった。
私はこっそり美女に少しだけ似ている人についていった。電車に乗った。三十分ほどかかる駅で降りた。信号をわたり、コンビニでアイスを買い、薄暗い街路を歩き、少し古びたアパートの鉄階段を音を立てて上り、201号室の前で立ち止まった。そこは私の部屋だった。
「なぜついてきたの?」
と美女に少しだけ似ている人は振り向かずに言った。
「あなたが美女に少しだけ似ていたから」
と私は答えた。
「ここはあなたの部屋です」
「そうです、私の部屋です」
「あなたが入るべきでしょう」
「そうです、私が入るべきです」
部屋の中からは美しい管弦楽の音色が聞こえた。私はドアを開けた。
そこにはいつもの私の部屋があるだけだった。振り向くと、美女に少しだけ似ている人はもういなかった。




