⑧提案
二人は、近くにある噴水を背にした石製ベンチに座った。
福田が、コホンと一つ咳をすると、陸の震える右手に着目した。
「その震えは、いつからだね?」
「あ……ち、小さい頃から、ず、ずっとです……」
「病院には行ってる? 震えを止める薬とか、無いのかい?」
陸は、少し困ったような顔をして答えた。
「い、以前は行ってましたけど、よ、よ、良くならないから、さ、ささ、最近は行ってないです……」
「吃音症も、子供の頃からずっと?」
「は、はい」
「吃音症の人でも、歌う時は吃らない人が、多いみたいなんだけどね」
「は、はい。カ、カラオケとかは平気です。でで、でも、ギターで弾き語りすると、ど、ど、吃ってしまうんです……」
福田は二、三度、小さく頷いた。
「なるほどね。自分で全ての音、リズムを作り出すわけだからね。きっと気持ちが、構えてしまうんだろうね」
福田は、続けて話しかけた。
「ところで君は、どんな音楽を聴いてきたんだい?」
「え、えっと……い、色々です。す、すす、好きなのは昔の洋楽、あ、あとクラシックも……」
これには福田も、大いに納得した。
あの美しく壮大なメロディは、やはりクラシックの影響があったのだ。
福田は二、三度頷いた後、話を続けた。
「君の動画を見たんだがね、逢いたい〜って歌う、あのバラードの曲名は?」
「あ、あ、あれは『君は路上の月』と言うタイトル……」
福田は、また頷くと、遠くにいる美月をチラリと見た。
「根掘り葉掘り聞くようだけど、あの子は恋人?」
「は、はい」
「そうか……大変だな」
一瞬、大変だなの意味が分からなかった。
だがすぐに、美月が車椅子を使っているからだと、察した。
「今、君の仕事は?」と福田。
「ぶ、物流センターで、に、荷物の仕分けをしています」
「なるほどね」
それなら多少、手が震えても、業務に支障はないだろう。
数秒間の沈黙の後、福田は「これから大事な話をするよ」と前置きをした。
福田は、真剣な顔つきになった。
先程までの穏やかな雰囲気が、影をひそめる。
その表情を見て、陸は背筋をピンとさせた。
「……陸君、君には才能がある。それも、とてつもないほどの才能が。その声だ。高くて美しくて、人の心を激しく揺さぶる事が出来る。僕は、その声を世に広めたいんだ」
陸は、驚きのあまり、言葉を失った。
目を白黒させて、福田を見返す。
「しかし残念な事に、致命的な障がいが、君にはある。そこで、それらを取り除いて欲しいんだ。そして、歌と演奏のレッスンも受けてほしい。アメリカで」
あまりにも、衝撃的な内容だった。
陸は愕然とした。
「……詳しく言うとだね、アメリカで、最新の医療技術を受けてほしい。それで手の震えは、無くなるはずだ。吃音症も、訓練とカウンセリングで良くなるだろう。そして、プロの講師とマンツーマンで、歌唱とギターのレッスンを受けて欲しい。期間は一年間。事務所の社長や役員達とは既に協議し、承諾を得ている。もちろん、費用もこちらが全額負担する。どうだね?」
陸は、いつの間にかポカンと、口を開けていた。
やがて、遠くにいる美月に、視線を送った。
福田も、つられて美月を見た。
陸の心情を察して福田が言った。
「一年間、あの子には会えなくなる……。もちろん家族や友人にもね」
福田は、表情を固くし、話を続けた。
「だから、無理にとは言わない。だが、もし君が一流のアーティストになりたいというのなら……考えて欲しい。今すぐに答えを出せとは言わないよ。しっかりと考えて、決心がついたなら、名刺にある僕の携帯に、連絡して欲しい。もちろん、渡米の前には、君のご両親に誠意を持って、しっかりと説明をさせてもらうつもりだよ」
福田は、胸の内を全て伝え終えた。
肩の荷が降りたように、小さく吐息を吐いた。
「それじゃあ、失礼するよ」
福田が立ち上がると、つられて陸も立ち上がった。
一瞬、振り向いた福田の目は、あとは君の気持ち次第だ、と語っている。
福田は歩き出した。
駅へと向かう途中、美月と目が合った。
軽く会釈をする福田。
美月も同じように、会釈をした。
そして、すぐに陸の元へと近づく。
「ねぇ、陸君。何の話だったの?」
「な、なんか、色々と……。みみ、美月ちゃん、あ、明日の路上ライブには来てくれる?」
「うん、もちろん」
「じゃ、じゃあ明日、話すよ。きょ、今日はもう帰ろう」
「うん、わかった。明日ね」
陸は、美月の車椅子を押して、駅へと向かった。
アメリカ……。
一年間……。
陸は歩きながら、福田の言葉を反芻していた。
つづく……




