⑩決断
その後、大野と川添は無抵抗の陸に、ひたすら殴る蹴るの暴行を加えた。
やがて大野はポケットから、ナイフを取り出した。
「背中に《バカ》って刻んでやる。おい川添、服を脱がせろ!」
——その時。
遠くから、野太い男の声が飛んできた。
「おい! おまえ達、何やってる!」
大野と川添が、声の主へと顔を向ける。
「やべぇ!」と、同時に叫んだ。
それは、複数人の警察官だった。
喧嘩に気付いた雑居ビルの人間が、警察に通報していたのだ。
二人は、慌てて逃げ出そうとした。
だが、足が動かない。
うつ伏せで倒れている陸が、二人の足首を掴んだのだ。
「こ、こいつ……!」
「離せよっ!」
大野と川添が、陸を踏みつける。
それでも、陸は離さなかった。
とうとう駆けつけた警察官達に、二人は取り押さえられた。
「ち、ちくしょう……!」
地面に押し倒された大野は、無念の声を上げた。
ここで一人の警察官が、陸へと駆け寄った。
「き、君、大丈夫か?」
「う……うう……」
陸は返事も出来ないほど、グッタリしている。
警察官は慌てた。
「お、おいっ、救急車! 早くっ!」
◇ ◇ ◇
騒然とした雑居ビル。
何事かと、大勢の人が集まっていた。
すると「すいません、すいません」と言って、群衆の間を車椅子で割いて進む女性がいた。
美月だ。
彼女は、少し前に駅前に到着した。
しかし、いつもの場所に陸の姿がない。
あるのは倒れたマイクスタンドと、電源が入ったままのアンプ、ギターを入れるソフトケースだった。
美月は不安になった。
戸惑いながら、周りを見渡した。
すると、遠くの雑居ビルの辺りに、人だかりが見えた。
不吉な予感を膨らませながら、その場所へと向かう美月。
彼女の嫌な予感は、的中していた。
男性が倒れている。
側にギターも見える。
顔は見えないが、その体格や服装から、美月は陸だと確信した。
美月は、倒れている陸へと近づこうとした。
しかし、途中にある石段にタイヤが当たると、車椅子はバランスを崩した。
ガシャッ!
美月は、車椅子ごと倒れた。
上半身を、アスファルトに撃ちつけ、激痛が走る。
「うう……」
それでも痛みに堪え、両手で這いながら、陸へと近づいた。
美月の白いロングスカートが、見る見るうちに汚れていく。
「陸君……陸君……死なないで……」
地面を這う美月に、一人の警察官が近寄った。
「君、大丈夫? 車椅子から落ちたの?」
美月はボロボロと涙を流して、訴えた。
「陸君は……? 陸君は……大丈夫ですか……? 死んでないですよね……?」
「陸君? あの男の子の事?」
美月は、グシャグシャになった顔で、首を縦に振った。
「彼、意識はあるから。もうすぐ救急車も着くし、大丈夫だよ……」
美月は少し安心した顔をしたが、また「ううう……」と唸りながら、陸に向かって這っていく。
警察官は思った。
この二人は、恋人同士なのだろうか。
そう思うと、声がかけられなくなり、ただ二人を見守った。
やがて美月は、陸の側へと辿り着く。
仰向けになった陸の顔を、見つめる美月。
顔はボコボコに腫れ上がり、鼻や唇、目尻から出血している。
そんな陸を見て、またいっそう涙が溢れた。
「りくくぅん……りぐぐぅん……」
美月は陸の手を握り、泣きじゃくった。
すると陸の手が動いた。
美月はハッとして、陸の顔を見つめた。
「み、み、美月……ちゃん……。ぼ、ぼ、僕……ア、アメリカに……い、行くよ……」
「アメリカ?」
「き、昨日……ふ、福田さんに言われた話。ア、アメリカで障害を克服して、う、う、歌のレッスンを受ける……い、一年間」
「一年間……?」
「ま、待ってて欲しい……も、もう、下手くそなんて、いいい、言わせない。ちゃ、ちゃんと歌えるように、な、ならないと……」
陸の目から、一筋の涙が流れ落ちた。
「陸君……」
美月は陸の胸に、顔を埋めた。
しばらくして、美月は震える声を出した。
「分かった……待ってる……。私、待ってる……。陸君が帰って来るのを……ずっと待ってる……」
陸は安心したように、ゆっくりと目を閉じた。
「あ、あ、ありがとう……」
つづく……




