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親方と

「悠介、電話来てるよ?」

「んー……。もしもーし……。」

 昨日の晩、少し夜更かしをして、寝たのが午前二時位だったかな。

 スマホを見ると、今は朝の六時半、電話の相手は親方だ。

「親方?」

「お!悠坊!元気してたか!」

「何とかね。それで、昨日ラインで話した事なんだけどさ。」

 昨日、少し長めのラインは入れておいた、親父達が失踪した事、今は浩介の家にお世話になってる事、高卒で働きに出ようと思ってるって事、親方の所で何か俺にも出来そうな事はないか、会社で雇ってもらう事は出来ないだろうか、って事。

 図々しいかもしれないけど、小さい頃からずっと面倒を見てもらってる間柄だし、隠し事をして、って言うのは性に合わないし、だから素直に話す事にしたんだ。

「俺は構わないぞ?悠坊が仕事を覚えたいってんなら、教えてやらんこともない。んだがなぁ。親父さんの行方、ってのは俺も知らなんだ。そう言えばここ一か月位連絡を取ってない、なんて思ってな?さっき電話してみたんだが、着信拒否をされてるみたいでなぁ。すまんな悠坊、役に立てんで。」

「いやいや、あんまり期待はしてなかったから、そっちは別に良いんだ。でも、良いの?俺、体力もないし筋力だってそこまで無いよ?そんな奴を働かせるって、自分から言っておいてなんだけどリスキーじゃない?」

「ん、皆そんなもんだろう?最初っから出来る奴なんてな、いないんだぞ悠坊?最初はどいつも素人から始まって、そっから育っていくんだ。けど、悠坊はやりたい仕事がある、って話を聞いた覚えがあるがな?」

「……。一旦、それは置いておかないとって思ってるんだ。今は、浩介の家にお世話になってるから、自分の夢より生活を整えなきゃ、って。だから、ある程度安定してきたら、また夢に関しては考えようと思ってるよ。」

「そか、夢を捨てたわけじゃあないんなら、俺はそれで良いんだ。で、今悠坊は高二だったな?って事は、高卒から働き出したいっ

て事で良いんか?」

 親方は優しい人だ、それを知った上で甘えようとしてるんだから、俺もまだまだ半人前だ、と思う。

 ただ、当てもなく何処かに行くよりは、見知った顔の所に行って、ってやった方がお父さん達も安心してくれるだろうし、何より親方の事は信頼してる、それこそ幼稚園に上がる前からの関わりだ。

「うん、お願いします。俺に何が出来て、何が出来ないか、それはまだわからないけど、親方の所で、学びたい。」

「ん、承知した。じゃあ、今度飯でも行くかぁ。悠坊、家は近いんか?」

「うん、そんなに離れた場所には住んでいないよ。ありがとう、親方。」

「良いんだよ、悠坊。」

 電話が切れる、俺はふーっとため息をついて、一安心する。

「お電話の相手はどなただったの?」

「ん、浩介は会った事が無かったっけか、親方、って言う、俺が昔から世話になってる、叔父さんみたいな人だよ。建築会社の社長をやってるから、働かせてくれないか、って相談をしてたんだ。」

「そっか、それでよく知ってる感じだったんだね。でもそっか、悠介にもそう言う伝手があったんだね。」

 浩介はしっかりと目を覚ましてるみたいで、俺が少し寝ぼけてるのに対して、はきはきと喋る。

 来年、と言うか再来年からか、再来年からお世話になると思う、親方に挨拶を改めてしておかないとな、なんて思いながら、俺は二度寝だ。

「浩介、今日は部活は?」

「うん、そろそろご飯食べて行かないと。」

「いってらっしゃい。」

 キスをして、俺はベッドに寝っ転がって、浩介が着替えるのをボーっと眺めてる。

 普段は俺が起きるのは浩介が家を出た後だから、こういう事をするのも珍しいって言うか、こうして見送るのは珍しい事だ。


「ふあぁ……。」

 朝九時、二度寝から目を覚まして、俺は絵リビングに向かう。

 お父さんは休日出勤、お母さんはパート、悠治は部屋で受験勉強中、浩介は部活、俺は朝飯のトーストを食べながら、親方にラインを入れる。

 これからの予定って言うか、取り合えず一回は会って話がしたい、電話越しで用件全てを済ませるのは不義理だ、と思うし、一回会って、向こうを安心させたいって言う気持ちもあるにはある。

 親父達の手掛かりにはならなかったけど、就職先の手掛かりにはなりそうだ、それは安心出来る、とも考えてたし、尚更の事、それなら会っておかないと、不誠実だ。

 親方は今日は休日みたいで、俺もバイトが入ってない、今日の昼間に会うのが一番良さそうだ、と思って、予定をラインで擦り合わせる。

 昼飯を一緒に食べよう、なんて言ってくれて、それに甘えて動こうかな、って。

「悠治ー!出かけてくるー!」

「はーい!」

 すぐに家を出るって言うラインが来て、俺は家の住所を送って家を出る。

 親方の家から前の家までが十分位だったから、ここまでは七分か八分位で到着するはずだ。

 そう考えて、外着に着替えて、家の外で待つ。


「悠坊!久しぶりだなぁ!」

「親方、元気だった?」

「おうおう、元気だったとも!そんで、積もる話は飯に行きながらが良いかぁ?」

「そうだね、ここで車止めてもらうのも迷惑になるだろうし、お願い。」

 十分位で親方が家の前まで車で来てくれて、俺は車の助手席に乗って話を始める。

「それで、親父さんがいなくなっちまったってーのは、どういう事なんだ?おふくろさんや兄貴も一緒に行っちまったのか?」

「うん、多分だけど、会社の経営が上手く行ってなかったから、それでだと思う。俺は置いていかれたんだ。なんでかはわからない、多分って言う話しか出来ない、多分だけど、兄貴の食い扶持を稼ぐだけで精一杯だと思ったのかな。そう言う事は聞かなかった、聞く前に何処かに行っちゃったから。……。でも、今は浩介達が傍にいてくれてる、一緒に暮らして良いよって言ってくれてる、だから、大丈夫だよ。」

「親父さんの会社、ねぇ……。確かに、ここ何年かは経営が、ってぼやいてたけどなぁ、でも、悠坊を置いて行っちまうなんて、なんだか悲しいな。」

 車を走らせながら、親方は泣きそうになってる。

 昔からそうだった、親方は涙脆くて、よく酒を飲んでは泣いてて、それを親父が慰めてて、俺もたまに頭を撫でたりして。

 そんな事をしてたのがつい最近の様で、昔の様にも感じられる。

「……。俺さ、泣けなかったんだ。親父達に捨てられたって自覚してから、泣けなかった。なんとなく、そう言う選択をするだろうな、って納得しちゃってさ。でも、俺の代わりに泣いてくれる人がいるって、幸せなんだなって思うよ。」

「悠坊……。そういうとこ、じいさんにそっくりだなぁ。じいさんもそうだったなぁ、俺は泣けない人だから、代わりに泣いてくれる人がいるんだって、必要で、有難くて、ってなぁ。ばあさんが涙脆かっただろう?だから、それに助けられてた、ってなぁ。」

「そうだね、ばあちゃんは涙脆い人だった覚えがあるよ。そう言う所まで、じいちゃんに似たんだね、俺。」

 懐かしい、小学生の頃に死んじゃったばあちゃんは、とにかく涙脆い人で、ドラマとかの感動とか、ドキュメンタリーとかを見ると、すぐに泣いちゃう人で、それを恥かしいとは思ってない、って言うタイプの人だった。

 涙を流す事に躊躇いがない、って言うか、涙は流してなんぼだ、って言う信条の持ち主で、じいちゃんは逆に、まったくと言っていい程泣く事が無かった。

 ばあちゃんの葬式の時でさえ、じいちゃんは泣かなかった、七十って言うまだ若い歳で死んだばあちゃんの葬儀、亡くなった事を病院で聞かされた時、じいちゃんは笑ってた覚えさえある。

 悲しみよりも、ずっと一緒に居てくれてありがとう、って言う気持ちの方が強かった、なんて話をしてて、俺もばあちゃんが死んだ時に泣く事はなかったんだけど、じいちゃんが泣かないのが不思議だった覚えがある。

「そっか、親方って、そもそもは親方のお父さんとじいちゃんが旧知の仲だ、って言ってたもんね。……。なら、じいちゃんの事をよく知っててもおかしくはないのか。俺、じいちゃんみたいになれてるかな。じいちゃんの事、昔は説教くさくて苦手だったけど、今では違うんだ。あの人の言葉、あの人の想い、それを受け継げるのは俺だけなんだ、って思うんだ。」

「そうだなぁ。悠坊は、立派な子になったと思うぞ?顔つきが変わったって言うんかねぇ、まるで、若い頃のじいさんを見てるみたいだなって、感じるぞ?話し方とか、そう言うのもなぁ。俺もじいさんの説教には散々っぱら突き合わされてなぁ、俺のじいさんも説教くさい人でな?気が合う二人って言うんかなぁ、二人揃って何時間も話をしててなぁ。懐かしいよ、それがきっかけで、親父さんと仲が良くなったんだからなぁ。悪ガキだった頃、親父さんと一緒に悪さをよくしててなぁ、そんでもって、じいさん達はどっからともなく、見つけてきては説教をしてくる、なんてガキの頃だったなぁ。」

「親方はその話が好きだよね。親父が悪ガキだったって言うのは想像つくけど、親方が悪ガキだったって言うのは、想像がつかないよ。良い人だと思ってるから、そんな幼少期があったとは思えないんだ。」

 親方は、俺がじいちゃんによく似てると思ってるのか、懐かしそうな顔をしてる。

 この話は何度か聞いた事がある、親方と親父は昔ガキ大将で、それを咎めてたじいちゃんと、親方のおじいさんによく叱られてて、苦手だったって。

 でも、親方もおじいさんが亡くなってから、その大切さに気付いた、って言ってて、それは俺と同じなんだな、って言う感想を持った覚えがある。

 親方のおじいさんが亡くなったのが、俺達が小学五年生の頃、親方は確か四十歳だったはずだ。

 今が親方は四十後半で、早いうちに親を失った、って言って、それはそれで泣いてた覚えがある。

 俺も葬儀には参加させてもらって、その時にもじいちゃんは笑ってて、友がいてくれて良かった、なんて事を言ってたかな。

「悠坊のじいさんはなぁ、本当に泣かない人だったからなぁ。俺も、四十何年か関わって、一度も泣いてる所を見た事が無いなぁ。ばあさんはしょっちゅう泣いてたな、それもよく覚えてる、うちのおふくろは早いうちに死んじまったから、その分面倒を見てくれた、優しい人だった。悠坊は、そんな二人の血を受け継いでるんだろうなぁ、俺にはそう見えて仕方がない。」

「……。受け継げてるのなら、それは嬉しいな。俺、中学生位からかな、じいちゃんに憧れたんだ。じいちゃんに憧れて、じいちゃんみたいな人になりたくて、頑張ってきたつもりなんだ。そうなれてるって言うのなら、嬉しいな。」

 車は高速道路に乗って、東京方面に向かってる。

 そう言えば最近松戸にインターチェンジが出来たっていう話はあったかな、そこから乗って、東京の首都高に向かっていく。

 車窓から景色を眺めてたけど、高速道路に乗っちゃったら、もう殆ど何も見えない、変わり映えのない景色が続いて行く。

 東京に入ったらビルが見えるだろうけど、そこまでは変わり映えのの無い景色だ、と思う。

「そんで、今は浩介君の家で世話になってるんだっけか?浩介君は元気かぁ?」

「元気だよ。今は大学に特待生枠で入りたい、って言って、頑張ってる所だよ。」

「そっかぁ。あの子もひたむきって言うのかねぇ、頑張り屋さんなのは昔から知ってたけど、そうなんだなぁ。」

 親方と浩介は面識がある、って言っても、浩介は覚えてないだろうな、って感じだ。

 今朝の会話からして、親方の事は忘れてるみたいだし、俺から会った事があるよ、って言うのも違うかなって思って、話を合わせてた。

 逆に、親方は幼稚園時代に会った事があるっきりだった浩介の事をよく覚えてたらしくて、俺達が付き合ってる事も知ってる、応援してるよ、なんて言ってくれて、俺達の恋路を応援してくれてる。

 その事は浩介には伝えてなかった、話す機会がなかったって言うのあるけど、俺が基本的にあんまりそう言う話をするタイプじゃないって言うのもあって、浩介に親方の事を話す機会がなかった。

「相変わらずアツアツなのかぁ?」

「あはは、どうだろうね。一緒に暮らし始めて、関係性は変わってないと思ってるけど、浩介がどう思ってるか、に関しては俺はわからないから。でも、一緒に居れて幸せだ、とは思ってるよ。浩介がいてくれなかったら、俺は今頃死んでただろうから。」

 自殺未遂をした事、に関しては、まだ親方には話してない。

 感情的になっちゃうタイプの人だと思ってるし、そもそも公言する様な事でもない気がするし、そう言う諸々があって、話さない気がする。

「そう言う所、じいさんそっくりだなぁ。じいさんにな?ばあさんの事好きなのか、って聞いたらねぇ、俺は好きだけど、ばあさんはどう思ってるかは聞くつもりがない、なんて言ってたんだぞぉ?あれは、ある意味自信があったからなのか、それとも自信がなかったからなのか、どっちなんだろうねぇ。悠坊は自信はあるのかぁ?」

「愛を受け取ってる自覚はあるかな。浩介は俺に愛をくれてる、その自覚はあるよ。」

「そっかぁ、なら良いんだよぉ。」

 親方は、懐かしそうな顔をして話を聞いてくれる。

 じいちゃん達や、親方のおじいさん達とどんな話をしてたか、に関しては俺の与り知らぬ所だけど、そう言う話をした事があるのかなって。

 そんなこんな話してる間に、あっという間に東京に入って、ビル群が顔を覗かせてる。

 何処に行くんのか、に関しては聞いてなかったけど、そう言えば何処に行くんだろう、なんて思いながら、親方の思い出話に耳を傾ける。


「さ、着いたぞぉ?」

「ここって、高いんじゃない?俺、あんまり手持ちにお金持ってないよ?」

「子供がそう言う事を心配するもんじゃあないよ、俺が出すから良いんだよぉ。」

「……。ありがとう、親方。」

 都内の一等地、新宿の少し駅から外れた場所にある、老舗の寿司屋に来た二人、悠介は、自分があまり自由に使える金銭が無い事を伝えるが、社長はそれを気にしていない様子だ。

「こんちわー、大将、やってるかいー?」

「お、あんちゃん久しぶりだね!そっちの坊やは息子かい?」

「いや、馴染みの息子だよ!悠坊ちゅーんだ。」

「あぁ!話に出してた馴染みさんのとこの子かい!さ、座ってくんな!」

 江戸前な板前のいるこの店は、社長がよく社員を連れて来たり、個人的に妻と共に来たりする、そんな店だ。

 社長に子供はいない、子宝に恵まれなかった、というのが悠介の認識で、板前からすると、そんな所に息子がやってきたようにも見えるのだろう、馴染みの息子、で通じるという事は、悠介の話をよくしていた、という事になるだろう。

「さ、悠坊、座りなね。」

「はーい。」

 悠介は、来た事が無い高級店に少し緊張しながら、カウンターに座る。

 この店はそこまで大きくはない、カウンター席しかないタイプの店なのだが、都内の一等地に店を構えている事からも、高級なのだろうという様子が伺える。

「さ、何を握ろうかね!今日のお勧めは真鯛だよ!」

「じゃ、真鯛とお任せで頂こうかなぁ。悠坊は食べれん寿司はあるかね?」

「えっとね、ウニとか蟹味噌が駄目かな。」

「ウニねぇ、美味しいんだがなぁ、まあ苦手なものを食べさせるのは気が悪くなる、大将!」

「はいよ!ちょっと待ってくんな!」

 板前が寿司を握っている姿を眺めながら、悠介はこの板前が歳がいくつなのか、と考える。

 社長の事をあんちゃんと言っていた事から、そこそこ老齢な事が伺えるが、手の皺を観察していると、六十から七十程度だろうか、と推測出来る。

 その年齢まで寿司を握っている、というよりは、その年齢にならないと一人前になれないという世界なのだろうか、と考えるが、こういった高級すしには縁が無かった為、そこまではわからなかった。

「はい!真鯛一丁!」

「ありがとうございます。」

「食べよか、悠坊。」

「うん、頂きます。」

 寿司には煮切りが付けてあって、醤油はいらなそうだ、という趣の様子だ。

 一口食べてみる、そもそも真鯛という魚を食べた事が無かった悠介は、初めて食べる真鯛の味を噛み締める。

 白身独特のあっさりとした脂に、くどくない新鮮な海鮮の香り、そして弾力のある身の食感と、酢飯の塩梅が良く、上等な握りの味がする、と感じる。

「美味しい、こんなに美味しい魚を食べたのも、こんなに美味しい寿司を食べたのも初めてだよ。」

「そか、それは良かったなぁ。」

「なんだか、浩介達に少し申し訳ないかなぁって感じるけどね。」

「良いんだよ、たまにはこういう店で食べるのも、オツってもんだ。浩介君達は、悠坊が稼いでから一緒に来てやれば良いじゃないかぁ。」

 それもそうか、と悠介は考え、こういった場を設けてくれた社長に感謝していた。

 そもそも、悠介が小学生の頃から、悠介の父の会社は傾きかけていた、金銭に不自由が無い程度ではあったが、贅沢を出来る程か、と問われると否だっただろう、そう言った環境で過ごしてきた悠介は、多少貧乏であったとしても、問題はなかった。

 ただ、こういった場で食事をする、という体験をさせてもらった事に感謝をしていた、社長が気を効かせてこういった場を用意してくれたのだろうが、悠介は、浩介達をいつかこの店に連れて来たい、という目標を持った。

「それにしてもなぁ、親父さん達が蒸発したって事は、今は親権者は誰になってるんだ?」

「浩介の両親が、養子縁組をしてくれたよ。今は坂崎性になってる、まあ、学校とかでは殆どの連中には言ってないから、皆は坂入性で呼んでるけどね。」

「そかぁ。でも、そうやって関わってくれる人がいるってのは、有難いなぁ。じじとして、お礼を言わなきゃならんなぁ。今度、ご両親と挨拶する場を設けてくれるかな?」

「俺は構わないよ?」

 悠介は、浩介達に社長を紹介するのは構わない、と考えていた。

 昔馴染みという事もあり、社長としても、今の保護者を知っておきたいだろう、という思考があり、社長を安心させる為にも、浩介達を安心させる為にも、両者を引き合わせる事に関しては賛成だ、と。

「次はお任せだね!マグロ一丁!」

「ありがとうございます。」

「美味いかな?」

「うん、美味しいです。」

 板前は、まだ若いであろう悠介の話と、その落ち着き方を見て、驚きながら寿司を握っていた。

 ただ、客の個人的な話には口を出さない、が金言な板前は、心の中で驚きながら、しかし平静を装って寿司を握っている。

 悠介は高校生位だという事は聞いた事があった、しかし、目の前にいる悠介は、とても高校生とは思えない、それだけ落ち着いていて、言葉が重たい、と感じる。

 それは社長も同じで、何年か会っていない内に、ここまで悠介の祖父に似てくるとは、と感心していた。

「悠坊は、捨てられた事を悲しまないのか?」

「……。悲しい感情が無いわけじゃない、悲しいし、空虚になる事もある。ただ、それよりも家族には無事でいてほしい、達者であってほしい、どこか遠くでも構わないから、生きていてほしい、そう願ってるよ。勿論、死にたくなる程度には悲しかったし、ショックだった。でも、今俺は生きてる、浩介達の力を借りて、自分達の足で立って、生きてる。だから、達者であってほしい、元気でいてほしい。俺が家族に願う事、それはそんな事なんだよ。なんで連れて行ってくれなかったのか、なんで俺だけ置いていってしまったのか、それを考えない訳じゃない、ただね、親方。それよりも、俺は離れたとしても、絆はあると思ってるんだ。いつか、また道が重なる日が来るかもしれない、またいつか、一緒に笑える日が来るかもしれない。だから、俺は生きていかないと。」

「……。ホントに、じいさんにそっくりだな、悠坊は。恨み言の一つでも言って良いだろうになぁ。」

「恨んだ事はない、って言ったら、嘘になるかもしれないね。連れて行ってくれなかった事、それを恨んでないか、と問われると、俺自身わからない部分が大きいんだ。ただ、それを見続けた所で、何も現状は変わってはくれない。命を拾われた俺に出来る事は、生きていく事。浩介に命を拾われて、今の家族に暖かい心を貰った俺に出来る事は、生きて恩返しをする事、だと思ってるから。だから、恨む暇がないって言うのが正しいかな。」

 悠介の言葉、それは嘘偽りのない言葉だった。

 悠介は、本気で家族を恨んでいない、本気で、何処かで元気にやっていてほしい、と願っている、それが社長にはよくわかった、それは、自分の父や、悠介の祖父が、妻に先立たれた時と、まったく同じ事を言っていたのだから。

 父に、母が先に亡くなった時に、何故泣かないのか、長年連れ添った相手なのに、悲しんだり恨んだりしないのか、置いていかれたという話にならないのか、と問うた時、父も、悠介の祖父も、同じ様な返答をしていた。

 恨むよりも、達者であってほしい、厳密には死者と生者なのだから、違いはあるのだろうが、まったく同じ事を言っていた覚えが、社長にはあった。

 懐かしいと感じる、その答弁とでも言えば良いのだろうか、問答と言えば良いのだろうか、そう言った片鱗を、悠介に見ているのだろう、涙を零しそうになりながら、しかし、今泣いてしまったら、悠介の決意を無駄にしてしまうのではないか、と、涙を堪えていた。

「親方、泣きしょうでしょ。」

「……。悠坊は、ホントに怖い位じいさんにそっくりだなぁ。」

「ありがとう、俺の代わりに涙を浮かべてくれて。その気持ちに救われる、その心に支えられてるんだ、俺は。」

「そっかぁ……。」

 社長は、堪えきれずに涙を流す、板前は、社長が泣いている姿をたまに見ていた為、驚かずにおしぼりを渡して、悠介は隣に座っている社長の背中をさすっている。

 本来であれば、逆なのだろう、悠介が泣いて、社長が慰めて、というのが正しい形なのだろう、しかし、悠介は涙を流さない、悠介は昔から、泣く事がない子供だった。

 幼少の折から、誰かをあやしたり慰めたりする側にいた悠介は、こういう時でも泣く事が出来ない、と自分に呆れていた。

 家族に捨てられ、そして浩介に命を拾われ、今では共に暮らす家族がいる、それだけでも、涙するには十分な材料なのだろう、だが、悠介は泣かない。

 まるで、涙を忘れてしまったかの様に、まるで、涙を何処かに捨ててしまったかの様に。


「それじゃ、また来るよ!」

「あいよー!いつでもいらっしゃい!坊やも、今の家族を連れていつかおいで!」

「はい、頑張って連れてこれる様になります。」

 親方が泣きながら寿司を食べて、俺はそれを慰めて、なんて言う事をして、会計が四万位行った事に驚きながら、店を後にする。

 美味しかった、美味しかったけど、なんとなく緊張してたからなのか、ちょっと味の感想が出てこない。

 って言うのは言わないでおこう、何て思いながら、車に乗ってまた首都高へと走って行く。

「そうだ、浩介君達にお土産でも買うかぁ。」

「ん?」

「ほら、連れのせがれが世話になってるんだから、それ位はしておかないと罰が当たるなぁってな。親父さん達の好みとかわかるか?」

「ありがとう、そうだな……。」

 お父さんは晩酌が好きで、お母さんは紅茶が好きで、浩介と悠治は珈琲が好きだったかな。

 浩介はコーヒー牛乳をよく飲んでるイメージだし、悠治も中学生ながら、挽いた珈琲を飲んでんる印象がある。

「お父さんはビールが好きで、お母さんは紅茶かな?浩介と悠治は珈琲をよく飲んでると思うよ。」

「わかった、じゃあ百貨店が良いかなぁ。」

 車を運転しながら、親方は百貨店の方に車を走らせる。

 俺は、そこまでしてもらうのは申し訳ないと思ったんだけど、親方の気が済むのなら、って言うか、そう言う所は不義理をしたくないんだろうな、って察して、感謝の言葉を告げて黙って了解する。

「ここらの百貨店っちゅーと、何処があるかねぇ。」

「調べようか?」

「頼んだよ。」

 スマホで近場の百貨店を調べて、そこに向かって行く。

 ここから十分位の所に百貨店があるらしい、そこに行こうって話をしながら、車を走らせる。


「いやぁ、良かったなぁ。俺も買い物が出来たし、悠坊、付き合ってくれてありがとうなぁ。」

「こちらこそ。お父さん達の分までお土産頂いちゃって。」

「それで、お父さん達はこの後は大丈夫かねぇ?」

「うん、お父さんも今日は休日出勤が終わったって言ってたし、お母さんもパートは終わったって。浩介も悠治も家にいるから、皆家にいるって。」

「そかそか、じゃあ挨拶させてもらおうかねぇ。」

 百貨店でお父さん達へのお土産を買って、高速道路に乗って家の方に戻る。

 お父さん達は家で待っててくれるって言ってて、親方に是非挨拶がしたい、なんて言ってくれて、有難い限りだ。

 浩介も、もう部活が終わって帰ってきてる、悠治も家にいるらしいから、家族全員と会わせる事になる。

 ちょっと緊張してるかもしれない、なんて思いながら、でも親方もお父さん達も良い人達だし、大丈夫かな、なんて思いながら、高速道路を眺めてる。

「さ、ちゃちゃっと帰りますかぁ。」

「そうだね。」

 高速道路を飛ばして、今日は少し天気が悪いかもしれないけど、まだ寒くはないから、有難い気温だ。

 窓を開けて、風に吹かれながら、親方の好きな歌を聴いて、家に戻る。


「ただいまー。」

「お邪魔しますよー!」

「悠ちゃん、おかえりなさい。貴方が親方さんね?悠ちゃんがお世話になってます。」

「いやいや、こちらこそ。お母さんは俺より若いだろうに、立派ですなぁ。」

 親方を家に連れて帰ってきて、お母さんが出迎えてくれる、親方とお母さんが挨拶をして、家に上がってくれって素振りをお母さんが見せて、親方はそれに有難いって言って家に上がる。

 リビングに皆いるかな、なんて思いながら、リビングに行くと、予想通り三人揃っていて、お父さんは少し緊張してるようにも見えなくはないかな。

「貴方が悠介を雇って下さる方ですな?僭越ながら、悠介の父をさせて頂いている、拓海と申します。」

「こちらこそ、悠坊が世話になってますな。俺に話をしてこなかったのは、きっと悠坊が俺を案じての事でしょう。立派な御仁達が、悠坊と一緒に暮らしてくれている、それに感謝していますよ。」

「僕は浩介です、悠介の恋人、って言うか今は兄弟ですけど……。でも、恋人だって言う感覚は、忘れたくないと思って。」

「君が浩介君か、悠坊から話はかねがね聞いてるよぉ。悠坊と、ずっと付き合っててくれたんだろう?俺が言うのもなんだけど、悠坊は難しい性格をしてると思ってたからなぁ、ずっと付き合ってて、大変じゃないかい?」

 親方が浩介を見て、まあ可愛い男を捕まえたもんだ、って感じで感服してる。

 ちょっと余計なお世話な言葉も交じってたけど、でもその言葉は俺を理解してくれてないと出てこない言葉だし、理解してくれてる、って言う考えをすれば、心もざわつかない。

「あはあ……。確かに、悠介は時々難しいって言うか、どういう意味なんだろう?って言う事を話してたりしますけど、それは僕達を想ってくれてるから出てくる言葉なんだ、ってわからないなりに理解してるつもりですよ。悠介は、どんな時でも思いやりを忘れない、どんな時だって、誰かの為を想って行動する。それは、ずっと変わらない事だと思ってますから。」

「お、こりゃ一本取られたなぁ!悠坊、良い彼氏さんじゃないか、大事にするんだぞぉ?浩介君、悠坊がみょうちくりんな事を言ってる時はな、じいさんを思い出してると思うと良いと思うなぁ。悠坊のじいさんってのがな?こりゃまた説教くさいおじじでなぁ、でも、俺達の事を考えてくれてた、って言うのはよくわかる言葉でなぁ。悠坊は、それを受け継いでるんだろうなぁ、って今日思ったよ。だから、悠坊が難しい事を言ってる時ってのは、じいさんから受け継いだ言葉だ、って思うと気が楽になるかもしれないなぁ。」

 リビングのテーブルに座って、お父さん達にお土産を渡しながら、親方はそんな話をしてる。 

 きっと、俺が話題にした事があった、浩介の事に興味があったんだろう、どんな人間で、どんな性格で、どんな性分で、俺と合うのかどうか、俺と一緒に居られる人か、そう言う事を心配してたんだろう。

「それで、そっちの坊やは弟君かな?」

「はい、悠治って言います。親方さん、悠にぃがいつもお世話になってます。」

「おやおや、こりゃまた出来た坊ちゃんだこって。拓海さん、貴方さんの子育ての仕方が良かったんでしょうなぁ。」

 親方は物怖じしないって言うか、人懐っこいって言うか、人見知りを殆どしない。

 それは昔からだった、親方が親父と飲んでた時とかに、親父の部下の人だったり、社員さんだったり、取引先の人がいたとしても、何も気にしてない風貌で話をして。

 それが親父も助かってた、って言う話は聞いた事があった、親方のそう言う所が、気難しい親父にとっては助かった事だ、って。

 それは俺も変わらない、じいちゃんから受け継いだ難しさ、って言うのを、親方はよく理解してくれてる、それは、親父と関係性を築いてきた証でもある。

 親父は、じいちゃんが苦手だって言ってた、だから、あんまり真似をしたくない、あんまり関わりたくない、って言う話を昔からしてた。

 でも、その考え方、生き様は、じいちゃんの息子である事に変わりはなかった、ただ、それを踏み違えた事があるって言うだけで。

 その結果が、俺を置いて蒸発するって言う結果だったんだろう、ただ、気難しい人だ、って母ちゃんも言ってたし、それはじいちゃんから受け継いだ気質なんだろう。

 それを俺も受け継いでる、むしろ、親父よりもっとじいちゃんに近い考えを持ってる、だから、それを知ってる身として、心配だったんだろう。

「いやはや、私もまだまだ未熟者です、悠介に学業に専念して貰いたかったのですが、何分薄給の身でして……。貴方の所で働く、という話は、先程浩介から聞きました。本来であれば、保護者である私が踏ん張らなければならない所なのですが……。」

「それは事情がありましょう。人間、向き不向きは誰にでもあるものです、拓海さん。悠坊は卒業したら俺の所で働く、そしていつか、夢を叶える為に巣立っていく。それで良いのですよ。悠坊には悠坊なりの人生がある、それでいて、拓海さん達と縁があった、そのおかげで生きている、だから良いのです。」

 親方だって、大概説教くさいって言うか、俺と同じ様な事を言ってるじゃないか、なんてツッコミは置いといて、お父さん達に安心してもらう為にも、親方に安心してもらう為にも、会わせて良かった、と思う。

 親方の所に世話になってたら、また違う未来があったのかもしれない、また違う選択肢があったのかもしれない、でも俺は、それを選ばなかった。

 親方は昔から遊んでくれるおじさんであって、頼る対象じゃなかった、って言うのが俺の認識で、だからこそ、こうやって頼ってる事に少し違和感を感じてる位だった。

「親方さん、僕達にまでお土産貰って良いんですか?」

「良いんだよぉ。子供が遠慮することはないんだ、俺からのささやかな気持ちだと思って、受け取っておくれよ。拓海さんの晩酌に付き合いたい所なんですがねぇ、生憎と今日は車でして。また、飲む機会を作って下さいな。」

「はい、勿論です。母さん、お茶を淹れてもらって良いかな?」

「もう淹れてますよー。親方さん、はいこちらどうぞ。頂き物にとっては些細なものだけれど、これ位はおもてなしをしないと、悠ちゃんの恩人に失礼だものね。」

「や、ありがとうございます。頂きます。」

 お母さんが紅茶を淹れて、親方と俺達の分も出してくれる。

 この銘柄、覚えがある、普段はお母さんが飲んでるのは百袋でいくらかの安い品なんだけど、これは違う、お母さんが、とっておきの時の為に買った、って言ってた銘柄だ。

 俺も紅茶に詳しい訳じゃない、馬鹿舌と言われればそこまでなんだけど、そんな俺でもわかる違い、って言うのがあって、それを淹れてくれた、って言うのが、親方を受け入れてくれた証拠なんだろうな、って思う。

「そうだ、親方さん。悠にぃが、ちょっと前に、明確に敵味方が分かれる日が来る、って言う話をしてくれたんです。親方さんなら、その言葉の意味がわかるのかなって。」

「ん?悠坊、お前さんは本当にじいさんにそっくりになったなぁ。悠治君、その言葉の意味はなぁ、守りたい何かが出来た時、それは誰かにとって敵になる、っていう意味だよ。悠坊のじいさんがずっと言ってた事、俺達も中学生位の時に言われて、意味がわからんくてなぁ。それをそうだって認識したのは、かみさんと結婚するちょっと前だったかなぁ。この人を守りたい、って言う事は、何処かに敵がいる、何処か自分の知らない所だったとしても、誰かにとっての敵になる、って言う覚悟が必要なんだ、ってなぁ。」

「誰かにとっての敵になる……。悠介のおじいさんは、それを知ってたんですね。僕達も、それを理解し始めてる年齢って言えば良いんですかね、最近になって、悠介を守りたい、それなら、誰かと戦わなきゃならない、って思ったんです。それが、僕にとっては同級生で、好奇の目で見てくる人で、そう言う人達と戦う事が、悠介を守る事なんだ、って。……。親方さんは、奥さんとお付き合いしてて、それを感じたんですか?」

「そうだねぇ。かみさんは体が弱くてねぇ、いじめられっ子だったんだよ。そんな奴らと戦った、その結果に何があったか、までは言えない約束になってるけどねぇ、でも、それを後悔はしてないよ。誰かと戦う事、誰かを守る事、誰かを傷つける事、そう言うのは、同じ様で違う、違う様で同じ事なんだ、てじいさんが言ってたなぁ。」

 紅茶を飲みながら、親方は懐かしそうな目で浩介を見てる。

 その目は、まるで昔の自分を思い出しているみたいな、そんな感じだ。

 目を見れば感情がわかる、なんてサイコキネシス的な事を言う訳じゃないけど、親方はわかりやすい人だ、表情に感情が出やすい、だから、なんとなく何を考えてるかがわかる。

「懐かしいねぇ、まるで昔の俺達を見てるみたいだなぁ。じいさんの言葉を一生懸命に理解しようとして、俺達の場合は、反発もしてきたけどねぇ。浩介君は素直な子なんだねぇ、悠坊の言葉を、理解しようとしっかり考えてる、それは悠坊にとっても有難い話だと思うよぉ?だろう?悠坊。」

「……。そうだね。皆に俺の言葉を理解してもらうのは、難しい事だと思ってる。俺自身、じいちゃんに言われた言葉をちゃんと理解してるのか、って言われると、まだまだわかってない事が多いから。ただ、浩介達は、俺の言葉を聴いてくれる、ちゃんと耳を傾けてくれる、それはきっと、じいちゃんにとっての俺だったんだろうね。それに、反抗してきたって言っても、親方達もそうだったんだろうね……。じいちゃんが伝えたかった事、何が言いたくて、何を言い残したくて、何を伝えたくて、それはまだわからない事が多い。ただ、俺はそれを理解する義務がある、と思ってるよ。伝えられたものとして、残されたものとして、それを理解して、新しい誰かに伝えていく、それが俺達に出来る事だと思ってるから。」

 親方は、俺の言葉をしみじみと聞いてる、お父さん達は、俺がこういう話をするのを見るのがこれで何回目か、慣れてきたのかうんうん頷いてる。

 俺は、遺されたものとして、伝えられたものとして、愛されたものとして、これを後世に遺す義務がある、って本気で思ってる。

 じいちゃんが誰から受け継いだのか、そんな話を聞いた事はない、誰かから受け継いだのか、それともじいちゃんが発祥で話し始めたのか、それはわからない、ただ、誰かから受け継いだんだと思う、その言葉、その意思、その想いを、俺は後世に生きる子供達に伝える義務がある、と思ってる。

 それは、大多数の人にとってはノイズなのかもしれない、意味のない言葉なのかもしれない、聞きたくない言葉かもしれない。

 でも、必ずその言葉を必要といる人がいる、必ず、その言葉に助けられる人がいる。

 じいちゃんが信じた道、じいちゃんが歩いた道、それを追いかけるんじゃない、肩を並べて、一緒に歩きたいから。


「それじゃあ、俺はこの辺でお暇させてもらおうかな。悠坊、また飯でも行こうなぁ。」

「ありがとう、親方。今日は楽しかった。」

「親方さん、またいらっしゃってくださいね。悠介の事、もっと聞かせてください。」

「あはは、わかったよぉ。それじゃあ、またね。」

 社長が車に乗り、家に帰る。

 悠介は、ひとまず何事もなく今日が終わった事に安心していて、まああの親方なら何も心配いらないか、と気を取り直し、家に戻ろうとする。

「悠介、散歩でもしない?」

「ん?じゃあパーカーだそうか。」

 そんな所に、浩介が悠介を散歩に誘う。

 二人は一旦家に入って、お揃いのパーカーを着ると、手を繋いで夕暮れの道を歩き出す。

「ねぇ悠介、悠介はさ、おじいさんの事好きだった?」

「ん?野暮な質問だな。偏屈なじいちゃんだった、説教くさいじいちゃんだった、でも、好きだったよ。じいちゃんの言葉って、何処か暖かいんだ。説教をしている様で、それでいて暖かい、そんな言葉を掛けてくれてたんだよ。だから俺は、じいちゃんが好きだった。……。じいちゃんは、俺に多くを遺して逝った、それを俺は拾いきれてない、まだまだ思い出して、身につけなきゃならない事が沢山ある。でも、じいちゃんの言葉、じいちゃんの意思、それを継げる事は、誇らしい。」

「素敵だね。とっても素敵だよ、その想い。僕は、おじいちゃんは僕が生まれてすぐに死んじゃったから、どんな人かも知らない、どんな人で、どんな顔をしてて、どんな言葉を掛けてくれてたのかも、わからない。だから、悠介が羨ましい、おじいさんに、沢山の愛情を貰ってた悠介が、少し羨ましい。憧れって言うのかな、僕もおじいちゃんが生きてたら、そうやって意思を継ごうだとか、そう言う事を考えられたのかな、って。」

「……。どうなんだろうな。もしかしたら、受け継ぐって考える事の方が間違ってるかもしれないぞ?自分の可能性を狭めて、窮屈な人生になってしまう可能性だってあるんだぞ?」

「でも、悠介はそう思ってないでしょう?おじいさんの事、大好きだからこそ、受け継ぎたいんでしょう?だから、僕は羨ましいんだ。」

 浩介は、祖父を生まれてすぐに亡くしている、それは、悠治の妊娠が分かった頃で、まだまだ前期つわりがあった頃だった、と母の明美は言っていた、その頃、まだまだ物心もつく前に、浩介の祖父は亡くなったのだ、と。

 だから、ではないが、悠介と絆を築いていた悠介の祖父が羨ましく、そして悠介と祖父の関係性に憧れている、それが正しい感情だろう。

 説教くさいと一言に済ませてしまうのが楽だ、と悠介はそう説明していたが、悠介の祖父は情に厚く、懐が深く、そして何より、他者を想う事にかけては、誰にも負けないだろう、と悠介は考えていた。

 だからこそ、そんな祖父に憧れを持ち、そうなりたいと願っているのだ、と。

「そうだな、じいちゃんの事は、大好きだった。それは今でも変わらない、だからこそ、受け継ぎたいと思ってるんだ。誰かに煙たがられたとしても、誰かに忌避されたとしても、この感情は間違ってないって、俺自身が証明しなきゃならない、それが、俺の意思だから。」

「……。素敵だよ、悠介。誰かにとって敵になったとしても、僕はずっと傍にいる、僕は、ずっと悠介の隣に居たい。それが誰かにとって嫌な事だったとしても、でもずっと、一緒にいたい。」

「ありがとう、浩介。」

 ささやかな日常、愛を確かめあうには、丁度良い陽気だ。

 秋の少し冷たくなってきた空気の中、二人は手を繋いで、歩いて行く。

 そろそろ紅葉の時期だろうか、まだ早いだろうか、少しだけ紅く色づき始めた木々を眺めながら、これからの話をする。

 ずっと一緒に居たい、それは共通項なのだろう、浩介も悠介も、ずっと一緒に居たいと願っているのだろう。

 いつか、死が二人を別つ時まで、と。

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