2:アタナシアは黒猫である
私は猫だ。しかもこの世界では“不吉だと忌み嫌われている黒い毛並み”をしている上に、さらに珍しすぎて“奇異の目で見られる紅い瞳”をした猫。でもたぶん、この世で史上最高に幸せな黒猫でもあると断言できる。
私の名前は“アタナシア”。
名付け親が言うには、“不滅”とか“復活”という意味が込められているらしい。私のことをひと目見た時から、その名前にするんだって決めていたとか。私の飼い主はネーミングセンスも最高だ。
あの運命の出会いから数年。私は溢れんばかりの愛情を一身に受けてすくすくと成長していた。
そう。死にそうな、ただのか弱い子猫でしかなかった私は……今では夜の帳が下りたような艷やかで滑らかな黒毛とルビーのような紅い瞳をした、まさに“美猫”へと変化したのである。“不吉な色”なんて迷信を吹っ飛ばすくらいの美しさだと自負している。
なにせマーマが毎日のようにブラッシングしてくれるし、隅々まで念入りにお手入れをしてくれるのだ。肉球なんてもっちりぷにぷにで、この肉球パンチで何人の使用人を骨抜きにしたことか……。ふっ、もはやこの屋敷内に私のことをとやかく言う人間はいないだろう。
なによりもマーマは私のことを1番に愛してくれている……これ以上の幸せなんてどこにもない。そう、どこにもね!
幸せを噛み締めながらお気に入りのクッションの上で軽く手足を伸ばしていると、玄関の方に気配を感じてヒゲがピクリと反応する。間違えようのないその気配に私はそわそわとしながら急いで立ち上がった。
「にゃーん!(マーマが帰ってきたわ!)」
私の鳴き声と同時に部屋の扉が勢いよく開き、銀色の髪がふわりと舞う。そしてその人物の2本の腕が伸びてきて私の体を抱きしめたかと思うと、美少女として完璧な美しい顔をおもむろにふわっふわの腹毛に埋めて「す~っ!は~っ!」と息を吸ったり吐いたりしだしたのだ。
所謂「猫吸い(猫の腹毛に顔を埋めて匂いを嗅がれる行為)」というやつだ。初めてされたときはくすぐったくて戸惑ったがマーマのぬくもりを感じられるし、なによりもこれでマーマが元気になるのならば私の腹などいくらでも差し出す所存である。
「すぅぅぅぅぅうっ!ぷはぁっ!……あぁ!毎日このために生きている!」
まるで仕事終わりに冷たいビールを飲み干したおじさんかのような感想を叫んだマーマが「会いたかったわ~、アタナシア~っ」と締まりのない顔を再び私の腹毛に埋めた。
日課になりつつあることとはいえ、今日はいつもより激しめに吸われているように感じる。うーむ、どうやらマーマは大きなストレスを抱えているようだ。
それならばと、私はさらなる癒しを与えるために爪を引っ込めた肉球をマーマのおでこにぷにっと押し当てた。肉球スタンプを押されたマーマは瞳を潤ませて「アタナシア~!わたくしを慰めてくれるなんて、なんていい子なのかしら!大好き!」と、今度は肉球の匂いをすんすんと嗅ぎだしてうっとりとした顔をしている。
一応マーマの名誉のために言っておくが……これは合法です。
ちなみにこの光景を使用人たちはほのぼのした顔で見守っていた。仕えている高貴なお嬢様が「アタナシアは肉球もいい匂いですわ~!スーハースーハー。ほわぁぁぁ~」なんて言ってても素知らぬ顔で総スルーだ。
まぁ、マーマのストレスの原因なんて今のところひとつしかない。それがわかっているからこそマーマが猫吸いに走っても誰も何も言わないのだが。
でもそろそろ、(私が)限界かなぁ……?
《《もうひとつ》》の気配を遠くに感じ取った私が目を細めたが、それに気付く“人間”はここにはいないようだった。
✱✱✱
マーマことオリヴィア・アルジェントは、アルジェント公爵家の一人娘で公爵令嬢だ。ざっと調べただけだが、この国の高位貴族で“高貴な存在”であることは確かである。いろんな意味で、だが。
それまでは屋敷で家庭教師に勉強を習っていたのに、2年くらい前から学園なるところに通い出した。マーマと会えない時間が増えたので寂しかったのだが、マーマが将来の夢を叶えるためには必要なことらしい。なんでも女公爵となって政治の仕事に携わりたいのだとか。そのためには学園を好成績で卒業することが最低条件らしいのだ。もちろん女の身で公爵の名を継ぐのは簡単ではない。五百年前も貴族の男尊女卑は酷かった。少しはマシになっているようだとはいえ、人間の悪習なところは五百年経っても根本的に変わらないのだろう。
しかしマーマは頑張った。入学試験では首席となり、テストでは毎回トップ3に入る成績をおさめ続けた。それにダンスはともかく、乗馬やアーチェリーなど令嬢なら苦手分野と言われるスポーツも猛特訓の末に完璧にこなしている。涼しい顔をしているが毎夜筋肉痛にのたうち回っているのを私だけは知っているのだ。
つい“寂しいよコール”の切ない鳴き声で見送ってしまう(本能)のだが、マーマは毎朝それを涙をちょちょぎらせながら振り切り無遅刻無欠席を成し遂げている。
成績優秀な優等生で、スポーツも万能。さらには美貌の公爵令嬢。
2年生に進級する頃には「完璧な淑女」と呼ばれるようになっていた。
そんなこんなで、マーマは努力した結果、みんなに認められたわけだが……その努力が仇となった事件が起きてしまったのである。
「にゃーん」
「!」
私がマーマの腕を尻尾の先でペチペチと叩くと、マーマは何かを察して私から顔を離した。そしてそれまでしていた締まりのない顔をキリッとした顔つきに戻すと、扉の方を軽く睨むようにして立ち上がったのである。
これだけ近付いてくればさすがにマーマにもわかったようだった。まぁ、足音はうるさいし怒鳴り声だって嫌でも聞こえてくるからね。
使用人たちも全てわかったようで部屋にはピリッとした空気が流れた次の瞬間。
「オリヴィア!ここにいるんだろう?!隠れてないで出てこい!」
「……何か御用ですか?レグルス殿下」
マーマがあからさまにため息をつきながら名前を呼んだ金髪碧眼の男は、マーマを見つけると「ふん、相変わらず愛想の無い女だ。婚約者がやってきたというのに微笑みのひとつも見せられないのか」と眉間に皺を寄せた。
そう、荒々しく開けられた扉から現れたのはマーマの婚約者であり、マーマのストレスの原因でもあった。
この横柄な男の名は、レグルス・ドラータ。この国の第一王子だ。金髪碧眼は王家の人間にだけ現れる色で尊いらしい。私からしたらマーマの髪色や瞳の色の方が何百倍も美しく見えるのに、こんな色の方がいいなんて人間には節穴の目を持つやつが多いようだ。
そして1番ムカつくのが、この男がマーマを婚約者に指名したということである。「優秀」な「公爵令嬢」だからと王命まで使って無理矢理婚約者にしたくせに、こうやってアポなしでやってきては「愛想が無い」だの「可愛げがない」だのとのたまっていやがる。一応、学園内ではそれなりに婚約者としての態度だと聞いてはいるが……。
「殿下……何度も申しておりますが、先触れもなしに突然お越しになられては困ります。いくら婚約者とはいえ、最低限のマナーは守っていただかなければとてもご対応など出来ませんわ」
通訳すると、マーマは「アポなしでやってきたアホに出すお茶はねぇ」と言っている。しかしアホには理解出来なかったらしく、レグルス王子はふんと鼻を鳴らした。
「お前は“臨機応変”という言葉を知らないのか?いついかなる時も俺のために前もって準備しておくのが婚約者の仕事だろうが」
そんな仕事あってたまるか。ああ、あのドヤ顔をこの爪で引き裂いてやりたいわ。しかし相手は腐っても王族。ペットの私が王子を傷つけたとなればその責任はマーマが取らされてしまうのだ。我慢我慢……。
「……それで、今日はどんな御用でしょうか?」
さすがはマーマ、にっこりと淑女の笑顔でアホの相手をしている。ちょっと青筋が浮かんでるけれど、笑顔は崩さずキープ出来てるわ。こうなったら話を聞くだけ聞いて早く帰ってもらった方が良さそうだしね。どうせいつもの愚痴のようなくだらない話だろうし。
するとレグルス王子はチラッと私を見て「チッ!まだあの不吉な黒猫を飼っているのか。気味が悪い」とこれ見よがしに舌打ちをしてからとんでもない事を言い出したのである。
「まぁいいだろう。さぁ、断罪の時間だ!────オリヴィア・アルジェント公爵令嬢、俺はお前との婚約を破棄してアンシェラ・ロゼオ男爵令嬢と婚約することにした!
これからお前の罪を公の場に晒してやるから覚悟しろ!」
史上かつてないほどのドヤ顔で、腰に手を当ててマーマを指さしたレグルス王子が鼻息を荒くしてそう叫んだのだが……。
「「はぁ?」」
この時、私とマーマの心がひとつになったのは言うまでもない。おっと、思わず声を出しちゃったけどマーマのセリフにかぶってたから気づかれてないわよね?
それにしても五百年も経つと、神や天使が地上と関わることがなくなってほとんど奴らの気配を感じないから気楽だったのに……神たちより私をムカつかせる事の出来る人間がいたようである。




