第八話 調査依頼と、名門令嬢との出会い
第三ダンジョン浅層での異変から二日後。
朝比奈薬店の裏口には、朝から妙に落ち着かない空気が漂っていた。
「湊、そっちの青葉草、先に細かく刻んどくれ」
「うん」
祖母に言われて返事をしながらも、僕の意識は半分くらい別のところへ向いていた。
店の表には、いつもより多くの探索者が来ている。
理由は簡単だ。浅層の異変が噂になり、初心者探索者たちがいつも以上に薬を求めているからだ。
「黒いスライムが出たって、本当なんですかい」
「変異牙兎まで出たって話だぞ」
「しばらく第三はやめとくか……いや、でも他も混むしなあ」
表から聞こえてくる会話に、僕は包丁を持つ手へ無意識に力を入れてしまう。
あの日、僕たちが見たものは、もう完全に個人の秘密で済む話ではなくなっていた。ギルドは初心者ルートの一部閉鎖と簡易調査を始めたらしい。けれど、それで終わるはずがない。黒濁スライムの群れなんて、どう考えても異常事態だ。
「考えごとしながら刃物を持つんじゃないよ」
「……あ」
祖母の声に、僕は慌てて手を止めた。
「ごめん」
「いいよ。気になるのは分かるからね」
祖母は乾燥中の薬草を裏返しながら、ちらりと僕を見る。
「でも焦ったって答えはすぐ出ない。今は今できることをしな」
「うん」
分かっている。
けれど、落ち着かないものは落ち着かない。
御子柴さんからは昨日の夜、「近いうちに話がある」とだけ連絡が来ていた。あの人の“話がある”は、だいたい穏やかじゃない。
そこへ、表の扉についた鈴が鳴る。
いつもの来客音。
だけど、その直後に祖父の声が少しだけ低くなった。
「……ギルドの人間がこんな朝から何の用だ」
心臓が跳ねた。
僕は思わず作業場の入口へ目を向ける。
すると表の店先には、見慣れた黒髪の女性――御子柴雫さんが立っていた。
その隣に、もう一人。
学校の制服ではなく、上質そうな淡い色のブラウスに落ち着いたスカート。整った顔立ちに、艶のある栗色の髪。姿勢が綺麗で、立っているだけで育ちのよさが分かるような少女だった。
僕はその顔に見覚えがあった。
「……篠宮、さん?」
思わず声が漏れる。
少女がこちらを見て、わずかに目を細めた。
「朝比奈くん。やっぱりあなた、ここにいたのね」
篠宮ひまり。
同じ学校、同じ学年。教室が違うからほとんど接点はないけれど、知らないはずがない。ダンジョン素材や製薬分野で大きな影響力を持つ篠宮グループの令嬢で、成績優秀、容姿端麗、おまけに希少な火属性魔法持ち。学校でもよく目立つ存在だ。
そんな彼女が、どうして御子柴さんと一緒に、うちの店へ。
「とりあえず奥で話せるかしら」
御子柴さんが言う。
「内容は仕事。あまり表で話したくないわ」
祖父の眉間の皺が深くなる。
祖母は僕を一度見てから、静かに頷いた。
「湊、裏へ案内しな」
「……うん」
嫌な予感しかしなかった。
◇
裏の応接スペースは、普段は業者との打ち合わせや、馴染みの客を休ませる時に使う小さな部屋だ。
木の机と椅子、薬草の匂いがうっすら染みついた壁。豪華さはないけれど、妙に緊張するには十分だった。
向かいに座る御子柴さんは相変わらず淡々としている。
その隣で、篠宮さんは背筋を伸ばしたまま静かに僕を見ていた。
一ノ瀬さんがここにいなくてよかった、と少しだけ思う。
たぶん今この場にいたら、空気がもっとややこしくなっていた。
「まず紹介しておくわ」
御子柴さんが口を開く。
「篠宮ひまりさん。篠宮グループの次期中核候補であり、第三ダンジョン関連の浅層素材調査に家の名義で協力しているわ」
「協力って」
「うちの会社は第三周辺の薬草流通と簡易処方薬の品質管理にも関わっているの」
篠宮さんが答えた。
声はよく通るのに、押しつけがましさがない。
けれどその分、ひとつひとつの言葉がはっきりしている。
「浅層で変異個体や黒濁スライムが出たとなれば、素材の流れも市販薬の安全性も見直しが必要になるわ。ギルドだけの問題ではないの」
「それは、分かります」
「でしょうね」
少しだけ含みのある言い方だった。
僕が黙ると、御子柴さんが間を埋めるように続けた。
「単刀直入に言うわ。第三ダンジョン浅層の異変について、現場を知る人間としてあなたにも協力してほしい」
「僕が?」
「ええ」
「でも僕は、ただ居合わせただけで――」
「居合わせただけの見習い探索者が、黒濁スライム相手に生還して、負傷者二名を連れて戻ってきたのよ」
御子柴さんの指摘は容赦がない。
「偶然で片付けるには少し出来すぎているわ」
そこで、今まで黙っていた篠宮さんがすっと口を開いた。
「それに、あなたの家はダンジョン産薬草の扱いに長けている。現場でどんな薬草が荒らされ、どんな痕跡が残っていたか、普通の探索者より正確に見ている可能性が高い」
「それだけ、ですか?」
僕は慎重に尋ねた。
篠宮さんはわずかに首を傾ける。
「何が言いたいの?」
「いや、その」
言えない。
“本当はもっと別のことを疑ってるんじゃないか”なんて。
けれど彼女は、僕の曖昧な視線の意味を察したらしかった。
「はっきり言うわ」
その口調には、やはり高いプライドと真っ直ぐさが滲んでいた。
「私は、あなたの店の薬に興味がある」
やっぱり。
心臓が嫌な音を立てる。
「正確には、先日の救護記録と負傷者の回復速度に、少し不自然な点があった」
「……不自然」
「ええ。病院側の初期見立てよりも、回復が早すぎる」
篠宮さんは机の上へ数枚の紙を置いた。
簡易な記録の写しらしい。もちろん僕には全部は読めないけれど、神谷さんや美琴さん、一ノ瀬さんの処置後経過がまとめられているようだった。
「通常の浅層用処方で説明できないとまでは言わない。でも、かなり上振れている」
「……」
「そして朝比奈薬店は、昔から品質にばらつきが少ない堅実な店として知られている。急に“偶然だけ”でそんな結果が出るかしら?」
鋭い。
御子柴さんが秘密を守ろうとしてくれている一方で、この人は別方向からちゃんと辿り着いてきている。
篠宮グループの人間だという肩書きは、伊達じゃないらしい。
「ひまりさん」
御子柴さんが釘を刺すように名前を呼ぶ。
「今日は断定しに来たわけじゃないでしょう」
「ええ、もちろん」
篠宮さんは一度だけ息を整えてから、僕へ視線を戻した。
「誤解しないで。私はあなたを糾弾したいわけじゃない」
「……じゃあ何を?」
「見極めたいの」
その言葉は静かだった。
「第三で起きている異変と、現場で必要とされる対処法。そして、もしあなたの家に何か有効な知見があるなら、それが危険な独占や搾取に繋がらない形で扱えるかどうかを」
僕は思わず目を瞬かせた。
独占や搾取。
そういう言葉が、この人の口から自然に出るのは少し意外だった。
「意外そうな顔ね」
「少し」
「篠宮家の人間だから、利権の話しかしないと思った?」
図星だったので返事に困る。
篠宮さんはわずかに眉を寄せた。
「否定はしないわ。家の中には、才能も技術も“管理資産”としか見ない人がいる。だからこそ私は、そういうやり方が嫌いなの」
その声音には、はっきりした熱があった。
上品に整えられた外見の奥に、強い芯がある。
なるほど。
この人はただの優等生令嬢じゃない。
「それで、調査依頼っていうのは?」
僕がようやく本題へ戻すと、御子柴さんが頷いた。
「明日、ギルドと篠宮側の合同で、第三ダンジョン浅層の再確認が入る。正式な大規模調査というより、事前の限定確認よ」
「僕に参加しろってことですか」
「強制ではないわ」
御子柴さんが言う。
「でも、現場を知る人間としていてくれると助かる」
「うちからもお願いしたいわ」
篠宮さんが続ける。
「もちろん、探索者としての安全は最大限確保する。あなたに危険な前衛をやれとは言わない。薬草帯の変化や、通常と違う素材の状態を見てほしいの」
理屈としては分かる。
でも、参加すればまた危険な場所へ行くことになる。しかも今度は、さらに人の目が増える。
僕が黙っていると、篠宮さんがほんの少しだけ表情を和らげた。
「無理にとは言わない。でも、あなたは先日の現場で、逃げるだけじゃなく助ける方を選んだ人でしょう?」
その言い方は、少しずるい。
反論しにくいところを突いてくる。
でも嫌な感じはしなかった。むしろ、こちらをちゃんと見た上で言っているのが伝わる。
「……一つ、条件があります」
気づけば、そう口にしていた。
御子柴さんが目を細める。
「聞きましょう」
「もし僕が行くなら、危険が増えた時点で即撤退の判断を優先してください。変に原因究明を優先して、救助や生還を後回しにするのは嫌です」
篠宮さんが一瞬だけ目を見開く。
それから、すぐに小さく頷いた。
「妥当な条件だわ」
「むしろ当然ね」
御子柴さんも同意する。
「ほかには?」
「……僕の家の薬や処方について、勝手に調べないでください」
少しだけ勇気が要った。
でも言わないといけないことだった。
「必要なら話せる範囲で話します。でも、店や家族に無断で踏み込まれるのは困ります」
数秒、沈黙が落ちた。
先に口を開いたのは篠宮さんだった。
「分かったわ。約束する」
「ひまりさん」
「私は条件を呑むと言ったの。協力を求める側が、最低限の敬意も払えないなら話にならないでしょう」
御子柴さんは何も言わず、ただ小さく肩をすくめた。
否定ではないらしい。
そこで部屋の隅で黙っていた祖父が、ようやく低い声を出した。
「湊、お前はどうしたい」
その問いに、僕は息を呑む。
どうしたいか。
怖いに決まってる。
また黒濁スライムが出るかもしれない。僕の薬も、使えば使うほど目立つ。
でも。
「行きたい」
答えは、もう決まっていた。
「第三で何が起きてるのか、知りたい。薬草帯の異常も放っておけないし、もしまた同じことが起きたら、今度はもっと備えて動けるようになりたい」
祖父は黙って聞いていたが、やがてひとつ頷いた。
「なら行け」
「じいちゃん」
「ただし、無茶はするな。お前は探索者である前に、うちの跡取りの薬師見習いだ。死ぬなよ」
「……うん」
その言葉に、胸が少し熱くなる。
祖母もやわらかく笑った。
「帰ってきたら、見たもの聞いたもの全部話しな。店でも対策を考えるからね」
「分かった」
話がまとまりかけたその時、篠宮さんが僕を見て言った。
「それなら明日は私も同行するわ」
「え?」
思わず間の抜けた声が出た。
「私も、って……篠宮さん本人が?」
「当然でしょう。現場を見ずに机の上だけで判断するつもりはないもの」
「いやでも、危ないよ?」
「あなたにだけは言われたくないわね」
即答だった。
ぐうの音も出ない。
御子柴さんが額に手を当てる。
「一応言っておくけれど、ひまりさんは希少魔法持ちで、戦闘能力そのものは高いわよ」
「それは知ってますけど……」
「知っているなら問題ないでしょう」
篠宮さんはさらりと言った。
自信家だ。
でも、ただ偉そうなだけじゃない。ちゃんと実力があるからこその言い方だと分かる。
「それに」
彼女は少しだけ声を落とした。
「あなたのことも、もう少し知りたいし」
心臓がどくりと鳴る。
「え?」
「現場での判断の仕方。薬草を見る目。どうしてあの日、危険を承知で負傷者を助けたのか。そういう意味よ」
「そ、そうだよね」
何を一瞬変な方向に受け取ってるんだ、僕は。
けれど、篠宮さんの口元がわずかに上がったように見えたのは、気のせいじゃない気がした。
「じゃあ決まりね」
御子柴さんが立ち上がる。
「明日、朝八時に第三ダンジョンのギルド側控室へ。装備はいつもの採取装備でいいけれど、前回より少し余裕を持たせて」
「分かりました」
「あと、一ノ瀬さんにも声をかけておくわ」
「えっ」
「前衛としては優秀だし、前回の現場経験者でもあるもの」
明日、大丈夫かな。
僕の頭には、槍を担いで元気よくやって来る一ノ瀬さんの姿と、それを見て少し冷たい顔になる篠宮さんの姿が、なぜか妙に鮮明に浮かんだ。
胃が痛くなりそうだ。
◇
二人が帰ったあと、僕はしばらく応接スペースでぼんやりしていた。
机の上には、御子柴さんが置いていった簡易資料。
そこには第三ダンジョン浅層の封鎖区画と、薬草帯の変化に関する簡単なメモが記されている。
「大変なことになってきたねえ」
祖母がお茶を置きながら言った。
「……うん」
「でも、あの子」
「あの子?」
「篠宮さん。ずいぶん真っ直ぐな目をしてたよ」
祖母の言葉に、僕は少し驚く。
「そうかな」
「そうさ。育ちのいいお嬢さんってだけじゃないね。ああいう子は、変にごまかすより誠実に接した方がうまくいく」
「ばあちゃん、そういうの分かるんだ」
「長く店をやってるとね、人の顔くらい見えるようになるのさ」
祖母はそう言って笑った。
たしかに、篠宮さんは鋭かった。
僕の秘密にかなり近いところまで来ている。
けれど、それでもまだ無理やり暴こうとはしなかった。
知ろうとしている。
見極めようとしている。
その姿勢自体は、少しだけ信じてみてもいいのかもしれない。
その夜、準備を整えてから部屋へ戻ると、スマホに一件のメッセージが来ていた。
差出人は、一ノ瀬澪。
‘’明日、御子柴さんから聞いた!
また潜るんでしょ
今回は新しい女の子までいるって本当?‘’
最後の一文を見て、僕は思わず頭を抱えた。
どうしてそこが最初に来るの。
すぐにもう一件。
‘’ちゃんと説明してね
あと朝比奈くんだけ先に危ないことしたら怒るから‘’
画面を見つめて、思わず小さく笑ってしまう。
怒るから、か。
なんだかもう、それが少しだけ当たり前になりつつあるのが不思議だった。
僕は短く返信する。
‘’分かった
明日よろしく‘’
送信してから、ベッドに腰を下ろす。
明日はまた第三ダンジョンだ。
異変の調査。
御子柴さん。
一ノ瀬さん。
そして篠宮さん。
人も情報も増えていく。
秘密を抱えたまま動くには、どんどん難しくなっていく。
それでも、立ち止まってはいられない。
浅層で何が起きているのか。
黒濁スライムはなぜ現れたのか。
薬草帯の異常は何を意味しているのか。
その先に、自分の《錬金術》と繋がる何かがあるのかもしれない。
窓の外では、夜風が静かに木々を鳴らしていた。
明日、また何かが動く。
そんな予感だけが、やけにはっきりと胸の中に残っていた。




