↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン薬師の隠し秘術 〜世界初の錬金術師になった内気な僕は、正体を隠して最強へ至る〜  作者: 障子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/66

第六話 救助、黒濁スライム、そして初めての決断

「……た、す……け……」


かすれた声だった。

 けれど聞き間違いじゃない。間違いなく、人の声だ。


一ノ瀬さんが槍を握る手に力を込める。

 御子柴さんはすぐに片手を上げて、僕たちをその場で止めた。


「先に状況確認。飛び込まないで」


声は小さいのに、有無を言わせない強さがある。


僕たちは息を潜めたまま、小部屋の奥を見つめる。

 薄暗い空間の先に、さらに細い通路が伸びていた。声はその向こうから聞こえてくるらしい。床には黒ずんだ粘液が帯のように続いている。さっき見た黒い大柄の牙兎だけじゃない。この先に、異変の中心がある。


「朝比奈くん」


「は、はい」


「治療液と中和液、すぐ出せる位置に」


「うん」


僕は革袋の口を緩め、指が届く位置に瓶を並べ直す。

 心臓がうるさい。怖い。だけど今ここで震えているだけじゃ駄目だ。


「一ノ瀬さん、先頭は私が見る。あなたは二番手。敵影が出たら迎撃じゃなく、まず足止めを意識」


「了解」


「朝比奈くんは三番手。絶対に孤立しないこと。いいわね?」


「……はい」


御子柴さんは最後に一度だけ僕の目を見た。

 それだけで少しだけ落ち着く。今は考えるより、やることをやるしかない。


僕たちはゆっくりと奥の通路へ進んだ。


石壁の隙間から湿った空気が流れてくる。

 鉄臭さ。腐った水みたいな匂い。

 そして、何かが這いずる、ぬめった音。


数歩進んだ先で、通路は少し開けた空間に繋がっていた。そこを覗き込んだ瞬間、僕は思わず息を呑んだ。


「……っ」


壁際に、若い男性探索者が一人、座り込むように倒れていた。

 足を負傷している。太腿のあたりから血が滲み、片腕には黒い粘液がまとわりついていた。顔色は悪く、意識も飛びかけているように見える。


そして、その前。


部屋の中央で、黒く濁った巨大なスライムがうごめいていた。


普通のスライムの倍以上はある。半透明ではない。泥水みたいに濁った体内で、何か赤黒い筋が脈打っている。表面はぶくぶくと泡立ち、ときおり酸のような液を床へ垂らしていた。


「黒濁スライム?」


一ノ瀬さんが小声で呟く。


「知ってるの?」


僕が尋ねると、彼女は嫌そうに顔をしかめた。


「上の階層に出ることがある変異種って授業で少しだけ。普通のスライムより粘性も毒性も高くて、装備を溶かすこともあるって」


「浅層にいていい相手じゃないわね」


御子柴さんの声も硬い。


その時、負傷した探索者がかすかに顔を上げた。


「だ、れ……」


「静かに」


御子柴さんが短く制する。

 だがその声に反応したのか、黒濁スライムの表面がぶるりと揺れた。


「来るわ!」


次の瞬間、黒濁スライムの体表から黒い塊が弾けるように飛んだ。


「粘液弾!」


一ノ瀬さんが前へ出る。槍の柄で受け流したが、石畳へ落ちた粘液がじゅっと煙を上げた。


「うわ、腐食っ!?」


「まともに触らない!」


御子柴さんが叫ぶ。


黒濁スライムがずるりと前進する。速くはない。けれど通路を塞ぐには十分な巨体だった。しかも表面からじわじわと黒い粘液が広がっていて、近づき方を誤れば足を取られる。


「朝比奈くん、足止めできる!?」


「粘着液は――たぶん効くけど、相手が大すぎる!」


「十分よ、まず動きを鈍らせて!」


「やってみる!」


僕は透明瓶を取り出し、狙いを定めた。

 怖い。外したら……。

 黒濁スライムがまた体を震わせる。


「今!」


瓶を投げる。


粘着液はスライムの進路前方へ叩きつけられ、床一面へ広がった。次の瞬間、黒濁スライムの外縁がそれに乗り、ぬるりとした動きが目に見えて鈍くなる。


「効いた!」


「完全には止まらないけど十分!」


一ノ瀬さんが横へ回り込むように動く。

 だが槍先を向けながらも、すぐには踏み込まない。相手の粘液が危険すぎる。


「核、見える?」


「濁ってて分かりにくいわ」


御子柴さんが素早く観察する。


「中央やや上、赤黒く脈打ってる部分が怪しい。でも表層が厚い」


普通のスライムなら突けば終わる。

 でもこいつは違う。雑に刺せば槍が腐食するかもしれない。


黒濁スライムが低く泡立ちながら、今度は床に粘液を撒き散らした。

 退路側へまで黒いしみが伸びていく。


「まずい、足場がなくなる!」


一ノ瀬さんが舌打ちした。


「朝比奈くん、煙は!?」


「刺激煙はたぶん――」


言いかけて、はっとする。

 煙。刺激。粘液。

 頭の奥で、《錬金術》の感覚がざわりと反応した。


「……待って。もしかしたら」


「何か思いついたの?」


御子柴さんの問いに、僕は革袋を探る。昨夜の試作で残した小粒の刺激煙と、中和液の小瓶。それに、採取途中で拾った青葉草の切れ端。


「刺激煙だけだと、あれの表面を乱せるだけかもしれない。でも――中和液と混ぜたら、粘液の性質を崩せるかも」


「即興で?」


「わからない。でも、感覚がそう言ってる」


一ノ瀬さんがちらりと黒濁スライムを見る。

 相手は粘着液に動きを削られつつも、じわじわこちらへ迫ってきていた。時間はない。


「やるなら今しかないよ!」


「……朝比奈くん、できる?」


御子柴さんの声は落ち着いていた。

 でもそれは丸投げじゃない。失敗した時の危険も含めて、僕に選ばせている。


僕は黒濁スライムを見る。

 壁際の負傷者はもうほとんど動けない。

 ここで撤退すれば、たぶんあの人は助からない。


胸の奥が、冷たく、熱く、きつく締まる。


「……やる」


「分かった。十秒作るわ」


御子柴さんが即断する。


「一ノ瀬さん、牽制!」


「任せて!」


一ノ瀬さんが前へ踏み込み、槍を石床すれすれに滑らせるように突き出した。狙いは核じゃない。黒濁スライムの表面を削り、注意をこちらへ向けるための一撃だ。粘液が飛び散る。槍の穂先がじゅっと音を立てた。


「ほんとに腐食する!」


「無理に深追いしないで!」


その声を背に、僕はしゃがみ込む。


革袋の中で小皿代わりの金属蓋を取り出し、刺激煙の粒を砕く。そこへ中和液を数滴。青葉草を指先で潰して混ぜ込む。普通ならこんな雑な調合はありえない。けれど今は、手順がはっきり見えていた。


――混ぜろ。

 ――刺激性を散らさず、粘液だけを崩せ。

 ――火ではなく、衝撃で広げる。


掌の中で、粉と液が淡く濁る。

 昨夜ほどの光はない。けれど、確かな手応えがあった。


「朝比奈くん!」


御子柴さんの声に顔を上げる。

 黒濁スライムが一ノ瀬さんへ大きく体を伸ばしていた。もう猶予はない。


「いきます!」


僕は即席調合した小瓶を、黒濁スライムの体表へ向けて投げた。


ぱりん、と砕ける。


一拍遅れて、黒濁スライムの表面が大きく泡立った。


「ギュアァァァッ!?」


スライムのくせに悲鳴みたいな音を上げる。

 黒い体表がぶくぶくと崩れ、粘液の層が薄く剥がれていく。赤黒い脈動部が、さっきよりはっきり露出した。


「核が見えた!」


「一ノ瀬さん、今よ!」


「了解!」


一ノ瀬さんが床を蹴った。

 最短距離。迷いのない踏み込み。

 突き出された槍が、露出した核へ一直線に走る。


ぐしゃ、と鈍い感触。


黒濁スライムの巨体がびくんと跳ねた。

 けれど仕留め切れていない。核の奥まで届いたはずなのに、まだ脈打っている。


「硬っい!」


「退いて!」


次は御子柴さんだった。

 彼女は横から踏み込み、一ノ瀬さんの槍が穿った穴へ向けて、警棒ではなく短い投擲ナイフを突き込んだ。いつの間にそんなものを持っていたのかと思う間もなく、刃が核の中心へ深く沈む。


次の瞬間、黒濁スライムの脈動が止まった。


ずるり、と巨体が崩れる。

 黒い泥のような残骸が床へ広がり、じゅうじゅうと音を立てながら動きを失っていく。


静かになった。


僕はその場に立ち尽くしたまま、数秒、呼吸の仕方を忘れていた。


「……倒した」


一ノ瀬さんが槍を引き抜き、荒く息を吐く。

 穂先の一部が少し黒ずんでいた。


「武器の洗浄、あとで必要ね」


御子柴さんも息を整えながら言う。

 彼女の額にも珍しく汗が浮いていた。


「朝比奈くん」


「は、はい」


「救助が先よ」


「あっ、はい!」


我に返って負傷した探索者のもとへ駆け寄る。

 近くで見ると、想像以上にひどい。太腿の裂傷も深いが、問題は腕にべったり付着した黒い粘液だった。皮膚が赤黒くただれ始めている。


「大丈夫ですか!?」


「ぁ……まだ……生きてる、か……」


無理に笑おうとして、顔が歪む。

 若い。僕たちとそう歳は変わらないか、少し上くらいだ。


「名前、言える?」


御子柴さんが膝をつく。


「か、神谷……陸人……」


「仲間は?」


その問いに、神谷さんの目が見開いた。


「妹……っ、先に、逃がした……でも、通路の……奥で……」


「まだいるの!?」


一ノ瀬さんが振り向く。


僕の背中に嫌な汗が走った。

 まだ終わっていない。


「落ち着いて、順番にいくわ」


御子柴さんは即座に判断する。


「朝比奈くん、この人に中和液は使える?」


「たぶん……でも、まず粘液を拭ってからじゃないと」


「治療液は?」


「傷には効く。でも黒濁の腐食毒が残ってたら、そっちを抑えないと効果が薄い」


「分かった」


彼女は一ノ瀬さんを見る。


「一ノ瀬さん、単独で奥を見に行くのは禁止」


「でも、妹さんが!」


「だから二十歩までの確認に制限する。視界が通る範囲だけ見て、敵影があれば即戻る。絶対に追わない」


「……了解!」


一ノ瀬さんは悔しそうに頷き、奥の通路へ駆ける。


その間に僕は水筒の水と布を使い、神谷さんの腕に付着した黒粘液を慎重に落としていく。完全には除けない。けれど、中和液を少しずつ垂らすと、黒い粘液がしゅわっと泡立って剥がれやすくなった。


「効いてる!」


「量は最小限で。まだ検証不足よ」


「はい」


震える手を押さえながら、僕は処置を続ける。

 神谷さんは苦悶な表所を浮かべていたが、さっきより和らいでいる。


「傷口、深いな」


祖母ならまずどうするだろう。

 いや、考えろ。いつも見てきたはずだ。


出血点。裂けた皮膚。筋肉の露出。

 僕は呼吸を整え、小瓶の治療液を少量だけ傷へ垂らした。


じわり、と傷口の赤みが変わる。

 流血が明らかに弱まった。


「止血が早い……」


御子柴さんがそれを見て、小さく目を細める。

 やっぱり、外から見ても異常な効き目なんだ。


「朝比奈くん、その薬はあと何本あるの?」


「高品質のが二本、簡易が三本」


「神谷さんの脚に高品質を使う?」


問われて、僕は一瞬ためらった。


ここで使えば助かる可能性は高い。

 でも見られる。しかも相手は部外者だ。


頭の中で、昨夜の祖父の言葉と今日の黒濁スライムの姿がせめぎ合う。


――出し方を考えろ。

 ――守るためにも、助けるためにも。


神谷さんはかすれた声で言った。


「たの、む……妹を……」


その一言で、迷いが晴れた。


「使う」


僕は高品質治療液の瓶を取り出す。


御子柴さんが僕の顔を見た。

 止めない。代わりに、その目だけが静かに問うていた。本当にそれでいいのか、と。


僕は小さく頷く。


「この人を動ける状態にしないと、妹さんの情報も曖昧なままになる。歩けるようになれば自力退避もできるし、救助の確率が上がる」


「……合理的な判断ね」


それは許可だった。


僕は瓶の栓を抜き、神谷さんへ飲ませる。

 翡翠色の液体が喉を通る。


数秒後、神谷さんの体が震えた。


「な、に……これ……」


裂傷の周囲から、目に見えて出血が引いていく。

 皮膚が完全に塞がるほどではない。けれど、さっきまで動かせる状態じゃなかった脚に、明らかに力が戻り始めていた。


「後で説明します。今はまだ動かないで」


「お、おう……」


目を丸くしている。当然だ。

 でも今は驚いている場合じゃない。


その時、奥へ向かった一ノ瀬さんが戻ってきた。


「いた! 女の子が一人、奥の壁際に隠れてる。でも足を捻ってるみたいで動けない。モンスターは今のところ見えない!」


「距離は?」


「三十メートルくらい。曲がり角ひとつ先!」


御子柴さんは即座に立ち上がる。


「朝比奈くん、神谷さんを歩かせるのはまだ危険?」


「短距離なら、支えれば」


「なら先に妹さんを回収して、まとめて撤退する」


「了解!」


「私が先頭、一ノ瀬さんが保護、朝比奈くんは中間でカバー。神谷さんはここで動かず待機――と言いたいところだけど、万一また湧いたら詰むわね」


彼女は一瞬で考えを切り替えた。


「神谷さん、立てる?」


「……なんとか」


「なら朝比奈くんの後ろについて。絶対に単独行動しないこと」


「わ、わかった」


こうして、僕たちは再び奥の通路へ進むことになった。


さっき黒濁スライムを倒したばかりなのに、気はまったく抜けない。

 むしろ本番はここからかもしれない。


曲がり角をひとつ抜けた先、壁際に小さくうずくまる人影が見えた。

 茶色のショートカットの少女。神谷さんより少し年下に見える。足首を抱え、真っ青な顔でこちらを見た。


「お兄、ちゃん……!」


「美琴!」


神谷さんが一歩前へ出かけてよろめく。

 僕と一ノ瀬さんが慌てて支える。


「動かないで!」


「でも……!」


「兄妹再会は後!」


御子柴さんのぴしゃりとした声に、二人とも一瞬だけ固まった。

 そのまま彼女は周囲を素早く確認し、少女――美琴さんの足元へしゃがみ込む。


「捻挫、軽度。でも恐慌で動けなくなってるわね。朝比奈くん、簡易治療液」


「はい」


僕は小瓶を渡す。

 高品質を使うまでもない。簡易でも十分なはずだ。


御子柴さんがそれを美琴さんの足首へ少量かけると、少女はびくりと肩を震わせた。


「あ、あったかい……」


「痛みは?」


「さっきより……まし、です」


「なら立てるわね。一ノ瀬さん、肩を貸して」


「うん!」


これで全員揃った。

 あとは撤退するだけ。


そう思った、次の瞬間だった。


通路の先、僕たちが来た方向とは逆側の暗がりから、ぬるりとした音が響いた。


全員の動きが止まる。


いやな予感が、背筋を這い上がる。


「嘘でしょ」


一ノ瀬さんが顔を引きつらせた。


暗がりの奥で、複数の赤黒い光が揺れている。

 ひとつじゃない。二つ、三つ――もっとだ。


普通のスライムより大きな影が、いくつもこちらへにじり寄ってくる。


「黒濁スライムの群れ!」


御子柴さんの声に、僕は血の気が引いた。


こんなの、浅層の異変どころじゃない。

 明らかに何かがおかしい。


「撤退経路は!?」


「来た道だけ。でも神谷兄妹を抱えて突破は――」


御子柴さんが言い終える前に、僕の頭の奥で《錬金術》の感覚がまた大きく脈打った。


黒濁スライム。

 粘液。中和。刺激。

 そして、昨夜の使い道が解らない失敗作のひとつ。薬効がまとまらず熱だけを持った液。


あれを、もし。


「……御子柴さん」


「何?」


「時間を、五秒ください」


「何をする気?」


「退路を作る」


自分でも無茶だと思う。

 でも、今の僕に見えている手はそれしかない。


一ノ瀬さんがぎょっとした顔でこっちを向く。


「朝比奈くん、また無茶を――」


「無茶じゃない。たぶん、できる」


そう言った瞬間、不思議なくらい腹が据わった。


助けたい。

 隠したい。

 怖い。

 でも今は、その全部より先にやることがある。


僕は革袋へ手を突っ込んだ。


この選択が、あとでどれだけ大きなものになるのか。

 その時の僕は、まだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。