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ダンジョン薬師の隠し秘術 〜世界初の錬金術師になった内気な僕は、正体を隠して最強へ至る〜  作者: 障子


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第五十七話 書斎の脈と、戻らない一本

屋上を下りて四人はそのまま篠宮家へ向かった。夜明けの通りには誰もいない。ひまりが先に立つ。掌の点はまだ脈を打っている。書斎の方角から返ってくる脈と、同じ間隔で。


「歩きながらで悪い」と雫は言った。「今のを整理する。会議は点で開く。点は名を持たない。……では、あなたの家の点は誰のものだ」


「分からない」とひまりは答えた。「でも、うちにしかない」


一ノ瀬が右手を握った。しおじは熱を持っていない。けれど指の先が少しだけ冷たい。


二


表門は開いていた。庭の石畳は霜で白い。母屋の灯りは一つもなかった。老僕の庄司が玄関に立っている。作務衣のままだ。寝ていない顔だった。


「ひまりお嬢様」


「庄司さん。祖父は」


「書斎です」と庄司は言った。「一人で座っておられます。……昨夜から灯りをつけません」


「誰か、来ましたか」


「来ました」と庄司は声を落とした。「夜中の三時ごろです。……旦那様が、戻られました」


三


書斎の障子は閉まっていた。ひまりが開けると、中は暗かった。畳の上に巌が座っている。座布団ではなく畳に直接だ。右手を膝の上に置いて、指を開いている。


「来たか」と巌は言った。「四人か」


「はい」とひまりは言った。「脈が、ここから出ています」


「知っておる」と巌は言った。「昨夜からだ。……わしの手ではない。あれは、硯のほうだ」


四


湊は部屋を見た。机の上に硯箱が置いてある。黒漆で角が磨り減っている。ふたは閉まっていない。少しだけ開いていた。


ハルが光った。割れた瓶の中で二本の糸が動いている。むすびと、名のない一本である。二本は同じ方向へ寄った。硯箱の方へ。


『――あの中に、一本ある』と守り手たちが言った。


「ある、というのは」


『名を持たない一本だ』『お前のものではない』『冬吾の手帳にも、ない一本だ』


五


障子の外で足音がした。一つの音である。裸足だった。


篠宮恒一が入ってきた。薄い室内着のままである。右手を開いて胸の前に出している。掌の真ん中に、白い点が一つあった。


ひまりが半歩下がった。「父さん」


「ひまり」と恒一は言った。「その点は、私のだ」


「いつから」


「三年前」と恒一は答えた。「設楽実から、もらった」


六


部屋が静かになった。巌は動かなかった。目だけが息子の掌を見ている。


「三年前」と雫が言った。「あの男があなたに会った年だ」


「そうだ」と恒一は頷いた。「あの時、あの男は三つのことを言った。……私は、二つしか言わなかった」


「三つ目は」


「あなたにも一本預ける、と」と恒一は言った。「うちを縛るためだ。一本もらえば私はあの男の側になる。会議の点が一つ増える。……だから私は、もらった」


七


「どの一本だ」と湊は訊いた。


恒一は答えなかった。代わりに硯箱へ歩いていき、ふたを開けた。中に硯がある。墨は乾いている。硯の下に布が一枚、畳まれていた。恒一は布を開いた。中に白い糸が一本、丸くなって入っていた。


『――第十一本だ』と守り手たちが言った。


「第十一本」と湊は繰り返した。


『そうだ』『預け先は、甲府の者だ』『……もう、いない』


八


「いない」と湊は訊いた。「どういう意味ですか」


『十年前に死んだ』と守り手たちは言った。『だからあの一本には、戻る場所がない』


「冬吾さんは」


『冬吾も知らない』『知る前に、死んだ』


恒一は布を持ったままでいた。掌の点がまだ脈を打っている。


「三年前」と恒一は言った。「あの男は、これを私に預けた。……預けたと言ったが、捨てたんだと思う」


「なぜ」


「戻る場所がないからだ」と恒一は答えた。「あの男にも、持てなかった」


九


湊は両手を出した。恒一は布ごと、その掌に載せた。糸は軽かった。けれど、冷たかった。むすびのように脈を打っていない。ただ、丸くなっている。


『――ハルに入れろ』と守り手たちが言った。


「入りますか」


『入る』『だが戻らない』『預け先がないからだ』『名をつけても、答えない』


湊はハルの瓶を出した。割れた瓶の縁に糸を寄せた。糸は滑り落ちて、瓶の底で丸くなった。むすびと、名のない一本の隣である。


三本になった。けれど二本しか光らない。第十一本だけが、暗いまま丸くなっている。


十


巌が口を開いた。


「十三本のうち、一本は戻らん」と老人は言った。「十八年かけて、それが決まった。……十二本で数え直せ」


「祖父さん」


「ひまり」と巌は孫娘を見た。「名をつけるな」


「どうして」


「つけても答えん」と巌は言った。「答える力が、もうない。……あれは、灯りの消えた糸だ」


ひまりは右手を握った。掌の点が痛いほど熱い。


十一


雫が携帯を開き、それから顔を上げた。


「台帳を見せてほしい」と彼女は言った。「第十一本の行だ」


ひまりが机の引き出しから台帳を出した。第十一本の行を開く。『第十一本 預け先 甲府 望月佐吉』。左官、と横に書き添えてある。


「十年前に死んだ」と雫は言った。「記録に残す。……十一本目は、戻らない一本だ」


その時である。ハルの中の暗い糸が、一度だけ動いた。光りはしなかった。ただ、丸まり方が少しだけ変わった。


『――呼んでいる』と守り手たちが言った。


「誰が」


『あの一本がだ』『自分の預け先を』『もういないのに、呼んでいる』


むすびが言った。まだ喋り方を覚えていない声だった。


『――あたしが、返事をする』


——第五十八話「十一本目の返事と、ハルの声」へ続く。

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