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ダンジョン薬師の隠し秘術 〜世界初の錬金術師になった内気な僕は、正体を隠して最強へ至る〜  作者: 障子


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第四十四話 家を割る男と、外に出る一本

障子の外に立った男は、裸足のまま、庭の石を踏んでいた。


篠宮恒一。ひまりの父。四十七歳。


「父さん」ひまりが、もう一度言った。「その手を、見せなさい、って。……私に、そう言ったよね」


「言った」


「見せない」


恒一は、障子の枠から手を離した。室内着の裾が、夜風に、少し揺れた。


「ひまり。お前は、まだ十八だ」


「十八だから、なんだ」


「家のものを、外に持ち出す権利は、ない」


その言葉に、畳の上の巌が、低く笑った。


「権利、か」老人は、枕の上から、天井を見たまま言った。「恒一。わしは、四十年、その一本を、握っていた。……権利の話は、一度も、出なかったな」


二


恒一は、部屋に、一歩、入った。裸足のまま、畳を踏んだ。足音は、しなかった。


「父上。あなたは、知らなかったでしょう」彼は、静かに言った。「台帳の、第十三本の欄に、あなたの名前が、入っていることを」


「知らなかった」巌は、認めた。


「私が、書きました」


「なぜだ」


恒一は、答えなかった。代わりに、机の上の台帳を、見た。


開いたままの、第十三本の行。そこに、湊の書いた字が、並んでいる。『篠宮巌より、篠宮ひまりへ、受け渡し』『名、ともしび』『立会い、朝比奈湊』。


恒一は、その字を、じっと見た。それから、静かに言った。


「……うちの習いの字じゃ、ないな」


「俺が、書きました」湊が、言った。「巌さんの右手が、動かなかったので。……巌さんに、読んでもらって、書きました」


「よそ者が、うちの台帳に、字を、書いた」


「そうですね」


恒一の目が、湊を、まっすぐに、見た。


その目は、怒っていなかった。昏くも、なかった。ただ、ずいぶん長いこと、何かを、数え続けてきた目だった。


三


「三年前」恒一は、言った。「うちに、男が、来た」


一ノ瀬が、障子の脇で、肩を、わずかに動かした。


「保護行政の、外郭団体の名刺を、持っていた。名は、設楽実」


湊は、息を、止めた。


真壁宗一のところへ来たのと、同じ男。


「何を、言われた」


「二つのことを、言われた」恒一は、淡々と、答えた。「一つ。天城冬吾の研究の試料体が、十三本、各地に、散っている。うちには、その第一本が、ある。……それは、本当だった。父上の右手を、私は、子どもの頃から、見ていたからな」


巌が、目を、閉じた。


「二つ」


「二つ」恒一は、少し、間を置いた。「十三本目は、行き先のないまま、誰かの体に、残っている。……それを、うちに、入れろ、と」


「入れろ」


「当主の名で、受け取れ、と」恒一は、巌を、見た。「父上。私は、あなたの名前を、台帳に、書いた。あなたが、十三本目を、受け取るように」


「受け取って、どうする」


「集める」恒一は、言った。「うちに、二本が、揃う。……そうすれば、うちは、この街で、一番、強い家に、なる」


四


部屋が、静かになった。


障子の外で、虫が、一つ、鳴いた。


巌は、長いこと、黙っていた。それから、枕の上から、右手を、上げた。動くようになった、右手だ。指を、開いた。閉じた。


「恒一」老人は、言った。「わしは、書道の家に、生まれた。……書は、墨で、書く。墨は、硯で、する。硯は、石だ。石は、水で、洗う」


「父上」


「何も、強くは、ない」巌は、続けた。「墨は、指で、消える。紙は、火で、燃える。……うちの家は、四十年、一本の糸を、抱えてきた。それだけで、強くなった試しは、ない」


「ですが、現に——」


「現に、何だ」巌の声が、少し、強くなった。「わしの右手は、四十年、動かなかった。……強さの代わりに、これをもらった。お前は、それを、誇りと、呼ぶか」


恒一は、黙った。


その沈黙の間に、湊の胸の奥で、守り手たちの声が、した。


『——数え方が、違う』


声は、静かだった。


『湊。お前は、ハルを、一本と、数えたな』


湊は、息を、呑んだ。


『違う。ハルは、器だ。十三本の、外に、ある』


『冬吾は、十三本を、各地に、分けた。……そして、その十三本を、最後に、束ねる器を、作ろうとした。それが、ハルだ』


『だから、動いたのは、二本。むすびと、ともしび。……残りは、十一本』


五


「恒一」巌が、言った。「わしは、お前を、責めん」


恒一は、顔を、上げた。


「お前は、家を、守ろうとした。……守り方が、間違っていただけだ」


「間違って、いますか」


「間違っている」巌は、断言した。「うちの家は、外に出る者が、一番先に、立つ。……それを、忘れたな」


恒一の、喉が、動いた。


「外に、出る者」


「ひまりだ」巌は、言った。「この子は、あの一本を、掌に、入れた。自分の、意思で。……うちの習いでは、名をつけた者が、次を、持つ。恒一。お前は、名を、つけなかった。四十年、わしも、つけなかった。……この子だけが、つけた」


ひまりは、右手を、握った。


掌の、白い点が、少し、熱くなった。


六


「よこせ」恒一が、言った。


声は、低かった。けれど、震えていた。


「ひまり。その手を、よこせ」


「いや」


「家を、出る気か」


「出る」ひまりは、はっきりと、言った。「父さん。私、家を、出る。……この掌を、外に、持って出る。うちの家の、外に」


「外に、出たら——」


「出たら、何だ」ひまりは、一歩、前に、出た。「誰かに、狙われる? それとも、家の、恥に、なる?」


恒一は、答えなかった。


「両方だよ」彼女は、言った。「分かってる。……でも、私、屋上で、四人で、話したんだ。面倒ごとは、四人で、背負うって」


一ノ瀬が、障子の脇から、一歩、出た。


「篠宮の旦那」彼女は、言った。「あんたの言い分は、分かる。家を、守りたいんだろ。……だがな、その家のために、人が、死にかけた。ダンジョンに、箱が、置かれた。あんたの台帳に、名前が、足された。……順番が、逆だ。家を守る前に、まず、何が、起きてるか、見ろ」


恒一は、一ノ瀬を、見た。


「一ノ瀬、だったな」


「そうだ」


「お前の家は、うちに、借りが、ある」


「知ってる」一ノ瀬は、笑った。「だから、言ってる。……借りを、返す口実を、探してたんだ」


七


その時、庭の、向こうから、灯りが、近づいてきた。


車の、ヘッドライト。二台。門の外で、止まった。


雫の声が、障子の外から、聞こえた。


「——篠宮恒一さん。探索者ギルド査定部、御子柴です。……今、そちらに、伺っています」


恒一の、顔が、初めて、動いた。


「ギルド」


「そうです」雫は、障子の外で、続けた。「篠宮家の台帳、第十三本の欄について、書き足しの、事実確認を、したい。……立会いは、こちらで、三名、用意しました。ギルドの、記録係です」


「夜中に、来るな」


「夜中に、書き足したのは、そちらです」雫の声は、静かだった。「……それと、もう一つ。保護行政、企画調整室から、通達が、出ています。篠宮家の、試料体について、一時保管の、申し出。……ですが、これ、まだ、押印が、ありません」


恒一は、障子の外を、見た。それから、机の上の、台帳を、見た。


湊の、書いた字が、並んでいる。


『第十三本。篠宮巌より、篠宮ひまりへ、受け渡し』


その一行が、動かせない、重さで、そこに、あった。


八


「……負けたな」恒一は、呟いた。


声は、笑っていた。けれど、目は、笑っていなかった。


「父さん」


「ひまり。……一つだけ、訊く」


「なに」


「その掌のものを、持って、外に、出て。……お前は、いつか、うちに、戻ってくるか」


ひまりは、しばらく、答えなかった。それから、右手を、差し出した。


掌の、白い点が、月明かりを、受けていた。


「戻るか、どうかは、分からない」彼女は、言った。「でも、父さん。……この掌に、入ったのは、うちの家の、灯りだ。四十年、消えなかった。……だから、外に、持って出ても、消えない」


恒一は、右手を、上げた。ひまりの手を、掴もうとした。


掴まなかった。


その手は、途中で、止まった。


「……行け」彼は、言った。「今夜のうちに、行け。……朝になったら、私は、違うことを、言う」


九


障子を、閉めた。


庭に、雫が、立っていた。手に、書類の束を、持っている。その後ろに、記録係が、二人。


「書面は、明日、出す」雫は、ひまりに、言った。「それまで、あなたは、朝比奈薬店に、いる。……篠宮家の、敷地の、外だ」


「分かりました」


「それと」雫は、湊を、見た。「台帳の、写し。原本は、動かせない。だが、今夜の、受け渡しの、立会い記録は、私が、持っていく。……あの男は、記録を、嫌う。だから、記録を、増やす」


湊は、うなずいた。


母屋の、奥から、老僕が、小走りに、来た。


「ひまりお嬢様。……お荷物、お持ちします」


「庄司さん。……ありがとう」


「いいえ」老僕は、深く、頭を、下げた。「四十年、当主の、右手を、見て、おりました。……ようやく、動きましたね」


十


帰り道、四人は、歩いた。


十一月の、頭。息が、白い。


ひまりは、右手を、開いたり、閉じたり、していた。


「……まだ、熱い」


「慣れます」湊は、言った。「俺も、最初は、そうでした」


「朝比奈くん」


「はい」


「私、家を、出たよ」


「……はい」


「怖い」ひまりは、笑った。「でも、変な話。……ちょっと、楽、なんだ」


一ノ瀬が、隣で、鼻を、鳴らした。


「強がるな」


「強がってない」


「強がってる」


雫が、前を、歩きながら、言った。


「——おしゃべりは、薬店に、着いてからに、しろ。今、この道を、誰が、見てるか、分からない」


四人は、口を、閉じた。


その、静かになった瞬間。


湊の、胸の奥で、守り手たちの声が、重なった。


『——湊』


『一本、外に、出た』


『だから、次が、動く』


『冬吾の、手帳に、あったろう。……第二本は、青森の、漁師だ』


『第三本は、札幌の、看護師だ』


『十一本の、うち、二本が、もう、名を、呼ばれている』


湊は、立ち止まった。


「……名を、呼ばれてる?」


声は、しばらく、答えなかった。それから、静かに、言った。


『誰かが、先に、動いている』

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