第三十一話 新製品の発表会と、噂の中身
二週間という時間は、あっという間に過ぎた。
発表会の日は、第三ダンジョン管理区域に近い、新しくできたホールで開かれた。篠宮グループ主催の「ダンジョン関連衛生材の新製品紹介会」。表向きは業界向けの小さな発表会だが、町の探索者たちの間では、その意味が正確に伝わっていた。
――朝比奈薬店が、動く。
僕は舞台の袖で、それを見ていた。
舞台の上では、篠宮さんが白いブレザーを着て、マイクの前に立っていた。堂々としている。緊張ひとつ見せない。彼女にとっては、いつもの庭みたいなものなのかもしれない。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。篠宮グループ素材開発部門の篠宮ひまりです」
拍手。
「本日の紹介は二品です。一つ目は、ダンジョン産薬草を基剤とする強化型腐食毒中和液。従来品と比較して、黒濁系腐食への有効性が一段と向上しています」
背後のスクリーンに、比較データが出る。
あのデータは、聖良さんと僕が研究室で何度も重ねて作ったものだ。聖良さんの回復魔法による検証と、僕の《錬金術》による調整。その二つを組み合わせて、はじめて出せた数字だった。
表向きの名前は「朝比奈薬店謹製・篠宮グループ品質管理」。
《錬金術》という単語は、どこにもない。
あるのは「独自の素材選別と調合技術」という、曖昧で、でも嘘じゃない紹介文だけ。
噂の形を、こちらで決める。
その第一歩だ。
「二つ目は、探索者向けの補助用品シリーズです。足止め用の簡易固定剤、視界補助の散布剤など、現場の安全に寄り添うものを、町の薬師の知見と、私どもの品質管理で商品化いたします」
拍手が、また起きた。
僕は袖の陰で、深く息を吐いた。
緊張が、ようやく少しだけ緩んだ気がした。
「それでは、開発にあたり中心的な役割を果たされた方をご紹介します。朝比奈薬店の跡取りにして、本製品群の調合を担当された――朝比奈湊くんです」
呼ばれた。
――よし。
僕は一歩、舞台へ出た。
客席の視線が、一斉に集まる。
見慣れない顔ぶれだ。素材商社の人たち。ギルドの関係者。地元の探索者連中も、ちらほらいる。神谷さんと美琴さんの姿も見えた。二人は、口を開けて僕を見つめている。
「……朝比奈薬店見習いの、朝比奈湊です」
声が、少し上ずった。
それでも、準備していた通りに言葉を並べた。
「僕がやったのは、素材の性質を丁寧に見ること。薬草ひとつ、魔石ひとつ、丁寧に見て、その性質を活かせる組み合わせを探すこと。それだけです。……この製品は、僕一人のものではありません。ご紹介いただいた篠宮さんと、検証を支えてくださった医療関係の方、そして、長年薬師として僕に教えてくれた祖父母のものです」
袖の奥へ、篠宮さんが控えている。
その隣に、聖良さん。
聖良さんの初めての公の場だった。国の保護処遇から篠宮家の私的保護へ移ってから、まだ十日。表向きは「医療研究協力者」。今日も名簿に載せるかどうかで国の担当と揉めたけれど、御子柴さんが押し切った。
「以上です。……今後も、この町の探索者の皆さんの安全のため、続けていきます」
頭を下げる。
拍手が、始まった。
思ったより、大きくて、長い拍手だった。
◇
発表会が終わって、披露パーティーのような場に移っても、僕はほとんど休む暇がなかった。
「坊主、いい加減にしろよ。声かけたら逃げんのな」
「あのさ、うちのパーティーのために、あの固定剤さ、一本――」
「朝比奈くん、あれ、あんまり見せびらかさない方が、って言おうとしたんだけど、ごめん、見せびらかすならもっと堂々としてほしかったわ」
最後のは、御子柴さんだった。
「……どっちなんですか」
「どちらもよ。今日の発表は、ちょうどいい線だったわ。堂々として、でも、肝心のものは見せない。あなた、口が堅いと思ってたけど、意外と売り込めるのね」
「篠宮さんに書いてもらったんです、原稿」
「……よろしい」
御子柴さんは、静かにグラスを持った。
「でもね、朝比奈くん。発表会は、あくまで表の話よ。裏は、まだ動いてる」
「……上層部の件、ですか」
「ええ」
彼女はグラスの中を、少しだけ揺らした。
「上層部の影の調査は、動き始めてる。私の非公式照会を、上の誰かが察知したみたい。ここ二、三日、私の部署の隣の隣から、妙に挨拶に来るのよ。意味もなく」
「……意味もなく、って、怖いですね」
「怖いわよ。でも、篠宮さんの家の記録と、私の内部照会と、徐々に噛み合ってきた」
彼女は、グラスを置いて、僕を見た。
「篠宮の家を出て行ったあの男。行方が、だいたい掴まってきたの」
◇
パーティーの後、僕たちは研究室に集まった。
テーブルには、篠宮さんが出してくれた軽食と、御子柴さんが持ってきた資料。上層部の影の調査は、まだ完全には言えない。でも、ずいぶん進んでいた。
「逃げた男の名前は、倉橋悟。篠宮グループの旧素材管理部にいた人間よ。今は行方が掴めない。けれど、使っていた通話記録の一部から、外部の接触先が二つ出てきた」
御子柴さんは、資料を広げた。
「一つは、さっき話した“非登録の探索者集団”。あなたたちが旧搬入口で出会った連中と、同じ筋ね」
「もう一つは?」
僕が聞くと、御子柴さんは一拍置いた。
「……国の、保護行政の部署よ」
部屋が、静かになった。
聖良さんの指が、カップの縁を、少しだけ強く握った。
「……やっぱり、国のどこかが、関わってたんですね」
「断定はできないわ。でも、接触先の電話番号の一つが、国の保護行政を扱う部署と同じ回線で登録されている。偶然と説明するには、頻度が多すぎた」
僕は、ため息が漏れた。
国が関わっている。
組織の上層部が、情報を消し合っている。
担体の原本が、まだどこかにある。
噂は、これからも僕を追いかける。
重いな、と、思う。
でも、重いままで終わりじゃない、ということも、なんとなく分かっていた。
「……ねえ」
聖良さんが、静かに口を開いた。
「私、一つ言いたいことがあります」
「なに?」
「私、国の保護下にいたから、あそこで見た人たちの顔を、いくつか覚えています。……“本部から来た人”と呼ばれていた人たちの顔も」
彼女は、真剣な目をした。
「もし、顔を覚えていることが役に立つなら……私は、覚えている方へ振りたいです。国の保護下で十八年過ごした記憶を、正しい方のために使いたいです」
その言葉に、一ノ瀬さんが、ぐ、と拳を握った。
「……聖良さん、かっこいい」
「……え」
「かっこいいです、それ」
聖良さんは、少しだけ顔を赤くした。
御子柴さんは、静かに微笑んだ。
「助かるわ。……顔の記憶なら、私の方で実際に本人確認ができる。協力をお願いできるかしら」
「はい」
聖良さんは、静かに頷いた。
僕は、その姿を見て、少しだけ胸が熱くなった。
十八年、閉じ込められていた人が、自分の意思で、“振る”と決めている。
それが、どれだけ勇気のいることなのか、僕には分からない。
でも、それはたぶん、いちばん大切なことだ。
◇
その夜の帰り道、僕は一ノ瀬さんと、二人で歩いていた。
街灯の明かりが、静かに並んでいる。
「……朝比奈くん」
「ん?」
「今日、かっこよかったよ」
「……いきなり、なに」
「いきなりじゃないもん。ずっと言いたかったの」
一ノ瀬さんは、前を向いたまま言った。
「朝比奈くん、昔、店の裏で薬草干してたときのこと、覚えてる?」
「……覚えてるよ」
「あの時の朝比奈くんはね、ずっと下向いてたの。でも今日は、ずっと前を向いて立ってた」
それは、少し驚く見方だった。
僕は、ずっと変わっていないつもりでいた。
内気で、控えめで、目立ったくない見習い。
それが、僕だと思っていた。
「……変わってないよ」
「ううん。変わったよ。変わってないのは、優しさだけ」
一ノ瀬さんは、そこで、ふっと笑った。
「優しさが変わらないまま、前を向けるようになった。それって、すごいことだと思う」
その言葉に、僕は、少しだけ顔が熱くなった。
「……そっか」
「そっか、じゃなくて」
「じゃあ、なんて言えばいいの?」
「……ありがとう、くらい?」
言われて、僕は、素直にそう言った。
「……ありがとう」
「うん。どういたしまして」
一ノ瀬さんは、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、僕は思った。
ああ、僕は、この人たちがいなかったら、今の僕じゃなかったな、と。
◇
家に着くと、祖父母はまだ起きていた。
「テレビ、見たよ」
祖父が、居間から声をかけた。
地域ニュースに、今日の発表会が映ったらしい。
「……あんまり見栄えよかったか?」
僕が言うと、祖母が、くすっと笑った。
「見栄えもよかったよ。でもね、湊」
祖母は、僕を見て、静かに言った。
「いい顔してたね。前と違う」
「……どこが?」
「もう、隠れてないでしょ? 顔」
その言葉に、僕は、少しだけ驚いた。
確かに。
昔の僕は、店の手伝いをしながら、いつも、どこか“逃げる場所”を探していた。
今は、そうじゃない。
「……じいちゃんは、どう思う?」
祖父は、帳面から顔を上げて、しばらく僕を見た。
やがて、祖父は、静かに言った。
「……まあ、悪くない」
それだけだった。
でも、祖父の基準では、それが一番の言葉だということを、僕は知っていた。
◇
その夜、部屋に戻った僕は、机の上の小瓶を見た。
淡い緑色の担体。
あの夜、中層で、僕と聖良さんが一緒に“癒やす側”に引き取ったもの。
今も、それは、静かに脈打っている。
担体の原本は、まだどこかにある。
上層部の影も、まだ見えない。
倉橋悟の行方も、分かっていない。
国の保護行政の中の“見えない手”も、まだ動いている。
やることだらけだ。
でも、恐怖は、前ほどじゃない。
グループチャットには、夜遅くに、聖良さんからメッセージが入っていた。
今日、初めての公の場でした
緊張しましたが、朝比奈さんと同じ舞台に立てて、よかったです
……明日から、あの記憶を役に立たせるお手伝いを、よろしくお願いします
その下に、一ノ瀬さんが、既読スタンプと一緒に、さらに一言。
聖良さん、かっこよかったです!
続いて篠宮さん。
私もよ
……でも、次はあなたたちも前でいいわよ。少しはね
最後に、御子柴さんから。
次の調査は、水曜。
……水曜の朝、起きられるわね
その一文に、僕は笑ってしまった。
水曜日。
国の保護行政の外郭で、聖良さんの記憶を照合する日。
上層部の影を、もう一歩だけ追う日。
僕は、スマホを置いて、机の上の小瓶をもう一度だけ、握った。
淡い緑色の、命の色。
あの夜、僕たちが“正しい方”へ引き取ったもの。
今も、それは、静かに脈打っている。
そして、僕の中の《錬金術》も、それに応えるように、少しだけ脈打っていた。
この物語は、まだ、続いていく。




