第三十話 四つの声と、上層部の影
翌日の夜、僕たちは篠宮さんの個人研究室に集まった。
メンバーは全員。僕、一ノ瀬さん、篠宮さん、御子柴さん、そして聖良さん。
五人揃って集まるのは、これが初めてだった。
聖良さんは、篠宮さんの予備の部屋着を借りて、小さくなってソファに座っていた。慣れない場所に慣れない人たち。落ち着かないのは無理もない。けれど、一ノ瀬さんが隣に座って、いろいろなものを次々に食べさせているうちに、少しだけ肩の力が抜けてきたようだった。
「……で」
篠宮さんが、白板を一回叩いた。
「御子柴さん。今日はまず、あなたの話からね」
「ええ」
御子柴さんは椅子に座ったまま、腕を組んだ。
いつもの淡々とした声。でも、いつもより少しだけ、慎重さが混じっていた。
「この前の事後報告の後、私は上層部に“内部照会”をかけたの。第三の調査班の構成員リストを、非公式に確認した」
「で、何か出たの?」
一ノ瀬さんが訊く。
「……出たわ。確認できたのは一人。先日、聖良さんの面会室に入ってきた若い職員。彼女は、正式な巡回記録には存在しない”
部屋の空気が、重くなった。
「存在しない、って、どういうこと」
僕が訊くと、御子柴さんは静かに答えた。
「人員記録に、載ってないのよ。ギルドのデータベースに、あの顔、あの名前の職員は存在しない」
「じゃあ、誰なんですか」
「……それが問題よ。上層部は、私に“調査は打ち切れ”と指示を出した」
白板の前で、篠宮さんの動きが止まった。
「打ち切れって……誰の調査を」
「第三の調査班の構成員と、旧研究部門のつながりよ」
御子柴さんは、淡々と続けた。
「つまり、上層部のどこかに、この件を“これ以上は調べさせたくない”人間がいる」
沈黙。
聖良さんが、小さく声を上げた。
「……私の保護施設にいた職員も、同じだったのかもしれません」
「え?」
「あの施設には、ときどき“本部から来た人”がいるんです。長くはいなくて、用事が終わればすぐ帰る。でも、私が知らない人同士が、廊下で小さく話しているのを、何度か見ました」
聖良さんは、膝の上で手を握った。
「私の保護には、国の顔と、どこの誰かの顔が、両方くっついてる。……今なら、分かります。あの施設が“安全じゃない”ことくらい」
その言葉が、ひどく重く響いた。
◇
しばらくの沈黙の後、僕は口を開いた。
「……整理します」
僕は、指を折りながら言った。
「黒い担体の原本が、まだどこかにある。
上層部のどこかに、調査を妨げる人間がいる。
保護施設の中にも、外部との繋がりがあった。
そして、僕の噂は、町中に広がり始めている」
……全部、合わせると。
「……僕は、次の標的になる、かもしれません」
「ならないって言いたいけど」
一ノ瀬さんが、静かに言った。
「……ならないと、嘘になるね」
彼女は、僕の隣に座り直した。
「でもさ、朝比奈くん」
「なに?」
「さっき、じいちゃんとばあちゃんに言われたんでしょ? “隠すのをやめる”って」
「……うん」
「だったら、最初の一歩があると思うの。噂は、もう広がってる。だったら、僕たちの側から、噂の“形”を決めちゃえばいいんじゃない?」
彼女の言葉に、僕は一瞬だけ、言葉を失った。
噂の形を決める。
つまり、待つのではなく、こちらから出る。
篠宮さんが、静かに頷いた。
「……悪くないわ。というより、唯一実行可能な手よ」
彼女は、白板に、三つの項目を書き始めた。
「一つ。私の家の名義で、“朝比奈薬店技術提携の新製品発表”を行う。既存薬の改良版という形なら、突破されにくいし、擬態も自然」
「新製品発表って、店の?」
「ええ。朝比奈薬店の“強化版対腐食薬”と、“探索補助用品”の二本立て。錬金術そのものは出さない。でも、存在だけは、堂々と出すのよ」
「……存在だけ、って」
「あなたは“店の跡取りの薬師見習い”よ。だからこそ、表に出る。噂を否定しない。でも、中身は教えない。それが一番安全な擬態の形よ」
なるほど。
噂は消えない。
だったら、噂の中身を、安全なものに張り替えてしまう。
「二つ目」
篠宮さんは、白板の二番目に書いた。
「聖良さんの保護処遇を、移す」
「移す、って」
「国の保護下から、篠宮家の私的保護へ。名目は、医療研究の協力者。私の個人名義で、雇用契約を結ぶ」
聖良さんが、目を見開いた。
「……私が、ですか」
「あなたの才能は、国の中に閉じ込めるには、もったいなさすぎる。それに、この前の一件で、国の保護が“安全”だとは言えなくなった。だったら、いっそ、表に出る。あなたの名前で」
「……でも、私」
聖良さんは、言葉に詰まった。
十八年。
外に出せず、自由を奪われ、そして、国の“管理対象”として扱われてきた人。
その名前を、表に出すというのは、たぶん、ものすごく怖いはずだ。
「……怖くないんですか」
僕が聞くと、聖良さんは、しばらく黙っていた。
やがて、彼女は、ふっと静かに微笑んだ。
「……怖いです。でも」
彼女は、自分の右手を見た。
「怖いままでいると、何も変わらないことは、知ってるんです。……朝比奈さんが、私を迎えに来てくれた時、そう思いました」
その言葉に、僕は、何も言えなかった。
ただ、頷いた。
「三つ目よ」
篠宮さんは、白板の三番目を書いた。
「……ここからが、本番ね」
彼女の声が、少しだけ低くなった。
「上層部の影の正体を、私たちの手で暴く」
◇
その後の議論は、長く、難しかった。
上層部のどこまでを調べるのか。
誰の協力が得られるのか。
そして、その調査の最中に、僕たちはどう動くのか。
結論として決まったのは、三つだった。
まず、新製品の発表は、二週間後。篠宮家の正式な協力の下で行う。
次に、聖良さんの保護移管は、その発表に合わせて行う。名目上、“新製品の開発協力者”として初めて公の場へ出る。
最後に、上層部の影については、御子柴さんがギルド内部から、篠宮さんが家の記録から、同時に追う。
「……よく、こんなに整理できるね」
僕が言うと、篠宮さんは、静かに微笑んだ。
「一人じゃ無理よ。四人(いや、五人)いるから、整理できるの」
その言葉が、少しだけ嬉しかった。
◇
会議が終わって、僕たちはそれぞれ帰り始めた。
最後に残ったのは、僕と聖良さんだった。
篠宮さんが、彼女を送っていくから、僕は先に帰っていいと言われていた。でも、少し気になることがあって、僕は聖良さんを玄関先まで見送ることにした。
外の空気は、ひんやりとしていた。
「……聖良さん」
「はい」
「怖くなかったら、聞いてください。……あの紙に書かれていた、“回復魔法使いと手を組め”。その意味、少し分かった気がします」
「……ええ」
聖良さんは、夜空を見上げた。
「私、今日、初めて知りました。私の魔法が、“決められる”ってこと。人を救うか、救わないかを。……でも、決めるのは、魔法じゃないんですよね」
彼女は、僕を見た。
「決めるのは、魔法を使う人間。……朝比奈さんも、言ってましたよね」
「……言ったね」
「なら、私たちは、まだ大丈夫だと思います。あなたの《錬金術》も、私の回復魔法も。……正しい方に、行ける気がします」
その言葉に、僕は、少しだけ胸が温かくなった。
夜空には、星が少しだけ見えていた。
第三ダンジョンの方向の空は、いつもより少しだけ明るい気がした。
地下の深いところで、まだ何かが動いている。
でも、僕たちには、もう、動ける手があった。
「……朝比奈さん」
「はい」
「お店で、お手伝いさせてください」
「……え?」
「私は、薬師さんのお店で、昔から見たことがないんです。薬草の匂い、乾く前と乾いた後の違い、煎じる時間……全部、お父様の話でしか知らないんです」
聖良さんは、少しだけ寂しそうに、でも嬉しそうに、微笑んだ。
「私、知りたいんです。自分の魔法の力を、ちゃんと“知る”場所が。あなたのお店なら、たぶん、そこが一番近いと思うんです」
僕は、少し考えてから、静かに頷いた。
「……うちのばあちゃん、喜ぶと思いますよ」
聖良さんは、ふっと笑った。
その笑い方は、面会室で初めて会った時より、少しだけ柔らかかった。
帰り道、僕は一人で、夜の街を歩いていた。
“奇跡の薬師”の噂は、まだ続いている。
明日には、もっと広がるだろう。
でも、その噂の中身は、二週間後には、僕たちの決めた形に張り替えられる。
上層部の影は、まだ闇の中だ。
担体の原本も、まだ出ていない。
この先も、問題は続く。
それでも。
スマホを見ると、グループチャットには、新しいメッセージが届いていた。
一ノ瀬さん
朝比奈くん、帰り道、ちゃんと周囲見てる? 変な人いない?
僕
平気だよ
一ノ瀬さん
ほんとに? 嘘言わないの
僕
……今、誰かいる気がしたけど、ただの猫だった
一ノ瀬さん
ほら! だから言った!
篠宮さん
……仲がいいわね、あなたたち
一ノ瀬さん
なにそれ
聖良さん
猫、いいですね。今度、会いたいです
御子柴さん
話を戻しなさい。……でも、猫は悪くないわね
僕は、その画面を見ながら、自然と笑っていた。
一人だった頃の僕なら、こうは笑えなかった。
秘密も、恐怖も、全部一人で抱えて、黙って、ひっそりと生きていたはずだ。
でも今は。
秘密を、五人で持っている。
恐さを、五人で分け合っている。
そして、明日への準備を、五人で進めている。
“奇跡の薬師”の噂は、まだ、僕を追いかけている。
でも、もう逃げない。
僕は、ポケットの中の、あの淡い緑色の担体の入った小瓶を、一度だけ握った。
確かに、温かかった。
――回復魔法使いと、手を組め。
あの約束は、もう果たされた。
でも、たぶん、これは終わりじゃなくて、始まりだ。
この物語は、まだ、続いていく。




