第二十九話 事後報告と、“奇跡の薬師”の噂
朝日が昇ってから、僕たちは一度も家に帰らず、ギルドの控室に直行した。
事後報告。
御子柴さんが言っていた“私が全部の責任を取る”の実践の場だ。
控室には、ギルドの幹部らしき人物が三人と、篠宮家の法務担当らしきスーツの男性が一人。さらに、国の保護施設から派遣された職員まで入って、計六人。机を囲む顔ぶれを見ただけで、胃が重くなった。
「それでは、順番に」
御子柴さんが、静かに語り始めた。
第三中層への立入。
担体の発見と暴走。
そして――中和と鎮静。
彼女の報告は、事実だけを淡々と並べていた。でも、そこには巧みな“省略”があった。
僕の《錬金術》という言葉は、一度も出なかった。
代わりに。
「担体の鎮静には、朝比奈薬店の独自処方による中和液と、天城聖良さんの回復魔法を併用しました。二者の相乗効果によるものと判断します」
相乗効果。
その一言に、全部が押し込められていた。
幹部の一人が、眼鏡の奥から僕を見た。
「朝比奈湊くん、だったか。君の薬が、その担体を止められたと」
「……御子柴さんの言う通りです。聖良さんの回復魔法がなければ、何もできなかった」
これは嘘じゃない。
本当のことだ。僕一人では、何もできなかった。
幹部たちは、しばらく顔を見合わせた。
そして、最終的に出てきた結論は、意外な形だった。
「本件は、正面からの公表は当面見送る」
「……なぜですか」
篠宮さんが訊く。
「担体の存在そのものが、知られれば混乱を招く。回復魔法の代替が可能だと知れれば、保護制度への風当たりが強くなる。逆に、黒濁の出生が“国の管理下にあった研究”だと知れれば――」
幹部は、言い終わる前に口をつぐんだ。
言わなくても、分かった。
国の顔が潰れる。
だから、隠す。
組織というものは、どこまでいっても、こうなのかもしれない。
ただし、一つだけ違った。
「だが、この件で貢献した者たちを、黙らせるつもりはない」
幹部は、僕たちを順番に見た。
「一ノ瀬澪さん、篠宮ひまりさん、御子柴雫さん。そして、朝比奈湊くん。……正式な表彰はしない。だが、探索者としての評価は、内部で改訂する」
評価の改訂。
それはつまり、ギルドの内部記録に、僕たちの名前が、“使い物になる人間”として載るということだ。
ありがたいような、怖いような。
休憩を挟んだ後、篠宮家の法務担当が、静かに切り出した。
「篠宮家の内部調査について、中間報告をさせていただきます」
部屋の空気が、また締まった。
結論から言うと、篠宮家の内部に、旧研究部門の名義を“今も”使える立場の人間が、確かにいた。
しかも、その人物は、調査が入る直前に、家を出ていた。行方不明。
「……逃げた、ってこと」
一ノ瀬さんが、静かに言った。
「ええ。少なくとも、追われる側に回ったことだけは確かでしょう」
法務担当は、静かに言った。
「そして、天城冬吾氏の“もう一人の残党”――彼女の身柄は、現在、我々の保護下にあります」
あの女。
研究室で、黒い触媒を投げ入れた人。
担体を“歪んだ方へ”完成させようとしていた人。
彼女は今、調書の山の向こうで、証言を続けているらしい。
聞いた話では、彼女はその日の夜、全部を喋り始めたそうだ。十八年前のこと。研究が歪んだ経緯。そして、担体そのものが、まだ一つ、どこかに隠されているらしい。
「一つ?」
僕が聞き返すと、法務担当は頷いた。
「天城氏が“正しい形”で封じたもう一つの担体。今回、朝比奈くんたちが鎮めたのは、最後に作られた複製の方。原本は、まだ出ていない」
原本。
まだ、どこかにある。
背筋に、冷たいものが走った。
今回の一件は、終わったわけじゃない。
まだ、始まりに過ぎなかったのかもしれない。
◇
報告がすべて終わったのは、昼を大きく回ってからだった。
ギルドを出ると、外は晴れていた。
昨日の朝日が、もう高く昇って、街がいつもの騒がしさを取り戻している。
「……終わった?」
一ノ瀬さんが、小さく言った。
「たぶん」
「ははっ、なんか変な感じ」
「何が?」
「昨日まで、死にそうだったのに。今日は、平日の昼過ぎて普通なんだもん」
確かに。
通りの向こうでは、学生たちが楽しそうに歩いている。定食屋の大将が、昼の仕込みをしながら歌っている。
世界は、昨日と何も変わっていない。
変わったのは、僕たちの側だけだ。
「……ねえ」
聖良さんが、小さく声をかけた。
彼女は、篠宮さんの上着を借りたまま、少しだけ遠慮がちに立っていた。保護施設へ戻る話は、今のところ持ち上がっていない。国の処遇が決まるまでの間、彼女の身柄は“篠宮家の預かり”という、経過措置扱いになった。
「私、ここから先、どうすればいいんでしょう」
「……まずは、休むことかな」
僕が言うと、彼女はくすっと笑った。
「十八年ぶりくらいに、その言葉を聞きました」
彼女は、通りへ視線を投げた。
「……外って、こんなに明るいんですね」
その一言に、何も言えなかった。
ただ、この人のこれからを、少しだけ考えた。
保護された“箱”の中で、十八年を過ごしてきた人。
国に二、三人しかいない、回復魔法の適性者。
だからこそ、自由を奪われ続けてきた。
でも、これからは。
「……よかったら、また、うちの店に来ませんか」
思わず、そう言ってしまっていた。
「え」
「祖父母も、きっと喜ぶと思います。薬師として、回復魔法使いと話せる機会なんてないですし。……それに」
僕は、少し言葉を選んだ。
「……一人のほうが、たぶん、楽だと思いますから」
聖良さんは、一瞬だけ目を見開いて、それから、ふっと柔らかく笑った。
「……はい。お願いします」
その横で、一ノ瀬さんが、小さく「ふーん」と鼻を鳴らした。
篠宮さんは、静かに微笑んでいた。
なにか、含みのある笑い方だった。
◇
翌日。
僕はいつも通り、朝比奈薬店の手伝いをしていた。
店の空気は、ほぼ元通りだった。
乾燥棚の薬草。湯気の立つ小鍋。帳面を広げる祖父。
ただ、一つだけ違うことがあった。
「……なあ、湊」
祖父が、帳面から顔を上げた。
「昨日から、妙な客が増えてる」
「妙な、って」
「“あの薬”を聞きに来る客だよ」
あの薬。
黒濁の件は、公式には公表されていない。
でも、噂というものは、封鎖された情報より速く走る。
表の店から、祖父が客と話す声が聞こえてきた。
「いや、源蔵さん、聞いたよ。第三の浅層で、死にかけた探索者が二人、朝比奈薬店の薬で一晩で歩けるようになったって」
「それと、中層で黒いのが暴走した時も、薬師見習いが止めたって話だ」
「うちの子も潜ってるんだ。そういう“特効薬”があったら、ぜひ――」
祖父は、いやいやと手を振っていた。
でも、その手が少しだけ硬かった。
客が帰った後、祖父は僕の作業場まで来て、静かに言った。
「……噂が、広がり始めてる」
「……そう、だね」
“奇跡の薬師”。
その四文字が、探索者たちの間で囁かれ始めている。
最初は、神谷さんの小さな輪の中だけだったはずの噂。
それが、今は町中に広がり始めている。
「湊」
祖母が、作業場の入口から声をかけた。
「……これ、見て」
祖母が持ってきたのは、スマホの画面だった。
探索者の間でやり取りされる、非公式の情報共有掲示板だ。タイトルの一覧に、こんな一文が並んでいた。
【検証】第三の黒いスライムを一撃で無効化した謎の薬師の存在 【情報求】朝比奈薬店の“特効薬”の正体について 【噂】今町で一番会いたい薬師、決まってるじゃん
……ひどいな、最後のやつ。
でも、それだけじゃない。
最後のスレッドには、僕の顔写真まで貼られていた。学校の駐車場で撮影されたものだ。撮った日も、撮った人も、分からない。
「……まずいな」
僕は、思わず呟いた。
「まずいねえ」
祖母は、静かに頷いた。
「でもね、湊」
彼女は、スマホの画面を、少しだけ遠ざけた。
「この噂のほとんどは、嘘じゃないのよ」
その通りだった。
僕の薬は、本当だった。
僕は、本当に、担体を止めた。
人を、本当に、救った。
だからこそ、噂は消えない。
むしろ、膨らんでいく。
「……じいちゃん、ばあちゃん」
僕は、二人を見た。
「僕、どうすればいいんだろう」
二人は、顔を見合わせた。
そして、祖母が、ゆっくりと口を開いた。
「……隠すのを、やめる」
「……え?」
「全部を、ってわけじゃないよ。でも、あんたがこれから先、ずっと逃げ回って、びくびくしながら生きるのは、たぶん無理だ」
祖母の言葉は、静かだった。
「もし本当に、その力が“正しい方”なら……あんたは、それを隠し通すべきじゃない」
僕は、その言葉に、息を呑んだ。
隠すのを、やめる。
それは、僕がずっと恐れていた選択だ。
平穏を捨てるということ。
“見られる”ということ。
でも、同時に。
この数日で、僕は知ってしまった。
隠し続けることが、必ずしも正しいとは限らないということ。
一人で抱え込むことが、誰かを救えないということ。
「……じいちゃんは、どう思う?」
僕が聞くと、祖父は、しばらく黙っていた。
やがて、彼は静かに口を開いた。
「……儂らは、薬師だ。病人が来たら、治す。それだけだ」
彼は、帳面の上で、指を組み合わせた。
「隠す必要があるのは、“錬金術”そのものじゃなくて、お前がどう使うかだ。お前が正しく使うなら、隠す必要はない。……でも、お前が間違った使い方をすれば、その時は、隠しきれないほど遠くまで行ってしまう」
その言葉に、僕は、少し驚いた。
許可。
祖父は、僕の力を、許してくれているんだ。
「……分かった」
僕は、静かに頷いた。
決めた。
全部を、まだ話せるわけじゃない。
でも、逃げ続けるのは、もうやめる。
◇
その夜。
僕は、四人のグループチャットに、一通のメッセージを送った。
相談がある
今度、みんなで会いたい
返信は、すぐに来た。
一ノ瀬さんから。
待ってた
明日、研究室でいい?
篠宮さんから。
聖良さんも呼びましょう
……この際だから、四人で話すべきことだわ
聖良さんから。
わかりました
私も、話したいことがあります
そして、最後に御子柴さんから。
私も、話したい
……ギルド上層部が、少しおかしいの
最後の一文に、僕は一瞬だけ、凍りついた。
ギルド上層部が、おかしい。
それはつまり、この先の展開に、また新たな影が差すということだ。
でも、不思議と怖さは、前ほどじゃなかった。
“奇跡の薬師”の噂は、これからも広がり続けるだろう。
それは、僕にとって、恐怖であると同時に、これからの僕の“戦い方”の入り口でもある。
一人で隠れる時代は、もう終わった。
これからは――みんなで、立ち向かう時代だ。




