第三話 ギルドの査定官は、秘密を見逃さない
終わった。
御子柴雫と名乗ったその女性を見た瞬間、真っ先に頭へ浮かんだのはそれだった。
探索者ギルド。
その単語だけで、喉がひどく渇く。
ダンジョンに関わる人間なら、誰でもその名前の重みを知っている。探索者登録、素材流通、危険区域管理、報酬査定、事故記録――表向きは“探索者社会の秩序維持”を担う機関。けれど実際には、ダンジョン関連の情報と利権が集まる巨大組織だ。
その査定部の人が、どうしてここに。
「……何の、用ですか」
自分でも驚くほど固い声が出た。
御子柴さんは、値踏みするような視線を僕に向けたまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。革靴の音が、渡り廊下にやけに響いた。
「そう警戒しなくてもいいわ。ここであなたを拘束しに来たわけじゃないもの」
「拘束って……」
隣で一ノ瀬さんが半歩前へ出る。僕を庇うみたいな動きに見えて、心臓が変な跳ね方をした。
「朝比奈くんに何の用ですか。ギルドの人が学校まで来るって、普通じゃないですよね」
「ええ、普通ではないわね」
御子柴さんはあっさり認めた。
「だからこそ、先に穏便に済ませておきたいのよ」
穏便。
その言葉が逆に怖い。
僕の沈黙を肯定と受け取ったのか、彼女は手帳を軽く持ち上げた。
「昨日、第三ダンジョン帰りの若手探索者二名が、浅層で牙兎の毒に侵された少女を“町の薬師の店”で治療してもらったと報告しているわ。通常なら病院搬送案件だった傷毒が、短時間で症状を改善したともね」
一ノ瀬さんの肩がぴくりと揺れた。
やっぱり、噂はもうギルドに届いている。
「別に、それだけなら珍しい話でもない。町の薬師の中には病院より現場向きの処置が上手い人もいるし、情報が誇張されることだってある。……でもね」
御子柴さんの視線が、まっすぐ僕を射抜く。
「その場にいた人間が揃って、“見たことのない薬だった”と言っているの」
逃げ道が狭まっていく。
僕は無意識に拳を握っていた。手のひらに爪が食い込む。
「それと、朝比奈薬店。あそこは知っているわ。堅実で評判のいい店よ。地元探索者からの信頼も厚い。でも、あの店で扱っていた既存薬に、そこまでの即効性はないはず」
「……詳しいんですね」
「仕事だから」
彼女の返答は淡々としていた。
感情を読みづらい。敵意があるのか、ないのか、それすらはっきりしない。
「場所を変えましょう」
「ここで話せないことなんですか?」
「学校の廊下でダンジョン由来の特殊薬物について立ち話をしたいなら、止めないけれど?」
それは困る。
僕が言葉に詰まっていると、一ノ瀬さんが小さく息を吐いた。
「私も行きます」
「好きにしなさい」
「好きにします」
妙にぴりついたやり取りだ。
御子柴さんはそれ以上気にした様子もなく、踵を返して歩き出した。僕たちは顔を見合わせてから、その後を追う。
向かったのは校門近くの小さな喫茶店だった。放課後の時間帯でそれなりに客はいたけれど、奥の半個室めいた席は話し声が漏れにくい。
注文を済ませて店員が去ると、御子柴さんは眼鏡の位置を指で直した。
「単刀直入に聞くわ。朝比奈湊くん。あなた、昨日の時点でステータスを得ているわね?」
息が止まりかけた。
ここで誤魔化せるか。
いや、誤魔化すしかない。
「ダンジョンには入りました」
「質問に答えて」
静かなのに、有無を言わせない声だった。
「得たの? 得ていないの?」
「……たぶん、得たと思います」
「“たぶん”ではなく?」
「僕には確認できません。《鑑定》がないから」
それは嘘じゃない。自分では見えない。感覚でしかわからない。
御子柴さんは数秒、僕の顔を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「そう。では次。昨日使った薬は、あなたが作ったもの?」
横で一ノ瀬さんが、今にも口を挟みそうな気配を見せる。僕はそれを制するように膝の上で指を握り直した。
「……はい」
言ってしまった。
隠し通せる雰囲気じゃなかった。変に否定すれば、もっと面倒になる気がした。
「既存レシピの改良?」
答えられない。
僕が黙ったままでいると、御子柴さんはテーブルに指を組んだ。
「安心しなさい。私は別に、あなたの秘密をこの場で暴きたいわけではないの」
「じゃあ何のために」
「確認と、警告よ」
その言葉に、僕は思わず顔を上げた。
御子柴さんは少しだけ声を落とす。
「昨日の件は、今のところ“地方薬師の独自処方かもしれない”という扱いで止めてある。正式な異常報告として上に回していないのは、私の判断」
「……どうして」
「逆に聞くけれど、上に回ったらどうなると思う?」
答えは、いくつも浮かんだ。
調査。事情聴取。試作提出。素材の開示。再現性の確認。監視。囲い込み。
最悪、祖父母の店ごと管理対象になる。
黙った僕に、彼女は淡々と言う。
「希少スキル保持者として保護される可能性もあるわね。けれど“保護”は便利な言葉よ。本人の自由が消えても、書類の上では保護になる」
一ノ瀬さんが苦い顔をした。
「そんなの、ほとんど拘束じゃないですか」
「ええ。だから私はまだ報告していない」
「……なんで、そこまでしてくれるんですか」
僕の問いに、御子柴さんはほんの少しだけ視線を伏せた。
「《鑑定》持ちはね、人の才能がどう扱われるかを見る機会が多いのよ」
短い一言だった。
でも、その言葉には妙な重みがあった。
「才能は、それだけで価値になる。価値は、すぐに管理と所有の話へ変わる。あなたがもし、本当に規格外の製薬能力を得たのだとしたら……放っておかれないわ」
僕の背中を冷たい汗が伝う。
「だから警告する。これ以上、目立つ真似は控えなさい」
「でも!」
一ノ瀬さんが身を乗り出した。
「また誰かが同じ目に遭ったらどうするんですか。朝比奈くんに助けられる力があるなら――」
「だからこそ厄介なのよ」
御子柴さんの声が、初めて少しだけ鋭くなった。
「一度奇跡を見せれば、人は次も期待する。二度、三度と続けば確信に変わる。そうなれば、善意だけでは済まない」
喫茶店に運ばれてきた飲み物が、沈黙の隙間を埋めた。店員が去るまで、誰も口を開かなかった。
僕は目の前のアイスコーヒーの表面を見つめる。氷がからりと鳴った。
「……僕は、どうすればいいんですか」
気づけばそう呟いていた。
怖いから使わない、なんてたぶんできない。
でも、使えば危険になる。
どちらを選んでも、何かを見捨てる気がした。
御子柴さんはしばらく黙り、それから意外なことを言った。
「まずは現状把握。あなた、自分のスキルの性能をどこまで理解しているの?」
「……ほとんど。昨日、初めて薬を作ったばかりなので」
「作れたのは一種類だけ?」
「たぶん、材料があればもっと色々……でも、実際には試してません」
「再現性は?」
「まだわかりません」
「副作用の検証は?」
「してないです」
質問されるたび、自分がどれだけ危うい綱渡りをしていたのか思い知らされる。昨日のあれは、人命がかかっていたから迷っている場合じゃなかった。けれど薬師として考えれば、検証不足にもほどがある。
御子柴さんはため息をついた。
「無自覚のまま怪物みたいなものを手にしたのね、あなた」
「怪物って……」
「褒め言葉ではないわ」
ですよね。
「ただし」
彼女は言葉を継いだ。
「完全に隠し通すのも無理よ。昨日の時点で一度漏れている以上、今後は“どう隠すか”より“どう見せるか”を考えるべきね」
その言い方は、昨夜祖父が言ったことと似ていた。
「見せる?」
「ええ。たとえば“朝比奈薬店が、ダンジョン素材の扱いに非常に長けている”という評価に収める。あなた個人の異常性ではなく、店のノウハウに見せるの。既存技術の延長に偽装する、とも言えるわね」
一ノ瀬さんが頷く。
「それなら、昨日の話とも繋がるかも。店の薬が効いた、って噂にしておけば」
「そう簡単な話でもないけれど、まだましよ」
御子柴さんはストローに口をつけ、ひとくちだけ飲んでから続けた。
「ただし条件がある」
僕は身構える。
「今後しばらく、あなたが作った薬を無差別に外へ出さないこと。どうしても出す必要があるなら、せめて効果と材料をある程度検証してから。そして、何か異常があれば私に連絡しなさい」
「え?」
「連絡先、あとで渡すわ」
「どうして、そこまで」
「言ったでしょう。上に回さず止めているのは私だって。つまり、現時点であなたの秘密にいちばん近い外部の人間は私なの。放置して勝手に大騒ぎされるより、手綱を握っていた方がいい」
合理的だ。合理的すぎて、少し怖い。
でもその一方で、僕の中には奇妙な安堵もあった。
全部を奪いに来たわけじゃない。少なくとも今の彼女は、そう見える。
「……朝比奈くん」
一ノ瀬さんが小声で僕を呼ぶ。
見れば、彼女は真剣な顔をしていた。
きっと同じだ。完全には信用できない。でも敵と決めつけるにも早い。
僕は迷った末、口を開いた。
「ひとつ、聞いてもいいですか」
「何かしら」
「もし僕の力が、本当にそんな危険なものなら……どうしてあなたは、報告しないでいられるんですか。ギルドの規則に反したりしないんですか」
御子柴さんは少しだけ目を細めた。
「いい質問ね」
それから、彼女は静かに答えた。
「規則は秩序のためにある。けれど秩序がいつも正しいとは限らない。少なくとも、何も知らない十八歳の少年を、いきなり檻の中へ放り込むことが正義だとは思わないわ」
檻。
その単語は物騒なのに、不思議と彼女の本音に近い気がした。
「もちろん、あなたが悪用するなら話は別よ。人を害するために使うなら、その時は私も容赦しない」
「……しません」
「なら今は、それで十分」
言い切る声音に、嘘は感じなかった。
しばらくして、御子柴さんは鞄から小さな封筒を取り出し、テーブルの上へ置いた。
「簡易連絡先と、初心者向け素材市場の資料。表向き、店の研究用に集めたことにしておきなさい。あなたが薬を作るなら、素材の入手経路も整えないと不自然になる」
「こんなのまで……」
「中途半端に守るのがいちばん危ないの。やるなら徹底的に」
やっぱりこの人、怖い。
怖いけれど、ものすごく頼りになる気もする。
「ところで」
ふいに御子柴さんの視線が一ノ瀬さんへ向いた。
「あなたも、昨日の件については口を閉ざしておきなさい。一ノ瀬澪さん」
「そのつもりです」
「ならいいわ。けれど、あなたは感情で動くタイプに見える。大切な人を守ろうとして、かえって目立つ真似をしないことね」
「……大切な人って」
一ノ瀬さんの頬がうっすら赤くなる。
僕はそれどころじゃなくて、ただ視線の置き場に困った。
御子柴さんはわずかに口元を緩めた。
この人、今わざとやったな。
「それじゃ私はこれで失礼するわ。今日は“確認”だけにしておく」
席を立ちかけた彼女に、僕は慌てて声をかけた。
「あの」
「何?」
「……ありがとうございます」
言うべきか迷ったけれど、結局それがいちばん正直な気持ちだった。
彼女が来なければ、僕はただ怖がるだけで、どう動けばいいか何も見えていなかった。
御子柴さんは一瞬だけ意外そうな顔をして、それから淡く笑った。
「感謝されるようなことはしていないわ。まだ」
その“まだ”が不穏すぎる。
けれど彼女はそれ以上何も言わず、会計を済ませて店を出ていった。
扉のベルが鳴り、姿が見えなくなってから、僕はようやく大きく息を吐いた。
「寿命縮んだ」
「わかる」
一ノ瀬さんも同じように背もたれへ沈み込む。
「でも、思ったより悪い人じゃなかったね」
「悪い人じゃない、で済ませていいのかな」
「少なくとも、いきなり連れてかれたりはしなかったでしょ」
それは本当にそうだ。
僕はテーブルの上の封筒を見た。
薄い紙切れひとつなのに、妙に重く見える。
「朝比奈くん」
「うん?」
「これで、もう本当に後戻りできないね」
一ノ瀬さんの言葉に、僕は苦笑した。
「最初に君を助けた時点で、たぶんもう無理だったよ」
「それ、私のせいみたいじゃない?」
「ち、違っそういう意味じゃ」
「ふふ、冗談」
彼女は楽しそうに笑ってから、少しだけ真面目な顔になる。
「でもさ。私は、助けてもらってよかったって思ってる。だから後悔しないで」
その一言が、胸の奥へ静かに染み込んだ。
後悔しないで。
簡単な言葉のはずなのに、僕にはそれがひどく難しい。
でも、そう言ってくれる人がいるだけで、昨日とは少し違う気持ちで前を向ける気がした。
「……うん」
小さく頷く。
隠さなくちゃいけない。
でも、ただ怯えているだけじゃ駄目だ。
僕は僕の力を知らなすぎる。
守るためにも、助けるためにも、まずは理解しないといけない。
何が作れて、何が作れないのか。
どこまでが薬で、どこからが危険なのか。
《錬金術》とはいったい何なのか。
やるべきことは、山ほどあった。
喫茶店を出るころには、空は夕焼けに染まり始めていた。
長く伸びた影を踏みながら、一ノ瀬さんが僕の隣を歩く。
「ねえ、今度またダンジョン行くんでしょ?」
「え、う、うん。たぶん」
「その時、私も一緒に行く」
「は!?」
「初心者同士で危ないなら、なおさら一人より二人の方がいいでしょ。あと、朝比奈くんって絶対、放っておくと無茶するし」
「しないよ」
「昨日した」
反論できない。
一ノ瀬さんは満足げに頷いた。
「決まり。私、ちゃんと強くなるから。朝比奈くんが隠しごとで困るなら、その分、私が表で動けるようになる」
まっすぐすぎる言葉に、思わず言葉を失う。
彼女は前を向いたまま、少しだけ照れたように笑った。
「……秘密の共犯者なんでしょ?」
その言い方に、僕はまた少しだけ困って、でも昨日よりは素直に思えた。
悪くないかもしれない、と。
もちろん、事態は何ひとつ解決していない。
ギルドという巨大な影は消えていないし、僕の力が露見すれば終わる危うさも変わらない。
それでも。
僕にはもう、ひとりで抱え込むしかない状況じゃなくなっていた。
その日の夜、店へ戻った僕を待っていたのは、祖父のしかめ面と、祖母の妙に優しい笑顔だった。
そして作業台の上には、見慣れた薬草に混じって、昨日まではなかったいくつもの素材が並べられていた。
「さあ湊」
祖父が腕を組む。
「お前さんの“錬金術”とやら、きっちり試してみようか」
いよいよ、誤魔化しでは済まない。
世界初かもしれない力の検証が、今夜から始まる。




