第二話 初めてのポーションと、隠しきれない奇跡
初投稿です。
AI利用作になります。
不定期更新になると思いますが、よろしければどうぞ。
一ノ瀬さんの喉が、小さく動いた。
翡翠色の液体がゆっくりと唇を越え、口の中へ流れ込んでいく。店の中は、まるで時間が止まったみたいに静かだった。
僕は息を呑んだまま、その顔を見つめる。
効いてくれ。
お願いだから、効いてくれ――。
数秒。
その、ほんの短いはずの時間が、やけに長く感じた。
「……あ、れ……」
最初に声を漏らしたのは、一ノ瀬さん自身だった。
苦しげに歪んでいた眉が、少しだけほどける。荒かった呼吸が整い始め、紫色に浮いていた毒の筋が、じわじわと薄くなっていくのが見えた。
「色が……戻ってる?」
探索者のひとりが呆然と呟く。
腫れ上がっていた右脚は、見る間に赤みを失っていった。もちろん完全に元通りではない。傷そのものは残っているし、体力だって戻ったわけじゃない。けれど、さっきまで脚全体を蝕んでいた異常な毒の進行は、明らかに止まっていた。
一ノ瀬さんが浅く息を吐き、苦しそうだった肩の力を抜く。
「……痛く、ない」
その一言で、場の空気がはっきり変わった。
「は?」
「嘘だろ、おい」
「もう効いたのか!?」
運び込んできた探索者二人が目を丸くする。祖母は一ノ瀬さんの脈を取りながら、信じられないものを見る目をしていた。祖父も黙ったまま脚の傷口を調べている。
僕の手の中で、空になった小瓶がひどく軽かった。
効いた。
本当に、効いてしまった。
嬉しいはずなのに、背筋に冷たいものが走る。自分が作った薬の結果を、自分がいちばん恐れていた。
「湊」
祖父が低い声で呼ぶ。
「……はい」
「その瓶、こっちへ寄越せ」
怒られる、と思った。
けれど祖父の顔にあったのは怒気ではなく、薬師としての真剣な眼差しだった。
僕は黙って空瓶を差し出す。祖父は残った雫を光に透かし、鼻先へ寄せて匂いを確かめた。祖母も覗き込み、眉を寄せる。
「こんな調合、見たことないよ」
「僕も……今日、初めて作った」
言い終わった瞬間、しまったと思った。
初めて。
そんな曖昧な誤魔化しで済む話じゃない。
案の定、祖父の目が細くなる。
「後で、きっちり説明してもらうぞ」
「……うん」
逃げられない。
でも今は、それどころじゃなかった。
一ノ瀬さんがゆっくりと上体を起こそうとして、祖母に止められる。
「無理するんじゃないよ。毒は抜けても、傷は残ってる。体力だって消耗してるんだからね」
「でも……さっきまで、本当に息もできないくらい痛くて」
一ノ瀬さんは自分の脚を見つめ、信じられないように何度か瞬きをした。それから顔を上げて、まっすぐ僕を見る。
「あの、朝比奈くん……これ、あなたが?」
視線が痛い。
僕はもともと人の目を見るのが得意じゃない。まして今は、答えひとつで何かが決定的に変わってしまいそうで、まともに口が動かなかった。
「僕は、その、少し手伝っただけで」
「少し、でこんな薬ができるか」
ぼそりと祖父が突っ込んだせいで、店内の空気が微妙になる。
やめてほしい。
僕は心の中で頭を抱えた。
運び込んできた探索者のひとり――たしか近所の若手探索者で、名前は沢村さんだったはず――が、興奮を隠せないまま僕に詰め寄る。
「なあ坊主、それ売ってくれねえか? いや、一本どころじゃねえ、継続で卸せるなら――」
「馬鹿言うんじゃないよ!」
祖母がぴしゃりと遮った。
「今この子は、怪我人を助けるために薬を出しただけだ。値段の話をするなら外でおし」
「いや、でも!」
「でもじゃない」
祖母は普段穏やかな人だけど、怒ると祖父より怖い。沢村さんは肩をすくめ、口をつぐんだ。
その隣で、もうひとりの探索者が神妙に頭を下げる。
「すみません。助けてもらったのに、取り乱しました」
「わかればいいさ。あんたらも一度落ち着きな」
祖母はそう言ってから、僕をちらりと見た。
その目が告げている。――今は余計なことを言うな、と。
僕は黙って一歩下がった。
助かったという安堵と、隠しきれないという焦りが、胸の中でぐちゃぐちゃに混ざっている。
きっと、もう遅い。
この場にいる全員が見た。
“ありえない薬”が、たしかに一人の探索者を救ったところを。
◇
一ノ瀬さんは奥の休憩室に寝かされ、探索者二人は祖父に厳しく口止めされた上で帰された。口止めなんてどれほど意味があるかわからない。それでもしないよりはましだ。
店を閉めたあと、僕は居間に正座させられていた。
向かいには祖父。隣に祖母。
空気が重い。
叱られる。
絶対に叱られる。
そう思っていたのに、最初に口を開いたのは祖母だった。
「湊。あんた、無茶な真似をしたね」
「……ごめんなさい」
「怒ってるんじゃないよ」
祖母の声は、思ったよりずっと静かだった。
「怖かったんだ。あの子を助けたことじゃなくて、あんたが何を抱え込んでるのか、こっちが全然わからなかったことがね」
胸が痛む。
祖父が腕を組んだまま、低く問う。
「ダンジョンで何を得た」
もう誤魔化せない。
僕は喉を鳴らし、今日ダンジョンでスライムを倒した瞬間に妙な感覚があったこと、その後、作業場で薬を作れそうだと“わかってしまった”ことを、できるだけ順を追って話した。
「スキル名は……《錬金術》、だと思う」
「聞いたことないねえ」
祖母が呟く。
「僕もない。だから最初は、何かの勘違いかと思ったんだけど……でも、手順が頭に浮かんで……作ったら、本当にできた」
言いながら、自分でも現実味がないと思う。
世界初のスキルだなんて、大げさな妄想みたいだ。けれど、あのポーションの効き目を見たあとでは、笑い飛ばすこともできない。
祖父はしばらく黙っていたが、やがて深く息を吐いた。
「湊。まず先に言っておく」
「う、うん」
「あの場で薬を出した判断自体は間違っちゃいない」
意外な言葉に、僕は顔を上げた。
祖父は厳しい顔のまま続ける。
「目の前で助かる命があるのに、見殺しにしろなんて儂は言わん。薬師ならなおさらだ。……だが、あの効き目は危険すぎる」
「……うん」
「怪しまれる。狙われる。奪われる。最悪、お前自身の意思なんぞ無視して囲い込もうとする連中が出る」
その言葉は重かった。
でも、想像できてしまう。
病院では治りが悪い傷や毒を、短時間で抑え込める薬。しかも、それを作ったのがただの十八歳の高校生だと知れたら。善意だけで近づいてくる人ばかりとは限らない。
「湊」
今度は祖母が僕の手を取った。
「あんたは優しい。だからきっと、困ってる人を見るたびに使いたくなる。けどね、優しい子ほど利用されるんだよ」
「……」
「守りなさい。薬も、自分も、うちも」
僕は答えられなかった。
守る。
そのためには、隠さなくちゃいけない。
でも隠すということは、助けられるはずの人を見捨てる場面が、これから出てくるかもしれないということだ。
そんな僕の迷いを見抜いたみたいに、祖父が言った。
「全部隠せとは言わん。ただし、出し方を考えろ」
「出し方……?」
「お前の力そのものを知られずに済む形だ。既存の薬の改良に見せかけるのか、素材の選別だと言い張るのか、それとも儂らの店を盾にするのか。方法はいくらでもある。無論、簡単じゃないがな」
僕は息を呑んだ。
「……怒らないの?」
「阿呆」
祖父が珍しく、少しだけ口元を緩めた。
「お前がようやくダンジョンに入れて、そこで手に入れた力だ。危険だからといって、頭ごなしに否定するものか。薬師の家の子が、薬で人を助けたんだぞ」
その一言で、胸の奥に溜まっていたものが少しだけほどけた。
怖い。
でも、独りじゃない。
祖父母は、僕の味方でいてくれる。
「明日から、作れるものと作れないもの、効き目の差、材料の消費量、全部検証するよ」
気づけばそう口にしていた。
「本当に使える力なのか、偶然なのか、ちゃんと確かめたい」
「うん。それでいい」
祖母が頷く。
「ただし、無理は駄目だよ。寝不足で薬を触ると碌なことにならないからね」
そう言われて、自分がどっと疲れていることに気づいた。
けれど、その夜はなかなか眠れなかった。
暗い天井を見つめながら、何度も考える。
《錬金術》
僕だけの力。
人を救えるかもしれない力。
そして、僕の日常を壊すかもしれない力。
目を閉じるたび、一ノ瀬さんの苦しそうな顔と、薬を飲んだあとの安堵した表情が浮かんだ。
もしまた同じ場面があったら。
僕はきっと、同じように薬を出してしまう。
それが正しいのかどうか、まだわからないまま。
◇
翌朝、学校へ行くと空気が少しおかしかった。
教室の前に立った瞬間、何人かの視線がさっと僕へ向く。ひそひそ声が聞こえて、すぐに止む。普段なら僕みたいな目立たない生徒に、こんな注目が集まることはない。
嫌な汗が背中を伝った。
まさか、もう?
「朝比奈くん」
名前を呼ばれて振り返ると、そこに一ノ瀬さんが立っていた。
思わず目を見開く。
「え……もう来たの?」
「来たの、じゃないよ。来られたの」
彼女はそう言って、少しだけ照れたみたいに笑った。
昨日あれだけ苦しんでいたとは思えないくらい、顔色はいい。右脚にはまだ包帯が巻かれているけれど、自分の足でしっかり立っている。
「まだちょっと痛むけど、普通に歩ける。おばあちゃんにも無理するなって言われたんだけどね」
「無理してるじゃん……」
「だって、お礼言いたかったし」
教室の入り口でそんな会話をしていたせいで、周囲の注目がさらに集まってしまう。耐えきれず僕が目を逸らすと、一ノ瀬さんは小さく笑った。
「放課後、少し時間ある?」
「え?」
「話したいことがあるの」
断れる雰囲気じゃなかった。
「わ、わかった」
「ありがと」
それだけ言って彼女は自分の席へ向かう。
その後ろ姿を見送りながら、僕は心底困り果てていた。
たぶん、聞かれる。
昨日の薬のことを。
どう答えればいい。
どこまで誤魔化せる。
「おいおい、朝比奈。いつの間に一ノ瀬とそんな仲になったんだよ」
隣の席の男子が、にやにやしながら肘でつついてくる。
「ち、違うから」
「でも昨日、一ノ瀬がダンジョンでやばかったの助けたの、お前だって噂だぞ?」
心臓が止まりかけた。
「誰がそんな」
「探索者の兄貴が言ってた。『朝比奈薬店の坊主がとんでもない薬出した』って。まあ尾ひれついてるだろうけどな」
尾ひれ。
その言葉に、少しだけ救われる。
噂というものは大抵、正確じゃない。だからこそ恐ろしいんだけど、最初のうちは曖昧さが盾になることもある。
――朝比奈薬店の坊主がすごい薬を出した。
それくらいなら、まだ店の評判で押し切れるかもしれない。
でも。
と僕は思う。
その“すごい薬”を、僕がこれから何度も出すことになったら?
噂は、いずれ噂じゃ済まなくなる。
授業中も上の空だった。黒板の文字が頭に入ってこない。教師の声も遠い。休み時間になるたび、誰かがちらちらこちらを見ている気がする。
そして放課後。
僕は校舎裏に近い人気のない渡り廊下で、一ノ瀬さんと向かい合っていた。
風が吹き抜けるたび、彼女の結んだ髪が揺れる。
「改めて、昨日は本当にありがとう」
彼女はそう言って、まっすぐ頭を下げた。
「朝比奈くんがいなかったら、たぶん私、もっとひどいことになってた。もしかしたら探索者を続けられなかったかもしれない」
「そんな……僕は、ただ」
「ただ、じゃないよ」
顔を上げた彼女の目は、昨日の苦痛に歪んだものではなく、いつもの強い光を取り戻していた。
「だから、ちゃんと聞きたいの。あの薬、何だったの?」
やっぱり、その質問だった。
喉が詰まる。
ここで全部話すべきか。いや、話せるわけがない。
「うちの店で扱ってる薬を、少し調整しただけで……」
「嘘」
即答だった。
僕は固まる。
「朝比奈くん、嘘つくの下手だよね」
「……」
「責めたいわけじゃないの。ただ、助けてもらった側としては気になるし、何より、あれを見たら普通じゃないってわかる」
一ノ瀬さんは一歩だけ近づいた。
僕より少し低い位置から見上げてくる目は、不思議なくらい真剣だった。
「安心して。無理に言わせるつもりはない。でも、もし困ってるなら、ひとりで抱え込まないで」
その言葉に、胸が詰まる。
ひとりで抱え込むな。
たったそれだけの言葉なのに、どうしてこんなに効くんだろう。
「……昨日、怖かった」
気づけば、ぽつりと零していた。
「助けられるかもしれないって思った。でも、助けたら絶対に何か変わるってわかってた。だから、すごく怖かった」
一ノ瀬さんは黙って聞いている。
「それでも、見捨てられなかった」
「うん」
「たぶんこれからも、同じことがあったら、たぶん僕は……」
「助けるでしょ。朝比奈くんは」
彼女は迷いなく言った。
「そういう人だもん」
その断言が、なぜだか少しだけ嬉しくて、同時に苦しかった。
「だったら、それでいいんじゃない?」
「よくないよ。秘密にしたいのに、助けるたびに隠せなくなる」
「じゃあ私、協力する」
「……え?」
「口止めとか、誤魔化しとか。そういうの得意じゃないけど、朝比奈くんをひとりで矢面に立たせないくらいはできる」
一ノ瀬さんは腕を組み、どこか得意げに笑った。
「命の恩人なんだから、それくらい当然でしょ」
「いや、でも……」
「それに」
彼女は少しだけ顔を逸らし、頬をかすかに赤くした。
「助けてもらって、はい終わり、なんて……そんなの、ちょっとやだし」
風の音がやけに大きく聞こえた。
意味を考えようとして、脳が止まる。
一ノ瀬さんは咳払いして、すぐにいつもの調子へ戻った。
「とにかく! 昨日のこと、私は誰にも詳しく話さない。探索者仲間にも、店の薬が効いたってくらいで通す。これでいい?」
「……なんで、そこまで」
「言ったでしょ。協力するって」
彼女はそう言って、右手を差し出した。
「秘密の共犯者、ってことで」
その言い方に、僕は思わず息を詰めた。
秘密。共犯者。どちらも穏やかじゃない単語なのに、彼女の口から出ると妙に明るく聞こえる。
しばらく迷ってから、僕は恐る恐るその手を取った。
一ノ瀬さんの手は、思ったより少しだけ冷たくて、でもしっかりしていた。
「……よろしく」
「うん。よろしく、朝比奈くん」
彼女は嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間、昨日までとは何かが確かに変わってしまったのだと理解する。
僕の秘密を知る人が増えた。
でもそれは、必ずしも悪いことばかりじゃないのかもしれない。
そう思いかけた、そのときだった。
「――へえ。秘密の共犯者、ね」
不意に、冷ややかな女の声が割り込んだ。
僕たちは同時に振り向く。
渡り廊下の角。
そこに、見覚えのない女子生徒が立っていた。いや、生徒じゃない。制服ではなく、きっちりとした濃紺のスーツ姿。黒髪をすらりと伸ばした、年上の女性だ。
整った顔立ちに眼鏡。
一見すると知的で美人、なのにその視線は妙に鋭い。
その人は手帳を閉じながら、僕をじっと見た。
「朝比奈湊くん、で間違いないわね」
ぞくり、と背筋が粟立つ。
「私は御子柴雫。探索者ギルド査定部所属。少し、あなたに確認したいことがあるのだけれど」
終わった、と思った。
秘密はまだ守れているはずだった。
そう思いたかっただけで、現実はもう、こっちへ歩いてきていたのだ。
僕の“奇跡”を嗅ぎつけた誰かが。




