第二十七話 再びの深部、暴走する担体
二日後の夜明け前。
僕たちは、崩れた搬送路の入り口に立っていた。
前回崩れた先を、御子柴さんと篠宮さんが手分けして開けてくれた。瓦礫の隙間から、新たに掘った通路が下へ続いている。真壁さんが教えてくれた“もう一つの経路”は、旧搬送路の更に下、管理棟の地下配電室から入る、崩れていない補助階段だった。
「時限は、三時間」
御子柴さんが、腕時計を確かめた。
「三時間以内に戻れなければ、ギルドへ事後報告で突撃させる。私が全部の責任を取るわ」
「御子柴さんまで責任を取ることないのに」
「取るわよ。そういう役目を、私は選んだから」
彼女はそう言って、僕を見た。
「手袋は」
「持ってる」
「聖良さんは」
「大丈夫です」
聖良さんは、白い上着の代わりに、篠宮さんの軽装を借りていた。白い髪を後ろでまとめ、腰に小さな救急ポーチを付けている。
戦闘向きの格好ではない。でも、目の色は、迷いのないものになっていた。
「僕たちの順番は」
「一ノ瀬さんが前衛。私はその後ろ。朝比奈くんは中間、聖良さんは僕の隣。篠宮さんは後衛で、火魔法と追撃よ」
一ノ瀬さんが、拳を胸元で軽く叩いた。
「私、今日は本気だから」
「いつも本気でしょ」
「今日はその、もっと」
彼女は笑った。
緊張が、少しだけ薄まった気がした。
僕たちは、補助階段を降り始めた。
最初の三十分は、比較的静かだった。
配電室の古い配管の音と、自分たちの足音だけ。
次第に、壁面が岩肌へ変わり、薬草の気配が濃くなっていく。
そして、下りきったところで、僕たちは前回の空洞へ辿り着いた。
白い担体が、あった。
でも、変わっていた。
「……縮んでる」
一ノ瀬さんが、声を落とした。
確かに、あの時より小さくなっていた。
白い塊は、自分の体を少しずつ削って、何かを“作り続けて”いた。その脇に、小さな白い塊が、いくつも生まれていた。
でも、その新しい塊たちの色は、端的に白じゃなかった。
縁が、黒くにじみ始めている。
「……混ざってる」
僕の《錬金術》の感覚が、はっきりと告げた。
白い担体が、黒い性質に侵され始めている。
そして、その流れが、下へ、奥へ、続いている。
「あそこよ」
御子柴さんが、空洞の奥の暗がりを指さした。
前回来た時にはなかった通路が、開いていた。
人の手で、こじ開けられた通路だ。
そこから、低い機械音が聞こえてきた。
僕たちは、警戒しながらその通路を進んだ。
通路の先は、意外と明るかった。
仮設の照明。
小さな作業台。
そして、その中央に置かれた、培養槽。
黒い担体が、その中で揺れていた。
中身は、白くない。
全体が、黒い。
けれど、その内部に、白い細い糸が何本も走っていて、まるで、黒いものが白いものを飲み込んでいる最中みたいに見えた。
「もう、こんなに進んでるの……」
篠宮さんの声が、掠れた。
その時、培養槽の影から、声がした。
「……来たのね」
あの女だった。
前回と同じ、短い黒髪と、無表情な顔。
けれど、その足元には、粘着液の残滓が残っていた。僕たちが捕まえた時に使ったやつだ。彼女は、それを跡形もなく片付けていた。
「……あなたは」
僕が訊くと、彼女は静かに培養槽へ手を添えた。
「私は、第二素材応用研究室の最後の研究員よ。名前は、もうどうでもいい」
「担体を、完成させようとしてる」
聖良さんが、静かに言った。
「ええ。二日後に終わるはずだった。でも、あなたたちがここへ来てくれたおかげで、早められるわ」
女は、静かに僕を見た。
「あなたは、白い方に触れたんでしょ。なら、分かるはず。この担体は、今、岐路に立ってる」
「岐路」
「白い方が、黒い方に飲み込まれてる。でも、完全には負けてない。ここで、担体に意思を通して、癒やす側へ引けば……」
「引かせるつもり?」
女は、静かに首を振った。
「引かせない。私たちは、歪んだ方へ完成させる。そうしないと、もう間に合わない」
その言葉の意味が、分からなかった。
「……間に合わない?」
「国の保護制度は、崩壊に向かってるのよ」
女は、静かに言った。
「回復魔法使いの数は、減っている。黒濁で傷つく人間の数は、増えている。歪んだ担体でも完成すれば、一時的な対処にはなる。そうすれば、何千人も救える。あなたたちの“正しい方”より、歪んだ方が、現実には間に合うの」
それは、静かで、残酷な正論だった。
一ノ瀬さんが、静かに槍を構えた。
「……でも、それって、誰かが犠牲になるんじゃないの?」
「ええ。なるわ。でも、数が違う。一人が、何千人を救うとするなら、それは]
「正義にならないよ」
一ノ瀬さんの声は、低かった。でも、まっすぐだった。
「犠牲にされた人が、望んでなるんじゃないなら、それは何人救えても正義にならない」
女は、一瞬だけ目を逸らした。
「……あなたは、優しいのね」
その言葉には、皮肉ではなく、少しだけ寂しさが混ざっていた。
その時だった。
培養槽の中で、黒い担体が、大きく脈打った。
白い糸の一本が、目に見えて薄くなる。
「……負けてる」
聖良さんが、呟いた。
「白い方の意思が、消えかけてる。……急いで」
僕は、手袋を外した。
「聖良さん」
「はい」
「橋、渡します」
彼女は、小さく頷いた。
そして、右手を差し出してきた。
◇
僕と聖良さんの手が、重なった。
瞬間、白い光が、彼女の右手から、僕の掌へ、ゆっくりと流れ込んできた。
回復魔法の感覚は、温かかった。
でも、その温かさは、受け止めるだけで精一杯だった。強い。人を癒やすための、純粋すぎる強さ。
そのままの強さを、担体へ向けたら、きっと担体は逃げてしまう。
だから、僕が間に入る。
《錬金術》の感覚を、全開にする。
回復魔法の“温かさ”と、担体の“求めているもの”を、一つずつ、性質として読み取り、翻訳していく。
「……伝わる」
僕の声が、震えた。
担体が、答えた。
ゆっくりと、はっきりと、呼ばれていた。
“救い”を、求めている。
白い糸が、少しだけ太くなる。
「黒い方に、引かれてる」
聖良さんが、静かに言う。
見れば、培養槽の中の黒い担体も、微かに脈打っていた。
白い担体が強くなると、黒い方が、反応する。
「……私のせい?」
「違うわ」
女が、静かに言った。
「黒い方が、反応してるのは、白い方に触れられたから。……つまり、今なら、決められる」
彼女は、右手を挙げた。
手に握られていたのは、小さな黒い球だった。
「担体へ、最後の触媒を入れる。黒い方に、完成させるわ」
「止める!」
一ノ瀬さんが、前に出ようとした。
でも、女は、その前に、黒い球を投げた。
培養槽の中へ。
黒い球は、黒い担体のまっただ中へ落ちた。
瞬間、培養槽が、大きく脈打った。
黒い担体が、暴れ始めた。
槽のガラスに、ひびが入る。
「……もう、遅いわ」
女は、静かに言った。
そして、培養槽のガラスが、砕け散った。




