第二十三話 面会の約束と、回復魔法使いの少女
来週という言葉は、思ったより早く訪れた。
面会の隙間ができた、と御子柴さんから連絡が来たのは、搬送路から生還してから四日後のことだった。国の保護下にある回復魔法使い、天城聖良さん。国が二、三人しかいないと言われる超希少な適性者の一人。そして、あの天城冬吾の娘。
僕たちは昼休みを利用して、その話をするためにふたたび屋上へ集まっていた。
「面会の許可が出たわ」
御子柴さんが一枚の紙を机代わりの手すりに置いた。
「名目は、“希少適性者に対する民間医療品の情報提供”。篠宮側の名義を使えば、破綻しない形にできる」
「民間医療品……僕の薬のこと?」
「ええ。あなたの店の既存薬のデータを提出してある。だから、治療薬の話をする目的で面会する、という建前が立つの」
「……ずるくないですか」
「ずるいわ。でも、正直に“娘の父親が残した謎の担体について話したくて”なんて申請したら、却下どころか監視対象よ」
御子柴さんの言い方は冷たいけれど、正しかった。
「でも、私」
篠宮さんが口を開いた。声は少し低い。
「私はこの面会、やめた方がいいと思ってるの」
「え?」
一ノ瀬さんが思わず声を上げる。
「だって、天城聖良さんって、父親の研究を知らされて育った可能性が高いわ。知らせれば、彼女が巻き込まれる。知らせなければ、僕たちだけが危ない。どちらにせよ、彼女を縛ることになる」
「……そうだね」
僕は頷いた。
正しいことを、していない気がする。
彼女は今、国の保護下で、たぶん外の世界より安全に暮らしている。そこへ僕たちが行けば、その平穏を壊すことになる。
でも、天城冬吾の紙は、はっきりと言っていた。
――回復魔法使いと、手を組め。
「それでも、会いたいの?」
篠宮さんが静かに訊く。
「……会いたい」
僕は答えた。
「会わなければ、何も始まらない。中層の“完成”を止めるのも、あの担体を正しい形に戻すのも、たぶん一人では無理だ。あの人が言った通り、担体に“意思を通せる人間”が必要なら、僕の《錬金術》と、回復魔法を組み合わせるしかない」
沈黙が落ちた。
最初に頷いたのは、一ノ瀬さんだった。
「なら、私は同行する」
「一ノ瀬さんまで巻き込むわけには――」
「巻き込まれてるの、今更だよ」
彼女は困ったように笑った。
「それにさ、回復魔法の人と会うのは、これくらいの理由じゃだめ?」
「……なに?」
「朝比奈くん、最近ずっと顔色が悪いんだから」
そう言われて、自分でもようやく気づいた。
ここ数日、夜眠れなかった分が、ちゃんと身体に残っていたらしい。
篠宮さんはため息をついて、それから小さく頷いた。
「……分かった。私も同行する。ただし、緊急時には即撤退よ」
「うん」
「御子柴さんは?」
彼女は手すりに頬杖をついた。
「私は外で待つ。所轄の関係上、私が入ると形だけが面倒になるの。でも、外の連絡と撤収準備は私がやるわ」
面会の日は、翌々日に決まった。
◇
面会当日。
僕と篠宮さんと一ノ瀬さんは、市の北側にある医療保護施設の前で待ち合わせていた。
外観は病院というより、大きな家みたいだった。白い壁に、広い庭。敷地の周りには目立たない柵と、それ以上に目立たない監視装置。
「来たわ」
篠宮さんが小声で言う。
正面入口から、スーツ姿の職員が二人出てきて、僕たちを中へ案内した。
廊下は静かで、白く、清潔だった。
歩くたびに、自分たちが場違いに思える。
行き交う職員が、みんな僕たちを気にする。
案内されたのは、小さな面会室だった。
窓から日差しが入っていて、テーブルの上に冷たいお茶が用意されている。
そして、部屋の奥のソファに、一人の少女が座っていた。
白に近い柔らかな髪色。透き通るような肌。
静かに座っているだけで、周りの空気が少し澄んで見えるような、儚げな美少女。
「……初めまして」
彼女が立ち上がり、少しだけ頭を下げた。
「天城聖良です。今日は、時間を作ってくださってありがとうございます」
「朝比奈湊です。……あの、会社の方とお聞きしましたけど」
「ええ。でも、別に用件が会社の話とは限らないでしょ?」
彼女は小さく微笑んだ。
その視線が、僕の手元の革袋へ一度だけ落ちた。
「朝比奈さんは、薬師さんなんですよね」
「……見習いですけど」
「見習いでも、薬師さんは薬師さんです」
彼女の言葉は、静かだったけれど、どこか遠くに届く響きがあった。
篠宮さんが口を開いた。
「単刀直入に言います。今日ここに来たのは、あなたのお父様の研究について、確認したいことがあるからです」
一瞬、部屋の空気が固まった。
聖良さんは、表情を変えなかった。
それどころか、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「……やっぱり、その話なんですね」
「やっぱり?」
「面会の名義が、民間医療品の情報提供だったから。父の名前を知ってる人間は、普通そんな形は取らない、と思っていました」
彼女は静かにソファに腰を下ろした。
「お父様の研究のことは、何も教えられていません。ただ、知らないふりをするのは得意ですから。……何を確認したいんですか」
僕は、革袋から一つの石の筒を取り出した。
中の紙は、まだ手つかずのまま。
「これを、ここへ持ってきました。読んでいいかどうか、あなたに決めてほしいんです」
「……私に?」
「あなたのお父様が残されたものみたいだから」
聖良さんは、目を見開いた。
それから、しばらく黙って、石の筒を見つめた。
やがて、彼女の指先が、かすかに白く光った。
回復魔法。
こんなに近くで見るのは初めてだった。
光は、優しくて、静かで、でもどこか寂しいものに見えた。
「……読みます」
彼女は言った。
「お父様が残したものなら、たぶん、私に読む資格があるはずだから」
◇
紙の内容を読み終えた聖良さんは、しばらく黙っていた。
日差しはもう、昼の角度を過ぎていた。
面会室の白い壁が、少しだけ黄色く見える。
「……お父様の字ですね」
やがて、彼女はそう言った。
「私は小さい頃、この字を練習帳で何度もなぞりました。研究費の書類を整理してる時を、ふざけて手伝ってたんです。……まあ、実際は邪魔ばかりしてましたけど」
その笑い方は、静かだった。
悲しみを、もう一遍、仕舞い込んでしまっているみたいな笑い方だった。
「聖良さん」
僕は訊いた。
「回復魔法使いと手を組め、と書かれていました。その意味、分かりますか」
「……たぶん」
彼女は袖の下で、両手を握った。
「私の回復魔法、当てにならないんです」
「当てらない、って」
「病院でも、たまに言われます。回復魔法は万能だけど、万能じゃない。毒や呪傷、特異な魔力疾患には効かないことも多い。私には、そういう時、何もできない」
彼女の声は、静かだった。
でも、その静けさがどれだけ積み重ねられてきたものなのか、僕には分かった。
超希少な適性。
国に二、三人しかいない救い手。
だからこそ、救えないものの数も、少なくはない。
「でも、あの黒濁のようなものが、“治すはずのもの”から生まれたのなら、私の魔法にも関係があるのかもしれない、と思っていました。だから、今日は覚悟して面会の許可を出しました」
聖良さんは、僕の顔をまっすぐ見た。
「朝比奈さんは、その“治すはずのもの”に、触れたことがあるんですか」
「……はい」
「触れた時、どう感じましたか」
僕は、白い担体のことを思い出す。
ゆっくりと呼吸するみたいに脈を打っていた、あの白い塊。
僕の《錬金術》が、まるで呼び合うみたいに反応した。
「……呼ばれた気がします」
その言葉に、聖良さんは、ほんの少しだけ目を細めた。
「私もです」
彼女は静かに言った。
「最近、目を閉じると、遠くから呼ばれる夢を見るんです。白いものが、こちらを見てる夢。たぶん、それ」
面会室の空気が、少し変わった気がした。
そこへ、廊下の向こうで、足音が近づいてきた。
忙しい足音。
急いでいる。そして、慣れている。
次の瞬間、面会室の扉がノックされ、開いた。
入ってきたのは、若い女性の職員だった。
「聖良さん、すみません。至急の連絡が入って――」
彼女の視線が、テーブルの上の石の筒と、僕の顔を、順番に横切った。
一瞬、表情が硬くなる。
聖良さんは静かに立ち上がった。
「……分かりました。すぐ行きます」
彼女は僕たちに振り返り、少し申し訳なさそうに頭を下げた。
「今日は、ここまでにさせてください。……でも、また会いましょう。必ず」
その声は、静かだった。
でも、逃げの静けさじゃなかった。
決心の静けさだった。
職員に促されて、聖良さんは部屋を出ていった。
扉が閉まる音が、ひどく重く響いた。
篠宮さんが、低く呟いた。
「……今の職員、見たことがあるわ」
「どこで?」
「ええ。……昨日、御子柴さんの端末に映ってた、第三の追加調査班の一人よ」
僕は息を呑んだ。
この施設の中に、第三の調査班がいた。
つまり、国の保護下にあるはずのこの場所は、もう誰かの監視下にある。
聖良さんは、今この瞬間から、あの連中にも見られている。
外へ出た僕たちを待っていたのは、御子柴さんからの一件のメッセージだった。
「聖良さんの保護視察の件、上に上がったわ。今日中に、連中が動く。迎えに行くわ」




