第十五話 夜の搬入口と、初めての待ち伏せ
「行く?」
一ノ瀬さんの一言で、作業場の空気がぴんと張った。
御子柴さんの端末には、第三ダンジョン旧資材搬入口付近で不審な搬入があったかもしれない、という報告が届いている。
しかも方角は、さっき僕が黒い粉の反応から感じ取った“北東”と一致していた。
偶然で済ませるには、出来すぎている。
「待って」
すぐに動き出しかけた空気を止めたのは、祖父だった。
「焦って飛び出して、相手の思う壺になるな。行くにしても準備が先だ」
「それはそうね」
御子柴さんも即座に頷く。
「現状、私たちは“怪しい”と思っているだけで、何が運び込まれているのかまでは分からない。正面衝突は避けるべきよ」
「つまり、見るだけ?」
一ノ瀬さんが少し不満そうに言う。
「見るのが最優先。必要なら証拠を取る。戦うのは最後」
篠宮さんが静かに言った。
「相手の正体も数も分からないのに、先に仕掛ける意味は薄いわ」
一ノ瀬さんは口を尖らせかけて、それでもすぐに納得したように頷いた。
「……分かった。じゃあ今日は待ち伏せと偵察重視」
「そういうこと」
御子柴さんは端末を見ながら続ける。
「報告元は旧搬入口から少し離れた保守通路付近の見張り。直接見たわけじゃなく、“使われていないはずの搬送灯が短時間だけ点いた”のを確認したそうよ」
「搬送灯?」
僕が聞くと、篠宮さんがすぐに説明してくれた。
「昔の資材搬入口には、夜間の荷降ろし用に誘導灯があったの。今はほとんど死んでいるはずだけれど、系統が残っていれば外部電源か魔石で一時的に起動できる」
「つまり、誰かがわざわざあそこを使ってる可能性が高い」
「ええ」
その可能性は、正直かなり高い気がした。
祖母が作業台の上をとんと叩く。
「なら決まりだね。行くなら、持っていくものを絞るよ。湊」
「うん」
「さっき作った検知液、持ち出せる?」
「小瓶に分ければいける」
「中和液は?」
「簡易版が三本。改良途中の対腐食寄りが一本」
「拘束用の粘着液は?」
「安定したのが二本」
「十分だ」
祖父が短く言う。
「それ以上増やしても、運用が雑になる」
たしかにその通りだった。
準備すればするほど安心したくなるけれど、使い切れないほど抱えても意味がない。
「夜目補助はどうする?」
篠宮さんの問いに、僕は作業台の端に置いた小さな試験瓶を見る。
夜色苔と薄青葉草、それに微量の魔石水を合わせた、さっきできたばかりの試作品だ。
「効くかどうか、まだ短時間しか試してない」
「どのくらい?」
「十分から十五分くらい、暗い場所が少し見やすくなる感じ。視界が明るくなるというより、輪郭が拾いやすくなる」
「副作用は?」
御子柴さんが即座に聞く。
「たぶん、少し目が疲れる。人によっては軽い頭痛が出るかも」
「なら全員に配るのは危険ね」
その判断は早かった。
「私と朝比奈くんだけ使いましょう」
篠宮さんが言う。
「私は後衛寄りで視界情報が重要。朝比奈くんは反応の違いを見る必要がある」
「私は?」
一ノ瀬さんが聞く。
「澪は前衛だよ。見えすぎると逆に踏み込みが狂う可能性もある」
僕がそう言うと、彼女は少しだけ意外そうな顔をした。
「……ちゃんと考えてるんだ」
「失礼じゃない?」
「いや、朝比奈くんってたまに自分のこと後回しにして突っ込むから」
否定しづらい。
御子柴さんが小さく息を吐く。
「編成を確認するわ。今回、店の護衛と現地偵察を完全に分けるのは危険よね」
「店は儂と千鶴が残る」
祖父が言う。
「表と裏、最低限の備えはできる。万一何かあっても、すぐ戸は閉められる」
「でも危なくない?」
思わずそう言うと、祖父はじろりと僕を見た。
「誰にものを言ってる」
「……ごめん」
「心配するのは構わんが、儂らを年寄り扱いしすぎるな」
祖母がくすりと笑う。
「まあ、ほんとに危なくなったら逃げるくらいの分別はあるよ」
その言い方で少しだけ肩の力が抜けた。
でも、だからこそ僕たちは早く戻らなければいけない。
「現地は四人で行く」
御子柴さんが断言した。
「ただし、突入ではなく外周確認。旧搬入口に人の出入りがあったとしても、まずは数と搬入物を把握する。戦闘は回避最優先」
「分かった」
「あと朝比奈くん」
「はい」
「今日はヒーロー役は禁止」
「……はい」
「返事が小さい」
「はい」
一ノ瀬さんが横で吹き出しかける。
ちょっとだけ不本意だけど、反論はできなかった。
◇
三十分後。
僕たちはそれぞれ夜向けの軽装へ着替え、朝比奈薬店の裏口から静かに出た。
町の夜は、ダンジョン近隣都市だけあって完全には眠らない。遠くの通りにはまだ灯りがあり、遅い時間に帰る探索者や飲食店の客の影もまばらに見える。
でも、第三ダンジョン管理区域へ近づくにつれて、人の気配は急速に薄れていった。
封鎖が始まってから、この辺りは夜間巡回も増えている。
そのせいか、静けさが余計に不自然だった。
「旧搬入口へ正面からは行かないわ」
先頭を歩く御子柴さんが小声で言う。
「管理棟の裏手を回って、保守通路の高台から確認する。あそこなら搬入口全体を斜めに見下ろせるはずよ」
「そんな場所あるんだ」
「昔の設備点検用通路よ。今はほぼ使われていないけれど、構造はまだ残ってる」
篠宮さんが補足する。
さすがに詳しい。
途中、物陰へ入ったところで、僕と篠宮さんは夜目補助の試薬を少量だけ飲んだ。
青く薄い液体はひどく苦い。喉を通ると、少し遅れて目の奥がすっと冴えるような感覚が来た。
「……変な感じ」
僕が呟くと、篠宮さんも片目を細める。
「少し焦点が鋭くなるわね。光そのものが増えるわけじゃないけれど、輪郭はたしかに拾いやすい」
「頭痛は?」
「今のところ大丈夫。あなたは?」
「平気」
「よし。十五分を目安に切るわよ」
御子柴さんの指示で、僕たちはさらに先へ進んだ。
保守通路の高台は、思ったより見晴らしがよかった。
崩れかけた古いコンクリート柵の向こうに、第三ダンジョン管理区域の外れが見える。さらにその先、半地下のように沈んだ一角に、問題の旧資材搬入口があった。
昼ならただの古びた搬送口に見えただろう。
でも今は違う。
「あれ……」
僕は目を凝らす。
暗がりの中で、搬入口の縁に埋め込まれた細い灯りが、かすかに緑白く光っていた。
「搬送灯ね」
篠宮さんの声が低くなる。
「死んでるはずの系統が、たしかに生きてる」
一ノ瀬さんが柵の影から覗き込む。
「人は?」
「……まだ見えない」
僕は小さく返す。
夜目補助のおかげで、暗さの中の輪郭はだいぶ追いやすい。けれど動くものは今のところ見当たらなかった。
御子柴さんは端末の画面を落としたまま、周囲へ目を配る。
「音を拾って」
その一言で、全員が息を潜めた。
風の音。
遠くの機械音。
そして――かすかに、金属が擦れるような音。
「……下」
一ノ瀬さんが小さく言う。
次の瞬間、搬入口脇のシャッターめいた扉が、わずかに持ち上がった。
暗い隙間から、二つ、三つと人影が出てくる。
「いた」
僕の喉がひりつく。
男が三人。
全員、探索者用の軽装だがギルド章は見えない。ひとりは荷台のようなものを押し、残る二人が周囲を警戒している。
「前に見た二人組じゃないかも」
一ノ瀬さんが小声で言う。
「数が違うし、体格も違う」
「でも系統は同じね」
御子柴さんの声は落ち着いていた。
「正規ルートの動きじゃない」
荷台の上には、木箱が三つ積まれていた。
大きさは薬草保管箱に近い。けれど普通の流通箱より頑丈そうで、側面には黒い布がかけられている。
「中身、薬草かな」
僕が呟くと、篠宮さんが首を横に振る。
「分からない。でも箱の大きさに対して押し方が重すぎる。魔石か、液体か……あるいはその両方」
人影はそこで終わらなかった。
扉の奥から、さらにもう一人が出てくる。
背は高くない。細身。フード付きの外套で顔は見えづらい。けれど歩き方が他の三人と違った。警戒より、確認のために出てきた人間の動きだ。
「あれ……」
篠宮さんが小さく息を呑む。
「知ってる人?」
僕が囁くと、彼女はすぐには答えなかった。
「……断言はできない。でも、あの立ち方」
その声がわずかに硬い。
「家の研究補佐員の動きに似てる」
ぞくり、と背筋が粟立つ。
フードの人物は木箱のひとつへ手を置き、短く何か指示を出した。距離が遠くて声までは届かない。だがそのあと、男たちが箱を一つだけ搬入口の外へ運び出し、脇の保守扉のような場所へ移そうとしているのが見えた。
「どこへ持っていくんだろう」
一ノ瀬さんが言う。
「保守扉の先は?」
「旧資材庫よ」
篠宮さんが即答する。
「今は封鎖されているはずだけれど……」
「封鎖、されてないってことね」
御子柴さんが淡々と返す。
ここで僕の中の《錬金術》の感覚が、かすかにざわついた。
「……嫌な感じがする」
「箱?」
「たぶん」
僕は目を凝らす。
黒布の下から見える木箱の継ぎ目。ほんのわずかだけど、暗い中に黒い筋が見える。あれは汚れじゃない。第三で見たのと近い、あの黒い粉だ。
「黒い残渣、付いてるかもしれない」
「見えるの?」
御子柴さんが聞く。
「はっきりじゃない。でも、反応が近い」
「なら中身は汚染薬草か、変質素材……」
篠宮さんの声がさらに低くなる。
「あるいは、それを作るための媒体」
一ノ瀬さんが槍を握る手に力を込めた。
「今押さえた方がよくない?」
「駄目よ」
御子柴さんがすぐに止める。
「今ここで接触しても、証拠の回収と身元の確保ができなければ意味が薄い。それに、まだ奥に何人いるか分からない」
「でも逃したら――」
「逃してもいいから、まず全体を見る」
ぴしゃりと言い切られ、一ノ瀬さんもそれ以上は押さなかった。
その時だった。
フードの人物が、ふいにこちらの高台方向へ顔を上げた。
心臓が止まりかける。
「……っ」
視線が合った気がした。
僕は反射で息を止める。
柵の影、暗がり、夜目補助なしでは見えないはずの距離。なのに、その人物はわずかに首を傾けた。
「見つかった?」
一ノ瀬さんが極小の声で囁く。
「まだ断定しないで」
御子柴さんも身を低くする。
フードの人物は数秒こちらを見ていたが、やがて興味を失ったように顔を戻した。
けれど、その仕草ひとつで背中に冷たい汗が流れる。
「あの人、感知系かもしれない」
篠宮さんが言う。
「普通ならあの角度で高台を気にしない」
「面倒ね……」
御子柴さんが苦く呟いた、その時だった。
保守扉へ運ばれようとしていた木箱のひとつが、男の手からわずかに傾いた。
がたん、と鈍い音。
蓋の隙間から、黒っぽい何かが少しだけ零れる。
「……薬草じゃない」
僕は思わず囁いた。
見えたのは、湿った土でも葉でもない。
どろりとした、黒い粘液に近いもの。
しかもその中で、かすかに何かが蠢いた気がした。
「まさか、生体……?」
篠宮さんの声が震える。
次の瞬間、箱を押さえた男が乱暴に蓋を閉め直した。
フードの人物が苛立ったように短く何かを言い、周囲の男たちがいっそう警戒を強める。
「中身、黒濁スライムの素体かもしれない」
御子柴さんの言葉に、僕は一気に血の気が引いた。
第三浅層の異変。
黒い粉。
変異した薬草。
そして今、運び込まれている“箱”。
全部が一本に繋がりかけている。
「……証拠、取れないかな」
気づけば、そんな言葉が漏れていた。
「写真なら」
篠宮さんが小さな端末を取り出す。
「望遠は弱いけれど、灯りがある今なら何枚かは――」
言いかけたその時、御子柴さんの表情が変わった。
「伏せて!」
鋭い声と同時に、僕たちは反射で身を低くする。
次の瞬間、高台の反対側――僕たちが来た保守通路の奥で、かさり、と乾いた足音がした。
誰かいる。
前だけじゃない。
後ろにも。
一ノ瀬さんの目が鋭く細まる。
「挟まれた?」
御子柴さんは警棒へ手をかけたまま、低く囁いた。
「たぶんね。……どうやら待ち伏せしていたのは、向こうだけじゃなかったみたいよ」




