第十三話 御子柴の報告と、四人目の共闘
その日の夜、朝比奈薬店は閉店後にもかかわらず、いつもより人の気配が多かった。
表の戸を閉め、看板を仕舞い、灯りを必要最低限まで落とした店内は、昼間とは違う静けさに包まれている。
けれど、その静けさの奥で、僕の心臓はずっと落ち着かなかった。
「そんなにそわそわしなさんな」
薬包紙を片づけながら祖母が言う。
「御子柴さんが来る前から疲れるよ」
「……だって、“動きあり”って」
「それは儂も気になる」
祖父は腕を組んだまま、店の奥の時計を見た。
約束の時間までは、もう数分もない。
僕のスマホには、一ノ瀬さんからも連絡が来ていた。
行っていいなら行くけど
迷った末に、僕はこう返していた。
御子柴さん次第だけど、たぶん来た方がいいと思う
その返信に対して返ってきたのは、
じゃあ行く
の一言だけだった。
相変わらず迷いがない。
そして、店先の鈴が静かに鳴った。
「来たか」
祖父の低い声と同時に、僕は反射的に背筋を伸ばす。
裏口ではなく表から入ってきたのは、やはり御子柴さんだった。
今日もスーツ姿だが、昼間よりさらに表情が引き締まっている。その後ろには、一ノ瀬さんと――もう一人、篠宮さんの姿もあった。
「こんばんは」
篠宮さんが静かに頭を下げる。
一ノ瀬さんはいつも通りの顔をしているけれど、目の奥はちゃんと真剣だった。
「……全員来たんだ」
「“今夜、祖父母も同席で”なんて言われたら、そりゃ気になるでしょ」
一ノ瀬さんが言う。
「私も、昼の続きを聞く必要があるわ」
篠宮さんも短く続けた。
御子柴さんは店内を一度見回してから、淡々と言った。
「人目は?」
「もうないよ」
祖母が答える。
「常連も今日は早めに切り上げてもらった」
「助かるわ。なら奥で話しましょう」
◇
居間へ通された時点で、もう空気は十分に重かった。
卓を囲む形で座る。
祖父と祖母。僕。
一ノ瀬さん、篠宮さん。
そして正面に御子柴さん。
あらためて見ると、ずいぶんな顔ぶれだと思う。
町の薬師一家の見習い。
同級生の新人探索者。
ギルド査定官見習い。
名門企業令嬢。
普通なら同じ卓を囲む理由なんてないはずの四人が、今は第三ダンジョンの異変という一点で繋がっている。
「まず、報告からいくわ」
御子柴さんはそう言って、鞄から数枚の紙を取り出した。
「今日、現場へ入った追加調査班が、あなたたちが遭遇した小部屋のさらに奥で、魔力誘導痕を確認した」
「魔力誘導痕……」
僕が呟くと、篠宮さんがすぐ反応する。
「人工的に魔力の流れを偏らせた痕跡?」
「ええ。かなり粗いけれど、複数箇所に残っていたそうよ」
御子柴さんは紙を一枚ずつ並べる。
「それと、黒濁スライム残滓の一部を回収して分析した結果、内部に通常では混ざらない微量の精製触媒成分が検出された」
「……自然じゃない」
祖父が低く言った。
「そういうこと」
御子柴さんは頷く。
「断定まではまだ早い。でも少なくとも、“ただの変異が偶然重なった”線はかなり薄くなったわ」
居間の空気がさらに冷える。
やっぱり、人為的だ。
「逃げた二人組の身元は?」
一ノ瀬さんがすぐに尋ねる。
「まだ特定できていない。ただし、装備の一部が登録外流通の品だと分かった。ギルド正規ルートじゃなく、非公式なルートを使っている可能性が高い」
「裏市場、ってこと?」
「その可能性はあるわね」
御子柴さんはさらに続ける。
「それから、ひまりさん」
「ええ」
「あなたが回収した金属片の刻印について、こちらでも非公式に照会をかけたわ」
篠宮さんの目が細くなる。
「結果は?」
「完全一致ではない。でも、形式はやはり篠宮グループ旧研究系統の管理記号に近い。特に“第二素材応用研究室”周辺の記録と相関がある」
篠宮さんは小さく息を飲んだ。
やっぱり、繋がっている。
「ただし」
御子柴さんがわずかに声音を変える。
「ここからが問題よ。今日の追加調査のあと、上層部から“第三浅層の一部情報は外部共有を制限する”指示が出た」
「……隠蔽ですか」
僕が思わず聞くと、御子柴さんは少しだけ目を伏せた。
「今の時点では、“混乱防止のための情報統制”という建前ね」
「建前、ね」
祖父が鼻を鳴らす。
「要するに、妙なものが見つかり始めたから口を絞り始めたわけだ」
「言い方は乱暴だけれど、外れてはいないわ」
御子柴さんは否定しなかった。
一ノ瀬さんが露骨に顔をしかめる。
「最悪じゃん。危ない情報こそ、ちゃんと現場に流さないと駄目でしょ」
「本来はそうよ。でも組織はいつだって“正しさ”だけで動くわけじゃない」
静かな言葉だった。
けれど、その中には諦めにも似た冷たさがあった。
僕は膝の上で手を握る。
もし情報が制限されれば、第三で何が起きているのかを知るのはますます難しくなる。しかも、向こうはすでに僕たちよりずっと多くの情報を持っているはずだ。
「……それで、“動きあり”っていうのは、それだけじゃないんですよね」
僕がそう言うと、御子柴さんはまっすぐこちらを見た。
「ええ。本題はここからよ」
嫌な予感がした。
「今日の夕方、神谷兄妹の件を含む一連の救護記録に対して、外部照会が入った」
「外部?」
「ギルド外――正確には、民間の素材調査会社を名乗る先から」
祖母の表情がぴくりと動く。
「素材調査会社ねえ」
「名義上はそう。でもタイミングが良すぎるし、照会項目が偏っている。確認したがっていたのは、黒濁スライムそのものより、“現場で使われた応急処置薬の種類と処置担当者”だった」
空気が止まった気がした。
僕の喉が、ひどく乾く。
「……それって」
「朝比奈くん。あなたが嗅がれ始めている」
はっきり言われて、背筋が冷え切った。
やっぱり、来た。
黒濁スライムの異変だけじゃない。
その裏で、僕の薬と、僕自身の存在を辿ろうとしている誰かがいる。
一ノ瀬さんが卓の縁を強く握る。
「誰がそんなこと……」
「まだ断定はできない。でも、第三の件と無関係だとは思いにくい」
篠宮さんが真剣な顔で口を開いた。
「家の旧研究系統、現場の罠、そして朝比奈くんの処置記録への照会。……繋がっていると考える方が自然ね」
「ええ」
御子柴さんも頷く。
「だから、ここで方針を決める必要がある」
「方針?」
僕がかすれた声で尋ねると、御子柴さんは一枚の紙を卓の中央へ置いた。
そこには簡単な箇条書きが並んでいる。
「一つ。朝比奈薬店と朝比奈くんの周辺を、しばらく警戒下に置く。
二つ。第三の異変調査は、公式情報だけではなく、こちら側でも独自に追う。
三つ。薬、素材、情報の扱いを四人で分担し、必要時に即連携できる形を作る」
「四人で……」
思わずそう呟くと、御子柴さんは小さく頷いた。
「そう。もう“偶然一緒にいた現場メンバー”では済まないわ」
その言葉に、部屋の全員が黙った。
僕も、分かってはいた。
でもこうして明文化されると、重みが違う。
「待ってくれ」
最初に口を開いたのは祖父だった。
「湊を巻き込むな、と言うつもりはない。もう巻き込まれてる。だが、四人で動くというのは、具体的にはどういう形だ?」
「役割を固定するの」
答えたのは篠宮さんだった。
「朝比奈くんは薬草・素材・現場違和感の確認役。
一ノ瀬さんは前衛兼現場護衛。
御子柴さんはギルド情報と危険管理。
私は篠宮側の資料、検体分析、企業関連の裏取り」
整理されると、たしかに筋は通っている。
「必要なら検体は私の個人研究室で確認する」
篠宮さんは僕の方を見た。
「昨日提案した件も含めて、正式にお願いしたい」
「……正式に」
「ええ」
一ノ瀬さんがすぐに身を乗り出す。
「それなら私も入る前提だよね?」
「もちろんよ」
「よかった。朝比奈くんを一人で令嬢の研究室になんて行かせられないし」
「だからその言い方」
思わず突っ込むと、祖母が口元を押さえて笑いを堪えていた。
やめてほしい。本当に。
けれど御子柴さんは真面目な顔のままだ。
「冗談では済まないわ。一ノ瀬さんの同行はむしろ必要。今後、朝比奈くんを単独で動かさない方がいい」
「……そこまでですか」
僕が聞くと、彼女はためらいなく答えた。
「そこまでよ。照会が入った以上、“薬師見習いを辿れば何かある”と思われ始めている可能性が高い。もし相手が本当に第三で細工している連中なら、次に狙うのは口封じか、確保か、あるいは観察」
確保。観察。
どれも人に向ける言葉じゃないみたいで、ぞっとする。
「……そんなの」
思わず出た声は、自分でも驚くほど弱かった。
怖い。
普通に、怖い。
僕はただ薬師になりたかっただけなのに。
《錬金術》を得て、人を助けたいと思っただけなのに。
なのにもう、周囲では僕自身が“何か”として数えられ始めている。
「湊」
祖母が静かに僕の名を呼ぶ。
顔を上げると、その目はひどく穏やかだった。
「怖いかい」
「……うん」
「なら、それを無視しなくていい」
祖母はゆっくりと言った。
「怖いのは当然だよ。相手が何を考えてるか分からないなら、なおさらね。でも怖いからって何もしなけりゃ、向こうの好きにされるだけだ」
その言葉に、僕は小さく息を呑む。
「だから、考えて備える。信じられる相手とは手を組む。薬師だって同じだろ?」
「……うん」
祖父も腕を組んだまま頷いた。
「少なくとも、今ここにいる連中は利害が一致してる。完全に腹の底まで信じる必要はない。だが、背中を預ける相手として見極める価値はある」
その言葉で、僕は卓を囲む顔ぶれをあらためて見た。
一ノ瀬さんはまっすぐこちらを見ている。
御子柴さんは冷静な目のまま、でも逃げ道を示すのではなく一緒に考えようとしている。
篠宮さんは緊張を隠しきれていないけれど、それでも一歩も引かない顔をしていた。
たしかに、完全に分かったわけじゃない。
でも、少なくとも今この時点では、みんな同じ方向を向こうとしている。
「……もしやるなら」
僕はゆっくり口を開いた。
「条件がある」
一ノ瀬さんが少しだけ目を丸くし、御子柴さんは「言ってみなさい」と促した。
「僕の力のことは、今まで通り必要以上に広げないこと。
それから、危険が高すぎる時は無理に突っ込まないこと。
あと――」
一瞬迷ってから、僕は続けた。
「誰か一人だけに無茶を押しつける形にはしないこと」
沈黙。
そのあとで、最初にふっと笑ったのは一ノ瀬さんだった。
「うん。いい条件」
「ええ」
篠宮さんも静かに頷く。
「私も異論はないわ」
「当然ね」
御子柴さんは淡々と答えた。
「こちらとしても、朝比奈くん一人に全部を背負われる方が困る」
「じゃあ……」
僕が言いかけた時、一ノ瀬さんがぱっと右手を上げた。
「はい。ついでにもう一個」
「なに?」
「連携するなら連絡手段はちゃんと統一しよう」
たしかにその通りだ。
これまではその場その場で連絡していただけで、整理された形にはなっていなかった。
「グループ作る?」
一ノ瀬さんのその一言に、篠宮さんが一瞬だけきょとんとする。
「ぐるーぷ?」
「メッセージの。ほら、四人で一括共有できるやつ」
「……ああ、そっち」
少しだけ拍子抜けしたみたいな顔になる篠宮さんが、なんだか珍しかった。
御子柴さんがこめかみを押さえる。
「それはたしかに必要だけど、名前は真面目なものにしなさいよ」
「えー、何がいいかな。第三対策会議とか?」
「硬いわね」
「じゃあ、黒濁対策班?」
「それもどうなの」
妙に現実的なところで議論が始まりかけて、僕は少しだけ気が抜けた。
こんな話をしている場合じゃないはずなのに。
でも、だからこそ救われる気もした。
「……秘密会議、でいいんじゃない」
ぼそっとそう言うと、一ノ瀬さんが吹き出した。
「なにそれ、朝比奈くんが言うとちょっと面白い」
「だって昨日そう言ってたし……」
「それ、採用してもいいかも」
祖母まで乗ってくるのはずるい。
「却下よ」
御子柴さんが即答した。
「万一画面を見られた時に悪目立ちするでしょう」
「正論だ……」
結局、ひどく無難な名前に落ち着いた。
でもそれでいい。大事なのは名前じゃなくて、中身だ。
連絡先交換を終えたところで、御子柴さんが話を戻す。
「明日からの動きも決めるわ。ひまりさんは研究室の準備と旧資料の洗い直し。私はギルド側の照会元を追う。一ノ瀬さんは学校と周辺の警戒、必要なら朝比奈くんの送迎補助」
「送迎補助って」
「文句ある?」
「いや……ないけど」
「朝比奈くん、放っておくと変なとこで一人になるし」
「そんなことないよ」
「あるわね」
「あるねえ」
「あるわ」
三人同時だった。
祖母まで混ざるのは反則だと思う。
篠宮さんが小さく口元を緩めてから、僕へ視線を向けた。
「朝比奈くんは、店を手伝いながら《錬金術》の調整を進めて。特に対腐食と、拘束系の安定化」
「うん。祖父母ともその話はしてた」
「ならちょうどいいわ」
その口調が自然すぎて、少しだけ驚く。
昼間より距離が近くなった気がするのは、たぶん気のせいだけじゃない。
やがて話が一段落した頃には、夜もかなり更けていた。
御子柴さんが立ち上がる。
「今日はここまで。しばらくは、全員“単独で判断しすぎない”こと。何かあればまず共有」
「了解」
「分かった」
「うん」
三人それぞれが頷く。
その時だった。
ふいに、店の外で何か硬いものが転がるような音がした。
からん、と小さな金属音。
居間の空気が一瞬で凍る。
祖父がすっと立ち上がり、僕たちへ手で制した。
「動くな」
声は低く、短い。
御子柴さんも即座に腰の警棒へ手を添える。
一ノ瀬さんは反射で立ち上がりかけて、篠宮さんに袖を引かれて止まった。
「外、誰かいる?」
僕が小声で言うと、祖母が灯りを一段落とした。
「静かに」
店の外からは、それ以上大きな音はしない。
ただ、夜の通りにしては妙に気配が重い気がした。
御子柴さんが目で祖父へ合図する。
祖父は無言で頷き、そっと居間を出た。僕も立ち上がりかけたが、一ノ瀬さんに手首を掴まれる。
「だめ」
「でも」
「今は待って」
その判断は正しい。
分かっている。
それでも、胸の鼓動がどんどん速くなる。
数十秒が、ひどく長く感じた。
やがて祖父が戻ってきた。
「……人影はなかった」
全員がわずかに息を吐く。
「ただし、表の戸の前にこれが置かれていた」
祖父が卓の上へそっと置いたのは、小さな紙包みだった。
薬包紙によく似た、けれど店のものではない折り方。
嫌な予感がする。
「開けるわ」
御子柴さんが慎重に紙包みを広げた。
中から出てきたのは――黒い粉をわずかにまぶされた、灰鈴草の切れ端だった。
居間が完全に静まり返る。
第三で見つかったものと同じ系統の、異常な気配。
「……宣戦布告、かしらね」
御子柴さんが低く呟く。
僕はその切れ端を見つめたまま、背筋が冷たくなるのを感じていた。
向こうは、もうこちらを見ている。
僕たちが“秘密会議”なんて呼んでいた間にも、相手は先に一歩踏み込んできたのだ。
そしてその瞬間、僕ははっきり理解した。
今夜この卓で交わした連携は、もうただの相談じゃない。
本当に必要な、共闘の始まりなのだと。




