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フォルティニア戦記  作者: 引田コウ
第一章 王国の王太子と帝国の皇女

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第7話 帝国の使者①

 謁見の間を後にしたアルベルトは、王城の一室でソファーに座り、ようやく人心地ついていた。

 その対面には、グレイが脚を組んで座っている。一人の女官が音もなく入ってきて、湯気の立つ紅茶を二つ、それぞれの前にそっと置いた。会釈をして下がっていく女官を見送ってから、二人は香りの立つそれを口に含み、揃って一息をついた。


 高い窓から差し込む午後の光が、磨かれた床に長い影を落としている。国境の宿営地の土と馬の匂いに満ちた空気とは、まるで別世界だった。


「謁見では何事もなく終わってよかったな。タウロ将軍あたりがまた雷を落とすのではないかと、ヒヤヒヤしながら待っていたぞ」


 グレイが軽い調子で言った。


「タウロ将軍は所かまわず雷を落とすお方ではない。雷が落ちるのは、お前がやらかすときだろう」

「俺がやらかすとき、とは心外だな。やらかすのはいつもお前のほうだろう」

「どちらでも同じことだ。――ともあれ今回の国境での出来事、帝国の動きは油断できぬと将軍もよくお分かりだ。あの方のことだ、今回の仕儀にも納得しておられるさ」

「なに、わかってるさ。今のはただの軽口だ」


 アルベルトは肩をすくめ、もう一度紅茶を口に運んだ。


「帝国の小細工は、これが初めてではないとはいえ……こう何度も続くと、さすがに嫌気がさしてくるな」


 やれやれ、という顔でこぼすアルベルトの言葉に嘘はなかった。

 帝国が王国に小細工を仕掛けてくるのは今回が初めてではない。これまでも幾度となく形を変え手を変え、王国に策略をかけては王国側の出方をうかがってきた。そのたびに王国は、侵略の口実を与えぬよう、慎重に、しかし毅然と立ち回ってきたのだ。

 今回の国境の傭兵団も、その長い駆け引きのほんの一手にすぎない。


「王国と帝国が剣を収めてから、十五年」


 グレイが窓の外へ視線を投げた。


「それだけの時が過ぎてもなお、帝国は王国の領地に野心を捨てておらん、というわけだ」

「王国と帝国が再び剣を交えれば、ただでは済まん。周辺諸国に与える影響も大きい。両国が潰し合えば、漁夫の利を狙う国も出てこよう。それを承知で帝国はなお野心を手放さない。……今後も帝国からの嫌がらせは続くだろうな」


 グレイもまた、若干顔をしかめながら肩をすくめた。

 王国と帝国は、かつて五年に及ぶ大戦を繰り広げた間柄である。

 アルベルトとグレイが物心ついたころには、その戦争はまだ真っ只中にあった。城の大人たちが押し殺した声で戦況を語り合い、時おり前線から運ばれてくる負傷者の列を、二人は幼い目で見ていた。帝国という巨大な脅威を肌で感じながら育ったのだ。


 それゆえに二人は、少年のころから剣の腕を磨き、戦術の書を貪るように読んだ。暇さえあれば手合わせをし、軍議盤に駒を並べては、軍勢を操る対戦に夜更けまで明け暮れた。世話役の老騎士に叱られながら登った、あの庭の木の上でさえ、二人は次の戦の布陣を語り合っていたものだ。

 そういう幼少期を過ごしてきたからこそ、二人は王族や貴族には似つかわしくないほどの剣の腕と軍略を身につけていた。それは平和な世にぬくぬくと生まれた者には持ちえぬ、戦の時代の落とし子のような才だった。


 五年の大戦は十五年前、ようやく和平という形で幕を下ろした。だがそれは、勝者も敗者もない、痛み分けのような終戦だった。帝国は王国を呑み込みきれず、王国は帝国を退けきれなかった。互いに深い傷を負い、ただ刀を鞘に収めただけのこと。

 だからこそ、その鞘の内ではいまもなお、刃が研がれ続けている。

 アルベルトもグレイも、それを誰よりよく知っていた。和平とは戦の終わりではなく、次の戦までの長い休戦にすぎぬのだと。穏やかな日々の裏側で、両国は今日も見えぬ刃で斬り結んでいる。今回の傭兵団の一件など、その斬り結びのほんの一合にすぎないのだ。


 そのため二人は、学ぶことをやめなかった。幼いころは剣を、長じては軍略を、そしていまは――民を治める術を。来るべき日に、この国と、この国に暮らす者たちを守りきれるだけの力を、一つでも多くその身に蓄えておくために。

 紅茶のカップから立ちのぼる湯気が、午後の光の中でゆらりと揺れた。


「ところで」


 グレイが紅茶のカップを置いて、話を本題へと向けた。


「陛下に『帝国へ使者を立てるべきだ』と上奏した件だが――正直なところ、どこまで効くと思っている? 帝国は『王国内で傭兵が勝手に集まっていただけ、帝国は無関係だ』と言い張るに決まっている。それどころか、こちらから帝国を非難すれば、それこそ帝国に攻め込む口実を与えかねん。藪をつついて蛇を出すようなものではないか?」


 もっともな懸念だった。だが、アルベルトの顔には薄い笑みが浮かんでいた。


「帝国に口実は与えんさ。使者を送るとは言ったが、何も帝国を非難するつもりはない」


 そう言ってアルベルトは一口、紅茶を含んだ。


「非難するつもりはない? どういうことだ、アルベルト」

「今回、帝国に使者を送るのは『これはいかなることか』と問い詰めるためではない。むしろ逆だ。――『王国内で傭兵が集まり、不穏な動きを見せていた。村や町が襲われる前に、これを排除した。その際、貴国との国境付近で騒ぎを起こしてしまった。これは不届き者を退治するためのことで、王国に帝国へ含むところは一切ない。国境を騒がせてしまい、まことに申し訳ない』――そう、詫びを入れるために使者を立てるのさ」

「……詫びを、入れる?」

「そうだ。『此度の国境での出来事を、こうしてわざわざお伝えに上がった次第』とな。あくまで丁重に下手に出る」


 アルベルトの言葉を聞き、グレイの目がすっと細められた。やがて得心したように頷く。


「なるほど……読めたぞ。今回のことは、あくまで『王国内で起きたこと』。だから王国が自ら対処した。国境付近で騒ぎを起こしたことは謝罪するが――その実、伝えているのは『これは我が国の領分の話だ。帝国が口を挟む筋合いはない』ということだな」

「その通りだ」


 アルベルトはにやりと笑った。


「帝国を責めれば帝国に口実を与えることになる。だがこちらから先に詫びを入れてしまえば、帝国はもう何も言えなくなる。『傭兵など知らぬ』と言い張る帝国に、『ええ、もちろん帝国は無関係でしょう。ですからこちらで片づけました』と、先回りして頭を下げてやるのさ。非難ではなく謝罪で相手の手を封じる」

「よく、そう次から次へと悪知恵が回るものだ」


 グレイはあきれたように苦笑した。


「悪知恵ではない。相手が悪いのさ。難癖をつける隙を常に血眼で探している帝国が相手だ。こちらもこういう要らぬ知恵ばかりが身についてしまう」


 不本意だと口にしながらも、アルベルトの顔には隠しようのない不敵な笑みが浮かんでいた。


「だが、アルベルト。一つだけ言っておくぞ」


 グレイが笑みを収めて言った。


「お前のその一手で、帝国の今回の企みは潰える。それは間違いない。だが相手は、それで大人しく引き下がるような国ではない。一手を潰せば、必ず次の一手を打ってくる。……今回こちらがうまくやりすぎた分、次はもっと厄介な形で返してくるかもしれんぞ」

「わかっているさ」


 アルベルトはふっと笑った。だがその目は、もう笑っていなかった。


「だからこそ、こうして気を張り続けているんだ。帝国との駆け引きは一局で終わる勝負じゃない。盤を片づけたと思った次の瞬間には、もう次の盤が並べられている。……まったく、気の休まらん相手だよ」


 その言葉がほんの数日のうちに、思いもよらぬ形で現実のものとなることを――このときのアルベルトはまだ知らない。


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