第6話 謁見
国境の装いを解き、白を基調に金糸で縫い取られた礼服に着替えたアルベルトが、磨き上げられた城の廊下を進んでいく。胸には獅子の横顔に二本の剣を交差させた王家の紋章。少し後ろを、黒い礼服のグレイが歩幅を合わせて従っていた。
傭兵団の討伐を終えてから、数日。アルベルトは戦勝の報告のため、そして国境で得た「確かな懸念」を父である国王に直接伝えるため、王都へと上っていた。
「妙な気分だ」
歩きながらアルベルトがぽつりと言った。
「敵地の偵察では肝も冷えなかったのに、父上の前に立つと思うと、どうにも落ち着かん」
「結構なことです」
グレイが涼しい顔で返す。
「将軍にも陛下にも怯まぬ総大将など、それこそ手に負えませんからね。少しは緊張していただかないと」
「……お前は本当に一言多い」
軽口を交わすうちに、玉座の間へと続く重厚な扉の前に着いた。
「ここから先は王族だけだ」
「ええ。扉の外で待っております。いつもどおりに」
グレイの言葉に小さく頷き、アルベルトは表情を引き締めた。扉の脇の兵士が高らかに到着を告げる。
「アルベルト・ファン・フォルテス王太子殿下、ご到着!」
重い扉が開かれ、アルベルトは一人、玉座の間へと足を踏み入れた。
*
高い天井を支える列柱が左右に並び、深紅の絨毯が玉座まで一直線に伸びている。その両脇には、拝謁を許された重臣たちが頭を垂れて控えていた。そして最奥、豪奢な玉座に白髪を蓄えた壮年の男が座している。フォルティニア王国の現国王、マクシミリアン・ファン・フォルテス。アルベルトの父である。
長い治世の重みを引き受けてきた者だけが持つ、底の知れぬ眼差し。ただ座しているだけで、広間全体を従えているかのようだった。
アルベルトは絨毯を進み、玉座の前で片膝をついた。
「父上、ただいま戻りました」
「うむ、大儀であった。面を上げよ」
マクシミリアンが鷹揚に頷くと、アルベルトは立ち上がった。
「まずは報告いたします。国境の地、ノルバークの領内に侵入していた武装集団――傭兵団を討伐し、退けましてございます。我が軍の損害は軽微。近隣の村に被害もありません」
「ふむ。賊を退けたか。して、いかにして退けた。相手は数百と聞くが」
「はっ。およそ三百から四百。されど連中はクシャス川を背に陣を張っており、退路がございませんでした。そこを衝きまして――本隊を正面に当て、別働隊で横腹を突き、川へと追い詰めましてございます。旗色が悪いと見るや、傭兵どもは雪崩を打って崩れました。武器を捨てて逃げる者は深追いせず見逃しました。真に討つべきは雇われた末端の者どもではございませんゆえ」
「ほう。皆殺しにはせなんだか」
「はっ。無益な血は流したくありませなんだ。連中とて好きであの地に踏み込んだわけではありますまい。金で雇われ、駒として置かれただけ。真に討つべきは、連中を雇った者かと」
「ふむ。して、その采配、誰が振るった」
「本隊はタウロ将軍が。別働隊は将軍の副官コージャンが率いましてございます。グレイ――グラヴィス卿もよく働いてくれました。敵陣を共に偵察し、地形を知り尽くしておりましたゆえ」
「タウロか。あの頑固者が後ろにおれば、安心よな」
マクシミリアンの口元にわずかな笑みが浮かんだ。だがそれもつかの間、すぐに王の顔に戻る。
その目にわずかな満足の色がよぎった。
「よい裁量だ。……だが、お前の顔はまだ晴れておらぬな。賊は退けたのであろう」
「はっ。されど父上。この一件、ただの賊の侵入とは思えません」
「申してみよ」
マクシミリアンの目がわずかに細められた。
「あの傭兵ども、装備こそ寄せ集めの傭兵そのものでしたが、陣の統率はまるで軍隊のそれでした。何者かが金と規律で束ねていた。そして連中は、偵察していた我らを見るなり『フォルティニアの斥候だ』と叫んだのです。――最初から我が国を敵と教え込まれていた証かと」
「……アルセリア帝国が雇った傭兵であると」
「断ずる証はありません。なれど、状況はそれを指しております」
マクシミリアンは玉座の肘掛けに指を置き、しばし黙した。
「アルベルトよ。証がないのなら、それはまだお前の推し量りにすぎぬ。なぜ、それほど重く見る。国境の小競り合いの一つ、と片づける者もおろう」
その問いに、アルベルトは一歩進み出た。ここが肝心なところだった。
「父上。国境の地での争いは首都での争いとは意味が違います。ノルバークに暮らす民にとって、遠い王都よりもすぐ向こうの帝国のほうが近い。地理が人の心を左右するのです」
アルベルトの声に熱がこもった。
「もし我らがこの傭兵を放置していれば、どうなったか。連中はやがて村で狼藉を働き、民が泣く。それを王国が見過ごせば、民は『王国は我らを守らぬ』と失望いたしましょう。さらに帝国はこう言い出すこともできます。『国境に無法者がはびこっている。王国が始末せぬのなら、我らが成敗してやろう』――と。そうして堂々と兵を入れ、無法者を討ち、民の信を買うのです」
「……王国に代わって帝国が民を守ってみせる、か」
「左様。一度それを許せば、民の心は少しずつ帝国へ傾きます。戦はその土地の民を味方につけた者が勝つ。じわじわと国境の民を懐柔しておき、満を持して攻め込めば、民は帝国を迎え入れる。そうなればもはや王国に勝ち目はありません。今回の傭兵の侵入はその地ならしの第一歩。放置すれば帝国に侵攻の口実と足がかりを、みすみす与えることになったでしょう」
玉座の間に沈黙が落ちた。重臣たちも息を詰めて、若き王太子の言葉を聞いている。
マクシミリアンはゆっくりと口を開いた。
「……数年前のカロンを思い出すな」
「はっ。あのときも両国は和平を結んでおりました。それでも帝国は難癖を口実に攻め込み、カロンを滅ぼした。和平条約は帝国にとっては破り捨てるための紙きれにすぎません。同じことを、この国に許してはなりません」
「して、アルベルトよ。お前はどうすべきと考える」
マクシミリアンの問いは、静かだが鋭かった。憂いを述べるだけなら誰にでもできる。王が問うているのは、その先だった。
「二つございます」
アルベルトは即座に答えた。
「一つは国境の守りを固めること。傭兵は退けましたが、帝国がこれで諦めるとは思えません。次の手に備え、ノルバークの防備を厚くしておく必要がございます」
「もう一つは」
「帝国へ使者を立てること」
その言葉に重臣たちがわずかにざわめいた。
「領内を侵した傭兵の件、正式に抗議する。むろん帝国は『知らぬ』と白を切りましょう。なれど――その抗議に対して帝国がどう応えるか、その反応そのものが敵の真意を測る手がかりとなります。事を構えるための使者ではありません。事を構えさせぬための、そして敵の腹を探るための使者にございます」
「恐れながら陛下」
重臣の一人がたまらず口を挟んだ。
「敵地同然の帝国へ使者を送るは危ううございます。万一のことがあれば……」
「危ういのは承知の上」
アルベルトが静かに遮った。
「なれど、何もせず敵の出方を待つほうがよほど危うい。カロンは待っているうちに滅びました」
その一言に重臣は口をつぐんだ。玉座の間に再び沈黙が満ちる。
マクシミリアンは深く息を吐き、玉座に身を預けた。その目には、息子の成長を見る父の色と、一国を背負う王の色とが入り混じっていた。
「よく見てきた、アルベルト。賊を退けただけでなく、その奥にあるものまで読み取ってきたこと――見事である」
「ありがたきお言葉」
「守りを固める件はもっともだ。すぐに手配させよう。使者の件は……一理ある。敵の腹を探るに、これに勝る手もあるまい。なれど誰をいかにして送るか。これは慎重に運ばねば、かえって帝国に付け入る隙を与えかねぬ」
マクシミリアンはしばし瞑目した。広間の誰もが、王の言葉を待って息をひそめている。
「だが、お前の申すことが正しければ、これは国境一つの話では済まぬ。国の行く末に関わる。……この一件、余が預かろう。帝国にいかに対するか、誰を遣わすか――改めて評定を開き、決することとする」
マクシミリアンはゆっくりと玉座から立ち上がった。それだけで、広間の空気がぴんと張り詰める。
「大儀であった、アルベルト。まずは旅の疲れを癒すがよい。――追って沙汰する」
言い残し、国王は重臣を従えて、玉座の間の奥へと去っていった。その背が扉の向こうへ消えるまで、アルベルトは深く頭を垂れて見送った。
やがて広間に静けさが戻る。
顔を上げたアルベルトの胸には、果たすべきことを果たした安堵と、これから始まる何かへの漠とした予感とが、同時に兆していた。
父は「追って沙汰する」と言った。その沙汰が何であれ、自分はきっとその渦中に立つことになる。
――そんな確信めいた予感を抱きながら、アルベルトは玉座の間を後にした。




