第41話 崖下の刃③
その剣筋は、想像していたよりもずっと鋭かった。
寄せ集めの賊の頭にしては、骨太の修練を積んだ剣だった。アルベルトの剣との一合目で、いつもの脛骨に響くような重さが両腕に走った。手首から肘へ、肘から肩へと走るその振動の質は、街道で出会う野盗の腕とはまるで別物だった。
野盗の剣は重いだけで筋がない。だがこの男の剣には重さと筋とが両方ある。どこかの剣場で型を仕込まれた手が、いま自分に振り下ろされている。そう確信した。
二合、三合と剣戟が続いた。
頭目は自分の死がもう間近に迫っていることを悟っているはずだった。
だが、それを承知の上で、なお冷静に剣を振るっている。ただの野盗にしては、訓練が行き届きすぎていた。剣の起こしから振り下ろし、振り下ろしから次の構えへと戻る、その一連の流れに迷いがない。誰かに教わった「型」が、この男の体に染みついている。
――こいつ、元は何だ。
アルベルトの頭の片隅で、その疑問が一瞬よぎった。
軍の脱走兵か。あるいは傭兵崩れか。いずれにせよこの男はかつて、まともな剣の修練を受けた者だった。それが何らかの事情で、賊の頭目に身を落とした。
剣の腕を持ったまま堕ちる者は、たいていは何かを失った者だ。地位を失ったか、信じる主を失ったか、あるいは自分自身を失ったか――いずれにせよ、剣だけが手の中に残った、そういう類の男のはずだった。
その背景がもし帝国に繋がっているなら――。
いや、それは戦が終わってから考えればいい。いまは目の前の剣を捌くことだけに集中する。
頭目の四合目の振りを、アルベルトは半歩引いて躱した。相手の剣が空を斬る、その僅かな隙に自分の剣を斜めに差し込んだ。狙ったのは剣を握る相手の手首だった。
ぴしり、と乾いた音。
頭目の右手の腱を、アルベルトの剣がほぼ完全に断ち切っていた。
頭目の剣が力なく床に落ちた。
頭目は信じられぬという表情で自分の右手を見た。失われた感覚に、彼の体がようやく死を実感し始めた。
指先がもう自分の意思に従わないということをその視線で確かめている。あれは、戦人が初めて自分の体の終わりを認める時の目だった。
その隙にアルベルトは踏み込み、頭目の喉元に切っ先を突きつけた。
「動くな」
頭目はふっと、息を漏らした。それはもはや戦う意思を捨てた者の息だった。
「斬らんのか」
「お前の口から、聞きたいことがある」
アルベルトは剣を喉元に当てたまま低く言った。
「お前らは誰の差し金で、ここに巣を構えた。ただの野盗じゃないだろう。お前の剣を見ればわかる」
頭目はしばし無言でアルベルトを見つめた。
その目の奥に何かを企む光が瞬いた。
咄嗟にアルベルトは身を反らせた。
頭目の左手がこっそりと懐から短い刃を抜き、こちらの脇腹を狙って突き出してきていた。
ぎりぎりだった。アルベルトの脇腹を刃が掠めた。革の上衣が裂け、薄く血が滲んだ。だが傷は浅かった。
皮一枚を切られた程度で、肉までは届いていない。それでも、もう半拍躱すのが遅ければ刃の先は肋骨の隙間を抜け、内臓まで届いていただろう。
脇腹の温度がほんの一瞬だけ熱く感じられ、そのあとですっと冷たくなった。出血よりも、汗の方が早く滲んだ。
アルベルトは即座に剣を振り下ろした。
頭目の左手首がほぼ同じく宙を舞った。
頭目は声を上げる暇もなく、両膝から床に崩れ落ちた。両手を失った男の体は、もはや戦の続きを意味しなかった。
ヴェルナーがしんがりから出てきて、頭目の喉元を素早く斬った。最期は無駄に苦しませない。それが山の民の戦の流儀だった。仕留めると決めた獲物には、必要以上の苦しみを与えない。獣狩りで身についたその作法が、人を相手にしたときにも崩れない。
それは残酷さではなく、むしろ一種の慎みなのだと、アルベルトは静かに理解していた。
頭目が床に倒れた。最後に何かを呟こうとしたが、その口からはもう音は出なかった。ただ左目の刀傷だけが虚空を見つめたまま、固まっていた。
部屋の中に、しばし戦の余韻だけが残った。火床から散った炭の小さな赤い粒が、湿った床板の上でゆっくりと黒に変わっていった。割れた皿の欠片が床に散らばり、その上を、頭目の血が細い筋となって伸びていった。
アルベルトはふっと、息を吐いた。
頭目の身元を聞き出せなかったのは、いささかの心残りだった。だが彼がただの野盗ではないという肌の感覚は確かに掴めた。それでひとまずは十分だった。
あの目の奥の光――あれは、口を割らせる前にこちらの命を奪う方を選んだ男の目だった。覚悟のある人間が、誰かの差し金でここに置かれていたのだ。
覚悟のない者は、剣の腱を切られた瞬間に命乞いを始める。逆に覚悟のある者は、最後の一刺しに賭けて懐の刃を抜く。今夜の頭目は間違いなく後者だった。
「エルマー、脇腹は」
ヴェルナーが低く尋ねた。
「かすっただけだ。問題ない」
アルベルトは上衣の裂け目から自分の脇腹を確かめた。出血は少なかった。腱や血管を傷つけてはいない。これくらいの傷で済んだのはほとんど運だった。
あと一拍躱すのが遅ければ、自分はいま床に倒れていただろう。
外で響き続けている剣戟の音と、賊どもの混乱した声に、アルベルトは意識を向けた。
戦はまだ終わっていない。
*
頭目を討ったということは、賊の指揮系統がいま事実上消滅したということだった。
アルベルトたちは再び窓から外へ出ると、すぐに本隊の戦況に合流した。
窓の縁から外へ滑り出る一瞬、頬を撫でた夜気が、部屋の中の血と煙の匂いを少しだけ洗い流してくれた。
屋根の上の岩棚に再び立ったとき、ふもとの闇の輪郭が戦が始まる前よりも幾分明るく見えた。戦の音が空気を引き締めて、視界そのものまで鋭くしているように感じられた。
小屋の入り口の方では、ジョスランの本隊と賊どもがまだ激しく剣を交えていた。
だが戦況は明らかに本隊の方に傾いていた。賊どもの数は確かに本隊より多いはずだったが、その動きには一つの統一された意思が見当たらなかった。各々が思い思いに剣を振り、誰の指示で動くべきかを見失っている。
頭目が斃れたということを彼らはまだ知らない。
だが、彼らの体はもうそれを感じ取っていた。
指揮系統を失った組織がどれほど脆く崩れるか。アルベルトはそれを軍議の卓の上ではなく、いまこの夜の山の上で実地に見ていた。
父の宮廷で何度も耳にした「指揮の要は中枢を一突きにすることだ」という言葉の意味が、いま手の届く距離で証明されていた。タウロ将軍の口癖でもあった、その言葉。卓上の駒を動かしながら、何度となく繰り返されていたその一節が、生身の戦場でこんなふうに息づくとは思っていなかった。
ジョスランは本隊の先頭で、見事な剣捌きを見せていた。
一合、二合と賊の剣を捌くごとに、相手を着実に追い込んでいる。傍らで戦う本隊の男たちもそれぞれが自分の役割を心得て動いていた。一人が斬りかかる、一人が後ろを守る、一人が逃げ道を塞ぐ――それはまるで一つの生き物のような連携だった。
誰一人として、自分の持ち場の外で動いている者はいない。普段の村の暮らしで培われた呼吸の合わせ方が、戦場でもそのまま生きているのだ。
岩棚の上のカーラもまた的確に動いていた。
彼女の矢は、小屋から飛び出して逃げようとした賊を一人、二人と正確に倒していた。
逃がしたらふもとに被害が及ぶかもしれない者を、彼女は一人ひとり冷静に射ていた。月明かりに照らされた岩棚の縁に立つ彼女の影は、まるで山の精のように静かで、矢を番える時の動きにすら無駄な揺らぎがなかった。
驚いたのは彼女がただ的を倒すだけではなく、味方の援護も同時にこなしていたことだった。
本隊の男の一人が賊に押し込まれそうになった瞬間、上から放たれた矢が賊の肩を貫いて流れを断ち切った。賊の腕の動きが鈍ったその隙に、本隊の男が反撃に転じた。
あれはただの腕ではない。
戦場全体を見渡しながら、味方が苦しんでいる瞬間を見極め、最も効く矢をその瞬間に放つ――その判断力こそが彼女を「村で一番夜目が利く」と言わせる本当の理由だったのだろう。
夜目が利くというのは、ただ闇がよく見えるという話ではなかった。闇の中で動くものの本当の意味を、見抜く目――そういうもののことだったのだ。
アルベルトは改めて山の民の戦い方に、深い感心を覚えた。
彼らの強さは個々の腕の確かさだけではない。一人ひとりが戦の全体を見渡し、必要な瞬間に必要な動きを差し出す。その総合力こそが数の不利を補い、いま戦況を確かな勝勢へと押し進めていた。
軍にいたころ、アルベルトは「兵の士気は数より連携で決まる」という訓示を何度も耳にした。
だが士気と連携を兼ね備えた戦を、実地で見た覚えはほとんどなかった。正規軍は数を頼りに押し、傭兵は腕を頼りに散らばる。
連携と腕が両立する戦というのは、案外、こうした山の村の中にこそ生きているのかもしれなかった。
畑を耕し、獣を狩り、雪を共に凌ぐ――そういう日々の中で互いの息を読む稽古を、彼らは毎日のように積んでいる。
戦の連携は卓の上で覚えるものではなく、暮らしの中で熟れていくものなのだ。




