第36話 山の狩人②
ちょっと長くなってしまいましtた
たどり着いた合流地点は、岩壁を背にした谷あいのささやかな空き地だった。
岩壁の窪みに身を隠すように小さな焚き火がひとつ、火の粉も上げぬ細い炎で燃えていた。火の周りには、ジョスランたちと似た毛皮のいでたちの男たちが五人ほど、無言で腰を下ろしていた。さらに少し離れたところに別の数人が、立ったまま夜の闇の方を見張っていた。
ジョスランが姿を見せると、焚き火の周りの男たちは一斉にこちらを見た。だが、誰も声を上げない。ただ視線で挨拶を交わすだけだった。山の民の流儀というものなのだろう。
その中から一人の男がゆっくりと立ち上がった。
歳のころはジョスランより十ほど上か。引き締まった体に無精髭。岩のような、無口そうな顔つきをしている。男はジョスランに小さく頷いてから、その鋭い視線をアルベルトに向けてきた。
「ジョスラン。聞いた話の男か」
「ああ。ベルント。話していた通り、剣の腕は確かだ」
ベルントと呼ばれた男は、それ以上は何も問わなかった。
ただその視線でアルベルトの体つきを頭からつま先まで、一度なぞるように見た。何かを値踏みするような目だった。だが無礼な視線ではない。戦場で生き残るために人を見抜く目を養ってきた者の、職人のような眼差しだった。
軍でアルベルトを鍛えた古参の教官たちにも、こういう目を持つ者が幾人かいた。剣を打ち合う前に、相手の歩み方と腰の落とし方と、視線の運び方とで、技量を見抜く目だ。ベルントはまさにそれと同じ目をしていた。
たった一度の視線のやり取りで、互いに「使える者か、足を引っ張る者か」を判じ合う。それが、戦に出る者の挨拶の形なのだろう。アルベルトはその視線を真正面から受け止め、わずかにも目を逸らさなかった。
やがてベルントは小さく頷いた。
「いいだろう。エルマーと言ったか?」
「ああ」
「俺はベルント。村の南の偵察を担っていた」
「よろしく頼む」
短い挨拶を交わしただけで、それ以上の言葉はなかった。だがそれで十分だった。これから命を預け合う仲間に無駄な口上は要らない。
ベルントは無言のまま、自分の隣の地面の上を手で軽く払って、座る場所を空けてくれた。それがこの男なりの「歓迎の意」なのだろう。アルベルトは礼を一つ言って、その場所に腰を下ろした。
無言の招き入れの中にも、確かな尊重があった。山の民の世界では無駄な言葉を交わさなくとも、こうした仕草のひとつで信頼の度合いは伝わる。それは王城の煌びやかな宴で交わされる華やかな辞令とは、まるで違う種類の「礼」だった。
焚き火を囲む輪の中に、アルベルトとジョスラン、カーラも加わった。
火に近づいてはじめて気付いたが、その焚き火は不思議な構造をしていた。岩を組み上げた窪みの中で、わざと炎を低く保ち、煙はほとんど立たないように湿った苔と乾いた小枝とを巧みに使い分けて焚いてあった。光は周囲の岩壁にだけ漏れ、遠目には見えにくい。
これも山の民の戦の知恵か――と、アルベルトは内心で深く感心した。山の獣を狩るために代々磨かれてきた技と、人を相手に身を隠すための技とが、ここでは渾然と一つになっている。
よく観察してみれば、焚き火の周りに座る男たちの腰には、それぞれ柄の擦り減った剣や、骨を彫って作ったような短剣が下げられていた。一人は肩から自家製らしい弓と矢筒を提げている。もう一人は腰の革袋からちらりと、油を塗り込んだ縄が覗いていた。崖を下りるための縄なのだろう。
誰一人として整った正規軍の装備ではない。だが誰一人として頼りなく見える者もいなかった。それぞれが何のために何を持っているかを心得て、それを使いこなす者の佇まいだった。
兵学の書にはこうある。「装備の優劣よりも、装備を活かす腕の優劣が勝負を決める」と。それを目の前で見せられている気がした。
「ベルント、状況は」
ジョスランが低く尋ねた。
「変わってない。山賊どもは根城に戻ってきている。ふもとから引き上げてきたのが、夕方の鳥が鳴くころだ。連中は今夜は動かん」
「数は」
「数えた限りで、二十七から二十九。三十は、超えていない。出かけているか、それとも見張りに散っているのが二人か三人いるかもしれん」
三十という数字に、アルベルトは内心で身構えた。
組織された賊が三十――それは決して軽く見られる数ではない。野盗の寄せ集めなら容易に切り崩せるが、訓練を受けた連中であれば三十の手練れで一国の街道を支配することすら可能だ。酒場で耳にした「百はいる」というのは噂が大きく膨らんだ数字だったらしいが、それでも三十は十分に手強い。
そして、こちらの数は――。
アルベルトは、改めて焚き火の周りの面々を見渡した。
ジョスラン、ベルント、ベルントの率いる偵察組の四人、それと立って見張りに就いている数人。それに、ジョスラン、カーラ、自分。
目算で、せいぜい十二、三といったところか。
胸の内に、わずかな不安がよぎった。
いかに山の民の足が速く、地の利があろうと、これだけの数の差で組織された賊に挑むのは、いかにも厳しい。傭兵団のときも、こちらは数百の兵で挑んだ。それと比べれば、いまの自分たちは、まるで素手で熊に挑むかのような無謀さに思えた。
「数のこと、気にしているな」
ジョスランが、ふっとアルベルトの方を見て言った。心の内を、こうも容易く読まれるのが、これで二度目だった。
「気にしている、と言わざるをえん」
アルベルトは率直に答えた。
「向こうは三十。こちらは、せいぜい十三。組織された賊が相手なら、二倍はほしいところだ」
「お前さんの考えは、平地の戦の考えだ」
ジョスランは静かに言った。
「平地でならお前さんの言う通りだ。だがここは山だ。それも俺たちの庭だ」
ジョスランの目が、焚き火の小さな炎を見つめていた。
「いいか、エルマー。山賊どもは確かに数は多い。だが連中はあくまで『山の中に住める平地の人間』にすぎん。地形を読む目は俺たちには及ばん。夜の山で迷わない自信は俺たちほどはない。狭い岩場の上で身を躱す体の使い方は俺たちには勝てん」
ベルントもまた無言で頷いていた。
「俺たち山の民は、子どもの頃からこの山の中で暮らしている。崖を登るのも、岩から岩へ飛ぶのも、暗闇で獲物を仕留めるのも、息を吸うのと同じだ。連中が一の動きをするうちに、俺たちは三を動く。そういう戦になる」
ベルントが続けてゆっくりと口を開いた。
「それにこちらは数の優位を捨てる代わりに、別の優位を持っている。連中は俺たちが攻めてくることをまだ知らない。寝床の安心の中にいる。一方で、俺たちはいつ動いていつ仕掛けるかの主導権を、すべて握っている。眠っている熊を起こす前に仕留める――それが今夜の戦の本質だ」
その言葉は淡々としていたが、深い経験から汲み上げられた言葉だった。アルベルトは静かにそれを聞きながら内心で何度も頷いていた。
数の優位だけが戦のすべてではない。地の利、時の利、奇襲の利――兵学の書でも口を酸っぱくして書かれていることが、いまここで山の民の言葉として目の前に並んでいる。書物の知と現場の知が、こうして一つの戦の形へと束ねられていく。それを目の当たりにして、アルベルトは妙に感動すらしていた。
なるほど、とアルベルトは胸の内で唸った。
言葉だけなら虚勢のようにも聞こえるかもしれぬ。だが、ここまでのジョスランたちの動きを目の当たりにしてきた身としては、その自信の根拠が確かなものとして肌で理解できた。あの闇夜の中で迷うことなく走り、岩を飛び、自分を寸分違わず狙ってきた弓――あれが山の民の本気の一端なのだ。
いま自分の隣にいるのは、山の獣を狩るのと同じ感覚で人を狩る術を持つ者たちだった。
胸の不安は、しかし、なお完全には消えなかった。山賊に対する山の民の優位は納得した。だが三十の組織された賊を、十三の手勢で相手取るのはそれでもなお博打のような危うさを孕んでいる。
アルベルトは自分の率直な見解を述べることにした。
「山の民の腕は信じる。だが、念のためにお互いの作戦を擦り合わせておきたい。賊の配置と、こちらの動き方をもう一度確認させてくれ」
「望むところだ」
ベルントが頷いた。
焚き火の脇の地面の砂を均すと、ベルントは枝の先でそこに簡単な地図を描き始めた。
「ここが賊の根城だ。山の中腹の岩棚に張りついた古い小屋跡を、奴らが補強して使っている。元は炭焼き小屋だった建物だ」
ベルントの枝が砂の上に四角を描いた。
「入り口はこれ一つ。後ろは断崖だ。逃げ場が一つしかない、ということは籠もって守るには楽だが、攻める側にとっても狙いを絞りやすい」
「見張りは」
「常に三人。小屋の周り、ここと、ここと、ここに、立っている。交代の刻限は、夜半過ぎだ」
ベルントは、砂の図に三つの点を打った。
「あとは近くの灌木の陰に、隠れ見張りが一人いる。これが厄介だ。気付かないと、後ろから刺される。だが、こちらはその位置をすでに掴んでいる」
ベルントの枝が、その「隠れ見張り」の位置を、図の右下に打った。
「武器の話もしておく。賊どもの装備は寄せ集めだ。革鎧をまとっている者と、布の上衣だけの者がいる。剣を帯びている者、斧や鉈を握っている者、自家製の短弓を持っている者。揃った武装ではない。だが頭目のいる小屋の中には、いくらかまともな武装があるはずだ」
「頭目の人相は掴んでいるか」
「掴んでいる。三十代後半の痩せた男だ。左の目に古い刀傷がある。連中の中ではひときわ嫌な目をしている」
ベルントは地面の図のうえに、小屋の中の位置に小さな印を加えた。それが頭目の位置を示すのだろう。
「狙うべきはまず頭目だ。頭が落ちれば賊は崩れる。これはお前さんもよく知っているはずだ」
アルベルトは黙って頷いた。傭兵団を討ったときも、まったく同じ原理で動いた。指揮系統の頭をいかに早く落とすかで戦の勝敗は決まる。それは平地の戦も山中の戦も、何ら変わるところがなかった。
無駄のない説明だった。アルベルトは聞きながら自分の頭の中に、その地形と配置を組み立てていった。これまでに見たどの軍議の場よりも、地に足のついた生きた偵察情報だった。
「いい仕事だ、ベルント」
アルベルトは率直に称えた。
ベルントはわずかに眉を上げただけで、それ以上は何も言わなかった。だがその目元に、ほんのかすかな満足の色が浮かんだのをアルベルトは見逃さなかった。
「それで、攻め口は」
アルベルトの問いにジョスランが続けた。
「俺は二手に分けるつもりだった。一手は正面の入り口に押し寄せて、賊の注意を引きつける。もう一手は隠れ見張りを始末しつつ、岩棚の上から不意を突く。だが――」
ジョスランは、ちらりとアルベルトの方を見た。
「お前さんがいるなら、もう一つ別の手も考えられる」
「言ってみてくれ」
「お前さんの剣の腕は確かに使える。三人ほどを連れて岩棚の裏側――断崖の上を回り込ませる。連中は、後ろは絶対に攻められないと思っている。だからその方向には見張りもいない。そこから縄を下ろして、頭目のいる小屋に直接降りる」
アルベルトは思わずジョスランの顔を見直した。
「断崖の上から下りる、と言うのか」
「ああ」
「ずいぶんと危なっかしい話だな」
「平地の人間にはな」
ジョスランの目元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「だがお前さんは、軍でその手の訓練もしているんじゃないか。崖を下りる、岩を登る。それを闇の中でやる。違うか」
アルベルトは内心で舌を巻いた。
軍では確かに崖下りの訓練はする。ただしそれは正規軍の中でも一部の精鋭にしか課されない、過酷な部類の訓練だ。ジョスランはこちらの剣の腕と動きを見ただけで、そこまでの読みを当てたのだ。
いや、それだけではない。「断崖の上を回り込む」という発想自体、ふもとの正規軍ではなかなか出てこない策だった。それを当然のように口にするということは、山の民にとってその程度の崖の上り下りは、日常の延長線にあるということなのだろう。
「やれるな?」
ジョスランの問いに、アルベルトは少しの逡巡もなく頷いた。
「やれる」
ベルントがそれを聞いて、無言で頷いた。
胸の内の不安は、まだ完全には消えていない。だが、計画の中で自分が果たすべき役目が定まった以上、迷っている時間はなかった。あとはそれを着実にこなすだけだ。
ふと、傍らに目を移すと、カーラがじっと地面の砂の図を見つめていた。
「カーラ。お前は、どう動く」
アルベルトの問いに、カーラは初めて口を開いた。
「私は岩棚の高い場所に陣取る。隠れ見張りは私が射る。それから小屋から飛び出してきた賊を、上から狙う」
迷いのない声だった。それを聞いたアルベルトは、改めて気付かされた。この娘は単なる兄の付き添いではない。立派な討伐隊の一員として、自分の役割を完全に把握している。
「カーラは村でも弓の腕は上のほうだ」
ジョスランが、ぼそりと言い添えた。
「それに村で一番、夜目が利く。あいつの目は月のない夜でも、闇の中で動くものを射抜ける」
その一言が、カーラの存在の重さをはっきりと示していた。
十五、六の少女を戦に連れていく。ふもとの感覚で言えば、これは普通には考えにくい話だった。だが山の民にとってカーラは、年齢でも性別でもなく、ただ「村で最も夜目が利き、弓の腕が確かな射手」として、この討伐隊に組み込まれている。それだけの実力と覚悟が、彼女には認められているのだ。
アルベルトは改めてカーラを見た。
仏頂面のままだが、その目の奥に確かな戦人の光があった。
「頼りにしている」
アルベルトが言うとカーラはふん、と短く鼻を鳴らした。だが、その言葉に対する返事の代わりに、彼女は弓の弦を一度、軽く弾いてみせた。準備はとっくにできている、という合図のようだった。
「役割を整理させてくれ」
アルベルトは頭の中の整理を口に出して確認した。
「ジョスランの本隊が、正面の入り口に押し寄せる。隠れ見張りはカーラが上から矢で射る。俺の組はその合図に合わせて、断崖の上から縄で降りて、頭目を直接狙う。そういうことだな」
「その通りだ」
ベルントが頷いた。
「合図は夜鳥の鳴き声で送る。同じ鳴き声を二度続けて鳴かせる。一度なら本物の夜鳥。二度なら合図。それが本隊が動き出す合図だ」
「では改めて段取りを決めよう」
ベルントが地面の図に新たな線を引いた。
砂の上で白と黒の点ではなく、岩と木と、人と人とが、戦の図を組み立てていく。それはアルベルトが王城で慣れ親しんだ軍議の地図とは、まるで違う風情の戦の地図だった。
だがその本質は、何一つ違わなかった。
地形を読む目。敵の配置を見極める力。手持ちの駒の長所と短所を見極めて、配置する手腕。それらは軍議の卓でも山中の焚き火の傍でも、まったく同じものだった。
ベルントの指示は、無駄なく、的確だった。アルベルトは思わず、王城のタウロ将軍を思い出した。あの雷親父も、地図を前にすれば、こうした淡々とした冷静さで、駒を配置していく。質の違う両者だが、根のところで通じるものがある。
戦の指揮を執る者には、こういう本質的な共通点があるのだろう。




