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フォルティニア戦記  作者: 引田コウ
第二章 王太子と山の民

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第35話 山の狩人①

 夜の山中を三人は黙々と歩き続けた。

 月は薄い雲の向こうに隠れたり現れたりを繰り返し、地面を照らす光もまた揺らめいては消えた。視界が頼りにならぬ分、アルベルトは耳と肌の感覚をこれまで以上に研ぎ澄ました。風の流れ、葉擦れの音、遠くの梟の鳴き声――それらの一つひとつがいまの自分の現在地と、進むべき道を教えてくれた。


 先導するジョスランの背中は、ほとんど物音を立てなかった。山の民の足というものが、これほど静かで、これほど迷いがないものかと、アルベルトは内心で改めて舌を巻いた。軍で鍛えた斥候歩きでさえ、彼の足の前ではいくらか騒がしく感じられた。

 しんがりのカーラもまた無音だった。少女の身でありながら、自分の弓と矢筒の重みを背負って何の音も立てずに歩く。山に育った者の体は、生まれながらにしてこの闇との付き合い方を知っているのだろう。


「あと半刻ほどで、合流の地点だ」


 しばらく歩いてからジョスランがぽつりと言った。

「合流?」

「ああ。先に山に入って、山賊の根城を見定めている連中がいる。村の偵察隊だ。今夜の集合はその連中と落ち合うところからだ」


 なるほどと内心で頷いた。ジョスランとカーラだけが偵察に出ていたわけではないらしい。山の民の動きは、こちらが想像していたよりも組織立っている。一つの方向から偵察に入りつつ、別の方向からも目を光らせ、複数の目で根城を見張る――それはまさに正規の軍が行う斥候の用兵そのものだった。


 ホルンガルド村は自給自足の小さな集落だと、アルベルトは思っていた。だがこうして実際の動きを見せられると、その認識はかなり甘かったらしい。

 山の民はただ山の中で慎ましく暮らしているだけの民ではない。彼らはこの山の地形のすべてを把握し、いざというときに迅速に動ける戦の体制を暮らしの中に静かに編み込んでいる。それを率いる首領というのは、よほどの器量の持ち主に違いなかった。


 考えてみればジョスランの口ぶりからも、その兆しはあった。「俺たちは女子どもには手を出さん」「同じ山に住む者として、ああいう連中とひとくくりにされるのは勘弁してほしい」――そう淡々と語ったあの男の言葉の裏には、長年積み重ねられてきた山の民としての矜持と、それを支える組織の存在があったのだ。


 ふもとの人間が「山の民」と一括りに呼ぶその裏で、彼らは彼らなりの秩序と戦の備えと誇りを、確かに保ち続けてきた。それを束ねている首領というのは一介の村長というよりも、もう少し別の何かなのかもしれない。


 シリル、という名が再びアルベルトの胸の内をよぎった。

 会わぬままこちらに「組め」と命じた首領。よそ者には簡単に顔を見せぬ、というジョスランの言葉。その態度は、用心深さの表れでもあろうが、ただ用心深いだけの男なら、自分のような怪しげな身分の者を初めから受け入れたりはしないだろう。

 受け入れた以上は、何かを見抜いた上での判断のはずだった。


 その「見抜いた」ものが何なのかは、アルベルトにはまだ分からない。だが、いまはそれを詮索するときではなかった。目の前の山賊退治に集中する。そのために、いま自分はこの闇の中を歩いている。


「エルマー」


 ふいに、後ろからカーラの声が飛んできた。


「なんだ」

「あんた、こんな夜歩きにもよく付いてこれるな」


 その声には相変わらず棘があった。だが棘の中にほんの少しだけ、感心の色が混ざっているのをアルベルトは聞き逃さなかった。


「軍で、こういう夜行軍の訓練はやらされた。山の中ではないが、平地の闇でも足を運ぶ要領は似たようなものだろう」

「ふうん」


 カーラは短く相槌を打った。それからぽつりと付け加えた。


「あんたの主君ってのは、ずいぶんと厳しい人だな」

「ああ。厳しい人だ」

「うちのお父も、お母にとってはずいぶんと厳しい人だったらしい」

「ほう」

「もう死んだけどな」


 淡々とした口調だった。だがその短い一言に、アルベルトは思わず歩みをわずかに緩めた。


「……すまん」

「謝るな。あんたが殺したわけじゃない」


 カーラはそれだけ言って口を閉じた。だがそれまでよりも、いくらか彼女の気配が和らいだのが、空気の伝わり方で感じ取れた。


 兄と妹と母親と――その家族の中で父親だけが欠けている。あの家の囲炉裏の温かさの裏に、ひとつの欠落があったのだ。そう思うと母親が息子と娘を送り出すときの「気をつけて、行きなさい」というあの短い言葉の重さが、改めて骨身に染みた。


 あの母親は夫を山で失ったのだろう。そして今、息子と娘をまた山の戦に送り出している。多くを語らず、ただ送る。それしかできぬまま、それでも送る。

 守らなければ、とアルベルトは思った。賊を退け、この兄妹を必ず母のもとに帰す。今夜の戦のそれも一つの大事な目的だった。


 道はいつしか緩やかな登りに変わっていた。木々の間を縫って進むうちに、前方の闇の奥にほんのかすかな光のようなものが見えた気がした。


「あれだ」


 ジョスランが低く言った。


「合流地点に目印として小さな焚き火を焚いてある。ここから先はもうひとつ警戒を上げろ。声は必要なときだけ。動きも最小限に」


 アルベルトは無言で頷いた。

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