第34話 山の民⑤
かなり短いですが、きりがいいのでここまでです。
村を出ると世界は再び闇に包まれた。
ジョスランの先導は村への道のとき以上に迷いがなかった。彼にとってこの山は家の中の廊下を歩くのと同じほどに、勝手知ったる場所なのだろう。アルベルトはその後ろを慎重に足を運びながら追った。しんがりは相変わらずカーラが務めた。
しばらく無言で歩いた。
息の上がり始めるころ、ジョスランが岩陰でほんの少しだけ歩みを止めた。
「そろそろ、食っておけ」
短い指示だった。
アルベルトは革袋を開け、堅パンを一枚と干し肉を一切れだけ取り出した。歩きながらでも食える分量だ。それ以上は袋にしまった。
堅パンを噛むと初めはほとんど石のようだったが、唾液で柔らかくなるにつれて穀物の香ばしい甘みが、じんわりと口の中に広がった。素朴な、しかし腹に染み入る味だった。干し肉は塩気が強く、噛むたびに山の獣の濃い旨みが滲み出した。城の宴で出される凝った料理とはまるで違う、しかし間違いなく「生きるための味」だった。
水筒の水で堅パンを流し込みながら、アルベルトは無言でカーラの方を見た。
カーラは自分の革袋から、同じように堅パンと干し肉を取り出して食べていた。歩きながら食べることに慣れている、その仕草の自然さがアルベルトには新鮮だった。
目が合うと、カーラは仏頂面のままこう言った。
「うまいだろ」
「ああ。うまい」
「これがあれば山の中で何日でも動ける。火を焚かなくていい。煙が立たないから敵にも気取られない。山の民の戦の糧だ」
その短い説明の中に、長年の知恵の蓄積を感じた。山の民が代々この山で身を立ててきた、その営みの結晶がいま自分の手の中の堅パンと干し肉に詰まっている。
「うまい」と、もう一度心からそう告げると、カーラの仏頂面は変わらなかったが、その目元がわずかに緩んだように見えた。
「行くぞ」
ジョスランの声で再び三人は歩き始めた。
歩きながらアルベルトは思いを巡らせた。
今朝、館を抜け出したときには、まさかこんな夜を迎えることになるとは夢にも思わなかった。森で襲われ、襲ってきた相手と組み、その相手から糧を分けてもらい、共に賊の根城を目指して歩いている。
遠い王都の城の中で、いまごろ妹のクリスティーナは何をしているだろうか。義母のアヴェリンは、リウヤは。グレイは領地でしくじっていないだろうか。タウロ将軍は東部で勝手をする自分を知ったら、また特大の雷を落とすに違いない。
近くて遠いたくさんの顔が、夜の闇の中に、ふっと浮かんでは消えた。
その一人ひとりを、そして名も知らぬ無数の民たちを、自分は守らなければならない。それがここに来た自分の使命だ。山賊退治もまたその一筋の道のはずだ。
行く手の闇の奥に賊の根城がある。会ったこともない首領シリルの判断と、隣を歩く兄妹の助けとを得て、自分はいまその闇の懐へと踏み込んでいく。
今日が一日の終わりではなく、新たな夜の始まりであるかのように、頭上の星々が静かに瞬いていた。その星明かりが、フォルティニア王国王太子アルベルト・ファン・フォルテスの新たな戦いの始まりを、淡く照らしていた。
誰も知らぬ夜のさなかでその小さな灯りだけが、これから始まる物語の口火を静かに告げていた。




