第32話 山の民③
村は思っていたよりもずっと整った村だった。
石を積んだ低い塀が村の周囲を囲んでいた。塀の高さは大人の腰ほどしかなく、外敵から村を守るというよりは家畜が外に出ぬよう、あるいは獣が中に入らぬようにという程度のものだった。
塀の内側には十数軒の木造の家屋が、地形に沿ってちらほらと建ち並んでいた。どれも屋根は分厚い板で葺かれ、煙突からは細い煙が立ちのぼっている。家と家の間には小さな畑があり、家畜小屋がある。山の中での自給自足の暮らしがここでは確かに営まれていた。
驚いたのは村の中央に、それなりに広い広場があったことだった。広場の中央には囲炉裏のような大きな火床が設けられ、その周りに丸太の腰掛けがいくつも並んでいた。村の集会場のようなものなのだろう。
ジョスランたちが村に入ると、すぐに見張りらしき男が二人、出迎えに走ってきた。アルベルトを認めるなりその目に鋭い警戒の色が浮かんだ。
「ジョスラン、その男は」
「よそ者だ。話は俺がする。とりあえず、こいつを集会場の隅に座らせておいてくれ。逃げぬよう見張りもつけてくれ」
「承知した」
見張りの一人がアルベルトに近づき、無言で広場の方を指し示した。座れ、ということなのだろう。アルベルトはおとなしくそれに従った。逆らえばせっかく結びかけた信頼が、また振り出しに戻る。ここは相手の流儀に従うべき場面だった。
集会場の腰掛けに腰を下ろすと見張りの男が二人、抜き身の剣を提げたままアルベルトを取り囲むように立った。剣こそ向けてはいないが、いつでも斬りかかれる構えだった。
ジョスランはというと、カーラに何事かを耳打ちしてから、村の奥のほうにあるひときわ大きな家屋へと足早に向かっていった。あれが首領の家ということなのだろう。
残されたカーラはアルベルトから少し離れた腰掛けに、どっかりと腰を下ろした。彼女は弓を地面に置いたが、その代わり腰の短剣の柄に手を添えていた。気を抜く気はない、ということらしい。
「私は兄貴と違って、お前のことを信用してない」
カーラは前置きもなく言った。
「だから変なことしようとしたらすぐに斬る。覚悟しておけ」
「覚悟しておこう」
アルベルトは肩をすくめて答えた。
その態度がかえって癪に障ったのか、カーラはむっとした表情で視線を逸らした。
しばし沈黙が流れた。
アルベルトは集会場の腰掛けに座ったまま、村の様子を観察していた。家の窓から漏れる灯りの色。煙突から立ちのぼる煙の細さ。畑の畝の整え方。家畜小屋の位置。それらの一つ一つがこの村の暮らしぶりを語ってくれる。
よく手入れがされている、と感じた。痩せた土地からなるべく多くを得るための工夫が、随所に見られた。村人たちは決して豊かではない。だが知恵と汗でつつましく、しかし確実に暮らしを成り立たせている。
そういう人々の暮らしを、山賊どもの跋扈と、その結果として送り込まれるかもしれぬ討伐軍の足とで踏みにじるわけにはいかない。アルベルトは改めてそう思った。
「……あんた」
カーラがふいに口を開いた。
「ずいぶんと村を眺めているね」
「ああ」
「何か気に入らないことでもあるのか?よそ者の目におかしく映るところでもあるのか?」
その声にわずかに棘が混じっていた。誇りを傷つけられたと感じたのかもしれない。山の民にとって自分たちの村は誇りであり、よそ者にじろじろと見られるのは決して心地よくはないだろう。
アルベルトは首を横に振った。
「いや、逆だ。よくできた村だと感心していた」
「……は?」
「畑の作り方も、家畜小屋の配置も、家の建て方も、どれもよく考えられている。痩せた山の土地からこれだけのものを引き出すのは、生半可な知恵では無理だ。お前たちはいい暮らしを築いている。素直にそう思った」
カーラの目が丸くなった。
予想していた答えとまるで違ったのだろう。よそ者の騎士がこんな山の村を褒めるとは、彼女の中では、おそらく想定外だったのだ。
「……ふん」
しばらくしてカーラはぷいと顔を背けた。
「世辞か。ご機嫌取りはやめておけ。私には通じない」
「世辞ではない。本心だ」
「ふん」
カーラはもう一度鼻を鳴らした。だがその耳が、ほんのわずかに赤くなっているのをアルベルトは見逃さなかった。
気の強い少女ほど、不意を突かれた素直な褒め言葉には弱いものらしい。これは別段、誰かに策を仕込んだわけでもなく、本心からの言葉ではあったのだが、結果としてアルベルトはカーラの警戒を、ほんの少しだけ和らげることになった。
集会場の周りにはいつの間にか、村の女子どもたちが遠巻きにこちらの様子を眺めていた。よそ者が来たと聞きつけて、見物に出てきたのだろう。子どもたちは興味深そうに、けれども怖がるように、母親の背に隠れたり家の戸の陰から顔を出したりしている。
その中にひときわ大きな目をした、五、六歳くらいの女の子がいた。ぼろの上衣に、髪は無造作に肩までかかっている。その子は他の子のように母の背に隠れることなく、堂々と集会場の隅に立ってアルベルトのことをじっと見つめていた。
目が合っても子は逃げなかった。代わりにまっすぐにアルベルトに向かってこう言った。
「おじさん、ご飯食べた?」
不意打ちにアルベルトは思わず吹き出した。
「ふっ……。いや、まだなんだ」
「お腹空いたらうちのお母ちゃんに言ってあげる。お母ちゃんはよそから来た人にも、ちゃんとご飯を出してくれるよ」
「……それは、ありがたいな。覚えておこう」
その子は満足げに頷き、それから子どもらしい無遠慮さでこう続けた。
「おじさんは、悪い人?」
「さて、どう思う」
「悪い人じゃない。だって目が悪い目じゃない」
子どもの直感、というやつだった。アルベルトはその子の目をしばし見つめ返した。
澄んだまだ濁りを知らない、まっすぐな目だった。こういう目を守るために、自分はいまここにいるのだ――そう改めて思わされる不思議な視線だった。
「カーラお姉ちゃんがおじさんを連れてきたの?」
「ああ。お姉ちゃんと、お兄ちゃんがな」
「カーラお姉ちゃんが連れてきたなら、悪い人じゃないね。カーラお姉ちゃんは強いから」
その素直な信頼がアルベルトにはまぶしかった。
遠くでカーラがこちらを見て、何やら気まずそうな顔をしているのが見えた。村の子どもたちに慕われている自分の姿を、よそ者に見られるのがこそばゆかったのかもしれない。
「ねえ、おじさん」
「うむ」
「悪い山賊さん、やっつけてくれる? うちの遠い親戚の家、焼かれちゃったの。それでみんな悲しんでるの」
その小さな声に、アルベルトの胸がぎゅっと締めつけられた。
ああ、ここにも――と、思った。
町の酒場で見たあの母子。そして、ここにいるこの少女。賊どもの所業の影は、こんな山の村の小さな子のもとにまで確かに届いている。
「ああ」
アルベルトはゆっくりと、しかしはっきりと答えた。
「やっつけてやる。約束だ」
その子はぱっと顔を輝かせた。それから何かの儀式のように、小さく一度頷いて母親のもとへと駆け戻っていった。
子どもの素直な笑顔――それを胸に焼き付けながらアルベルトは静かに拳を握った。
また一つ、引けぬ理由が増えた。
その表情を見て、アルベルトの胸の奥が、ふと、温かくなった。
子どもたちの好奇心の目。怖がりつつも、何か面白いものを見たがるあの目。これは王都の市井の子どもたちも、辺境の村の子どもたちも、まったく変わらない。どの子もただの子どもなのだ。守られるべきただの子どもなのだ。
もし、山賊どもがこの村を襲いに来たら――そう思うと、胸の奥に静かな怒りが立ちのぼった。連中をのさばらせておくわけにはいかない。改めてその決意が固まった。




