第31話 山の民②
ちょっと短いですが、きりがいいので投稿します。
ホルンガルド村への道は、獣道ですらないところをジョスランの先導で進んでいった。
夜の山中である。普通の人間ならば十歩も歩かぬうちに迷い、それきり生きて戻ることはできないだろう。だがジョスランの足取りには迷いがなかった。月明かりだけを頼りに、岩を越え、沢を渡り、人ひとり通れぬような藪の隙間をすり抜けていく。
アルベルトはその背を追いながら、内心で舌を巻いていた。これが山に生まれ山に育った者の足というものか。軍で鍛えた自分が、ようやく後れずについていける程度の速さである。
カーラはしんがりを務めた。アルベルトの背中の真後ろ、矢を番えたままの弓を片手に提げて歩いている。万が一にもアルベルトが妙な動きをすれば、即座に背中を射抜けるよう、その距離を保ったままだった。
「妙な気を起こすなよ、騎士さん」
カーラがぼそりと言った。
「肩が凝るような距離だな、妹君」
「肩なら首が肩に乗ってる間は凝るもんだろ」
なかなか口の減らない少女だった。アルベルトは小さく笑った。気の強さの裏にしっかりとした筋の通った頭がある。兄妹で似ているところがあるなと思った。
しばらく無言で歩いてから、カーラがふいに口を開いた。
「あんた、剣の腕は確かにあるみたいだけど」
「ああ」
「貴族に仕える騎士には見えない」
ふっと、アルベルトの背筋がわずかに緊張した。
「ほう。どこが」
「足音だよ」
カーラは淡々と言った。
「あんた騎士のくせに、足音の殺し方がちょっと変なんだ。普通、騎士ってのはもっと大股でずんずん歩く。あんたみたいに地面を擦るように歩いて、音を消す歩き方なんて騎士の歩き方じゃない。むしろ賊か、斥候の歩き方だ」
冷や汗がわずかに滲んだ。
なるほど、軍で身についた斥候歩きが、彼女には不自然に映ったらしい。十五、六の少女がこれほどの観察眼を持っているとは思わなかった。
「俺の主君は変わったお方でな」
アルベルトは努めて平然と答えた。
「騎士たちにもいざというときのために、斥候の動きを叩き込ませている。気取られず動くこと。それが戦人の基本だと、口を酸っぱくしておっしゃる」
「ふうん」
カーラはそれ以上は追及しなかった。だが納得した様子もなかった。
彼女の鋭さを甘く見るのはまずい、とアルベルトは思った。妹は兄のジョスラン以上に、こちらの正体を疑っている。今後はしばらく細心の注意を払って振る舞う必要がありそうだった。
「カーラ」
前を行くジョスランが振り返らずに言った。
「あんまりエルマーをいじめるな」
「いじめてなんかいない。確かめてるだけだ」
「お前のその『確かめる』は、たいてい相手の神経をすり減らすからな」
兄妹のやり取りには、長年連れ添った気安さがあった。妹は気が強く、兄はそれを軽く受け流す。そういう関係性が短い言葉のやり取りからも伝わってくる。
アルベルトはふと、自分とグレイのことを思った。
遠い王都で、いまごろあの幼馴染は、領主代理の仕事に追われているだろうか。あいつがここにいたら何と言うだろう。「お前のことだ、どうせまたとんでもないところに首を突っ込んでいるんだろうな」と、肩をすくめるに違いない。
その姿を思い浮かべて、アルベルトは小さく笑った。
半身がいないのは寂しいが、こうしてまた新たな縁に出会えた。山の民の兄妹。これも一つの巡り合わせなのだろう。
道はやがてわずかな上りになった。木々の間から、ぽつりぽつりと灯りの光が漏れ見えてきた。家の窓の明かりだ。ホルンガルド村が近いということだった。
歩きながらジョスランは時おり、ぽつりぽつりと山の民の暮らしのことを語ってくれた。冬以外の季節ごと――年に三回、近隣のいくつかの村が集まって首領会議を開くこと。アイゼンドルフ村やウルフェン村といった近隣の山の民の村と、定期的に物の交換をしていること。塩や鉄など山では得られぬものを、ふもとの市で手に入れること。
話の端々から、山の民の暮らしが決して孤立して閉じたものではなく、それなりに広い世界と結びついていることが見えてきた。アルベルトは聞きながら何度も内心で頷いた。書物だけではけっして見えてこない、生きた知恵がそこにあった。
「お前さんはなかなか聞き上手だな」
ふいに、ジョスランがそう言った。
「騎士というのは、もっと自分のことを話したがるものだと思っていた」
「俺の主君は、聞くことのほうが話すことの十倍は大事だ、と教えてくださった」
「ほう。いい主君だな」
その言葉にアルベルトは内心で苦笑した。「自分の父」を「いい主君だ」と褒められるのは、なかなかに、こそばゆいものだった。




