第3話 国境の追跡者③
森を抜ける道すがら、二人はほとんど言葉を交わさなかった。
それぞれが、見てきたものの意味を頭の中で反芻していた。木漏れ日が肩の上で揺れる。あれほどの逃走劇の舞台だった森は、いまは嘘のように静かで穏やかだった。
歩きながら、アルベルトは今日の失敗を、もう一度なぞっていた。あの見張りの位置。目が合うまでの数瞬。逃げ出す判断の速さだけは間違っていなかったが、そもそも見つかった時点で負けなのだ。次があるなら——次は、もっとうまくやる。そう胸に刻むことだけが、いまできる唯一の始末だった。
やがて木々がまばらになり、前方に光が見えてきた。森の出口だ。
抜ける間際、アルベルトはふと足を止め、森の奥を振り返った。
「どうした」
「いや。……何でもない」
そう答えながらも、目は森の奥の、見えない何かの方角へ向いたままだった。
胸騒ぎがする。理屈ではない。肌で感じる、予感のようなものだ。今日見たもの、聞いたもの。その全てが、何かの始まりを告げている気がしてならなかった。
——嵐が、来る。
空はまだ晴れている。花畑には花が咲き、国境の市には人々の笑い声が響いているだろう。だがこの平穏は長くは続かない。そんな確信めいた予感が、胸の奥で冷たく疼いていた。
「アルベルト、置いていくぞ」
先を行くグレイの声に、我に返る。
「ああ、いま行く」
軽く頭を振って予感を払い落とし、アルベルトは相棒の背を追った。
森を抜けると、傾き始めた陽の光が二人を迎えた。
茜に染まり始めた空の下で、花畑は昼間とは違う顔を見せていた。風はすでに夕べの涼しさを含み、花の波は金の光をまとって静かに揺れている。昼間あれほど賑やかだった蜂の羽音は消え、代わりに夕暮れの虫の声が、草の根元から細く立ち上り始めていた。一日の終わりを告げる、穏やかで、どこか切ない時刻だった。
この景色を、壊させてはならない。
理屈ではなく、胸の底から湧き上がる衝動として、アルベルトはそう思った。
夕暮れの花畑を、二人の若者が西へ歩いていく。帰りを待つ場所へ。落ちてくるであろう将軍の雷へ。そして——まだ誰も知らない、大きな運命のうねりへと向かって。
花畑の上を、一陣の風が吹き抜けていった。
踏まれて倒れた花々が、風に揺すられ、ゆっくりと頭をもたげていく。何事もなかったかのように、花畑は再び一面の花の海に戻っていった。
この花々が次に踏み荒らされる時。
それが少数の追手の足によるものか、それとも大軍の軍靴によるものか——それを知る者は、まだ誰もいない。
この話はかなり短いですが、キリがいいところで切らせていただきました。
次の話と合わせて読んでいただけると幸いです。




