第2話 国境の追跡者②
二人は、すぐには動かなかった。
去ったと見せかけて物陰に潜み、様子を窺う——それは追跡の基本である。浮かれて木を降りたところを囲まれては元も子もない。二人はたっぷりと時をかけて、森の気配が元に戻るのを待った。
四半刻か、あるいはそれ以上か。
鳥が再びさえずり始め、栗鼠が幹を駆け上がっていく。どこかで啄木鳥が幹を叩き始めた。森の住人たちが警戒を解いたということは、すなわち、招かれざる客が去ったということだ。
二人はようやく、詰めていた息を吐いた。
「やれやれ。……何とかなったな」
金髪の男——グレイはそう呟くと、登った時と同じ身軽さで木を降り、大地に足を着けた。アルベルトも枝から枝へ伝い降り、最後は軽く飛んで着地する。
降り立った二人は、どちらからともなく顔を見合わせた。
互いの顔は土と汗で汚れ、外套には葉や小枝が絡みついている。先に吹き出したのは、グレイだった。
「ひどい顔だな、お前」
「お前こそ。自慢の金髪が鳥の巣になってるぞ」
「なに、これは森に溶け込むための偽装だ」
「その偽装、もう少し早くやるべきだったな。お前の頭が陽に光ったから見つかったのかもしれんぞ」
「……その可能性を否定できんのが、悔しいところだ」
グレイは髪に絡んだ小枝を引き抜き、忌々しげに一瞥してから放り捨てた。
ひとしきり軽口を叩き合ってから、アルベルトは表情を引き締めた。
「グレイ、悪かった。俺の警戒が甘かった」
見つかったのは、近付きすぎたからだ。もう少し。あと少しだけ。その欲が判断を鈍らせた。見張りらしき男と目が合った瞬間の、全身の血が一度に冷えるあの感覚は、当分忘れられそうにない。
「いや、お前だけのせいじゃないさ。気付かなかったのは俺も同じだ。あの見張り、妙な場所に立っていた。あれは読めん」
グレイは外套の小枝を払いながら、淡々と言った。
「それより、見つかった以上、これ以上の偵察は無理だ。いったん引き上げた方がいい」
失敗を責めず、かといって慰めもせず、ただ事実を並べて次の一手を口にする。この男のこういうところに、アルベルトはいつも救われてきた。生まれついての気質というものだろう。
「そうだな。敵の警戒も強くなる。……それに、そろそろ戻らんと、周りに何を言われるか分からん」
「将軍からは、特大の雷が落ちるだろうな。あれほど勝手に動くなときつく言われていたんだ」
グレイの声に本気の憂鬱が混じるのを聞いて、アルベルトは思わず苦笑した。あの御仁の雷の恐ろしさは、先ほどの追手の比ではない。
「敵の情報を土産にすれば黙らせられると踏んでいたんだがな。見つかって警戒を強めさせたとあっては、立派な失態だ。……雷は、我慢するしかあるまい」
アルベルトは肩をすくめ、小さく息を吐いた。
「お前も俺に付き合ったんだ。一緒に受け止めてもらうぞ」
「俺はただ巻き込まれただけなんだがな」
やれやれとぼやくグレイの胸を、アルベルトは拳で軽く叩いた。
「俺を止められなかったのはお前の責任だ。おとなしく雷に打たれておけ」
「止めても止まらん奴を放って、一人で行かせても雷は落ちる。どっちを引いても貧乏くじとは、ひどい籤場もあったものだ」
「敵に見つかった時点で、当たりくじは燃えたんだ。諦めて二人で打たれるぞ」
グレイはもう一度肩をすくめ、それきり文句を呑み込んだ。覚悟を決めたらしい。
代わりに、森の奥——二人が駆けてきた方角へと視線を向けた。木々に遮られて、もう何も見えはしない。だがその先にあるものを思い出すように、グレイは目を細めた。
「……それにしても、嫌なものを見たな」
「ああ」
アルベルトは短く答え、それから続けた。
「連中の話、聞いたか。木の下で言っていた。『集合の刻限』——それに『報酬』だ」
「聞いた。刻限を気にして、報酬で動く。つまりあの連中、誰かに雇われて、まとめて管理されているということだ」
「ただの野盗の類なら、その方がよほど気が楽だったんだがな」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
森の向こうに見たものが、瞼の裏に蘇る。整然と並んだ天幕の列。組まれた柵。荷を運ぶ男たちの、無駄のない動き。あれは、噂話の尾鰭が生んだ幻などではなかった。
この国境に流れる不穏な噂。そして今日、この目で見てきたもの。二つの指し示す先を考えると、胸の奥にざらりとした感触が残った。
「考えすぎであってほしいがな」
アルベルトは呟いた。その声は、自分でも驚くほど硬かった。
「考えすぎなら、それでいい。将軍に怒鳴られて、笑い話にして終いだ。……だが、もし考えすぎでなかったら。見てきたことは、一刻も早く伝えねばならん」
「ああ」
グレイが頷いた。雷を恐れて報告をためらうような話では、もはやなかった。
「戻ろう。見つかりはしたが、敵陣の様子は見られた。これからの動きを決めねばならん」
「そうだな」
二人は肩を並べ、来た方角へと歩き始めた。




